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ーともよ、やすらかなれ

哀景天文 并序  あいけいてんぶん ならびにじょ

書き下し   平仄配列図  简体中文

  粤強圉單閼、孟春(1987年2月)幾望、徹之于東京四谷。驛控赤坂、路連新宿。人車轣轆、楼閣 参差。入其小巷、有古寺焉。名曰笹寺01。紅塵不及、跫韻自賖。入園内、向晩無人、彤雲有耀。惟墓標林立、蒼翠支離。學法逹明居士之墓也。嗚呼。紫煙迤湧、掩[手+(艸/冉)]残黄。昔隔賢愚02、今分幽顕。竟何為哉。
  鈴木達朗字景天、吾畏友也。維戊午季春(1978年4月)始識君。各當志學之年、在初中之課03。 若鳴日下、若躍雲間04。僕愛唐詩、君通『解字』。志操穎異、夙治華文、才藝患多05、尤工篆刻。 僉所賛嘆也。居一年、及迎畢業、散作参・商。
  後四年、癸亥仲春(1983年4月)、我進東京大學、又相見。雖是故人、反非同榜。君徳望布華 於學友、名聲扶翹於師林06。吾點額、左宗棠之落江、凡求顧念;闕童子之將命、只欲速成07。而 心中常以君為期。
  又一年、甲子季春穀雨刻且巳初(1984年4月20日上午8点50分鐘)、君墜於御茶之水驛月臺、忽 然長逝。享年二十。猶疑午夢、漸熱中腸08。竢翌夜而詣喪家、見親朋之盈門路。呑傷聲于三不 弔09、斷瞻望于九原邊10。此成終古之別也11。
  後令尊、編弔文、輯遺稿。維丙寅之季春(1986年4月)上梓、以生前之木刻為題;曰『泰然自若 』。遍頒故舊。僕讀斯書、無一葉不有思子之情、無一句非是化鵬之兆。私忖其心、念悠悠之廿稔、 思翕翕於一時、猶恐半夜燈前、幾行泣下乎!12 又檢所載之遺刻、或若畫龍於毫末、或若揮削于 棘端13。而能存敦厚之風、可謂丈夫之業也14。厥「十萬億土幾人行」白文印、印中刻印、文裡復 文。如箱裏含箱、鏡中映鏡。葛洪明鏡、自照未来15;陽羨書生、能呑永遠16。其眞掌中天地、方 寸靈臺矣!17
  嗚呼! 天送此才18、又歸烏有。百年寂寞、千里曠茫19。宜矣九歌20、「孰離合」者?;已 虖「六極」21、胡首言之! 一片冰心、玉 壺倶葬22;廿年哀樂、方寸所留。命也耶? 龐統哭孔明、李觀悼 韓愈! 蘭摧玉折23、使此輩存24;蕭敷艾榮、令斯人死! 夫徳音未遠25、宿草已生矣26。交友 六年、淡如清泚27;別離三歳、邈 若山河28。而我悲哀者何哉? 夷吾痛哭耶、薪者自傷耶?29 恐両否也。惟劉惔清蔚30、不至周旋31;孫綽性卑、悵為諷詠耳32。迺致詞曰;

鈴木家之長子兮達朗字曰景天
朝攬麻以信直兮夕仰檭而有梴33
罹文章之憎壽兮陥司命之間然34
蘺嘆蘭于餘馥兮穜哀稑夫孰先35 
繋朋心於身後兮供幽詠乎墓前
嗟蓀摧於朝露兮吾終不見其比肩

選自「丁卯集」稿

[自 注]

01…笹寺、又名長慶寺、在東京都四谷四丁目四番地。
02…『列子』:「生則有賢愚貴賤」 又嚆里曲。
03…初中、國立千葉大學附属中學校。
04…『晋書』陸雲傳
05…「士衡患多」
06…陸雲詩:「扶翹布華、養物作春」
07…『論語』憲問
08…杜詩:「驚呼熱中腸」
09…杜詩:「死別已呑傷」 『禮記』檀弓上:「死而不弔者三」
10…『詩』:「遠送于野。瞻望弗及、泣涕如雨」
11…魯迅詩:「此別成終古」
12…唐詩:「半夜燈前十年事、一時和雨到心頭」
13…『韓非子』:「今棘刺之端、不容削鋒」
14…『法言』:「童子彫蟲篆刻」
15…『抱朴子』雜應:「四規者、照之時、前後左右各施一也」
16…『續齊諧記』:陽羨許彦遇一書生。書生吐女子、女子吐男子。
17…『荘子』:「不可内於靈臺」 『列子』仲尼:「方寸之地虚矣」
18…李白詩:「天生我才必有用」
19…『戰國策』齊宣王:「千里而一士、是比肩而立」
20…『楚辞』九歌大司命:「何壽夭兮在予」「孰離合兮可爲」
21…『書』洪範:「六極、一曰凶短折」注:「禍莫大於凶短折」
22…鮑照詩:「清如玉壺冰」 又唐詩:「一片氷心在玉壺」
23…『世説』言語:「寧爲蘭摧玉折、不作蕭敷艾榮」
24…『世説』傷逝:「使君輩存、令此人死」
25…『世説』傷逝:「徳音未遠、而拱木已積」
26…『禮記』檀弓上:「曾子曰『朋友之墓、有宿草而不哭焉』」
27…「君子之交淡若水」
28…王戎曰:「今日視之雖近、邈若山河」見『世説』『晋書』。
29…『琴操』補遺:「孔子問之、薪者曰『吾自傷、故哀爾』」
30…『世説』品藻:「清蔚簡令」
31…『世説』輕詆:王孝伯曰「亡祖何至與此人周旋!」
32…『世説』輕詆:「眞長平生、何嘗相比數!」
33…千葉大學附属中學校之徽章象麻葉。東京大學之徽章象公孫樹(=白果樹、銀杏)葉。俗作「檭」、假借也。
34…杜詩:「文章憎命達」
35…『離騒』注:「掲車・江離、雖亦香草、然不若椒・蘭」

[訓読]「哀景天文」併びに序

[www化に際し(よみがな)のみ現代仮名遣いにしました。]
 粤(こ)れ強圉(きょうぎょ)の單閼(ぜんえん)、孟春(もうしゅん)の幾望(きぼう)、徹 東京四谷に之(ゆ)く。驛(えき)は赤坂を控へ、路は新宿に連なる。人車轣轆(れきろく)として、楼閣参差(しんし)たり。其の小巷(しょうこう)に入るに、古寺 焉(ここ)に有り。名を笹寺(ささでら)と曰ふ。紅塵及ばず、跫韻(きょういん) 自(おのずか)ら賖(はるか)なり。園内に入るに、晩に向かひて人無く、彤雲(とううん) 耀(も)ゆる有り。惟だ墓標林立し、蒼翠(そうすい)支離たり。學法逹明居士の墓なり。嗚呼、紫煙 迤(なな)めに湧き、残黄を掩[手+(艸/冉)](えんぜん)す。昔 賢愚を隔て、今や幽顕を分かつ。竟(つい)に何爲(いかん)ぞや。
 鈴木達朗字(あざな)景天、吾が畏友なり。維れ戊午(ぼご)の季春 始めて君を識る。各おの志學の年に當(あた)り、初中の課に在り。日下に鳴くが若く、雲間に躍るが若し。僕 唐詩を愛し、君 解字に通ず。志操 穎異(えいい)にして、夙(つと)に華文を治め、才藝(さいげい) 多きを患ふも、尤(もっと)も篆刻(てんこく)に工(たく)みなり。僉(みな)の賛嘆する所なり。居ること一年、畢業(ひつぎょう)を迎ふるに及び、散じて参・商(しんしょう)と作(な)る。
 後四年、癸亥(きがい)仲春、我れ東京大學に進み、又た相ひ見ゆ。是れ故人なりと雖(いえど)も、反(かえ)りて同榜(どうぼう)に非ず。君 徳望 華を學友に布べ、名聲 翹(ぎょう)を師林に扶く。吾れ點額(てんがく)たり、左宗棠(さそうとう)の落江、凡そ顧念を求め、闕童子(けつどうし)の將命、只だ速成を欲す。而して心中 常に君を以て期と爲す。
 又た一年、甲子の季春の穀雨、刻 且に巳初(ししょ)ならんとき、君 御茶の水驛月臺より墜ち、忽然として長逝す。享年二十。猶ほ午夢かと疑ひ、漸く中腸を熱す。翌夜を竢(ま)ちて喪家に詣(いた)れば、親朋の門路に盈(み)つるを見る。傷聲を三不弔に呑み、瞻望(せんぼう)を九原の邊(へん)に斷つ。此れ終古の別れと成れり。
 後、令尊、弔文を編み、遺稿を輯(あつ)む。維(こ)れ丙寅の季春に上梓(じょうし)し、生前の木刻を以て題と為す。曰く『泰然自若』(たいぜんじじゃく)と。遍(あまね)く故舊(こきゅう)に頒(わか)つ。僕 斯の書を讀(よ)むに、一葉として思子の情 有らざるは無く、一句として是れ化鵬(かほう)の兆(きざし)に非るは無し。私(ひそ)かに其の心を忖(はか)るに、悠悠の廿稔(にじゅうねん)を念ずれば、思ひ一時に翕翕(きゅうきゅう)たらん。猶ほ恐る 半夜の燈前に、幾行か泣(なんだ)下るならんと。又た所載の遺刻を檢(けみ)するに、或は龍を毫末(ごうまつ)に畫(えが)くが若く、或は削(のみ)を棘端(きょくたん)に揮ふが若し。而も能く敦厚(とんこう)の風を存す、丈夫の業と謂(い)ふべきなり。厥(そ)れ「十萬億土幾人行」の白文印は、印中 印を刻し、文裡 文を復す。箱裏に箱を含むが如く、鏡中に鏡を映ずるが如し。葛洪の明鏡、未来を自照し、陽羨(ようえん)の書生、能く永遠を呑む。其れ眞(まこと)に掌中(しょうちゅう)の天地、方寸の靈臺(れいだい)なり。
 嗚呼(ああ)。天 此の才を送り、又た烏有(うゆう)に歸(き)せしむ。百年 寂寞(せきばく)として、千里 曠茫(こうぼう)たり。宜(むべ)なるかな九歌、「孰(たれ)か離合する」者ぞ。已(や)んぬるかな「六極」、胡(なん)ぞ首(はじ)めに之 を言ふ。一片の冰心(ひょうしん)、玉壺と倶(とも)に葬られ、廿年(にじゅうねん)の哀樂(あいらく)、方寸の留むる所。命なるか。龐統(ほうとう) 孔明(こうめい)を哭(こく)し、李觀(りかん) 韓愈(かんゆ)を悼(いた)まむとは。蘭摧玉折(らんさいぎょくせつ)、此の輩をして存せしめ、蕭敷艾榮(しょうふがいえい)、斯の人をして死せしむ。夫れ徳音 未だ遠からざるも、宿草 已に生じたり。交友六年、淡きこと清泚(せいし)の如く、別離三歳、邈(ばく)として山河の若し。而して我の悲哀するは何ぞや。夷吾の痛哭か、薪者(しんじゃ)の自傷か。恐らくは両ながら否なり。惟れ劉惔 清蔚(せいうつ)にして、周旋に至らず、孫綽(そんしゃく) 性 卑しくして、悵(かな)しびて諷詠を為すのみ。迺(すなわ)ち詞を致して曰く、

  鈴木家の長子
  達朗 字を景天と曰ふ
  朝(あした)に麻を攬(と)り以て信直として
  夕べに檭(いちょう)を仰げば有梴(ゆうてん)たり
  文章の壽(いのちながき)を憎むに罹(かか)り
  司命の間然するに陥(お)つ
  蘺(り)は蘭を餘馥(よふく)に嘆き
  穜(おくて)は稑(わせ)を哀しむ 夫れ孰(じゅく)すこと先なりと
  朋心を身後に繋(つな)ぎ
  幽詠を墓前に供ふ
  嗟(ああ)、蓀(そん)は朝露に摧(くだ)かれぬ
  吾 終(つい)に其の比肩を見ざらん




四六駢儷文(しろくべんれいぶん) 平仄(ひょうそく)配列図

○は平字 ●は仄字
△は仄字であるべきところなのに平字である箇所 ▲は平字であるべきなのに仄字である箇所
+は平仄いずれも可の箇所
一部の文字を合成文字で示してあります。
 例:[山奇]=崎
粤強圉單閼、
孟春幾望、
+●+○
+○+●
(こ)れ強圉(きょうぎょ)の單閼(ぜんえん)
孟春(もうしゅん)の幾望(きぼう)
 1987年2月
徹之于東京四谷。 徹 東京 四谷(よつや)に之(ゆ)く。
驛控赤坂、
路連新宿。
+●+▲
+○+●
(えき)は赤坂(あかさか)を控へ、
(みち)は新宿(しんじゅく)に連なる。
人車轣轆、
楼閣参差。
+○+●
+●+○
人車(じんしゃ)轣轆(れきろく)として、
楼閣(ろうかく)参差(しんし)たり。
入其小巷、
有古寺焉。
+○+●
+●+○
(そ)の小巷(しょうこう)に入るに、
古寺 焉(ここ)に有り。
名曰笹寺。 名を笹寺(ささでら)と曰ふ。 東京都新宿区四谷四丁目四の三十三 長善寺
紅塵不及、
跫韻自[貝余]
+○+●
+●+○
紅塵(こうじん)及ばず、
跫韻(きょういん) 自(おのずか)[貝余](はるか)なり。
 表通りの雑踏とうってかわって静かである
入園内、 園内に入るに、
向晩無人、
[丹彡]雲有耀。
+●+○
+○+●
晩に向かひて人無く、
[丹彡](とううん) 耀(も)ゆる有り。
 境内にひとけは無く、夕焼けに雲が茜(あかね)色に染まっている。
惟 墓標林立、
蒼翠支離。
+○+●
+●+○
惟だ墓標林立し、
蒼翠(そうすい)支離たり。
 黒い墓石が林立し、植木の緑はまばらである。
學法逹明居士之墓也。 學法逹明居士の墓なり。
嗚呼。
紫煙迤湧、
掩[手+(艸/冉)]残黄。

+○+●
+●+○
ああ、
紫煙 迤(なな)めに湧き、
残黄を掩[手+(艸/冉)](えんぜん)す。
 線香のけむりが斜めにたちのぼり、墓前のしおれかけた菊の花をくゆらせる。
昔隔賢愚、
今分幽顕。
+●+○
+○+●
昔 賢愚を隔て、
今や幽顕(ゆうけん)を分かつ。
 幽冥、境を異にする。
竟何為哉。(つい)に何爲(いかん)ぞや。

       ─────以上、第一段。以下、第二段。─────
鈴木達朗字景天、
吾畏友也。
維戊午季春
始識君。
鈴木達朗(すずき・たつろう)(あざな)景天、
吾が畏友なり。
維れ戊午(ぼご)の季春 1978年4月
始めて君を識る。

當志學之年、
在初中之課。

++●+○
++○+●
各おの
志學の年に當(あた)り、
初中の課に在り。
 ともに中学三年生だった。
若鳴日下、
若躍雲間。
+○+●
+●+○
日下(じっか)に鳴くが若く、
雲間に躍るが若し。
僕愛唐詩、
君通『解字』。
+●+○
+○+●
僕 唐詩を愛し、
君 解字に通ず。
 『説文解字』
志操穎異、夙治華文、
才藝患多、尤工篆刻。
+○+●、+●+○
+●+○、+○+●
志操 穎異(えいい)にして、夙(つと)に華文を治め、
才藝(さいげい) 多きを患ふも、尤(もっと)も篆刻(てんこく)に工(たく)みなり。
僉所賛嘆也。(みな)の賛嘆する所なり。
居一年、
居ること一年、
及迎畢業、
散作参・商。
+○+●
+●+○
畢業(ひつぎょう)を迎ふるに及び、
散じて参・商(しんしょう)と作(な)る。
 卒業して、別々の高校に進学した。

       ─────以上、第二段。以下、第三段。─────
後四年、癸亥仲春、
我進東京大學、又相見。
後四年、癸亥(きがい)仲春、
我れ東京大學に進み、又た相ひ見ゆ。
 1983年4月
雖是故人、
反非同榜。
+●+○
+○+●
是れ故人なりと雖(いえど)も、
(かえ)りて同榜(どうぼう)に非ず。

徳望布華於學友、
名聲扶翹於師林。
 
+●+○++●
+○+●++○

徳望 華を學友に布べ、
名聲 翹(ぎょう)を師林に扶く。
吾點額、
左宗棠之落江、凡求顧念;
闕童子之將命、只欲速成。
 
++●++○、+○+●
++▲++●、+●+○
吾、點額(てんがく)たり、
左宗棠(さそうとう)の落江、凡そ顧念を求め、
闕童子(けつどうし)の將命、只だ速成を欲す。
 私は、早く一人前になりたいとあせっていた。
而心中常以君為期。 而して心中 常に君を以て期と爲す。

       ─────以上、第三段。以下、第四段。─────
又一年、
甲子季春穀雨刻且巳初、
君墜於御茶之水驛月臺、
忽然長逝。享年二十。
又た一年、
甲子の季春の穀雨、刻 且に巳初(ししょ)ならんとき、 1984年4月20日午前8時50分
君 御茶の水驛月臺より墜ち、 現・JR御茶ノ水駅のホーム
忽然として長逝す。享年二十。
猶疑午夢、
漸熱中腸。
+○+●
+●+○
猶ほ午夢かと疑ひ、
漸く中腸を熱す。
竢翌夜而詣喪家、
見親朋之盈門路。
++●+++○
++○+++●
翌夜を竢(ま)ちて喪家に詣(いた)れば、
親朋の門路に盈(み)つるを見る。
呑傷聲于三不弔、
斷瞻望于九原邊。
++○+++●
++●+++○
傷聲を三不弔に呑み、
瞻望(せんぼう)を九原の邊(へん)に斷つ。
此成終古之別也。 此れ終古の別れと成れり。

       ─────以上、第四段。以下、第五段。─────
後令尊、
編弔文、
輯遺稿。
 
++○
++●
後、令尊、
弔文を編み、
遺稿を輯(あつ)む。
 のち、父君は、君の追悼遺稿集を出版した。
維丙寅之季春上梓、
以生前之木刻為題;
++●++○+●
++○++●+○
(こ)れ丙寅の季春に上梓(じょうし)し、生前の木刻を以て題と為す。
 1986年4月20日
曰『泰然自若』。 曰く『泰然自若』(たいぜんじじゃく)と。
 『泰然自若 −鈴木達朗追悼・遺稿集』(竹頭社、1986)
遍頒故舊。
僕讀斯書、
+○+●
+●+○
(あまね)く故舊(こきゅう)に頒(わか)つ。
僕 斯の書を讀(よ)むに、
無一葉不有思子之情、
無一句非是化鵬之兆。
+++●+○●+○
+++○+●○+●
一葉として思子の情 有らざるは無く、
一句として是れ化鵬(かほう)の兆(きざし)に非るは無し。
私忖其心、(ひそ)かに其の心を忖(はか)るに、
念悠悠之廿稔、
思翕翕於一時、
+○○++●
+●●++○
悠悠の廿稔(にじゅうねん)を念ずれば、
思ひ一時に翕翕(きゅうきゅう)たらん。
猶恐
半夜燈前、
幾行泣下乎!

+●+○
+○+●+
猶ほ恐る
半夜の燈前に、
幾行か泣(なんだ)下るならんと。
又檢所載之遺刻、 又た所載の遺刻を檢(けみ)するに、
 遺稿集に掲載された君の篆刻作品の写真を見ると
或若畫龍於毫末、
或若揮削于棘端。
++●○+○●
++○●+●○
或は龍を毫末(ごうまつ)に畫(えが)くが若く、
或は削(のみ)を棘端(きょくたん)に揮ふが若し。

能存敦厚之風、
可謂丈夫之業也。

+○+●+○
+●+○+●+
而も
能く敦厚(とんこう)の風を存す、
丈夫の業と謂(い)ふべきなり。
厥「十萬億土幾人行」白文印、(そ)れ「十萬億土幾人行」の白文印は、
  君が彫った「十萬億土幾人行」という印は、
印中刻印、
文裡復文。
+○+●
+●+○
印中 印を刻し、
文裡 文を復す。
如 箱裏含箱、
鏡中映鏡。
+●+○
+○+●
箱裏に箱を含むが如く、
鏡中に鏡を映ずるが如し。
葛洪明鏡、自照未来;
陽羨書生、能呑永遠。
+○+●、+●+○
+●+○、+○+●
葛洪の明鏡、未来を自照し、
陽羨(ようえん)の書生、能く永遠を呑む。
其眞 掌中天地、
方寸靈臺矣!
+○+●
+●+○+
其れ眞(まこと)に掌中(しょうちゅう)の天地、
方寸の靈臺(れいだい)なり。

       ─────以上、第五段。以下、第六段。─────
嗚呼!
天送此才、
又歸烏有。
 
+●+○
+○+●
嗚呼(ああ)
天 此の才を送り、
又た烏有(うゆう)に歸(き)せしむ。
百年寂寞、
千里曠茫。
+○+●
+●+○
百年 寂寞(せきばく)として、
千里 曠茫(こうぼう)たり。
宜矣九歌、「孰離合」者?;
已虖「六極」、胡首言之!
+●+○、+○+●
+○+●、+●+○
(むべ)なるかな九歌、「孰(たれ)か離合する」者ぞ。
(や)んぬるかな「六極」、胡(なん)ぞ首(はじ)めに之を言ふ。
 死は人の宿命かもしれないが、若死には不条理の極みだ。
一片冰心、玉壺倶葬;
廿年哀樂、方寸所留。
+●+○、+○+●
+○+●、+●+○
一片の冰心(ひょうしん)、玉壺と倶(とも)に葬られ、
廿年(にじゅうねん)の哀樂(あいらく)、方寸の留むる所。
命也耶? 命なるか。
龐統哭孔明、
李觀悼韓愈!
+●++○
+○++●
龐統(ほうとう) 孔明(こうめい)を哭(こく)し、
李觀(りかん) 韓愈(かんゆ)を悼(いた)まむとは。
蘭摧玉折、使此輩存;
蕭敷艾榮、令斯人死!
+○+●、+●+○
+●+○、+○+●
蘭摧玉折(らんさいぎょくせつ)、此の輩をして存せしめ、
蕭敷艾榮(しょうふがいえい)、斯の人をして死せしむ。

徳音未遠、
宿草已生矣。
 
+○+●
+●+○
(そ)
徳音 未だ遠からざるも、
宿草 已に生じたり。
 君の声は心に残っているが、喪の月日は終わってしまった。
交友六年、淡如清;
別離三歳、邈若山河。
+●+○、+○+●
+○+●、+●+○
交友六年、淡きこと清(せいし)の如く、
別離三歳、邈(ばく)として山河の若し。
而我悲哀者何哉? 而して我の悲哀するは何ぞや。
夷吾痛哭耶、
薪者自傷耶?
+○+●+
+●+○+
夷吾の痛哭か、
薪者(しんじゃ)の自傷か。
恐両否也。 恐らくは両(ふたつ)ながら否なり。

劉惔清蔚、不至周旋;
孫綽性卑、悵為諷詠耳。
 
+○+●、+●+○
+●+○、+○+●++
惟れ劉惔 清蔚(せいうつ)にして、周旋に至らず、
孫綽(そんしゃく) 性 卑しくして、悵(かな)しびて諷詠を為すのみ。
迺致詞曰;(すなわ)ち詞を致して曰く、

       ─────以上、第六段。以下、第七段。─────
鈴木家之長子兮
達朗字曰景天
++○++●+
++●++◎
鈴木家の長子
達朗(たつろう) 字(あざな)を景天と曰ふ
朝攬麻以信直兮
夕仰[木銀]而有[木延]
++○++●+
++●++◎
(あした)に麻を攬(と)り以て信直として
夕べに[木銀](いちょう)を仰げば有[木延](ゆうてん)たり
 麻の葉を徽章とする中学で成長し、イチョウを徽章とする大学で大成した。
罹文章之憎壽兮
陥司命之間然
++○++●+
++●++◎
文章の壽(いのちながき)を憎むに罹(かか)
司命の間然するに陥(お)
蘺嘆蘭于餘馥兮
穜哀稑夫孰先
++○++●+
++●++◎
(り)は蘭を餘馥(よふく)に嘆き
(おくて)は稑(わせ)を哀しむ 夫れ孰(じゅく)すこと先なりと
繋朋心於身後兮
供幽詠乎墓前
++○++●+
++●++◎
朋心を身後に繋(つな)
幽詠を墓前に供ふ
嗟蓀摧於朝露兮
吾終不見其比肩
++○++●+
++++++◎
(ああ)、蓀(そん)は朝露に摧(くだ)かれぬ
吾 終(つい)に其の比肩を見ざらん
 もう二度と、君ほどの人と出会うことはないであろう。

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