ホラー・ファンタジー

『小説 封神演義』

嘉藤徹(かとう・とおる)作 2000年7月刊 PHP文庫書き下ろし

あとがき

(2000年7月刊行予定)

本の表紙
 四百年前の『封神演義』の作者(確かな名前は伝わっていない)は、当時の中国社会に対する風刺や警告の気持をこめて、先行する小説や説話をたくみに翻案し、あの作品を書いた。現代の読者にとっては欠点のように感じられる『封神演義』の特徴ーーー冗長性、アナクロニズム、残虐性なども、当時の読者にリアリティをもって読んでもらうための作者の苦心だったに違いない。

 PHPの立川幹雄さんから最初に、
文庫の書き下ろしで、封神演義のものがたりを書きませんか
とお話があったとき、正直いって「これは難しいな」と思った。
 昨今の封神演義ブームで、すでに巷(ちまた)には数多くの封神モノがあふれている。また文庫本一冊という分量の制約もある。
 考えたすえ、抄訳や超訳ではなく、四百年前の作者の創作精神そのものを祖述し、封神演義の世界に取材した歴史ファンタジーの新作を創作することにした。執筆にあたっては以下の方針をたてた。

 右のように書いた結果として、封神モノの「リピーター」の読者にとっても新味のある現代日本版『小説 封神演義』をなんとか仕上げることができたと思う。

 ぼくの友人にナタの熱心なファンがいる。(注・本では「ナタ」は漢字に直ります)
 彼女は日本で封神演義がブームになるずっと以前、『西遊記(さいゆうき)』でナタと出会った。大学の卒業論文のテーマにナタを選び、社会人となったあとも、中国各地に祭られているナタの神像をめぐり、ナタのホームページ(「中壇元帥進香団(ちゅうだんげんすいしんこうだん)・日本支部」)を公開し、長年の研究成果をまとめた『ナタ鈎沈(なたこうちん)』という本を自費出版するほどの熱心さである。
 彼女が近年の封神演義ブームに対して向けるまなざしは複雑だ。彼女のホームページには、サイト公開の動機として、
私が傍観を決め込んでいた間に、ナタは私の理想とまったく違った形で、物凄くメジャーになっていたのです。そして、やり場の無い思いが、胸の中でふつふつと膨らんでゆきました
と書いてある。
 ぼくは本書でナタを、苦悩と挫折を運命づけられた小さなハムレットとして描いた。彼女は許してくれるだろうか。
 他のキャラも、オリジナルとかなり変えて書いた部分がある。ファンのみなさんの宥恕(ゆうじょ)を請うばかりである。

 殷王朝は五百年にわたって神霊に膨大な犠牲を捧げつづけた。そのおかげかどうか、殷王朝の滅亡後も、殷の文明は滅びなかった。いわゆる「四大河文明」のうち、現在まで絶えずに存続しているのは、黄河文明だけである。
 メソポタミアの楔形(くさびがた)文字は紀元七五年の文字板を、エジプトの象形文字は三九四年の碑文を最後に絶滅したのに、殷の甲骨文字はそのまま「漢字」となり、現代のインターネット時代までしたたかに生き残っている。「古」「県」「民」「衆」など、われわれが毎日目にする漢字を一皮はぐと、紀元前第二千年紀の残虐な本性がむきだしになるのは、そのためである。
 殷周の戦いをもとに、後世『武王伐紂平話』『春秋列国志伝』などの歴史小説、そしてこの両者を神怪小説に改作した『封神演義』などの物語が書かれ、現在でもその亜流が続々と再生産されている。
 これらの残酷で奇怪な物語が長く読み継がれてきた事実を思うと、どうも、われわれ人間の心の底には、太古のドロドロとした精神が脈々と受け継がれているような気がしてならない。殷の宗廟(そうびょう)を追われた残虐な神霊は、あるいは漢字のなかに潜み、あるいはわれわれの心の中に隠れ、復活の時を窺っているのかもしれない。
 姜子牙(きょうしが)と神霊の戦いは、たしかにいまも続いているのだ。


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