中国史上初の皇帝となった秦の始皇帝が自分の墓として紀元前3世紀に築かせた始皇帝陵は、エジプトのクフ王のピラミッド、日本の伝・仁徳天皇陵とならび、世界三大墳墓の一つに数えられます。付近の地下の「兵馬俑坑」からは、秦の軍団の兵馬の姿をまるごと写した等身大のひとがた数千体が1974年に発見され、世界を驚かせました。1987年にユネスコの世界遺産に登録された秦の始皇帝陵と兵馬俑の謎とロマンを、豊富な図版を使いながら、予備知識のない人にもわかりやすく解説します。(講師・記)
日程 2023/7/8 曜日・時間 土曜 10:30〜12:00
途経秦始皇墓 唐・許渾(9世紀、生没年不詳)
【読み】 ミチにシンシコウのハカをヨギる トウ・キョコン リュウバンコキョ き ソウソウ。イキオいフウンにイるもマたコれクズる。イッシュのセイザン シュウソウのウチ、ロジン タダ ハイす カンブンのリョウ。
竜蟠虎踞樹層層。 竜蟠虎踞 樹 層層。
勢入浮雲亦是崩。 勢い浮雲に入るも 亦た是れ崩る。
一種青山秋草裏、 一種の青山秋草の裏、
路人唯拝漢文陵。 路人 唯 拝す 漢文の陵。
【大意】 始皇帝陵を通りかかった。みあげると、まるで、とぐろをまく龍やうずくまるトラのように威圧的な山に、木がうっそうとおいしげっている。空の雲のなかにてっぺんが入るくらいの勢いをかんじる。が、始皇帝の「偉業」は崩れさった。これと対照的な、簡素きわまりない帝王の墓がある。自然の山の秋の草にうもれた簡素なその墓陵は、通行人は、今も黙って頭をさげている。名君のほまれがたかい前漢の文帝の陵墓だ。
薦器、則冠有鍪而毋縰、罋廡虚而不実、有簟席而無床笫、木器不成斲、陶器不成物、薄器不成内、笙竽具而不和、琴瑟張而不均、輿蔵而馬反、告不用也。
死者の前にすすめる明器については、実用性を排除する。冠は頭にかぶる部分はあっても髪つつみはないようにし、酒を入れるカメは空っぽのままにして中身をつめてはならず、竹で編んだムシロはあっても寝台やスノコはつけず、木製の器はわざと仕上げを荒いままにしておき、陶器はわざとプロポーションを狂わせて作り、竹やアシで編んだ器もわざと中身を入れられぬようにし、死者に供える楽器についても、笙や?はわざと調律せず、琴や瑟も弦は張っても調弦はわざと狂わせておき、ひつぎを運ぶ車は墓に埋めるが、車を引っぱる馬は埋めずに帰ってくるようにする。これらはすべて、実用品ではない、ということを明示するための措置なのである。
明器 めいき
神明の器の意味で、中国で墓やそれの付属施設に入れるための土、木、玉、石、銅でつくった仮器。人物、動物の場合を俑(よう)という。殷(いん)・周時代の銅武器の、玉や石による模倣や、殉死代用の人物俑、動物俑の製作に始まった。戦国時代には銅、陶、木製の俑葬がみられる。秦(しん)の始皇帝陵の兵馬俑坑出土の加彩武人・馬は硬い表現であるが、実物大でリアルさがあり、明器の画期をなす。漢代には加彩陶質灰陶や緑釉(りょくゆう)で騎兵、男女俑、牛、羊、楼閣、家屋、農舎、水田、貯水池、倉、竈(そう)(かまど)、井戸、家畜小屋、雑技俑など豊富な題材の明器がつくられる。北朝には漢の伝統を引いた緑釉、黒褐釉の騎兵、武士、ラクダ、鎮墓獣が盛行し、南朝には青磁の鼓吹儀仗(ぎじょう)俑などが盛行する。唐代には三彩の馬、騎馬、ラクダ、女子、神将、鎮墓獣や加彩貼金(てんきん)騎兵が現れ、明器の圧巻を迎える。明器は明(みん)時代まで続くが、紙製明器の流行によって陶俑は衰退する。
[下條信行]
九月,葬始皇酈山。始皇初即位,穿治酈山,及并天下,天下徒送詣七十餘萬人,穿三泉,下銅而致槨,宮觀百官奇器珍怪徙臧滿之。令匠作機弩矢,有所穿近者輒射之。以水銀為百川江河大海,機相灌輸,上具天文,下具地理。以人魚膏為燭,度不滅者久之。二世曰:「先帝後宮非有子者,出焉不宜。」皆令從死,死者甚衆。葬既已下,或言「工匠為機,臧皆知之,臧重即泄,大事畢」。已臧,閉中羨,下外羨門,盡閉工匠臧者,無復出者。樹草木以象山。
九月、始皇を驪山(りざん)に葬った。始皇が即位した当初から、驪山陵の造営が開始された。始皇帝が天下を併合すると、天下から驪山に送られた労働者は七十余万人にのぼった。
地下深く、三つの泉の下まで掘り下げた地下空間を作り、銅を置いて槨の台とし、宮殿を造り百官の像を並ばせせ、稀少な器物や珍宝を地上から移して墓を満たせた。 工匠に機械式のいしゆみを作らせ、地面を掘って近づく者があれば射るようにした。 水銀を流して百の河川、長江、黄河、大海をジオラマのように再現し、機械仕掛けで水銀が自動的に流れつづけるようにした。 地下空間の天井には天文を再現し、床には地理を再現した。 「人魚」の脂をともし、半永久的に消えない火をともした。
始皇帝の息子で、あとをついだ二世皇帝は言った。
「先帝の後宮の女たちのうち、子のない者は、外に出すとまずい」
女たちは全員、殉死させられた。死者はとても多かった。
始皇帝の埋葬は終わった。ある人が進言した。
「機械を作った工匠たちは、陵墓の中身をみな知っています。副葬品は宝物なので、秘密が外に漏れたら、たいへんなことになります」
副葬品を安置する収蔵作業が終わり、地下空間から外に出る通路の羨門(せんもん)を閉じたあと、収蔵作業をしていた工匠が地上に戻る前に、外側の羨門もおろしてしまった。収蔵の工匠たちは一人残らず閉じ込められ、誰も出てこれなくなった。 その後、草や木を植えて、自然の山のようにした。 中の物の収蔵が終わって、途中の仙門を閉鎖した直後、外側の仙門も下ろしてしまい、工匠として収蔵に関わった者らはことごとく閉じ込められた。一人も出てくる者はなかった。 陵墓の上に樹や草を植えて、山のように見せかけた。