HOME > このページ
English version is HERE


勝手に自己紹介

Pri Mi I introduce myself, so what ?
Since Dec.8,1996 最近の更新 2015年4月26日

勤務先: 明治大学 法学部
研究者番号80253029(加藤 徹)
研究者リゾルバーID:1000080253029
機関番号32682(明治大学) 所属番号306(法学部) 職番号20(教授)
 ←[名刺連動頁]のQRコード(gif)
【略歴】(ご自由にお使いください)
加藤徹(かとう・とおる) 昭和38年(1963)、東京生まれ。東京大学中文科、同・大学院で中国の文学と文化を専攻、文学修士(東京大学大学院人文科学研究科・博士課程単位取得満期退学)。広島大学総合科学部助教授などを経て、現在、明治大学法学部教授。専門は京劇(中国の伝統演劇)。著書に『京劇』(中公叢書、2002年度サントリー学芸賞受賞)、『漢文力』(中央公論新社、2004年)、『西太后』(中公新書、2005年)、『貝と羊の中国人』(新潮新書、2006年)、『梅蘭芳』(ビジネス社、2009年)、ほか。
【もうちょっと詳しい略歴】
  • 1963年6月、東京都北区赤羽あかばねで生まれる。
     物心ついてからは千葉県で育つ。
     10歳まで住んでいた千葉県柏市・豊四季台団地の写真
     小学校5年生のとき、千葉市稲毛(現・千葉市稲毛区)に引っ越す。
     幼稚園小学校(小五のとき柏市から千葉市に転校)、中学高校予備校大学・大学院などで学ぶ。
     大学での専攻は「京劇」。
  • 1990年3月29日、大学院で文学修士の学位を取得。
  • 1990〜91年、一年ほど北京に留学(そのころの写真)。
  • 1993年3月、大学院博士課程・単位取得満期退学。
    同・4月1日、広島大学総合科学部に専任講師として就職。
  • 1997年4月1日、同・助教授に昇進。
  • 2002年秋、著書『京劇』でサントリー学芸賞を受賞。
  • 2006年4月1日、広島大学大学院総合科学研究科助教授。
  • 2006年10月1日、明治大学法学部に助教授として就職。
  • 2007年4月1日、同・准教授(学校教育法の改正に伴い、肩書きが「助教授」から改称)。
     4月放送のNHKテレビ「知るを楽しむ」に講師として出演(こちら)。
     NHKテレビの「カンゴロンゴ」(6月3日)、「カンゴロンゴ(2)」(9月30日)にも出演。
  • 2007年10月1日、同・教授に昇進。
    現在に至る。
趣味 楽器など(^^;;

名前の由来

家紋  の「加藤」はもともと「加賀(かが)藤原氏(ふじわらし)」の意です。佐藤が「佐野藤原氏」、近藤が「近江(おうみ)藤原氏」、伊藤が「伊勢藤原氏」の略であるのと同様です。だから系図をたどると、芥川龍之介の短編小説「芋粥(いもがゆ)」にも登場する藤原利仁を経て、大化の改新(645年)で有名な藤原鎌足(ふじわらのかまたり)、さらには天の岩戸(あまのいわと)神話で活躍するあめのこやねのみことまでたどりつきます。
 96年、趣味で長編小説『倭の風』を書きました。わが一族の始祖(?)の活躍も、もちろん描きました。
 ちなみに、北京大学に留学していたころ、アメリカ人の友達に「わが藤原一族は7世紀以来の歴史がある。わが家の家紋(かもん)は『丸に下がり藤』だ」と言って、浅草(あさくさ)で買った家紋のキーホルダーを見せると「Great !」と尊敬されました。日本と違い、欧米では家紋があるのは貴族だけですから。しかし、中国の友人に同じせりふを言うと「なんだ、たった千年ちょっとか」と鼻で笑われてしまいました。
 の「徹」(とおる)は、もちろん親が選んでくれた名前です。今でこそありふれた名前ですが、ぼくが生まれた当時、「徹」はまだ珍しい名前だったそうです。

「加藤徹」のローマ字表記
「カトートール」という名前は長音「オー」を含むため、ローマ字表記も多様になってしまいます。
私は、パスポート等では「個人名+姓」の順に転倒したうえで、「Toru Kato」と長音を無視した通常のヘボン式表記を使っています。

KATÔ Tôru訓令式。サーカムフレックスを使った正書法。
KATŌ Tōru日本式。マクロンを使った慣用表記。
KATO Toruヘボン式。長音を無視した慣用表記。
KATOU To`oru拡張ヘボン式。
KATOH Tohru方式名未詳。私は使いません。
KATOU Tooru99式ローマ字。ワープロのローマ字入力と同様。振り仮名方式、翻字方式。
KATO^ To^ru代用訓令式。サーカムフレックスを「^」で代用表記。私は使いません。
KATOX Toxru代用エスペラント式。エスペラントの電子媒体上の慣用表記をそのまま使って、長音を「x」で表記する方式。私は使いません。
KATO- TO-ruハイフン式。長音をハイフンで表記する方式。私は使いません。

【参考】 母音のダイアクリティカルマーク各種

サーカムフレックス(母音の上の横棒)を使用したローマ字の長音表記
â î û ê ô
Â Î Û Ê Ô

マクロン(母音の上の横棒)を使用したローマ字の長音表記
ā ī ū ē ō
Ā Ī Ū Ē Ō

※ウェブページでマクロンの長音表記を書くやりかたは、
(1)長音にする母音の直後に「 ̄ 」を加える。
(2)例えば「Ā」なら「&」と「macr;」で「A」を囲んで「 Ā 」と書く。
(3)Unicodeで定義されたマクロン付き英字を記述する。
という3つがある。

【参考】
アキュート(鋭アクセント)
á í ú é ó
Á Í Ú É Ó


グレイヴ(鈍アクセント)
à ì ù è ò
À Ì Ù È Ò




I was born in Tokyo, June 1963. Male. Blood type A.

 It was very hot when I was born. In those days, Japan was still poor. The hospital where I was born had no air conditioner. So, my first voice in this world was so weak that the doctor became anxious. My parents say that I cried as soft as a mosquito's sound.

 I grew up in Chiba prefecture. I studied English in junior high school and senior high school for 6 years long. In spring of 1980, when I was 16 years old, I traveled to London and found that Piccadilly Circus was not a "circus" as we call it in Japanese. I anticipated there might be a big tent theatre in which pierrots and animals were dancing around !

 After I went up into Tokyo University, I study Chinese language and culture , and I had many friends from China with whom I always enjoyed Chinese theatre music (photos).

 From September 1990 to August 1991, when I was in the doctor course of Tokyo University, I got a chance to study in Beijing (Peking) University(photos). There, I got acquainted not only with Chinese but also with many students from foreign countries such as North and South Korea, Hongkong (it was still not a part of China), Thailand, Myanmar, Sri Lanka, Iraq , PLO, Egypt, Somalia (they taught me their favorite song in Somali), Bulgaria (He was very famous among us), Greece, Yugoslavia (her country was still not cut into pieces), Hungary (she was a chain smoker), Czech (he was always smiling), Italy (they hold a "spaghetti party" at patio every evening), German, France (he has many sweetherts), Netherlands (she showed me an album of her family), United Kingdom (he was a genuine gentleman), Brazil (she was a TV star in China), Canada (he also was a TV star in China), USSR (I sang Russian folk songs with them), USA (he said he always dreamed of his piano left in Oregon), and so on.

In 1993, I god a job in Faculty of Integrated Arts and Sciences, Hiroshima University.
When I lived in Hiroshima City, I began to play many types of accordions.
In 2006, I moved to School of Law, Meiji University, where I teach Chinese culture and language to the students as a professor.




My Name name logo My family name is KATOU. KA means "KAGA prefecture". TOU means "the FUJIWARA family".
 My given name is TORU which means "penetrate" in Japanese.
 So my name means " PENETRATE of the Fujiwara in KAGA prefecture".


[HOME]