こうした宋代の仮面劇そのものを見ることは現代では不可能だが、幸い、中国の辺境の農村部には、当時の面影をしのばせる仮面劇が地方劇として残っている。「儺戯」(だぎ)と総称されるそれらの仮面劇は、むろん宋代そのままの形ではないが、本質的部分は文献資料から伺われる宋代の仮面劇と、あまり変化していない。
筆者は大学で、中国の伝統演劇についての講義を受け持っている。受験戦争を経てきた学生の中には、中国演劇はおろか日本の舞台演劇すら見たことのない人も多い。そこで講義の際、筆者は自分で撮影した中国劇の上演ビデオを放映することにしている。中国の伝統演劇は、現在、約三百種にのぼる地方劇として存在している。その中から各発展段階の面影を残す代表的な劇種を選び、順番にビデオを放映しながら中国演劇史の説明をすると、話をわかってもらいやすいのである。
現存の地方劇のうち、儺戯や高腔(こうこう)は、初期演劇の面影を濃厚に残す劇種である。崑劇(こんげき)、秦腔(しんこう)はその次に古い形を残す。外国でも有名な京劇は、実は二百年ていどの歴史しかない、比較的新しい劇種である。
まず儺戯のビデオを放映する(14)。画面に立回りの場面が映ると、学生の中からくすくすと笑い声が起こる。戦士の仮面を装着した男たちが、原色の衣装を着て、雉尾冠をかぶり、背中に小旗を負い、手に槍を持ち、喚声をあげつつ、ぐるぐる走り回り続ける。一見すると、演劇というより「子供の戦争ごっこ」という感じに近い。
注14:筆者が一九九〇年に撮影した貴州儺戯の録画テープ。 |
注15:東芝EMI 「スペイン古楽集成・エルチェの神秘劇」解説書 |
注16:『中国祭祀演劇研究』一四七頁 |
儺戯や能の伴奏音楽では、弦鳴楽器を使わない。声楽、気鳴楽器、打楽器の三種類のみである。琵琶や箏などの弦鳴楽器は、かたくなに排除されている。能が弦鳴楽器を排除する理由は不明とされているが(17)、筆者は、日本と中国の初期演劇がともに弦鳴楽器を使用しないという符合に、謎を説くヒントがあると考える。
注17:増田正造『能の表現』(中央公論社、一九七一)三一頁に「ひとつの管楽器とふたつ、あるいは三つの打楽器。この組合せと能のぬきさしならぬ関係が、いつから始まったものか、またなぜ弦楽器を構成に加えなかったのか、まったくわからない」とある。 |
注18:金文京「『戯』考 ー中国における芸能と軍隊」(『未名』八号、一九八九)が考証しているように、中国では軍隊の移動と芸能の伝播に密接な関係があった。 元冦のとき、無慮数万の中国兵が捕虜となり、日本に永住したが、彼らが儺戯を日本に持ち込み、能の成立に微妙な影響を与えたという説がある。 |
注19:エウリピデスはリラ(小型の竪琴)も使用したと言われるが、真偽は不明。丹下和彦「上演形式、劇場、扮装、仮面」(『ギリシア悲劇全集・別冊』岩波書店、一九九二)三〇三頁参照。 |
注20:廖奔(りょうほん)『宋元戯曲文物与民俗』(文化芸術出版社、一九八九、北京)三三〇ー三三五頁 |
注21:徐渭『南詞叙録』および陸采『冶城客論』「劉史二伶」条参照。 ちなみに明(みん)の沈徳符(しんとくふ)は、この『琵琶記』より『拝月亭』を高く評価した。『拝月亭』が南戯で唯一、弦鳴楽器の伴奏にたえうる作品だから、というのが主な理由であった(『顧曲雑言』) |
注22:兪為民『宋元南戯考論』(台湾商務院書館、一九九四、台北)三五ー三六頁参照。 |
注23:前掲『宋元戯曲文物与民俗』三三二頁、孫玄齢『元散曲的音楽』(文化芸術出版社、一九八八、北京)一三一頁の説明も、この範囲を出ない。 |
初期演劇の劇音楽以外でみると、祭礼音楽(特にその送葬音楽)、軍楽なども、世界的に気鳴楽器中心主義である。筆者は、ここに問題を解く鍵があると考える。これら弦鳴楽器を排除する傾向の強い音楽には、みな、宗教の影がさしているのである。
初期演劇の本質は「疑似再出生体験」であった。中国劇では、役者が舞台に登場するときの出入口は、その名もずばり「鬼門道」と呼ばれていたが、その「幽霊の出入口」から死者を現世に一時的に復活させるために、劇音楽による「疑似再出生体験」の演出作業が行われたのである。
打楽器は、心臓の鼓動の象徴だった。単旋律による声楽は、産声の再現である。気鳴楽器の音色は、古代人が生命そのものとしてとらえていた呼吸を連想させる。そんな音楽演出において、生命の表象と直接の関係を持たない弦鳴楽器は、邪魔になるだけである。
一言でいえば、初期演劇が弦鳴楽器を排除する傾向を持つのは、古代の招魂儀礼の技術を継承した結果なのである。死者を冥界から舞台上に迎えるという非日常的体験を、観衆に自然に受け入れさせるためには、それなりの心理的演出が必要だった。
鳩笛やオカリナの音を聞くと、別に子供時代それらを吹いたわけでなくとも、何となく懐かしい気持になる。これも気鳴楽器の心理効果である。また打楽器の連打を聞くと気分が高揚するが、これは、深層心理に眠る「胎児体験」が刺激されるからである。夜泣きする赤子も、母親がおぶってやると、胎内で聞き慣れた母親の心臓の鼓動を肌で感じ、すやすやと眠る(24)。実は、このような胎児期の原音楽体験の記憶は、成人の深層心理の最古層にも眠っている。楽音と深層心理の関係について、筆者は別の場所で述べたことがあるので、これ以上は繰り返さない(25)。
注24:近年の心理学が明らかにしているとおり、胎児は聴力も記憶力も持っている。現在、胎児が聞く子宮内血流音と、心拍数に同調させたオルゴール音をミックスした各種CDが、胎教用、新生児安眠用など用途別に市販されており、巷間のCDショップのイージーリスニング/BGMコーナーの棚に並んでいる。 |
注25:「中国劇音楽の比較音楽学的考察」(『季刊中国』一九九五年秋号) |
注26:身近な例を引けば、永遠性を祈る日本国歌も、同様の理由でビート感を抑制している。 |
その世俗的演劇の時代も、すでに終わった。現代は、演劇の危機の時代である。
個人主義を基本とする現代社会にあっては、芸術もまた個人商品化されてしまう。演劇は、音楽と同様、本質的には集団性の再現芸術であるので、個人商品化にはなじみにくい。現代は、宗教が強すぎた時代と同様に、演劇にとって生きにくい時代なのである。
日本製「ウォークマン」が初めて発売されたとき、ある西洋の音楽家は「もしこの機械が若者のあいだに普及したら、音楽はみんなで楽しむものだという西洋音楽の美しい伝統は終わるだろう」と嘆息したという。
演劇もまた、同じ問題にぶつかっている。現代演劇の普通の劇場では、客席を暗くし、舞台にのみ照明をあてる。客席を暗くするのは、観客相互の連携を断ち、観客個々人が舞台に向くようにして、舞台から観客への一方向性を確定するための措置である。それは、観衆と演者の区別が曖昧で、半ば「祭り」だった初期演劇と、なんと異質の世界であろう。
かくて演劇の観衆は、どうせ一方向的な個人観賞を強要されるなら、と、演劇よりも映画へ、さらにテレビへと流れて行った。今日では映画館さえ次々と姿を消し、代わって、より個人商品化に適応したレンタル・ビデオの深夜営業店が急増中である。
また現代社会は、価値の多様化を認め、個性を尊重する社会である。初期演劇では「再現」そのものに既に価値が認められていたのだが、現代演劇では何よりも「創造」に価値が置かれる。いきおい、時事風俗を追いかける新作が濫造される。親・子・孫が揃って観劇に行きたいと思うような作品は、現代演劇ではまれである。今世紀の演劇作品のうち、一千年後の未来まで「古典」として生き続ける作品が、どれほどあるだろうか。
演劇はこうして袋小路に入ってしまった。困ったことに、かって初期演劇を生む原動力となった人間の苦悩の方は、依然として存在している。
一九九五年一月十七日未明、阪神大震災が起こり、多くの命が失われた。
その四月、京都の壬生寺(みぶでら)で、震災の犠牲者の追善法要がなされた。壬生寺には「壬生狂言」と呼ばれる古い演劇が伝わっている。法要のあと、境内の大念仏堂で「餓鬼角力」という演目が演じられた。死者が地蔵菩薩に守られて鬼に打ち勝つ、という芝居である。舞台の登場人物はみな仮面をつけていた。また供養の意味で、狂言衣装の表裏には犠牲者の名が染め抜かれ、襟には「一月十七日五時四十六分」「阪神大震災横死者」の文字が染め抜かれた。観劇した遺族ら約二百人は、舞台の上の物語に震災で失った肉親の面影を重ね、ハンカチを目頭にあてる姿が目立ったという(27)。
注27:「読売新聞」一九九五年四月二四日「いずみ」欄参照。 |
From Religion To Former TheatresToru KATOU , Jan. 1998
The theaters of the world owe their origins mainly to religious rites and ceremonies. In old ages when the religions were too strong and restrict, it was very hard and difficult for the theaters to get independent from religions. This is the reason why the Greek had their own theaters so early while Islam has few theaters until today.
Then, you might have a question: Why string instruments were avoided in former theaters in the world? As far as the author has seen, there is still no article nor theory that succeeded in explaining the answer to this question. The author has set forth a bold hypothesis in order to answer this question through studying Chinese old theaters. I think that wind and vocal instruments were symbols of breath. Percussion instruments were symbols of heart beat. Thus they could symbolize life. In religious theaters, its main purpose was reviving ghosts(gods) and historical persons onto stage. Theater musics were played with these life-symbolizing-instruments. But after centuries, when the main purpose of theater changed into entertainment and art, string instruments which need fine technics became used in theater music. At the same time, theaters began to depend upon actors' lines and words. In conclusion, in former theaters, only life-symblizing-instruments (including human voices) were allowed to be played. (rule of Katou)
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