1999.2
空城計(くうじょうけい)Kong-cheng-ji

 これから見ていただくのは、空城の計、すなわち、わざと自分の城をがらあきの状態にして見せて、相手の疑心暗鬼をかきたてる、という作戦の芝居です。
 主人公は、みなさまよくご存じの諸葛孔明(しょかつ・こうめい)。空城の計は、日本人にもよく知られた、三国志の中でも屈指の名場面です。
 英雄・劉備の死後、孔明は、主君・劉備が果たしえなかった天下統一の夢を達成するため、みずから全軍をひきいて、数倍の巨大な敵軍に戦いをいどみます。敵軍の総司令官は、孔明のライバル、あの司馬仲達(しば・ちゅうたつ)でした。
 孔明の天才的な頭脳のおかげで、一時、戦争は孔明が勝利するかに見えました。しかし、第一線の前線に出ていた孔明の部下・馬謖(ばしょく)が、独断専攻し、諸葛孔明の指令を守らず勝手に作戦を変更してしまったため、勝利を目前にして孔明の軍隊は思わぬ大敗北を喫してしまいました。
 仲達は、長年の強敵をほろぼす絶好のチャンス到来、とばかりに、勢いに乗って、孔明の守る城に攻め寄せてきました。孔明のもとにいるのは、年寄りや病気の弱い兵隊が少しばかり。裸も同然の城を守るために孔明に残された武器は、その天才的な頭脳と、ひとかかえの琴があるばかりでした。
 この絶体絶命のピンチを、諸葛孔明はいかに切り抜けるのか。
 諸葛孔明と司馬仲達。ふたりの卓抜した名将どうしの虚々実々のかけひき、孔明の巧みな心理作戦を、京劇では二人の「うた」で表現します。歴史に残る名勝負を、どうぞこの京劇の舞台で御堪能ください。

参考サイト内リンク:京劇「空城計」の原詞

(一団: 時間40-45分)

 司馬仲達が部下をひきつれて登場します。
 偵察に出ていた兵隊が帰ってきて、街亭(がいてい)で蜀(しょく)の軍隊と戦って勝ったことを報告します。
 司馬仲達は喜び、この勢いにのって諸葛孔明のいる城まで一気に取ってしまおう、と部下に命令します。


 場面かわって、こちらは諸葛孔明の城です。
 諸葛孔明はまだ味方の敗北を知りません。
 そこへ伝令が駆けつけ、前線の状況を報告します。街亭を守っている馬謖(ばしょく)は、諸葛孔明の命令をきかず、勝手に作戦を変更して戦おうとしていました。
 諸葛孔明は、伝令が持ってきた作戦地図を見て、状況がきわめてまずいことを悟ります。

 別の伝令が駆けつけて、味方の敗北を知らせます。諸葛孔明の心配どおり、馬謖が作戦を守らなかったため、街亭が敵の手に落ちてしまったのです。
   別の伝令が駆けつけて、司馬仲達の軍隊が、諸葛孔明の城にむけて進撃中であることを知らせます。
 諸葛孔明は、いまは亡き劉備の遺言(ゆいごん)にそむいて馬謖を用いたことを後悔します。

 別の伝令が駆けつけて、司馬仲達の軍隊が、城の近くまで迫っていることを知らせます。
 諸葛孔明は「さすがは司馬仲達、攻撃が早い」と感心します。城のなかの兵隊はみんな前線に出払っていて、いまこの城には、年よりの兵隊や病気の兵隊が少し残っているだけです。
 さすがの諸葛孔明も、これでは司馬仲達の大軍を防ぐことはできません。

 諸葛孔明は、年をとった兵隊を呼び出し、「城の門をあけ、道を掃除しておきなさい。司馬仲達が来ても、騒いではならない」と、奇妙な命令をくだします。

 諸葛孔明は楽器の琴を準備させます。
 諸葛孔明は天にむかって作戦の成功を祈ったあと、歌います。
「わたしは何十年ものあいだ、軍事作戦をたててきたが
 今回、馬謖のような軽率な人間を間違えて用いてしまった
 しかたない、これから奥の手の作戦『空城の計』を行おう
 今は亡き皇帝陛下の魂のご加護がありますように」

(以下、次の「その2」に続く)

(完)


(その2 梅蘭芳団ほか:30分くらい)

 諸葛孔明の生涯で最悪の知らせが伝わってきました。

 第一線の味方が、孔明の作戦をきかず、勝手な作戦をとったため、全滅してしまった、という報告が、孔明のいる城に伝えられてきたのです。しかも、敵はその勢いに乗って、大軍をひきいて、孔明の城に攻めてくるというのです。

 城にはもう、年寄りの兵隊しか残っていません。

 年寄りの兵隊はしきりに首をひねってます。孔明が、変な命令を出したからです。孔明は、わざと城の守りをとき、敵が城の中にはいりやすいよう、すべての城門を大きくあけておけ、と、命令しました。長年、孔明につかえてきた年寄りの兵隊たちも、今度ばかりは孔明の考えがわからず、首をひねるばかりです。

 年寄の兵隊は、いままで孔明の天才的頭脳を信頼してきましたが、今度ばかりは不安でした。そこで、直接、孔明に、何か奥の手があるのかどうか、たずねます。
 孔明はとぼけた調子で「心配しなくてもいい。実は、十万人の大軍をこっそり城の中にかくしてあるのだ」と歌でこたえます。

 しかし城の中に、そんな大軍をかくす場所など、どこにもありません。年寄りの兵隊は、ますます不思議に思いました。

 それもそのはず、今回の作戦は、孔明、一世一代のはったりなのです。
 司馬仲達の大軍を撃退するために孔明が用意した秘密の武器は、たった二つ。一つは孔明が手にしているたった一コの楽器、もう一つは彼の天才的頭脳でした。

 さて、司馬仲達が馬に乗り、大軍をひきいて攻めてきました。

 仲達の顔は、非人間的なほどに真っ白ですね。これは、彼が非人間的な悪役であることを示しています。京劇の約束ごとでは、悪役の顔はまっしろいにぬられます。悪い人間は自分の本当の感情をおもてに出さず、いつもすましている、と、中国人は考えているからです。
 また仲達の手に御注目ください。赤いムチを持っています。これも京劇の約束ごとで、司馬仲達が馬に乗っている、ということを示します。
 京劇は、日本の「お能」と同じく、象徴的な芝居で、舞台装置や小道具はあまり使いません。舞台のうえに馬は出てきていませんが、京劇の芝居の約束ごとで、仲達は馬に乗っていることになっています。観客のみなさん、イメージでおぎなってください。仲達は馬に乗っています。そして、彼のうしろには、何万という馬に乗った大軍が続いています。こう想像してください。

 さて、司馬仲達は面喰らいました。てっきり、諸葛孔明が、玉砕を覚悟して必死の抵抗をこころみると思っていたのに、城門が全部あけはなたれていたのですから。
 さすが、長年のあいだ孔明の天才的頭脳のためさんざん打ちまかされてきた仲達、ここは用心深く様子を見ることにします。

 孔明はすこしもあわてず、城門のうえから悠然と、城のまわりをとりかこむ敵の大軍を見下ろして歌います。
「わたしはもともと、若いころは風流な人間
 天地・陰陽の理論を研究する学究はだの男でした
 しかし、いまは亡き劉備さまが、三度もわたしの住まいをお訪ねになり
 わたしは『天下三分(てんかさんぶん)の計(けい)』という戦略を立てました
 わたしは劉備さまの家来となり、今は軍隊を率いる元帥(げんすい)です
 東西南北で戦い、古今東西の知識に通じております
 そのむかし、周の文王は太公望(たいこうぼう)という名軍師(めいぐんし)を得て、栄えました
 残念ながら、わたくし諸葛孔明は、いにしえの太公望には及びもつきません
 わたしはやることがないので、とりあえず、琴でも弾いてみましょう
 ははは・・・
 残念ながら、わたしの琴の音色をめでてくれる知音(ちいん)の友が見つかりません」

 くつろぎながら歌う孔明の姿に、仲達はかえって恐れをつのらせ、歌います。
「それがしは馬のうえから敵の様子を見る
 なんと、あの孔明は、城の高いところにのぼって、酒をのみながら琴を弾いておる
 彼の両わきにいるのは子供の召使い
 道を掃除しているのは、よぼよぼの年寄りの兵隊
 それがしは、将兵に命令し城のなかに突入するつもりだが・・・」

   仲達の兵隊は「突撃、突撃」と叫びながら、城を攻めようとします。
 仲達は突撃を中止して歌います。
「今回もまた、諸葛孔明の計略にひっかかりそうだ
 馬を止めて、孔明と話をしよう
 おーい、諸葛孔明どの
 たとえ貴公がどんな陰謀をはりめぐらそうとも
 わしが相手では、簡単には通用せぬぞ」

 孔明は、ますます悠然と歌います。
「城の高いところからの山々の風景は絶品。
 しかし、無粋(ぶすい)なことに、城の外はやかましい
 軍隊の旗やのぼりがゴチャゴチャと動いている
 よく見れば、みんな司馬仲達どのの軍隊である
 わたしの耳には、とっくにニュースが入っていた
 司馬仲達どのが軍隊をひきいて西に攻めて行くというニュースは、とっくに伝わっていた
 原因の第一は、わたしの部下である馬謖が作戦をわきまえなかったこと
 原因の第二は、街亭を守る将軍のチームワークが不足していたこと
 仲達どの。あなたは幸運にも、続けざまにわが軍の城を三つも手に入れた
 このうえ私の城まで取ろうとは、あなたも欲張りなおひとだ
 わたしは、あなたの勝利をお祝いしてあげましょう
 さあ、ここに来て、いっしょに語り合いましょう
 城の外の道も、きれいに掃除しておきました
 あなたの兵隊を滞在させる用意もしてあります
 あなたの大軍をおもてなしするため、ごちそうも用意してあります。
 さあ、何をためらっているのか。どうぞ、中へおはいりください。
 今回だけは、私も、何のタネもしかけもありません。
 さあ、さあ、さあ、私のいるところまでのぼってきて、私が弾く琴の音色を楽しんでください」

 仲達は、頭の中がますます混乱します。
 仲達の息子ふたりが、早く城を攻めるよう進言します。しかし、仲達は、青二才はひっこんでいろ、と、息子たちの言うことを聞きません。
 仲達はとうとう、自分の軍隊に、後ろにひけ、四十里ほど撤退せよ、と、命令しました。

 仲達は、遠くから孔明に呼びかけます。
「どんな計略をたてようと、この私が城の中に入らなければ、おまえも私をどうすることもできまい」

 仲達はとうとう、本当に軍隊をひきあげてしまいました。
 孔明は、ほっと一息つきました。
(湖広会館では、ここまで)


 そのとき、待ちに待った味方の援軍が、城に到着しました。味方の援軍の大将は、あの趙雲(ちょううん)です。
 関羽(かんう)・張飛にならぶ豪傑である趙雲が来てくれたので、これでもう安心です。
 こうして諸葛孔明は、ライバル司馬仲達の心のスキをついて、最大の危機をのりこえたのでした。

(完)


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