本稿は、広島大学総合科学部の総合科目「演劇と映画」(毎年冬学期)加藤担当分の配布プリントをwww化したものです。 |
中国・南京で出番を前にして
The founder of this page beside stage, in Nanjing, China
目次 Contents
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(1)演劇の萠芽→ | (2)宗教的演劇→ | (3)世俗的演劇→(?) | |
場所 | 聖域の中、密室 | 聖域の近く、野外 | 聖域の外、劇場 |
主体 | 宗教者 | 民衆自身 | 職業的俳優 |
対象 | 神・祖霊 | 集団としての民衆 | 個人の集合としての観客 |
目的 | 永遠性の獲得 | 仲間意識の確認 | 娯楽・浄化 |
性格 | 呪術的儀礼 | 祝祭的催事 | 芸能(芸術)的興行 |
音楽 | 呼吸・拍動系楽音 | 声楽と気鳴楽器 | 声楽と弦鳴楽器 |
中 国 伝 統 演 劇 簡 史(☆印は関連資料ビデオ上映)演劇の前史 古 代 ー 六 朝(上古〜紀元6世紀)
演劇的要素をもつ文学の例1 『詩経』
演劇的要素をもつ文学の例2 北朝の長編叙事詩「木蘭辞」
演劇の準備期 唐(7〜9世紀)
歌舞戯の成立(演劇の萌芽)
演劇の発生期 宋(10〜13世紀)
演劇の成熟期 元(13〜14世紀)
■北中国:「元の雑劇(別名:北曲)」の成立
*元の統治も南中国における地主支配の構造をくつがえせなかった
異説:「能」を作ったのは中国人?
演劇の発展期 明(14世紀〜17世紀)
■崑曲の成立:都市部では、南北曲が優美な「崑曲」として発展的解消
■地方劇の発展:農村部では各地の方言や民俗に根差した地方劇が発展 異説:歌舞伎を作ったのは中国人? 明末清初の動乱で、多数の中国人が日本に亡命あるいは移民してきた。彼らが日本で故国をしのびながら上演した地方劇が、歌舞伎の成立に影響を与えたという説がある。現に、歌舞伎には、秦腔系の地方劇と類似する要素が多い。
演劇の完成期 清 〜 現 代(17世紀〜20世紀)
■中央:崑曲は、一流の文人が戯曲作品を書く。
■地方:田舎では(残存の脚本は少ないものの)面白い芝居が「地方劇」として演じられていた。
■京劇の成立:18世紀以降北京で各地方劇が融合し、京劇が成立。現在まで、中国を代表する伝統演劇となる。
異説:21世紀に新しい演劇が生まれる?
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役 者 の 四 条 件 中国の伝統演劇を演ずる役者は、以下の四条件を満たさねばならぬとされる。
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■ 豊 か な 地 方 性
■ わ か り や す さ と 奥 の 深 さ
■ 演 劇 の 原 点 と し て の 面 白 さ
中 国 伝 統 演 劇 か ら 学 ぶ こ と
日本には「広島弁で上演する広島劇」とか「薩摩弁で上演する薩摩劇」などは無いが、中国には、ほとんど各地方ごとに独自の美学と内容を誇る地方劇がある。地方文化の豊かさという点で現代日本は見習うべきものがある。
中国の伝統劇は、中国人の美意識の集大成である。それは「芸術」というより「芸術を越えた“芸”」というべきである。ある種の「芸術」につきまとう難解さ・入り難さは微塵も無いが、その世界の奥の深さは計りしれないものがある。
近代演劇における舞台装置の発展は、ある意味で役者を堕落させた。だが中国の伝統劇は「役者の基本は身体感覚である」などの芝居の原点を忘れていない。ブレヒトなど西洋の演劇家が中国演劇に注目したゆえんである。
参 考 文 献
比較的見やすい邦文文献に限った。☆……書店で入手可能なもの。研究書・概説書
まず「元曲」「崑曲」など正統派的古典戯曲に関する古典的労作として
がある。また地方劇を中国社会との関連から考察した、
が1998年に出版された。これはすでに出版されていた、
四部作の成果をまとめた上に、新しい知見を加えたものである。
京劇については、
がある。このほか、すでに絶版となってはいるが、
などは大きな図書館などで見ることができる。また、
は、京劇や地方劇の音楽についても多くのページを割いている。翻訳
中国演劇の戯曲作品の翻訳は意外に少ない。
まず「元曲」「崑曲」など正統派的古典戯曲作品の翻訳として
がある。京劇の脚本としては、
が、原文と日本語の対訳付き、カセットテープ付きで発売されたことがある。