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中 国 の 伝 統 演 劇

Chinese Traditional Operas
21 Oct.,1997 Last Updated 8 Nov.,2003

 本稿は、広島大学総合科学部の総合科目「演劇と映画」(毎年冬学期)加藤担当分の配布プリントをwww化したものです。

中国・南京で出番を前にして
The founder of this page beside stage, in Nanjing, China

目次 Contents

  1. はじめに
  2. 演劇発生の三条件
  3. 資料ビデオ解説
  4. 中国伝統劇簡史
  5. 役者の4条件
  6. 中国伝統演劇から学ぶこと
  7. 参考文献


はじめに

 中国における演劇の発生は意外に遅く、西暦10世紀の宋代にまで下る。が、いったん確立するや、演劇は急速に中国社会に深く根を下ろした。現在、中国には実に三百種類以上にのぼる伝統演劇(地方劇)が存在する。
 中国の伝統演劇は
「■すべて音楽劇である ■舞台装置を重視しない ■徹底した悲劇が無い
などの特徴をもち、他国のものに無いユニークな魅力をもっている。それは、われわれが21世紀の「人間文化」を創っていく上で多大のヒントを提供する、隠れた宝庫でもある。
 限られた時間ながら、その宝庫のカギ穴から中身の宝ものを皆さんにのぞいて戴ければ、と思う。

演 劇 発 生 の 三 条 件

宗教の世俗化がある程度進んでいること。すなわち、民衆が「秘儀」に参加したり、宗 教儀礼に芸能的要素を持ち込めること。
   →例えばイスラム教や初期キリスト教のような厳格な一神教ではダメ。

「横死者」の慰霊や鎮魂の必要性があること。すなわち、戦乱や疫病の流行、女性差別 などの社会不安の要素があること。
   →例えば平安時代以前の日本など、平和な社会ではダメ。

■社会的要請があること。すなわち都市生活の発達や農村共同体の組織化など、演劇を支えうる社会的基盤が整っていること。
   →例えば縄文時代の日本のような自然経済の社会ではダメ。

演劇の変化のパターン
(1)演劇の萠芽→(2)宗教的演劇→(3)世俗的演劇→(?)
場所聖域の中、密室聖域の近く、野外聖域の外、劇場
主体宗教者民衆自身職業的俳優
対象神・祖霊集団としての民衆個人の集合としての観客
目的永遠性の獲得仲間意識の確認娯楽・浄化
性格呪術的儀礼祝祭的催事芸能(芸術)的興行
音楽呼吸・拍動系楽音声楽と気鳴楽器声楽と弦鳴楽器
初期演劇の本質は「擬似再出生体験
 人類の深層心理は民族・時代を越えて不変。それゆえ「再生」の演出は類似性が高い。例:類呼吸系楽音(笛、声楽)、類搏動系楽音(打楽器、非旋律的弦楽器)の多用、弦楽器の使用抑制。炎、仮面、(舞台の材料としての)石、俳優の性別制限などの演出。

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資 料 ビ デ オ 解 説

1、韶楽(儒教の祭天儀礼)ー--演劇の源流
  韶楽(しょうがく)は、孔子の「三月、肉の味を忘る」という故事で有名な、四千数百年の歴史を持つ宗教儀礼音楽である。儒教は選択的一神教であり、「天」はその永遠至高の神。聖火の効果的使用、石材建築における斉唱、律動感を抑制した舞楽、などの演出に注意。(映像は中国のテレビドラマ「末代皇帝」より)

2、道観(道教の寺院)ー--演劇発生の揺籃
  道教は古代ギリシアの宗教に似て神人混交の多神教である。神に捧げる祈りの音楽。映像は、1990年秋、北京の白雲観で加藤が撮影したもの(以下7まで同じ)。

3、貴州省の儺戯(だぎ)ー--初期演劇のかたち
  宗教儀礼から演劇への過渡期の面影を残す「生きた化石」。「周圏論」の原理により、古い形の演劇は、どこの国でも辺境部によく残っている。

4、「活捉王魁」四川省・川劇ー--初期演劇から世俗演劇への脱皮
  音楽は打楽器と声楽のみという宗教色の濃い演目。
[ものがたり]貧乏な受験生・王魁(おうかい)は、妓女・桂英(けいえい)と神の前で永遠の愛を誓う。が、王魁は科挙に合格後、自分の出世の ために恋人の桂英を捨てる。絶望した桂英は自殺し、幽霊となって王魁の前に現れ、王魁の気持ちを確かめるが、王魁の愛は戻らなかった。桂英は、王魁を生きたまま地獄に引きずりこむ。

5、「失子成瘋」広西省・桂劇ー---世俗演劇:カタルシス
 女がストレスのあまり発狂して死ぬ、という芝居。

6、「打棍出箱」広西省・桂劇ー---世俗演劇:娯楽芸能
  「散楽」(日本の「猿楽」の源流)の要素が演劇に結び付いた例。
[ものがたり]科挙の受験生・笵仲禹(はん・ちゅうう)は、美しい妻を権力者に奪われてしまう。しかも権力者は、笵を殺害しようとして、彼を箱の中に閉じこめる。殺害される寸前、彼は奇跡的に二人の小役人に発見され、救助される。
 登場人物はたった3人、道具はたった一つの小さな箱だけ、というシンプルな芝居だが、俳優が空中回転しながら箱の中に飛び込むなど、脅威的な身体感覚に満ちた小品である。

7、「打王英」浙江省・婺劇ー---世俗演劇:軍隊と演劇
  宗教とならび、「軍隊」もまた演劇の重要な揺籃であった。
[ものがたり]後漢の初めの動乱期。反逆者・姚剛(ようごう)は、漢王朝への復讎を誓い、山に要塞を作り立て籠もってい た。姚剛の弟ぶん・王英は、漢王朝の危機を憂い、姚剛に漢王朝への帰順を勧める。復讎の鬼と化した姚剛は、激怒して王英を追い出す。だが王英は諦めず、三度姚剛に面会し、最後に姚剛の説得に成功する。
 舞台装置は机ひとつと椅子ふたつだけ。そのかわり、舞台上の人間たちがならび変わることによって、舞台上には一瞬にして要塞や、山が出現する。

8、「挑滑車」京劇ー---世俗演劇:興行芸能として完成
[ものがたり] 宋代、中国は北方の強国・金と戦い苦戦していた。宋の若い勇将・高寵は、獅子奮迅の活躍をする。が、衆寡敵せず、山上から敵軍が次々と落としてくる戦車をかわしきれず、壮絶な最後を遂げる。
 舞台に馬は出てこないが、俳優が自分の体ひとつで馬に乗っているように演技する、その人間ばなれした身の動きが見どころ。京劇は、世界の演劇の中でも「身体感覚を楽しむ芸術」という演劇の基本的性格をよく保持している。
 京劇は約二百年の歴史しかない新しい伝統演劇であり、伴奏楽器に弦鳴楽器を多用していることから明らかなように、完全な世俗的演劇である。ただし、古い宗教演劇の特徴がよく残っている点は注目に値する。つまり、通奏打楽器音楽、簡素な舞台装置、声域が高音部に限定された歌、などである。

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中 国 伝 統 演 劇 簡 史

(☆印は関連資料ビデオ上映)


演劇の前史  古 代 ー 六 朝(上古〜紀元6世紀)

  • *社祭など、呪術性をもつ祭祀儀礼が維持されたため、演劇は未発生
  • *『詩経』『楚辞』や「楽府」など演劇的要素をもつ文学の存在
    「儺(おにやらい)」→後の☆儺戯(仮面劇)の源流

演劇的要素をもつ文学の例1 『詩経』
中国最古の詩集『詩経』の詩三百首は、その内容により「風」「雅」「頌」に分類される。

[古典古代][中 世]  [近 世]
頌(国家の秘儀):巫と尸→ 弛→ 俳優・楽員などに
雅(貴族の饗宴):首長たち→ 緩→ スポンサーに
風(庶民の祭り):民衆(信徒)→ 化→ 観衆に
「巫と尸の対話」という形が、後の俳優間のセリフの源流となる。

演劇的要素をもつ文学の例2 北朝の長編叙事詩「木蘭辞」
 農村の少女・木蘭は、老父のかわりに徴兵に応じて出征する。十年以上各地を転戦したのち、故郷に凱旋する。除隊後、木蘭は軍服を脱ぎ、美女に変身した。戦友たちは、そのときはじめて木蘭が女であることを知り、驚愕する、という話。当時の実話に取材した叙事詩と言われる。演劇未発生の時代は、このような「ドラマ」は民間文学の形で各地に広められた(後世の伝統演劇で「木蘭辞」は演劇化された)。


演劇の準備期  唐(7〜9世紀)

  • *異国情緒と貴族趣味の時代
  • *シルクロード経由の西域音楽の流行、詩歌の発達
  • *農村では「社」の組織が宗教色を失い、祭祀儀礼の芸能化が進む

  歌舞戯の成立(演劇の萌芽)
    「参軍戯」→「ボケ」と「ツッコミ」による即興的コント
    「大面(蘭陵王)」→ものがたりを伴う舞楽
「蘭陵王」について 北斉の蘭陵王長恭は、勇将ながら少女のごとき美男子であった。そこで彼は常に仮面をつけて戦陣に望んだという。この演目は遣唐使により日本に伝えられ、日本の雅楽に残っている。


演劇の発生期  宋(10〜13世紀)

  • *伝統主義と庶民文化の時代
  • *生産力の飛躍的向上により、人民の生活水準も向上
  • *宗教信仰の薄れと新しいタイプの祭祀組織編成の要求が芸能化を促進
  • *農村市場圏の形成により、演劇を支える社会的条件がととのう
  • *都市空間の構造的変化(瓦子=さかり場の形成)

  • 諸宮調(うたいもの)の流行
    例『董西廂』→唐代伝記に取材した自由恋愛のものがたり。
  • 北中国:院本(別名:雑劇)の流行
    例『請医』→滑稽な軽演劇
  • 慶祝演劇・鎮魂演劇の発生
  • 南中国:戯文の発生
    例☆『活捉王魁』→女を裏切った男が生きながら地獄に引ずりこまれる話


演劇の成熟期  元(13〜14世紀)

  • *漢民族の伝統を覆した征服王朝
  • *科挙の廃止により暇になった知識人が演劇脚本を書き始めた
  • *現存最古の戯曲脚本は元のもの

■北中国:「元の雑劇(別名:北曲)」の成立
*初期の雑劇は、古い形(鎮魂演劇)を残している

  • 『関張双赴西蜀夢』→関羽、張飛の亡魂が劉備の枕元に立つ
  • 『地蔵王證東窓事犯』→地蔵王が岳飛の霊の告訴を受け秦檜を断罪
  • 『昊天塔孟良盗骨』→楊継業の遺骨奪還と仇討ち
  • 『竇娥冤』→冤罪で処刑された女性の裁判のやり直し
    やがて雑劇は宗教色を薄め、テーマも次第に広がる
  • 西廂記』→異例の長編。男女の自由恋愛=宗族社会への挑戦

■南中国:「南曲」の発展
*元の統治も南中国における地主支配の構造をくつがえせなかった
  • 琵琶記』→もともとは妻を裏切った男が、雷に打たれて死ぬ、という『王魁』系の暗い話。元末にハッピーエンドに改作。

異説:「」を作ったのは中国人?
 元冦(1274,1281)で日本の捕虜になった中国人は一説に十万人にのぼった。彼らが日本で演じた芝居が「能」の成立に影響を与えた、という説がある。


演劇の発展期 明(14世紀〜17世紀)

  • *恐怖政治と頽廃の時代
  • *初期は重農主義だが、中期以降は墨銀の流入など商業経済が発達
  • *社会階級の分化進行→観客層の分離→演劇の分化(地方劇の発達)
  • 宗族社会の強化により、演劇に対する社会的要請も変化

■崑曲の成立:都市部では、南北曲が優美な「崑曲」として発展的解消
一流の文人が戯曲作品を書き、演劇の芸術化が進む。
牡丹亭還魂記』→美の世界を追究した恋愛劇

■地方劇の発展:農村部では各地の方言や民俗に根差した地方劇が発展
秦腔(陝西省の田舎芝居)などは当時既に成立していたとされる

異説:歌舞伎を作ったのは中国人? 明末清初の動乱で、多数の中国人が日本に亡命あるいは移民してきた。彼らが日本で故国をしのびながら上演した地方劇が、歌舞伎の成立に影響を与えたという説がある。現に、歌舞伎には、秦腔系の地方劇と類似する要素が多い。


演劇の完成期  清 〜 現 代(17世紀〜20世紀)

  • *人類史上まれな長期的人口増加
  • *全国で五百種類にも達する地方劇の隆盛

■中央:崑曲は、一流の文人が戯曲作品を書く。

  • 長生殿』→玄宗と楊貴妃のロマンスを描く。
  • 桃花扇』→明朝滅亡前後の大河ドラマ。

■地方:田舎では(残存の脚本は少ないものの)面白い芝居が「地方劇」として演じられていた。
  • 秦香蓮』→妻子を裏切った男の破局を描く。各地方において、それぞれ違う結末が用意されている。
  • 白蛇伝』→崑曲系では悪役だった白蛇が、正義のヒロインとなる。

京劇の成立:18世紀以降北京で各地方劇が融合し、京劇が成立。現在まで、中国を代表する伝統演劇となる。

異説:21世紀に新しい演劇が生まれる?
 現在「就学生」という名の大量の中国移民が日本に流入している。東京では中国人との合作のもと、新しい日本演劇を生む試みがなされている。

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役  者  の  四  条  件

 中国の伝統演劇を演ずる役者は、以下の四条件を満たさねばならぬとされる。

  • 唱(チャン)うた………聴覚的要素。
  • 念(ニェン)せりふ……聴覚的要素。
  • 做(ズオ) しぐさ……視覚的要素。
  • 打(ダー) 立ち回り…視覚的要素。
     この役者の四条件は、同時に中国の伝統演劇の四大要素でもある。


中 国 伝 統 演 劇 か ら 学 ぶ こ と

■ 豊 か な 地 方 性
  日本には「広島弁で上演する広島劇」とか「薩摩弁で上演する薩摩劇」などは無いが、中国には、ほとんど各地方ごとに独自の美学と内容を誇る地方劇がある。地方文化の豊かさという点で現代日本は見習うべきものがある。

■ わ か り や す さ と 奥 の 深 さ
  中国の伝統劇は、中国人の美意識の集大成である。それは「芸術」というより「芸術を越えた“芸”」というべきである。ある種の「芸術」につきまとう難解さ・入り難さは微塵も無いが、その世界の奥の深さは計りしれないものがある。

■ 演 劇 の 原 点 と し て の 面 白 さ
  近代演劇における舞台装置の発展は、ある意味で役者を堕落させた。だが中国の伝統劇は「役者の基本は身体感覚である」などの芝居の原点を忘れていない。ブレヒトなど西洋の演劇家が中国演劇に注目したゆえんである。

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参 考 文 献


 比較的見やすい邦文文献に限った。☆……書店で入手可能なもの。

研究書・概説書


 まず「元曲」「崑曲」など正統派的古典戯曲に関する古典的労作として
がある。また地方劇を中国社会との関連から考察した、 が1998年に出版された。これはすでに出版されていた、 四部作の成果をまとめた上に、新しい知見を加えたものである。
 京劇については、
がある。このほか、すでに絶版となってはいるが、 などは大きな図書館などで見ることができる。また、 は、京劇や地方劇の音楽についても多くのページを割いている。

翻訳

 中国演劇の戯曲作品の翻訳は意外に少ない。
 まず「元曲」「崑曲」など正統派的古典戯曲作品の翻訳として
がある。京劇の脚本としては、
が、原文と日本語の対訳付き、カセットテープ付きで発売されたことがある。

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[京劇城 Castle of Beijing Opera]