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自選創作漢詩文

漢文篇


1997,6,25開設 10,31改 加藤 徹

ここは難解な

漢文篇

とても易しい

漢詩篇

はじめに


加藤徹 漢文習作抄   目  次

  • 丙寅楽府稿自序  四六駢儷文(しろくべんれいぶん)
    大意 丙寅(へいいん)は1986年。最近「日本人として漢詩漢文を作 る」という「蛮勇」をふるう学生はいなくなってしまった。「文学部」は、昔は文学の現場だっ たのに、今は「文学」学のお勉強の場になってしまった。みんなもっと、やぶれかぶれでも良い ではないか。

  • 本郷賦後序  四六駢儷文
    大意 30年前に自ら命をたった宅見晴海(たくみはるみ)大先輩(当時 、東大中文科の学生)を、当時まだ生まれていなかった後輩として追悼した文章。

  • 東京大学憐菊詩併序  四六駢儷文・七言律詩
    大意 一年の花は、春の梅に始まり晩秋の菊に終わる。ある晩秋初 冬の日、大学の片隅のガランとした花壇に、黒ずんだ菊が一本だけ残っていた。まるで、同窓 生が早々と卒業して社会で活躍するのをしりめに大学院に残ってしまった自分のようだ。

  • 上石川岳堂先生書  四六駢儷文・七言絶句
    大意 漢詩を作る会「桜林詩会」に参加させていただくことになりま した。これまでは、切磋琢磨しようにも、周囲に漢詩を作る友人がおらず、残念でしたが、これ からは皆様に鍛えていただくのを楽しみにしております。今回の詩題は「七夕」ということでした ので、私も「牽牛織女の愛情が長続きしているのは別居しているからこそ」という内容の腰折れ を作って参りました(題名の「岳堂」は石川忠久教授の号)。

  • 春夜偶成併序  四六駢儷文・七言絶句
    大意 大自然は永遠だ、というけれど、宇宙の星を見ると、二千年 前とはだいぶ様子が違っている。地球の歳差運動のせいで、北極星の位置も、北斗七星の角度 も、孔子が見たころと違う。 むしろ、自然は有限だが、人間の文化や英知こそが永遠なのではあるまいか。

  • 哀景天文併序  四六駢儷文・楚辞体
    大意 中学校時代の畏友・鈴木達朗(たつろう)氏は、わずか20歳と いう若さで事故死した。常に彼を目標にしていた私は、もう永久に彼に追いつけない。私がして いることと言えば、自己満足にすぎぬ下手な漢文を書いているだけだ。

  • 駿臺雜詩序  古文
    大意 ぼくは大学2年生の加藤徹と申します。この4月から中国文学科 に進学します。半年、先生の中国哲学の授業に出させていただきましたが、その「レポート」と して旧稿の漢詩文を提出いたします。すべて杜撰(ずさん)な匹夫(ひっぷ)の字句です。が「匹夫もその志を奪うこ とはできぬ」と申しますゆえ、ご笑覧ください。


             ーあらたなる うたごゑを

丙寅楽府稿自序

  夫日本人學華文者、朱泙漫之屠龍01、公輸盤之爲鵲也02。不資經世、無志濟民。勤以三餘03、止於獨笑04。或矜『傳』癖05、或甘『紅』迷。凡古必眞、凡清皆好06。無裁詩賦、只累論文。「三豕渡河」、妄稱一聖07;「曰若稽古」、枉費萬言08。廷獻賞揚、竟成終古09;炳麟嘲笑、彌刺今朝10。看我同門、亦如此耳。
  徹、生値昇平、齢垂廿四11。池塘寸艸12、未報春暉13;階下碧梧、漸憂秋韻。學雖未博、書足記名14;言雖不文15、詩足陳志16。其所長者、通觀雅俗、跋渉古今。吟先哲之精華、游文章之林府17。其所短者、性傾矯激、習攻異端18。愛笛子於崑腔、弄胡琴於京劇19。心揮板眼、擬叩角於[山農]山20;意發宮商、比吹簫於呉市21。其所患者、常求切磋、難得他山22。雖兼[鼠石]鼠五能23、固異伶[点点/一/止自巳/夊,音kui2 ]一足24。單絲不線、孤掌難鳴也。
  於是、聊編習作、將示高朋。非耀我誇、欲諍「女畫」25。名云:丙寅楽府稿。猶恐拗折中國人[口桑]子而已26。
  我平生、有五車之腹稿、無一語之入玄27。主新聲、副清曲。裁以明光錦、作以負版[(塞-土)/衣]28。此則非謝太傅之砕金29、似鍾司徒之撰論30;應遥投於戸外、豈擲與於諸賓。然効工僑之埋琴31、駢文作序;鑑楚賈之飾[木賣]32、自註爲箋。嗚呼 ! 廖化先鋒耶 ?33 史・曾嚆矢耶 ?34 金聲微作、玉振未期矣 !35

                  (選自「丙寅集」稿)

[自注]

01…『荘子』列御寇:朱泙漫學屠龍。三年技成、而無所用其巧。
02…『墨子』魯問:墨子謂魯班曰「子之爲鵲也、不若[羽/隹]之爲轄」
03…董遇曰:「當以三餘」
04…『蜀志』[言焦]周傳:「誦讀典籍、欣然獨笑、以忘寢食」
05…杜預自云:有『傳』癖。
06…梁啓超評恵棟學風云:凡古必真、凡漢皆好。
07…『孔子家語』:子夏曰「三豕渡河」。時人以爲聖。
08…『漢書』注:桓譚『新論』云:「曰若稽古」三萬言。
09…譚獻曾賞揚日本人頼山陽文章、以爲在王世貞之上。見『復堂日記』光緒八年条。
10…章炳麟批評日本「漢学」。見『太炎文録』。
11…足歳也。
12…朱熹詩:「未覺池塘春草夢、階前梧葉已秋聲」
13…孟東野詩:「難將寸草心、報得三春暉」
14…『史記』:「書足以記姓名而已」
15…『左傳』襄二十五:仲尼曰:言之無文、行而不遠。
16…『左傳』襄二十七:詩以言志。
17…『文賦』。
18…『論語』。
19…東京有票房。吾出入良久、相得。
20…齊桓公夜出近舎。寧戚牧、疾撃牛角而歌。乃迎之爲相。
21…伍子胥至呉、吹簫於市、以歌冤恨。呉王乃用之。
22…『詩經』。
23…蔡[巛/邑]『勸學篇』:「[鼠石]鼠五能、不成一技」
24…『韓非子』:尭曰「[点点/一/止自巳/夊,音kui2]一而足矣」 又『呂覧』。
25…『論語』:「今女畫」
26…擬湯顕祖語。
27…『世説』文學:恵子其書五車、無一語入玄。
28…『世説』文學。
29…謝安。『世説』文學。
30…鍾會。
31…工之僑。
32…『韓非子』外儲説左上。
33…『三國志』。
34…『荘子』在宥。
35…『孟子』万章下:「集大成也者、金聲而玉振之也」

[訓読]「丙寅楽府稿」自序

[www化に際し(よみがな)のみ現代仮名遣いにしました。]
 夫(そ)れ日本人の華文を學ぶ者は、朱泙漫(しゅへいまん)の屠龍(とりゅう)、公輸盤の鵲(かささぎ)を爲(つく)るなり。經世に資せず、濟民(さいみん)に志す無し。勤(つと)むるに三餘(さんよ)を以(もっ)てし、止(とど)まるに獨笑(どくしょう)に於(おい)てす。或(あるい)は傳癖(でんぺき)を矜(ほこ)り、或は紅迷に甘んず。凡(およ)そ古なれば必ず眞(しん)、凡そ清(しん)なれば皆好し。詩賦を裁(た)つ無く、只だ論文を累(かさ)ぬ。「三豕(さんし)渡河」、妄(みだ)りに一聖と稱し、「曰若稽古(えつじゃくけいこ)」、枉(むな)しく萬言(まんげん)を費(ついや)す。廷獻(ていけん)の賞揚、竟(つい)に終古と成り、炳麟(へいりん)の嘲笑、彌(いよ)いよ今朝(こんちょう)を刺す。我が同門を看(み)るに、亦(ま)た此(かく)の如(ごと)きのみ。
 徹、生(せい)は昇平に値(あ)ひ、齢(よわい)は廿四(にじゅうし)に垂(なんなん)とす。池塘(ちとう)の寸艸(すんそう)、未(いま)だ春暉(しゅんき)に報いず、階下の碧梧(へきご)、漸(ようや)く秋韻を憂ふ。學 未だ博(ひろ)からずと雖(いえど)も、書は名を記するに足り、言 文ならずと雖も、詩は志を陳(の)ぶるに足る。其の長ずる所の者は、雅俗を通觀し、古今を跋渉(ばっしょう)す、先哲の精華を吟じ、文章の林府に游ぶ。其の短とする所の者は、性 矯激(きょうげき)に傾き、習ひ異端を攻む、笛子(てきし)を崑腔(こんこう)に愛し、胡琴(こきん)を京劇に弄す、心 板眼に揮(ふる)ひ、[山農]山(のうざん)に角を叩(たた)くに擬し、意 宮商に發し、呉市(ごし)に簫(しょう)を吹くに比す。其の患(うれ)ふる所の者は、常に切磋(せっさ)を求むれども、他山を得難し、[鼠石]鼠(せきそ)の五能を兼ぬと雖も、固(もと)より伶[点点/一/止自巳/夊,音キ](れいき)の一足と異なり、單絲線ならず、孤掌(こしょう)鳴らし難きなり。
 是に於て、聊(いささ)か習作を編み、將(まさ)に高朋(こうほう)に示さんとす。我が誇を耀(かがや)かすに非ず、「女(なんじ)畫(かぎ)れ」るを諍(ただ)さんと欲(ほっ)するなり。名づけて『丙寅楽府稿』(へいいんがふこう)と云(い)ふ。猶(な)ほ恐るらくは中國人の[口桑]子(そうし)を拗折せんのみ。
 我れ平生、五車の腹稿有るも、一語の玄(げん)に入る無し。新聲(しんせい)を主とし、清曲を副とす。裁つに明光の錦を以てするも、作るに負版の[(塞-土)/衣,音ケン]を以てす。此れ則(すなわ)ち、謝太傅(しゃたいふ)の砕金(さいきん)に非(あら)ず、鍾司徒(しょうしと)の撰論に似たり、應(まさ)に戸外より遥投(ようとう)すべし、豈(あ)に諸賓(しょひん)に擲與(てきよ)せんや。然(しか)れども、工僑(こうきょう)の埋琴(まいきん)に効(なら)ひ、駢文(べんぶん)もて序を作り、楚賈(そこ)の[木賣](とく)を飾りしに鑑(かんが)み、自ら註して箋(せん)と爲す。嗚呼(ああ)、廖化(りょうか)の先鋒(せんぽう)か、史・曾(しそう)の嚆矢(こうし)か。金聲微(かす)かに作(おこ)るも、玉振(ぎょくしん)未だ期あらざるなり。

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         ーうづもれし あつき たましいに

本郷賦後序

  昔青蓮居士、空寄高吟於謝尚01;延陵季子、悵留寶剣于徐君02。今亦有加藤、私作一章文賦;以貽宅見03、深傷寂寞卅年。而求同學之加批、忝老師之題讃。讃曰;04

 奇情壮采  亦文亦騒  萬斛泉源05 汨汨滔滔 
 切磋琢磨  瑜存瑕消  百尺竿頭  歩歩争高 

  嗚呼 ! 本郷學府06、文運久衰;駒場蓬寮、狷狂何絶 ?此時耳:曩令宅見、挑彼不毛07;今使加藤、享斯過奬 ! 文才或伯仲、志意固不偕。
  若徴今日、此賦聊足稱豪耶 ? 然僕讀宅見遺稿:驚創業之精神、感憑河之進取。而羨先師於啓發、慙前輩於憤[心非]08。一想其心、反觀此賦、應言未入崑山片玉、徒瞻桂林一枝者而已 !09

                  (選自「乙丑集」稿)

[自注]

01…李白詩:「余亦能高詠、斯人不可聞」
02…季札懸剣。
03…宅見晴海(1932-1955)東京大學先輩。
04…此題辞是王水照老師所寄。
05…蘇軾文:「吾文如萬斛泉源、不擇地而出」
06…東京大學、一二年級學於駒場、三年級以上學於本郷。
07…宅見遺稿集、名曰『不毛なものに挑みて』
08…憑河、啓發、憤[心非]、『論語』述而。
09…『晋書』郤[言先]傳。

[訓読]「本郷賦」後序

[www化に際し(よみがな)のみ現代仮名遣いにしました。]
 昔、青蓮居士(せいれんこじ)、空(むな)しく高吟(こうぎん)を謝尚(しゃしょう)に寄せ、延陵 季子、悵(かな)しびて寶剣(ほうけん)を徐君(じょくん)に留(とど)む。今 亦(ま)た加藤 有り て、私(ひそ)かに一章の文賦を作り、以(もっ)て宅見(たくみ)に貽(おく)り、深く寂寞(せきば く)たる卅年(さんじゅうねん)を傷(いた)む。而(しか)して同學の批を加へんことを求め、老師 の題讃(だいさん)を忝(かたじけ)なうす。讃に曰く、

   奇情壮采 亦た文あり亦た騒あり
   萬斛(ばんこく)泉源 汨汨(こつこつ)たり滔滔(とうとう)たり
   切磋(せっさ)し琢磨(たくま)すれば 瑜(ゆ) 存し 瑕(か) 消ゆ
   百尺(ひゃくせき)の竿頭(かんとう) 歩歩 高きを争ふ

 嗚呼(ああ)。本郷(ほんごう)の學府、文運 久しく衰へぬ。駒場(こまば)の蓬寮(ほうりょう)、狷狂(けんきょう) 何ぞ絶ゆる。此(こ)れ時のみ。曩(さき)に宅見をして彼(か)の不毛に挑(いど)ましめ、今 加藤をして斯(こ)の過奬(かしょう)を享(う)けしむとは。文才 或(あるい)は伯仲(はくちゅう)するも、志意 固(もと)より偕(かな)はず。
 若(も)し今日に徴(ちょう)すれば、此の賦も聊(いささ)か豪(ごう)と稱(しょう)するに足(た)らんか。
 然(しか)れども僕 宅見の遺稿を讀(よ)み、創業の精神に驚き、憑河(ひょうか)の進取に感ず。而(しか)して先師を啓發(けいはつ)に羨(うらや)み、前輩(ぜんぱい)を憤[心非](ふんひ)に慙(は)づ。一(ひと)たび其の心を想ひ、反(かえ)りて此の賦を觀(み)れば、應(まさ)に未(いま)だ崑山(こんざん)の片玉(へんぎょく)にも入らず、徒(いたず)らに桂林(けいりん)の一枝を瞻(あお)ぐ者と言ふべきのみ。

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             ーかなしき しんがり

東京大学憐菊詩

 併序

  白玄之際、腥朽之交01。黄葉遍而如流、紅磚高而似仄。路隈有小園焉、祇見殘菊一簇。金英幽馥、翠葉稍凋、玉露新霜、不留餘[草/白為]
  嗚呼! 僕一進國庠、五更裘葛。當年同學、彊半彈冠。惟吾「樂以忘憂」、興而「忘食」02。奈何。「幼童而守一藝、白首而後能言」03。「静言思之」04、與斯花其何異? 遂憐同病、以賦小詩。曰:

景物入冬孰最哀 ?  殘黄凛冽守庭栽。
紫莖自直有人折、  金粟猶香無蝶來 !
殷地羽聲風到陌、  滿天餘暎日沈臺。
憐君内美堪爲殿、  不與蘭桃一處開 !
                  (選自丁卯集稿)

[自注]

01…腥朽之説、見『月令』。東京大學、公孫樹尤多。至秋、白果爛熟、腥臭滿校庭。
02…『論語』。
03…『漢書』藝文志。
04…『詩經』。

[訓読]「東京大学 菊を憐れむの詩」併びに序

[www化に際し(よみがな)のみ現代仮名遣いにしました。]
 白玄(はくげん)の際、腥朽(せいきゅう)の交、黄葉 遍(あま)ねくして流るるが如(ごと)く、紅磚(こうせん) 高くして仄(かたむ)くに似たり。路の隈(すみ)に小園有り、祇(た)だ殘菊(ざんきく)一簇(いっそう)を見る。金英(きんえい) 幽(かす)かに馥(かお)り、翠葉(すいよう) 稍(ようや)く凋(しぼ)む。玉露(ぎょくろ)新霜(しんそう)、餘[草/白為](よい)を留めず。
 嗚呼(ああ)。僕、一(ひと)たび國庠(こくしょう)に進みしより、五たび裘葛(きゅうかつ)を更(か)ふ。當年(とうねん)の同學、彊半(きょうはん)は彈冠(だんかん)す。惟(た)だ吾(われ)のみ「樂(たのし)みて以(もっ)て憂(うれい)を忘れ」、興(きょう)じて「食(しょく)を忘る」。奈何(いかん)ぞ、「幼童(ようどう)にして一藝(いちげい)を守り、白首(はくしゅ)にして後(のち) 能(よ)く言ふ」とは。「静(しず)かに言(ここ)に之(これ)を思へば」、斯(こ)の花と其れ何ぞ異ならん。遂(つい)に同病を憐れみ、以て小詩を賦す。曰(いわ)く、
   景物 冬に入りて孰(いず)れか最も哀しき
   殘黄(ざんこう) 凛冽(りんれつ)として 庭を守りて栽(う)はる
   紫莖(しけい) 自ら直ければ 人の折(たお)る有らんも
   金粟(きんぞく) 猶(な)ほ香(かんば)しきも 蝶の來(きた)る無し
   地に殷(どよも)せる羽聲(うせい) 風 陌(はく)に到り
   滿天の餘暎(よえい) 日 臺(だい)に沈む
   君を憐れむ 内美(だいび)の殿(しんがり)と爲(な)るに堪(た)ふるがゆゑに
   蘭桃(らんとう)と一處(いっしょ)には開かざるを

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              ーはじめまして かとうです

上石川岳堂先生書

岳堂吾師壇席: 敬粛者、夙仰
典型、未親

清誨。譬如:北斗燦然、可望而悵弗及;泰山遼遠、漸邇而瞻愈高。徹昔曾七歩八叉而錦嚢看綻01、今日三年二句而素紳存[白番]02。宜矣、本是菲才、況虧詩友! 曩編習作、聊示同門。無一作癒頭風之方03、没人云覆酒甕之用04。或如韓康伯、答以無言05;多似曲阿湖、納而不出耳06。欲題聖澤、漫念皎然07;値見早梅、徒思鄭谷08。若此久哉。於斯忽聞 櫻林詩會、精英滿座、俊秀如雲。領袖
岳堂先生、藝苑名家、詞壇祭酒。
胸蔵八斗、筆掃千軍。嗚呼 ! 南郭濫[竹/于]、且能充數09;北聲鼓瑟、猶可升堂10。茲忝片玉於崑山、竊一枝於桂林。而謹呈小詩一章、似[水賣]
電矚。如蒙
雷斧、幸何如之。[山/而]粛寸稟、統維
澂 [(祭-示)/言]

 謹應 櫻林詩會詩題「七夕」而作詩

哀怨詩家所訴陳
銀河[王崔]][王(燦-火)]鵲橋新
未知夜夜[糸刃]針意
却憫壽張百忍人11

             學 生加藤徹敬叩 丁卯九月廿六日

                  (選自「丁卯集」稿)

[自注]

01…曹子建、温飛卿、李長吉。
02…賈浪仙、子張。
03…曹操。
04…陸士衡。
05…『世説』言語:「王曰『何故不言』 韓曰『無可無不可』」
06…『世説』言語:謝中郎經曲阿後湖、云「納而不流」
07…『詩人玉屑』:皎然以詩名于唐。有僧袖詩謁之。然指其 「御溝」詩云:「『此波涵聖澤』、波字未穏、當改」僧怫然作色而去。僧亦能詩者也、皎然度其去必復来、乃取筆作「中」字掌中、握之以待。僧果復来、云:「欲更爲『中』字如何?」然展手以示之、遂定交。
08…『詩人玉屑』:士林以谷爲「一字師」。
09…「濫[竹/于]充數」。『韓非子』内儲説上。
10…北聲、『孔子家語』辯樂解。升堂、『論語』先進。
11…『資治通鑑』巻二百一麟徳二年十一月条:「壽張人張公藝九世同居。齊・隋・唐、皆旌表其門。上過壽張幸其宅、問所以能共居之故。公藝書『忍』字百餘、以進。上善之、賜以[糸兼]帛」

[訓読]「石川岳堂(いしかわがくどう)先生に上(たてまつ)る書」
[www化に際し(よみがな)のみ現代仮名遣いにしました。]
 岳堂(がくどう)吾師(ごし)壇席(だんせき)。敬粛(けいしゅく)すれば、夙(つと)に典型を仰(あお)ぐも、未(いま)だ清誨(せいかい)に親しまず。譬(たと)ふれば、北斗(ほくと)燦然(さんぜん)として、望(のぞ)むべくも及(およ)ばざるを悵(かな)しみ、泰山(たいざん)遼遠(りょうえん)として、漸(ようや)く邇(ちか)づけば愈(いよ)いよ高きを瞻(あお)ぐが如し。
 徹、昔曾(むかし)、七歩八叉(しちほはっさ)にして錦嚢(きんのう) 看(みる)みる綻(ほころ)び、今日、三年二句にして素紳(そしん) [白番](はん) を存す。宜(むべ)なるかな、本(もと)より是(こ)れ菲才(ひさい)、況(いわん)んや詩友を虧(か)くをや。曩(さき)に習作を編み、聊(いささ)か同門に示す。一として頭風を癒(いや)すの方と作(な)す無く、人として酒甕(しゅおう)を覆(おお)ふの用を云(い)ふ没(な)し。或(あるい)は韓康伯(かんこうはく)の如く、答ふるに無言を以てするも、多くは曲阿湖(きょくあこ)の似(ごと)く、納(い)れて出ださざるのみ。聖澤(せいたく)に題せんと欲しては漫(みだ)りに皎然(きょうねん)を念(おも)ひ、早梅を見るに値(あた)りては徒(いたず)らに鄭谷(ていこく)を思ふ。此(かく)の若(ごと)きこと久しきかな。
 斯(ここ)に於(おい)て忽(たちま)ち聞く、櫻林詩會(おうりんしかい)、精英(せいえい)座に滿ち、俊秀(しゅんしゅう)雲の如し、領袖(りょうしゅう)岳堂(がくどう)先生は藝苑(げいえん)の名家、詞壇(しだん)の祭酒(さいしゅ)にして、胸に八斗を蔵(ぞう)し、筆は千軍を掃(はら)ふと。
 嗚呼(ああ)。南郭(なんかく)の濫[竹/于,音ウ](らんう)すら、且(か)つ能(よ)く數(かず)に充(あた)り、北聲(ほくせい)もて瑟(しつ)を鼓(こ)するも、猶(な)ほ堂に升(のぼ)るべし。茲(ここ)に片玉(へんぎょく)を崑山(こんざん)に忝(かたじけ)なうし、一枝を桂林(けいりん)に竊(ぬす)まんとす。而(しか)して謹(つつし)みて小詩(しょうし)一章を呈し、電矚(でんしょく)を[水賣](けが)すに似(に)たり。如(も)し雷斧(らいふ)を蒙(こうむ)らば、幸(さいわ)ひ何(いず)れか之(これ)に如(し)かん。[山/而](もっぱ)ら寸稟(すんぴん)を粛(しゅく)し、統(す)べて澂[(祭-示)/言,音サツ]を維(ねが)ふ。

 謹(つつし)みて櫻林詩會(おうりんしかい)詩題「七夕」(たなばた)に應(おう)じて作れる詩

   哀怨(あいえん)は詩家の訴陳(そちん)する所
   銀河 [王崔][王(燦-火)](さいさん)として 鵲橋(じゃくきょう)新(あら)たなり
   未(いま)だ知らず 夜夜 針を[糸刃](じん)するの意
   却(かえ)って憫(あわ)れむ 壽張(じゅちょう) 百忍(ひゃくにん)の人

             學 生加藤徹敬叩 丁卯九月廿六日

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       ーうつろひゆく ほしぼし

春夜偶成 併序

  夏暦戊辰孟春朔昏(1988年2月18日下午6点)01、徹出郊、望星辰于四表。維執徐之年、而歳星 徘徊於奎・昴之間02。建寅之月、而斗杓墜落於子丑之間03。天狼皎潔、誰詠「夜流血」? 参宿 可掬、其距入觜之西04。日不在營室、而將出虚。昏参未中、而昴中。旦無尾中、而房中05。
  嗚呼! 「天地曾不能以一瞬」06、豈空言哉! 維斗得道、終古自[弋/心 ][偶-人]強立極、終古自乖07。物換星移、今人不見古人天。 而人智若水、不舎昼夜。「天之高也、星辰之遠也」、既「求其故」、至於「千歳之日至可坐而 致也」08。吾驚天地之須臾、嘆人文之無窮。乃賦小詩曰、


 燦々天狼皎不紅 
 觜参相転没昏中 
 無常最是斗杓建 
 隠地揺光失指東09

                  (選自「戊辰集」稿)

[自注]

01…日本時間也。此朔、日本時間公暦二月十八日上午零點五十四分鐘。故、中國舊正月乃是二月十七日。
02…中國古代暦法:太歳在辰曰「執徐」、歳星本應在亥。然而此年歳星實徘徊於奎・昴之間、即是戌酉之間。
03…中國古代暦法:建寅之月、斗杓本應指寅。
04…『明史』天文志:觜宿距星、唐測在日参前三度、元測在参前五分、今測已侵入参宿。故、今不得先参後觜。 或曰:觜宿距星侵入参宿、宋代也。
05…『禮記』月令:「孟春之月、日在營室、昏参中、旦尾中」
06…蘇軾『赤壁賦』。
07…『荘子』太宗師。
08…『孟子』離婁下。
09…中國古代暦法:斗杓指東、天下皆春。

[訓読]「春夜偶成」併びに序

[www化に際し(よみがな)のみ現代仮名遣いにしました。]
 夏暦(かれき)戊辰(ぼしん)孟春(もうしゅん)朔(さく)の昏(こん)、徹 郊(こう)に出でて、星辰(せいしん)を四表に望む。
 維(こ)れ執徐(しゅうじょ)の年なるに、而(しか)も歳星 奎(けい)・昴(ぼう)の間に徘徊(はいかい)し、建寅(けんいん)の月なるに、而も斗杓(とひょう) 子丑(しちゅう)の間に墜落す。天狼(てんろう)皎潔(こうけつ)たり、誰か「夜 血を流す」と詠(えい)ぜん。参宿(しんしゅく) 掬(すく)ふべきも、其の距(きょ)觜(し)の西に入る。日 營室(えいしつ)に在らず、而も將(まさ)に虚を出でなんとし、昏(こん)に参(しん) 未(いま)だ中せず、而して昴 中す。旦(たん)に尾(び)の中する無く、而して房(ぽう) 中す。
 嗚呼(ああ)! 「天地も曾(かつ)て以て一瞬たること能(あた)はず」とは、豈(あ)に空言ならん や。維斗(いと) 道を得るも、終古(しゅうこ)自(おのずか)ら[弋/心](たが)ふ、[偶-人]強(ぐう きょう) 極に立つも、終古自ら乖(はな)る。物換(かわ)り星移りて、今人は古人の天を見ず。 而も人智は水の若(ごと)く、昼夜(ちゅうや)を舎(お)かず。「天の高き、星辰の遠き」、既( すで)にして「其の故(こ)を求」むれば、「千歳(せんざい)の日至(にっし)も坐して致(いた)す べ」きに至る。吾(わ)れ天地の須臾(しゅゆ)なるを驚き、人文の無窮(むきゅう)を嘆ず。乃(す なわ)ち小詩を賦して曰く、

   燦々(さんさん)たる天狼(てんろう) 皎(きょう)として紅ならず
   觜参(ししん) 相(あ)ひ転じて昏(こん)に中する莫(な)し
   無常は最も是れ斗杓(とひょう)の建(けん)
   地に隠(かく)るる揺光(ようこう)は東を指(さ)すを失ふ

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       ーともよ、やすらかなれ

哀景天文 併序

  粤強圉單閼、孟春(1987年2月)幾望、徹之于東京四谷。驛控赤坂、路連新宿。人車轣轆、楼閣 参差。入其小巷、有古寺焉。名曰笹寺01。紅塵不及、跫韻自[貝余]。入園内、向晩無人、[丹彡]雲 有耀。惟墓標林立、蒼翠支離。學法逹明居士之墓也。嗚呼。紫煙[施/(道-首)] 湧、掩[手+(艸/冉)]残黄。昔隔賢愚02、今分幽顕。竟何為哉。
  鈴木達朗字景天、吾畏友也。維戊午季春(1978年4月)始識君。各當志學之年、在初中之課03。 若鳴日下、若躍雲間04。僕愛唐詩、君通『解字』。志操穎異、夙治華文、才藝患多05、尤工篆刻。 僉所賛嘆也。居一年、及迎畢業、散作参・商。
  後四年、癸亥仲春(1983年4月)、我進東京大學、又相見。雖是故人、反非同榜。君徳望布華 於學友、名聲扶翹於師林06。吾點額、左宗棠之落江、凡求顧念;闕童子之將命、只欲速成07。而 心中常以君為期。
  又一年、甲子季春穀雨刻且巳初(1984年4月20日上午8点50分鐘)、君墜於御茶之水驛月臺、忽 然長逝。享年二十。猶疑午夢、漸熱中腸08。竢翌夜而詣喪家、見親朋之盈門路。呑傷聲于三不 弔09、斷瞻望于九原邊10。此成終古之別也11。
  後令尊、編弔文、輯遺稿。維丙寅之季春(1986年4月)上梓、以生前之木刻為題;曰『泰然自若 』。遍頒故舊。僕讀斯書、無一葉不有思子之情、無一句非是化鵬之兆。私忖其心、念悠悠之廿稔、 思翕翕於一時、猶恐半夜燈前、幾行泣下乎!12 又檢所載之遺刻、或若畫龍於毫末、或若揮削于 棘端13。而能存敦厚之風、可謂丈夫之業也14。厥「十萬億土幾人行」白文印、印中刻印、文裡復 文。如箱裏含箱、鏡中映鏡。葛洪明鏡、自照未来15;陽羨書生、能呑永遠16。其眞掌中天地、方 寸靈臺矣!17
  嗚呼! 天送此才18、又歸烏有。百年寂寞、千里曠茫19。宜矣九歌20、「孰離合」者?;已 [(虞-呉)/乎]「六極」21、胡首言之! 一片冰心、玉 壺倶葬22;廿年哀樂、方寸所留。命也耶? [广>龍]統哭孔明、李觀悼 韓愈! 蘭摧玉折23、使此輩存24;蕭敷艾榮、令斯人死! 夫徳音未遠25、宿草已生矣26。交友 六年、淡如清[水此]27;別離三歳、[(道-首)>貌] 若山河28。而我悲哀者何哉? 夷吾痛哭耶、薪者自傷耶?29 恐両否也。惟劉 [心炎]清蔚30、不至周旋31;孫綽性卑、悵為諷詠耳32。迺致詞曰;


 鈴木家之長子兮達朗字曰景天 
 朝攬麻以信直兮夕仰[木銀]而有[木延]33 
 罹文章之憎壽兮陥司命之間然34 
 [草/離]嘆蘭于餘馥兮[禾童][禾(睦-目)]夫孰先35 
 繋朋心於身後兮供幽詠乎墓前 
 嗟[草/孫]摧於朝露兮吾終不見其比肩 

                  (選自「丁卯集」稿)

[自 注]

01…笹寺、又名長慶寺、在東京都四谷四丁目四番地。
02…『列子』:「生則有賢愚貴賤」 又嚆里曲。
03…初中、國立千葉大學附属中學校。
04…『晋書』陸雲傳
05…「士衡患多」
06…陸雲詩:「扶翹布華、養物作春」
07…『論語』憲問
08…杜詩:「驚呼熱中腸」
09…杜詩:「死別已呑傷」 『禮記』檀弓上:「死而不弔者三」
10…『詩』:「遠送于野。瞻望弗及、泣涕如雨」
11…魯迅詩:「此別成終古」
12…唐詩:「半夜燈前十年事、一時和雨到心頭」
13…『韓非子』:「今棘刺之端、不容削鋒」
14…『法言』:「童子彫蟲篆刻」
15…『抱朴子』雜應:「四規者、照之時、前後左右各施一也」
16…『續齊諧記』:陽羨許彦遇一書生。書生吐女子、女子吐男子。
17…『荘子』:「不可内於靈臺」 『列子』仲尼:「方寸之地虚矣」
18…李白詩:「天生我才必有用」
19…『戰國策』齊宣王:「千里而一士、是比肩而立」
20…『楚辞』九歌大司命:「何壽夭兮在予」「孰離合兮可爲」
21…『書』洪範:「六極、一曰凶短折」注:「禍莫大於凶短折」
22…鮑照詩:「清如玉壺冰」 又唐詩:「一片氷心在玉壺」
23…『世説』言語:「寧爲蘭摧玉折、不作蕭敷艾榮」
24…『世説』傷逝:「使君輩存、令此人死」
25…『世説』傷逝:「徳音未遠、而拱木已積」
26…『禮記』檀弓上:「曾子曰『朋友之墓、有宿草而不哭焉』」
27…「君子之交淡若水」
28…王戎曰:「今日視之雖近、[(道-首)>貌]若山河」見『世説』『晋書』。
29…『琴操』補遺:「孔子問之、薪者曰『吾自傷、故哀爾』」
30…『世説』品藻:「清蔚簡令」
31…『世説』輕詆:王孝伯曰「亡祖何至與此人周旋!」
32…『世説』輕詆:「眞長平生、何嘗相比數!」
33…千葉大學附属中學校之徽章象麻葉。東京大學之徽章象公孫樹(=白果樹、銀杏)葉。俗作「[木銀]」、假借也。
34…杜詩:「文章憎命達」
35…『離騒』注:「掲車・江離、雖亦香草、然不若椒・蘭」

[訓読]「哀景天文」併びに序

[www化に際し(よみがな)のみ現代仮名遣いにしました。]
 粤(こ)れ強圉(きょうぎょ)の單閼(ぜんえん)、孟春(もうしゅん)の幾望(きぼう)、徹 東京四谷に之(ゆ)く。驛(えき)は赤坂を控へ、路は新宿に連なる。人車轣轆(れきろく)として、楼閣参差(しんし)たり。其の小巷(しょうこう)に入るに、古寺 焉(ここ)に有り。名を笹寺(ささでら)と曰ふ。紅塵及ばず、跫韻(きょういん) 自(おのずか)ら[貝余](はるか)なり。園内に入るに、晩に向かひて人無く、[丹彡]雲(とううん) 耀(も)ゆる有り。惟だ墓標林立し、蒼翠(そうすい)支離たり。學法逹明居士の墓なり。嗚呼、紫煙 [施/(道-首)](なな)めに湧き、残黄を掩[手+(艸/冉)](えんぜん)す。昔 賢愚を隔て、今や幽顕を分かつ。竟(つい)に何爲(いかん)ぞや。
 鈴木達朗字(あざな)景天、吾が畏友なり。維れ戊午(ぼご)の季春 始めて君を識る。各おの志學の年に當(あた)り、初中の課に在り。日下に鳴くが若く、雲間に躍るが若し。僕 唐詩を愛し、君 解字に通ず。志操 穎異(えいい)にして、夙(つと)に華文を治め、才藝(さいげい) 多きを患ふも、尤(もっと)も篆刻(てんこく)に工(たく)みなり。僉(みな)の賛嘆する所なり。居ること一年、畢業(ひつぎょう)を迎ふるに及び、散じて参・商(しんしょう)と作(な)る。
 後四年、癸亥(きがい)仲春、我れ東京大學に進み、又た相ひ見ゆ。是れ故人なりと雖(いえど)も、反(かえ)りて同榜(どうぼう)に非ず。君 徳望 華を學友に布べ、名聲 翹(ぎょう)を師林に扶く。吾れ點額(てんがく)たり、左宗棠(さそうとう)の落江、凡そ顧念を求め、闕童子(けつどうし)の將命、只だ速成を欲す。而して心中 常に君を以て期と爲す。
 又た一年、甲子の季春の穀雨、刻 且に巳初(ししょ)ならんとき、君 御茶の水驛月臺より墜ち、忽然として長逝す。享年二十。猶ほ午夢かと疑ひ、漸く中腸を熱す。翌夜を竢(ま)ちて喪家に詣(いた)れば、親朋の門路に盈(み)つるを見る。傷聲を三不弔に呑み、瞻望(せんぼう)を九原の邊(へん)に斷つ。此れ終古の別れと成れり。
 後、令尊、弔文を編み、遺稿を輯(あつ)む。維(こ)れ丙寅の季春に上梓(じょうし)し、生前の木刻を以て題と為す。曰く『泰然自若』(たいぜんじじゃく)と。遍(あまね)く故舊(こきゅう)に頒(わか)つ。僕 斯の書を讀(よ)むに、一葉として思子の情 有らざるは無く、一句として是れ化鵬(かほう)の兆(きざし)に非るは無し。私(ひそ)かに其の心を忖(はか)るに、悠悠の廿稔(にじゅうねん)を念ずれば、思ひ一時に翕翕(きゅうきゅう)たらん。猶ほ恐る 半夜の燈前に、幾行か泣(なんだ)下るならんと。又た所載の遺刻を檢(けみ)するに、或は龍を毫末(ごうまつ)に畫(えが)くが若く、或は削(のみ)を棘端(きょくたん)に揮ふが若し。而も能く敦厚(とんこう)の風を存す、丈夫の業と謂(い)ふべきなり。厥(そ)れ「十萬億土幾人行」の白文印は、印中 印を刻し、文裡 文を復す。箱裏に箱を含むが如く、鏡中に鏡を映ずるが如し。葛洪の明鏡、未来を自照し、陽羨(ようえん)の書生、能く永遠を呑む。其れ眞(まこと)に掌中(しょうちゅう)の天地、方寸の靈臺(れいだい)なり。
 嗚呼(ああ)。天 此の才を送り、又た烏有(うゆう)に歸(き)せしむ。百年 寂寞(せきばく)として、千里 曠茫(こうぼう)たり。宜(むべ)なるかな九歌、「孰(たれ)か離合する」者ぞ。已(や)んぬるかな「六極」、胡(なん)ぞ首(はじ)めに之 を言ふ。一片の冰心(ひょうしん)、玉壺と倶(とも)に葬られ、廿年(にじゅうねん)の哀樂(あいらく)、方寸の留むる所。命なるか。[广>龍]統(ほうとう) 孔明(こうめい)を哭(こく)し、李觀(りかん) 韓愈(かんゆ)を悼(いた)まむとは。蘭摧玉折(らんさいぎょくせつ)、此の輩をして存せしめ、蕭敷艾榮(しょうふがいえい)、斯の人をして死せしむ。夫れ徳音 未だ遠からざるも、宿草 已に生じたり。交友六年、淡きこと清[水此](せいし)の如く、別離三歳、[(道-首)+貌](ばく)として山河の若し。而して我の悲哀するは何ぞや。夷吾の痛哭か、薪者(しんじゃ)の自傷か。恐らくは両ながら否なり。惟れ劉[心炎] 清蔚(せいうつ)にして、周旋に至らず、孫綽(そんしゃく) 性 卑しくして、悵(かな)しびて諷詠を為すのみ。迺(すなわ)ち詞を致して曰く、

  鈴木家の長子
  達朗 字を景天と曰ふ
  朝(あした)に麻を攬(と)り以て信直として
  夕べに[木銀](いちょう)を仰げば有[木延](ゆうてん)たり
  文章の壽(いのちながき)を憎むに罹(かか)り
  司命の間然するに陥(お)つ
  [草/離](り)は蘭を餘馥(よふく)に嘆き
  [禾童](おくて)は[禾(睦-目)](わせ)を哀しむ 夫れ孰(じゅく)すこと先なりと
  朋心を身後に繋(つな)ぎ
  幽詠を墓前に供ふ
  嗟(ああ)、[草/孫](そん)は朝露に摧(くだ)かれぬ
  吾 終(つい)に其の比肩を見ざらん

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         ーはじめての うたのふみ

駿臺雜詩序

  古之人、自初學至碩學、皆有詩。何也? 曰:自幼至於老、皆存其志之故也。今之學者、有 學説、無詩賦。其學、專爲人而不爲己。爲己曰志、敍志曰詩。既其學虧志、安有詩成口占哉 ! 此今人之所以無詩也。
  文學部中文科學生加藤徹、始志於經濟01、下第。一歳蹉[足它]、在 駿臺02修偏僻之學。後得列名虎榜、改學文章。有詩一百首。今選其二十、名之曰『駿臺雜詩』。謹 呈戸川老師、凾丈、以[水賣]電矚。
  小詩固不免稚、真可云「書生習作」耳矣。然古人有言:匹夫不可奪志也。我亦欲揮匹夫之志、 陳杜撰之詞。願吾師、笑其稚、愍其拙、復啓我蒙蔽。是爲序。

             (選自「駿臺雜詩」又名「甲子集」)

[自注]

01…即是東京大學文科二類。
02…地名。又補習班名。

[訓読]「駿臺雜詩(すんだいぞうし)」序

[www化に際し(よみがな)のみ現代仮名遣いにしました。]
 古(いにしえ)の人、初學より碩學(せきがく)に至るまで、皆詩有り。何ぞや。曰(いわ)く、幼より老に至るまで、皆其の志を存するの故なり。今の學ぶ者は、學説有れども、詩賦無し。其の學、專(もっぱ)ら人の爲(ため)にして己(おの)れの爲にせず。己れの爲にするを志と曰ひ、志を敍(の)ぶるを詩と曰ふ。既にして其の學、志を虧(か)けば、安(いず)くんぞ詩の口占(こうせん)と成る有らんや。此れ今人の詩無き所以(ゆえん)なり。
 文學部中文科學生加藤徹、始め經濟に志すも下第す。一歳蹉[足它](さた)として駿臺(すんだい)に在りて偏僻(へんぺき)の學を修む。後、虎榜(こぼう)に名を列(つら)ぬるを得、改めて文章を學ぶ。詩一百首有り。今其の二十を選み、之に名づけて『駿臺雜詩(すんだいぞうし)』と曰ふ。謹みて戸川(とがわ)老師に呈し、丈(じょう)を凾(かん)し、以(もっ)て電矚(でんしょく)を[水賣](けが)す。
 小詩固より稚(ち)を免(まぬか)れず。真に「書生の習作」と云ふべきのみ。然(しか)れども古人言ふ有り、匹夫(ひっぷ)も志を奪ふべからずと。我も亦(ま)た匹夫の志を揮(ふる)ひ、杜撰(ずさん)の詞を陳(の)べんと欲す。願はくば吾が師よ、其の稚を笑ひ、其の拙(せつ)を愍(あわ)れみ、復(ま)た我が蒙蔽(もうへい)を啓(ひら)け。是れ序と爲す。

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