契約意識調査余滴[続(1)]

タイ共同調査雑感

 

 

桐蔭学園横浜大学法学部助教授・河 合 幹 雄(U担当)

東京大学大学院法学政治学研究科教授・太 田 勝 造(T担当)

 

T.タイ調査顛末

 われわれがまだ研究者志望の学生であった頃,高名な学者がこのように語ってくれた.研究とは孤独なもので,自分自身との対峙に他ならないとよく言われるが,それは真実の半分しか言い当てていない.確かに,カラ雑巾を絞るようにして研究のアイデアを絞り出そうとする努力は,孤独な自問自答の連続であり,誰の助けも求めることができない.しかし,実は,共同研究でない研究などありえないのだ.たとえ,自分一人だけで研究しているように見える場合でも,多くの先人や同僚の研究成果を熟読しているのであり,そこには「時空を超えた対話」が行われている.この対話は共同研究に他ならず,どれだけ多くの対話をしたか,したがって,どれだけ多くの「共同研究者」を得たかが,研究成果の質を決定するのである.この点では,同時代の研究者仲間との現実の共同研究と何ら変わるところはない.このように,学問研究とは本質的にコミュナルなものであり,研究成果とは「知的ソリダリティ」の産物なのである.

 当時は,「時空を超えた対話」というロマンティックな表現に感動こそすれ,「全ての研究は共同研究である」という全称命題についての現実感はほとんどなかった.当時のわれわれの実生活では,セミナ−や研究会で友人たちを相手にいかにして議論に勝つか,という知的ゲームのプレイの遂行にのみ没頭しており,個人的競争心に煽られたプレイの遂行が実は共同研究なのであるという認識には実感がまだなかったのである.アダム・スミスの「神の見えざる手」に導かれるように,議論がコミュナルな対話として知的生産を導くというメタ・レヴェルの認識を実感するには研究経験が乏し過ぎたのであろう.

 しかしながら,われわれの専攻する法社会学の場合,質問票調査や面接調査など,研究対象についての情報を有している人たちの協力なしには成り立たない学問である.その後,研究を重ねる中で,「知的ソリダリティ」の有難さは身にしみて感じるようになっていったのは自然な成り行きであろう.人一倍シャイなわれわれが見知らぬ人との対話の連続である法社会学を専攻したこと自体何かの間違いだったのかもしれない.実態調査を行う度に,「相手が調査に協力してくれなかったらどうしよう」と思い悩み,不安に駆られる.シャイな自分を奮い立たせるには,能天気に構え,「大丈夫,きっと協力してくれる」と自己暗示に掛ける他に仕方がない.

 最近で,知的ソリダリティの有難味を実感したのは,1995年12月10日から1週間強をかけてわれわれ2名で行ったタイ王国バンコク市での「契約の拘束力についての法意識調査」である.これは,名古屋大学法学部の加藤雅信教授をリーダーとする共同研究の一環であり,名古屋大学AP基金の援助による調査である.バンコクを訪れるのは,太田にとっては1992年1月以来2回目であり,河合にとっては生まれて初めてであった.われわれの目的は,タイの法学部学生と経営学部学生それぞれに,契約の拘束力についての意識を調べるシナリオ・スタディの質問票を配布し,それぞれ500部,合計で1000部を回収するというものであった.言葉の通じない,しかも,ほとんど初めての国でこれを達成することがいかに大変かは,能天気なわれわれはあまり考えないようにしていたが,バンコクに到着してから厭でも応でも実感させられることになった.

 一応事前に,リーダーの加藤教授の知り合いで,日本語も英語もできるタイの弁護士ピシェットさんと連絡を取り,質問票のタイ語への翻訳と,必要部数の作成とをお願いしておいた.さらに,バンコクの各大学の法学部と経営学部に連絡を取ってもらい,質問票調査の実施方の打ち合わせをしておいてもらうことになっていた.12月10日の日曜日の夕方遅くの便でバンコクに到着し,予定では翌日から順次各大学を訪れて質問票調査を実施するはずであった.ところが,到着後,夜の8時頃にホテルにチェックインし,9時ごろからピシェットさんと打ち合わせをしたところ,折角1200部作成してもらっていたタイ語訳の質問票に重大な翻訳ミスがあることが判明した.それから午前1時30分過ぎまで,われわれ二人は長旅の疲れにコックリコックリとしつつ,ピシェットさんと彼の事務所の若手弁護士で翻訳担当者でもあるポーンティップ女史と少年のように見えるチナウォーン弁護士の5名で,質問票の徹底的な再チェックを行った.結局,誤訳部分の頁をワープロで打ち直して複写し,質問票から差し替えてホッチキスで止め直してくれることとなった.この作業を月曜日中に終了するよう努力してくれるというのである.あまり無理を言っても申し訳ないし,弁護士事務所の常として,結局は若い二人が明日の夜までこれから一睡もしないで働くことになるであろうから,なおさら申し訳ないと思ったが,われわれがバンコクにいるのは1週間,実動はウィークデイの5日にかぎられるので,背に腹が換えられずお願いすることになった.ベッドに入ったのはほとんど午前3時であった.

 翌日は朝からピシェットさんが各大学の法学部と経営学部の担当者と連絡を取って,われわれの訪問や調査実施のアレンジをしてくれるのを待つことになったが,昼過ぎになっても連絡がなく,どうも怪しい気配となった.こちらから連絡をしてみると,質問票の複写やら事務所の通常業務やらで忙しく,どこの大学とも連絡が取れていないらしいことがわかった.大学を訪問し,学部長か副学部長にあって調査の許可を得,学生数の多い講義担当の教授に紹介してもらい,その教授に会って趣旨説明をして協力を取り付け,その教授の講義に出向いて質問票の配布と回収を行うか,その教授に質問票の配布と回収を依頼するかしなければならない.われわれの日程からいって今週中に配布と回収を終了しなければならないので,ウカウカすると今週の講義が終わってしまい,調査の機会を失うことになりかねない.既に月曜日は質問票がなくて使えず,火曜日も許可を受けるために少なくとも朝はつぶれるし,質問票が間に合うかも保証の限りではない.すると,残るは金曜日まで3日ほどでしかない.われわれは焦った.

 イギリス文化圏であるとすれば,紹介なしに押しかけても会ってもらえない可能性がある.河合の経験ではフランスではほぼ確実に会えない.太田の経験ではアメリカ合衆国ではほぼ確実にうまく行く.ふたりで夕飯を賭けようかということになったが,ともかく会えなかったらどうしようかなど考えていられる事態ではない.ピシェットさんの紹介を待ってはいられないということで,当たって砕けろと各大学にタクシーで乗り付けて学部長に直談判することにした.

 まず訪れたのがタマサート大学である.タイの東京大学に相当するといわれるチュラロンコン大学とナンバー・ワンの座を競い合っている大学である.ピシェットさんから,ここにはキティサックさんという中堅の教授がおり,社会調査にも関心があると聞いていたので会ってみようというのである.研究室に行くと,あいにくと外出中であったが,秘書の人がもうすぐ帰るので応接室で待つように言ってくれた.日本人のように人ざわりが柔らかく親切である.しかもいつも微笑んでいる.少し緊張が解けると日本の和菓子のように丁寧に練って形と色をこしらえた甘いお菓子を出してくれた.黄金色の甘い練り菓子もお盆に出してくれた.和菓子のルーツはここにあったのかと感心していると目当てのキティサックさんは今日は帰ってこれないとの連絡が入った.これはまずいな,と思っていると,秘書の人が,キティサックさんは代わりの女性の教授に連絡をとってくれたので,その教授がまもなく来るという.少し安心して,その教授に調査の趣旨と方法を話して協力を依頼した.こころよくその教授が調査をアレンジしてくれることになった.ついでに,経営学部での調査のために誰か紹介してもらえないかと恐る恐る言うと,気軽にナレーティップさんという女性の教授を紹介してくれ,電話で連絡までしてくれた.英語ができる学生はあまり多くないので,言葉が通じず,迷い迷い経営学部についたが,なかなか訪問の趣旨が事務官に通じない上に,われわれの発音では何度繰り返しても「ナレーティップ」が理解してもらえず,誰と会いに来たのかさえなかなか通じなかった.やっと会えると,コーヒーとお菓子まで出してくれたが,調査については初めてでうまく行くかわからないという.なんとなく頼りなげな感じである.ともかく150部ほど配布回収してくれることを引き受けてくれたが,本当にどれほどやってくれるか正直言って不安であった.質問票ができ次第渡すことと,金曜日に回収分を取りに行くとの約束をして別れた.金曜日におっかなびっくりの気持ちで行ってみると,90部弱を回収してくれていた.期待通りというか期待以上というか微妙な感じであった.翌日と翌々日,タマサート大学の法学部の方で大教室での講義での配布と回収に立ち会った.予定していた講義が急に休講になったりのハプニングもあったが100部前後回収できた.手探りの状態なので,数十部でも回収できるだけで本当にありがたい.協力してくれた教授の顔を拝みたくなるほどである.キティサックさんとは,ファカルティ・クラブでお昼を一緒したが,お礼をする趣旨であったのに固辞されて,結局われわれがご馳走になってしまった.

 話は前後するが,月曜日の午後に戻る.経営学部でナレーティップさんと別れた後,目標の500部+500部にはまだ遠く及ばないので,チュラロンコン大学を訪問することにした.渋滞の中をタクシーに揺られてたどり着いたが,キャンパスが大きくてどこに法学部があるのかわからない.手当たり次第に女子学生に声を掛けて道を尋ねつづけた.なぜか男子学生よりも女子学生の方が声を掛けやすい.不思議なものである.最後は教官風の中年の女性に道を尋ねたが,英語がなかなか通じない.フランス語の堪能な河合がフランス語で尋ねると,流暢な答えが返ってきた.フランス留学から帰国したばかりだとのことで,法学部の教官であった.タイにおけるフランス法の影響の強さをその時に初めて実感した.法学部の受付で訪問の趣旨を説明すると,京都大学法学部への留学経験のあるトーントーン教授を紹介された.リサーチ担当の副学部長であるという.会ってみると切れ者という感じではなかったが,質問票を渡せば,適当に教官に割り振って配布回収をしてくれるとのことであった.翌日渡しに行ったが,雰囲気としてはあまり成果を期待できそうになかった.案の定200部渡したが,金曜日の回収は70部程度の結果であった.トーントーンさんに経営学部ないし商学部の教官を紹介して欲しいというと,オラナジさんという商学会計学部の女性の教授と連絡を取ってくれた.当日はいないので,明日火曜日の午後会えるとのことであった.火曜日の午後,再び女学生に道を尋ね尋ねしながら商学会計学部に汗びっしょりになりながらたどりつくと,オラナジさんは微笑みながら対応してくれた.親しみのもてる,温和な感じの,それでいて約束したことは必ず守ってくれるタイプの女性で,しかも大変魅力的な方であった.当日,河合は残念ながら二手に分かれて調査をしなければならなくなったので,オラナジさんに会うという幸運を逃した.質問票を渡せば,教官に手配して配布回収をしてくれるとのことである.学生数からいって150部が限度だとのことで150部渡した.太田としてはオラナジさんはちゃんとやってくれるという確信があった.果たして,金曜日の夕方回収に行くと,待っていてくれて,申し訳ないけど若干約束より少ないと言いつつ141部を渡してくれた.

 火曜日の朝,約束通りピシェットさんが修正版の質問票を持ってきてくれた.差し替え作業のためにロスが出て,800部くらいとなっている.不足分はチュラロンコン大学の生協で作成してもらうことにした.昼休みに生協で頼んだが,店員には英語もフランス語も通じなくて,複写してホッチキスで止めるという作業を説明するのに苦労した.仕方がないので,周辺のお客の学生に向かって,「誰か助けてください」と英語で叫ぶと,まあまあ英語を話せる女学生がヴォランティアをしてくれたので何とかなった.生協の作業自体は予想以上に迅速かつ丁寧に完了してくれた.

 タマサート大学とチュラロンコン大学は国内トップの大学ではあるが,学生数などの点で,目標の4分の1くらいしか集まらないので,学生数の非常に多いラムカムヘン大学を次の,そして最後の目標にした.ラムカムヘン大学は元々オープン大学だったので,レベルはそれほど高くはないが学生数は膨大である.講義教室は果てしなく広い.ひとつの講義で数百人の学生を教えるので質問票調査には非常に効率が良いのである.しかも,ピシェットさんはここで非常勤講師をしている.郊外のキャンパスに1時間ちょっとかけて出かけて,学部長のウィラート教授に会ってお願いをすると快くアレンジをしてくれた.大教室の講義でわれわれの時間の都合の良いものをピックアップしてくれ,担当教授に紹介してくれたので,われわれは指定された日時に指定された講義教室へ行って,教授の指名した学生の手伝いを受けつつ配布,回収をすれば良かった.質問票の回答が終了した学生のところを回って回収するのであるが,おかげで,合掌しつつ「コップンクラップ(有り難うございます)」というタイ式のお礼の言い方が身についてしまった.学生も日本の擦れた学生よりずっと純朴なようで,われわれが「コップンクラップ」というとやはり合掌してはにかみながら返礼してくれるし,自発的に回収の手伝いをしてくれるものもいた.

 ラムカムヘン大学で回収の荒稼ぎができたおかげで,われわれはほぼ目標通りの990部ほどを回収して帰国の途につくことができた.初めから終わりまで緊張と不安の連続であったけれども,いろいろな人と出会うことが出来,非常に後味のさわやかな調査であった.いろいろな人と知り合いになり,いろいろなハプニングを経験するというのは,法社会学の醍醐味のひとつである.今回,いろいろな形で,かつ,いろいろな程度でわれわれの研究調査に協力してくれた方々との関係は,冒頭で紹介した先輩研究者のいう意味での共同研究のひとつであると確信している.

 

U.タイも日本も同じアジアか 最後に,タイ調査を通じて考えたアジアの国民性について少し書いておきたい.

 生物行動学によると,行動パターンの選択枝として,タカ戦略,ハト戦略というものがある.出会った相手に攻撃的にでるか,平和的に逃げるかである.人間社会においても,たとえば,誰か他人がこちらに向かって歩いてくるとき,ぶつからないように避けて通るか,当たり負けしないように踏ん張るか,二つの戦略がありうる.このような単純なモデルで,世界各国の都市の人々を比較してみるに,私の経験では,フランス人,より正確にはパリのフランス人庶民は,ぶつかってくる.北京の中国人も避けてはくれない.また,聞くところによると韓国人は,すごく攻撃的らしい.反対に,日本人は互いに,無意識的に衝突しないように避けあって生活している.しかるに,バンコクのタイ人は,典型的に避けてくれるタイプに属する.

 私が,このような比較を行ったのは,むろん,世界を二分法で割り切ろうという意図からではない.私の興味は,昨今よく耳にするアジアという概念にある.「これからはアジアの時代だ」などとマスコミなどでは気軽に使われているが,どのような性格をもった国あるいは社会がアジア的なのであろうか.前記のような単純な二分法でも,アジアの統一的性格付けは困難である.タイの名門タマサート大学のキティサックさんに昼食の招待を受けながら話がもりあがったのですが,どうも,アジアというのは,西欧から見て,非西欧,アフリカでもないという残余カテゴリーなのではないかという印象がする.また,キリスト教文化圏,イスラム教文化圏に対して,儒教文化圏,仏教文化圏などを提唱する議論も,公平にみて,仏教や儒教の内部にある差を無視するなら,キリスト教,イスラム教,ユダヤ教は,「同種の宗教」と呼ぶべきであろう.東南アジアと呼ばれる地域内部に,大きな多様性があることを再認識させられた.

ちなみに,タイについて多少は案内書物を読んで渡航したのであるが,一般日本人どころか,「知識人」(本来の意味での知識人ではなく何らかの分野の専門知識を持つ人)でさえ,およそ基本的なタイの理解をしていないことを思い知らされた.王国であること,アセアンの一員であること,仏教の影響力が強いこと,などが,案内書にでていたが,それでは「わかった」気がしない.現地でニュースを見たり,議論していると,政治,経済いずれもリーダーは,ほぼ華僑によって占められ,おそらく,それゆえに,バランスをとるためにタイ人の国王の存在が不可欠となっていることが読みとれた.法学に関しては,公法はフランス法,私法は,英米法に学ぶということが,ほぼ徹底されているようであった.それがどのように,うまく接合できるのかは不明である.おそらく,日本同様,両者の接合に関する原理的なものはなく,不都合が生じないようにする形なのであろう.

 人間関係については,日本に似通った部分があるように見受けられた.自分本位型でなく,他人に気配りして衝突しないという性格は,たとえば,有名な交通渋滞のなかでの運転で,車の頭を他車の前に突っ込んだら勝ち,つまり,相手が止まってくれると信じていることにも表れていると感じられた.今回,非常に多くの大学研究者達に協力要請に走り回ったが,文字どおり,皆が皆,にこやかで親切で,快くこちらに協力することを約束してくれた.善意でソフトな印象は,心安らぐものがあった.ただし,こちらも,豊富な海外経験から,約束してもらえたら,必ず約束を果たしてくれるかどうか,簡単に期待していなかったが,果たして,その心配は的中した.ただ,この場合の,約束の破りかたが,なかなか興味深い,全く約束を破棄する人は誰もおらず,こちらが依頼したことの7割,8割を果たして,これだけやったから,これでいいでしょうというパターンが多かった.このパターンに対する対策は,むろん,こちらが,前もってサバを読んでおけばよいわけであって,100%の履行を求めて,厳しい交渉態度を示す必要はない.これは,日本人にとってはやりやすい.フランスでの調査依頼のように,強力なコネクションなしには,会うこともできず,紹介によって連絡がついても,研究計画の趣旨説明,資金の出所,調査主体と調査方法の明確化を,文書で渡し,面談のうえ,ようやく引き受けてくれるのは疲れる.もっとも,「やると言えばやってくれる」,あるいは,少なくとも,できなくなった場合には,それ相応の正当な理由説明がなされることは期待してよい.非常に対照的な両国であった.なお,これは,単なる留保であるにとどまらず,重要なことであるが,タイにも,研究者によって,約束を100%果たす人がいる.その人は,英語も流暢であり,それが,米国留学によってそうなったのか,タイでの社会化によるものなのか興味深い.

幸い実際に体験することなく過ごせたのであるが,人間関係について,ネガティブな面での,タイと日本の共通性も感じた.街を歩いていても,善人ばかりで,治安は最高というイメージなのであるが,実際は,凶悪犯罪,とりわけ,残忍な殺しでもってバンコクは知られている.これはどうも,お互いに相手を怒らせないように努力しあって,にこやかに共存している反面,一端,カッとなると,自制心を失い暴力的となり,結果的に惨い行為を行ってしまう,そのような性格によるもののようである.反日感情なども,普段全く見えないのに,一度火がつくとすざまじいらしい.タカ派の人間が少ないにもかかわらず,一億総火の玉と化す,そのような国民気質を,日本も脱却できないのは,日頃の「平和主義」(むろん,鍛え上げられた平和主義でなく,もう戦争はこりごり的な安易な平和主義)のためではないかと考えさせられる.日頃から,怒りはおさえず,個別事件に適度に反発し,ためてためて,一度に「プッツン」することは,やめるべきであろう.

『書斎の窓』471号44頁(1997年)


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