裁判のスタイルと裁判所の威厳

 

 

太 田 勝 造

 

 「女装趣味の裁判長が女性踊り手のこしらえで,白鳥の 湖の音楽に合わせて踊りながら入廷し,『あんた,目上の肉親を殺したから, 死刑よ.チョメ』と宣告して退廷したとしよう.こんな宣告にいったいだれが 従うだろうか.重々しく,偉そうに格好をつけ,もったいぶるのは法律のこと ばのつとめなのである.」

 これは,井上ひさし氏の『私家版憲法読本A』(読売 新聞1982428日)の一節であ る.憲法前文のスタイルへの,「悪文である」,「無個性だ」などという批判に 対する反論であるが,もちろん形式性を手放しで肯定しているわけではなく, むしろ法律の過度の形式性への痛烈な批判もしている.

 「法律が厳密な仕組みを持っているらしい,というこ とは誰もが知っている.そしてその厳密さというやつが,厳密すぎて滑稽なし ろものであることは,これまた周知の事実だ.たとえば,法律用語の定義の, あの莫迦らしい厳密さはどうだろう.」(井上ひさし「喜劇的猥褻論2」『パ ロディ志願』(中央公論社1979年所収).

 法律や裁判のスタイルの厳格さ・形式性を考えるとき, 一般に形式性がどのような意味を持ち,人々がどのように対応しているのかを 考える必要があると思われる.そこで,法律に限らずわれわれの現代社会をみ まわしても,日常の挨拶から入学式・入社式,卒業式・葬式,あるいはオリム ピックの表彰式に至るまで,形式性の例は無数にあることに気付く.このよう な形式的な社会行為を「儀式」と呼び得るとすれば,人間の社会は儀式のシステ ムであるということも許されよう.

 この儀式に権威を認める心性が人間に普遍的であるこ とは,文化人類学の成果を見るまでもないであろう.そしてひとたび権威を認 めると,それに服従するようになる性質が人間性の中に進化的にインプットさ れていることも社会心理学の教えるところである.フロイトによれば,「人間 が指導者と服従者とに別れたのは,人間の生得的な,そして除くことのできな い不平等の一つの断片である.後者は大多数の大衆であって,彼らはある権威 を必要としている.その権威は彼らに決定を下し,その権威に対し彼らはほと んど無条件に服従する.」(アインシュタインに宛てた1933年の書簡)と述べているし,ミルグラムの有名な実験もある.ミル グラムは,被験者に,学習の進歩に対する罰刺激の効果を検討する実験だと偽っ て,サクラの「被験者」を一種の電気椅子に縛りつけ,「教師」の命令で被験 者に電気ショックのスイッチを入れさせた.危険であるとの表示があったにも 拘わらず,ほとんどの被験者は「教師」の命令に盲従してどこまでも電圧を上 げていったのである(ミルグラム『服従の心理:アイヒマン実験』(岸田訳, 河出書房新社,1980年)).

 また,一方では,儀式が社会の安定と平和をもたらす 機能を有することにも注意すべきであろう.未開社会においても,現実の闘争 行為にかえて,儀式化された戦闘をすることで攻撃行動を抑制するシステムが 存在しているのである.たとえば,エスキモーの歌合戦(具体例がアイブル= アイベスフェルト『愛と憎しみ』(日高・久保訳,みすず書房,1974年)に引用されている)や羽根のついていない矢(ダニ族)や先を まるめた槍(ムルンギシ族)による儀式化された闘争などが報告されているし, 平和回復の儀式も,インディアンのたばこの回し飲みやハーゲンベルク族の贈 答品の交換儀礼(モカ儀礼)などが知られている.(アイブル=アイベスフェ ルト『戦争と平和:その行動学的研究』(三島・鈴木訳,思索社, 1978年)366頁以下参照).

 このように,人間に本能としてプログラムされた攻撃 性が存在するとしても,ローレンツのいうように(『攻撃:悪の自然誌』(日 高・久保訳,みすず書房,1970年)362頁 以下),それをスポーツのような儀式化された闘争形式(サッカーの起源は, 古代に敵の将軍の生首を蹴って凱歌をあげたことにあるともいわれることが想 起される)によって意識的に制禦するシステムの構築がこれまでもなされてき たし,これからもなされなければならないであろう(願わくば,「全面核戦争 の抑止儀式としての局地戦争」などということにならないことを祈るが…).

 このような意味での儀式として紛争解決制度を見ると き,マクロなレベルでの価値の対立が,物理力の行使によって解決されること の不経済を避けるための儀式が選挙や投票であるし,ミクロなレベルでのそれ が民事裁判であるといえよう.そして,上記の儀式の社会的機能からみて,効 率よくその役割を果たすためには,この儀式化された紛争たる裁判の場に一定 の権威が必要であり,そのためにある程度の威厳のある形式が要求されること も理解される.問題は,どの程度の形式性が必要であるのか,現代の法律や裁 判のスタイルは果たして適正なものなのか,である.

 以前よりこのような関心があったところ,たまたま去 年・今年(1983年・1984年)と,文部 省科学研究費海外学術調査補助金の援助を受けて,各国少額裁判制度(だいた い訴額が1千ドルから2千ドルくらい以下の訴訟)の実態調査のために,欧米 各国を訪れる機会を得た.費用と時間がかかるのみならず,一般市民には近づ き難い印象を与える現状の裁判(市民と裁判所の間に「社会的距離」がある, と表現されることがある)への批判から,少額裁判所運動がアメリカで展開さ れている.そこでのスローガンは,裁判の厳格な形式性の排除・柔軟な訴訟手 続きの構築であった(たとえば,関連性(relevance)の要 件・伝聞証拠(hear-say evidence)の排除法則・交 互尋問(cross-examination)などの柔軟化,弁護士の訴訟代理の禁止,あるいは調停手続 (mediation)の利用など).ただ,ここでは紙面の都合上,訴訟手 続自体についての本論に入る余裕はないので,裁判所・法廷のスタイルや,裁 判官・代理人等の雰囲気についての印象を述べるにとどめることにする.

 アメリカの裁判所の内で最も権威主義的な印象を受け たのは首都ワシントンD.C.の裁判所であっ た.裁判所に入る段階でカメラなどの持ち物検査がなされたし,少額裁判所裁 判官も黒い法衣(robe)を身に纏っていた.50人以上は入るく らいの法廷は間接照明で若干薄暗く,裁判官席もフロアよりかなり高くしつら えてあった.手続も,弁護士の代理を許可しているのでかなり厳格な審理であ る.法廷の大きさではロサンゼルスの少額裁判所の方が大きいし(名古屋大学 の一番大きい教室よりも大きそうである),持ち物検査はサンフランシスコの 裁判所でもしていたから,一番権威主義的と感じたのは,私がたまたま裁判所 のクラークの「OK」を信じて写真を撮っていて法廷警察(bailiff)に捕まってしまったせいかもしれない.ただ,サンフランシスコの 少額裁判所と違い,ロスやワシントンで裁判官に当事者として気楽に質問でき るかというと,とてもそのような雰囲気ではないことは確かである.

 これに比べて,デンヴァーの少額裁判所の場合,出来 るだけ当事者がリラックスできるようにするのが少額裁判所の理想だとして, 裁判官(実際には,裁判官の時間を空けるために弁護士をパートタイムで雇っ て裁判を委ねている.これは,プロテム・ジャッジ(protem judge or judge pro-tem)と呼ぶ)は普通の背広姿で法衣をつけな いし,法廷に国旗を掲げることも避けていた.部屋も20人ちょっとの小さな もので,裁判官席もあまり高くない.裁判官自身これらの点を強調してわれわ れに説明してくれた.

 その他の点では,法廷内に銃を持った法廷警察がいる ことはあまりないが,サンノゼの少額裁判所では警察官席も設置されており, 女性のベイリフがいた.ただし,ここでは夜間の少額裁判所も開いていたが, これは近くのハイスクールの教室を使って弁護士が背広姿で行っていた(これ は,いわゆるNJC(neighborhood justice center)のような 感じのものであった).ワシントン州のシアトルやスポケーンの場合,裁判官・ 代理人・当事者の席と傍聴人席を分けるバー(bar:ここから法 律家をバーと呼ぶ.たとえばアメリカ弁護士協会はABA(American Bar Association)である)がなく,傍聴人のすぐ前に当事者席が ある.日本のように,原告席と被告席が向かい合う配置には出会わなかった. 原告席と被告席が平行であるか,直角であるかのヴァリエイションはあったが, 裁判官席を向いていた.

 全体の雰囲気としては,後ろの傍聴人席に順番待ちの その日の他の少額事件の当事者がみんな座るので,かなり雑然とした印象があ る.裁判官の訴訟指揮の点では,極めて職権的,ほとんど被疑者の取り調べの ようであるのがほとんどであったが,日本と違い裁判官の個性と信条で法廷ご とに大きな差があった.たとえば,ホノルルの少額裁判所のプロテムジャッジ は,当事者間の話し合いの紛争解決機能の重視から当事者同士に裁判官の面前 で直接議論させたが,ほとんどの裁判所では,口を酸っぱくして当事者間の直 接議論を禁止していた.また,ニュージャージーの裁判官は,手際の悪い当事 者を叱りつけていた.さらに,ワシントン州のある裁判官は,分割払いの判決 を出すのも裁判所の裁量権の内だとして,時々当事者の申し立てなくインストー ルメント・ペイメントの判決を出すといっていたが,普通は,法律による授権 が必要だと解されているはずである.

 ヨーロッパでは,ロンドンとストックホルムの裁判所 を訪れた.両所とも,特別の少額裁判部(アメリカでも官署としての少額裁判 所があるわけではない)は現在なく,通常部で少額事件を審理している.そう いう訳で,特に少額裁判所と限らずに感想を述べる.去年,今年とみた裁判所 の中ではロンドンの裁判が最も「儀式的」であった.ロンドンでは通常民事事 件の審理もみた.周知のようにイギリスの弁護士はソリシターとバリスターの 二種類あり,法廷で代理できるのはバリスターのみである.ソリシターも当事 者と共に法廷へ来ていた.法廷では,裁判官とバリスターは,法衣のみならず ハイドンやヘンデルの肖像画のようなかつら(wig)を着けて手 続を行う.見ていると,シェークスピアの世界にタイムスリップしたような錯 覚に陥ってしまう.当時のソリシターが我々に,「イギリスの裁判制度では, このように演劇的な非日常空間を設定して,当事者と裁判所の間にいわば『橋 のない河』を設けて権威を醸造するのだ.イギリス国民はアメリカのNJC運 動のように,自分たちで話し合って紛争を解決するよりも,権威あるものの命 令に従う方を好むのだ.」と説明していた.イギリスの国民性が本当にそうか はしばらくおくとして,確かにまるで演劇を見ているような感じであることは 確かであった.また,少額裁判や近隣紛争に対して調停手続(mediation)を利用しようという動きは少なく(仲裁(arbitration)は用いている),また,裁判外の紛争解決機関で解決しようという より,法律相談(legal aid and legal advice)の方を重視してい た.つまり,アメリカのNJCの様に裁判の外へ,ではなく,いかに裁判へ近 づきやすくするか,の問題意識であるといえよう.

 北欧文化圏の特色であるそうだが,ストックホルムの 裁判所は極めてインフォーマルであった.法衣を着けることは全ての審級にお いて行われない(裁判所における結婚式を裁判官が主宰するときには法衣を着 けるが).法廷には,いわゆる書記官席がなく,裁判官の机が長いテーブルの ようで,椅子を10くらいおける.その真ん中あたりに裁判官がすわり,その 横に裁判所のクラークがすわる.手続も厳格ではない.事件が少ないせいか (アメリカでは1日に1つの部で欠席事件も入れて百件くらいは処理している が,ここでは10件なく,カレンダーも一件ごとに時刻を指定している),当 事者の言いたいことを時間をかけてとことん聞いてやるという印象であった. アメリカでだったら10分くらいで終わるであろう事案で(アメリカの少額事 件の審理は平均15分から30分である),1時間も2時間もかけて審理して いた.特別裁判所的な(制度的には地方裁判所の一つの部であるが別の建物に あり,制度的にも若干特別な地位にある)不動産裁判所や特別裁判所の市場裁 判所(個別の紛争は扱わない最終審裁判所で,消費者オムブヅマンなどがいわ ば検事として訴える)も訪れたが,これらの裁判所の法廷の席は,後ろに傍聴 人席があり,境(バー)はなく,前の方に楕円ないしドーナツ型の円卓があり, それを囲むように当事者・代理人・裁判官(参審員も)がすわるのである.全 般的にスウェーデンの裁判所は形式主義とか権威主義を感ずることはあまりな い(デンマークの人に言わせるとデンマークの方がもっと柔軟であるという) とともに,徹底した公開主義を採っており,我々が訴訟審理をテープに録音す るのも自由だった(ちなみに,個人の銀行口座も税務署や執行官(スウェーデ ンでは両者は同一の機関(kronofogde)であ る)に公開されており,アメリカのような判決の執行の困難の問題はないとの ことであった).

 このように裁判の外形だけを見てもさまざまで,その スタイルの形式性・権威的性格もさまざまである.印象でものをいうのでは, 間主観性がないことは勿論だが,普通の日本人があまり緊張を強いられないで 気楽に裁判官に話しかけたり質問したりできるかという基準で見ることである 程度の間主観性を主張することは許されよう.そうした見方からして,スウェー デンやデンヴァーではある程度質問もできようが,ワシントンD.C.では困難であろう,そして,ロンドンの裁判所ではとても普通の人 が裁判官に質問をすることはできない気がする.

 では,これらの諸国で裁判所がその社会でかちえてい る権威に差があるであろうか,形式性の低いデンヴァーの少額裁判所はワシン トンD.C.の少額裁判所より社会から権威が低く見られているであ ろうか,スウェーデンの裁判所はイギリスの裁判所より社会に対して権威がな いであろうか.どうもそうとは思われない.とすると,権威と裁判のスタイル の関係はどのようなものなのであろうか.大雑把に言って二つの考え方があろ う.

 一つは,蟹が己が甲羅に合わせて穴を掘るように,社 会もその性質(国民性)に合わせて裁判のスタイルを決めるのであり,逆に, 裁判のスタイルが国々で違うことから国民性の違いを見ることができるのだと いう解釈である.そうすると,先のイギリスのソリシターの述べたように,儀 式的形式を重視するイギリスのような社会の人々はかつらに法衣を纏わなけれ ば裁判に権威を感じないし,スウェーデンの人々はインフォーマルな裁判にも 権威を感じるということになろう.そして,日本が近代に欧米の法制度を導入 したが,それを「換骨奪胎」して「日本的な」法制度を築いてきたのもその例 だということになろう.

 もう一つは,社会がその秩序を維持していくことの必 要性と,そのために紛争解決制度たる裁判制度があることの正統性を社会の構 成員は承認している,裁判がある程度実質的に公正な紛争解決をもたらしてい る限り,その権威を人々は承認するものだ,その限りで,いかなるスタイルを 裁判がとろうと権威ある裁判とはそのようなものだとして理解されるであろう との解釈である.各国で裁判のスタイルが異なっても,公正な紛争解決機能を 有している限りそれに権威を認めていることがその証拠である.日本で戦前に もし英米的交互尋問の導入を解釈論にせよ立法論にせよ主張していたら,尋問 の主導権を裁判長から当事者に移しては裁判所の権威が損なわれるという批判 が出たかもしれないが,戦後民訴294条で交互尋問を採用したこと(194 8年)で国民の間で裁判の権威が低下したわけではないこともその例であると いうことになろう.

 対照実験で検証することのできないこのような仮説の 場合,簡単に結論を出すことはできない.まして,ドイツやフランスなど,日 本の多くの法制度の母法国の裁判をみていないのであるからなおさらである. ただ,権威が先か形式が先かというこの問題は,例の卵と鶏の問題に似た性格 があるが,たいていの真理が道の中間にあるように,この場合もたぶんそうで あろうという気はしている(現在のところ実質による権威の方に若干針はゆれ ている).訴訟手続き自体の検討をした上でもう一度考えてみようと思ってい る.『離軽舞人』の読者諸氏の針はどちらに傾いているのであろうか.

 

《名古屋大学法学部法律相談所雑誌『離軽舞人』16号 (1984)

 


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