法律家とコンピュータ?

 

田 

 

 伊佐千尋氏によると,裁判とは寿司屋のようなものだという.寿司屋には勘定のシステムがない.客は,寿司屋を全面的に信用している訳ではないが,勘定の明細を求める勇気と合理性がない.たとえ文句を言っても,

「計算の間違いなど仕出かさぬよう,板前はきちんと仕付けてあります.うちを信用してくれねば困ります!」

と,やり返されるのがオチである.そんな言い草をする寿司屋のおやじが政府だとすれば,板前はさしずめ裁判官,黙って金を払って行く客が国民ということになる.このような「曖昧さの美学」のツケを,結局は一見(いちげん)の客が負う点でも,裁判と寿司屋は似ている.

 弁護士報酬もこれと五十歩百歩であると言う人がいる.訴訟が3年かかってやっと終わり,弁護士料の請求書を見るまで,いくら弁護士費用がかかるか見当もつかないのが一般の場合である.弁護士会の定める弁護士報酬規定は一応存在するが,それを標準に報酬請求している弁護士は全体の5分の1でしかない.申込みと承諾によって「事前(ex ante)」に契約を締結するのが法律の建前のはずなのに,弁護士さえ,委任終了した「事後(ex post)」に契約を結んでいる訳である.厳密な法論理を駆使しているフリをしながら,法律家が現実にやることはこんな「ファジ−」なことばかりである.

 法学者のすることもやはり同じようなことであると言われる(自認も込めて).法哲学者の長尾龍一氏も,この点について,

「『護憲』という目的のために 諸々の擬似合理的教説を総動員する憲法学者たち,自分の世界観から演繹された体系を『学説』として学生に教え込む刑法学者たち,時には条文を,時には素性の知れない『本質論』を,時には全くの便宜論を持ち出しながら,自己の法解釈の正当性を主張する民法学者たち.」(朝日新聞1981128日夕刊)

と(自嘲もこめて?)皮肉っている(それとも自戒?).安心立命を願う善男善女には後光が差すように見える法律のありがたい御教説も,その分かりにくさを解剖すれば,結局は裁判官,弁護士,法学者の頭のファジ−さでしかないということであろうか.

 このように,全ての法律家のやることなすことが,普通の人から見れば詭弁・強弁・ペテンとしか思えないことは,洋の東西を問わず確かなことであろう.

There is no better way of exercising the imagination than the study of law. No poet ever interpreted nature as freely as a lawyer interprets truth. (Jean Giraudoux, Tiger at the Gates, 1935)

 では,このように世間で評判があまり芳しくない法律家という人種は,本当にこのようなfuzzy headS.O.B.たちばかりなのであろうか? 確かに,そんな気もスゴォ〜クする.少なくとも,後半部分の人種には事欠かないであろう.シェ−クスピアも,

The first thing we do, let's kill all the lawyers. (Henry VI, Pt.II)

と書いている.しかし,法律家も何はともあれ一応は人の子である.つまり,

The animals are not as stupid as one thinks --- they have neither doctors nor Lawyers. (L.Docquier)

ということである(??? 結局,fuzzy headな人類のS.O.B.な部分集合が法律家ということか!).

 こんなファジ−な法律家のやることを,コンピュ−タで支援したり,代替したりすることは不可能なのではなかろうか? 法学部の学生や教員とコンピュータとは無縁なのではなかろうか? もともと算数が苦手で法学部に入った学生に,コンピュータのことなど無理なのではなかろうか? 言い換えると,『情報処理教育センター』や『大型計算機センター』の玄関に,「法学部関係者立入禁止」の看板を立てるべきなのではなかろうか? 

 確かに「法学部関係者立入禁止」という政策は一見極めて妥当なもののようにみえる.この政策の結果として,善良な他学部の人々のコンピュータ・アクセスが一層改善されることになって,良いことばかりのようでさえある.しかし,この論理には大きな落とし穴が潜んでいる.その通り! その落とし穴とは,法学部のコンピュータ・アレルギ−のS.O.B.も喜ぶということである!?

Any thinking men would never want lawyers to be happy!

 智恵のある「コンピュータ使い」たちは,この点を見落したりなど決してしない.法律家への「オモチャ」として,法律分野でのエクスパ−ト・システム構築の可能性や,(若干露骨な下心で)「ファジ−」・ロジックの利用可能性などを示唆して,(小生のような)一部の尻軽法律家にコンピュータの利用を,そして,『情報処理教育センター』や『大型計算機センター』の利用を促している.

  建前:論理的な法律学には,論理で動くコンピュータが,とてもお似合いですよ!

  本音:非論理的な法律家がやれば,ファジ−はメタ・ファジ−だぜ!

このような,孫子の兵法なみの策略家に乗せられて,小生も含め法律家の(極く)一部の間で最近ではprologfuzzyが人気である.そんな我々は,フツ−の法律家の間では,変人・異端・嫌われ者などとさんざんに罵られ, majoritarian democracyの構造的矛盾のもたらす少数派の悲哀を甘受させられている.

 そんな我々にも,最近では海外からの援軍が来ている.法学教育の一環として,国際E-Mailによる交渉のシミュレイションを日本の法学部学生と行いたいという申出がそれである.

《法律に詳しく,交渉が上手で,コンピュ−タが使えて,英語会話に自信のある学生のみなさんへ朗報! ハワイのlaw studentと交渉シミュレイションをしましょう.》  (Prof.John Barkai)

でも,バ−キィさん,そんな条件に合致する学生が日本に何人いるのでしょうか? いたとして,それはいったいどんなヒトなのでしょうか?

---法律家は悪しき隣人,日本は悪しき隣国? --

 

《名古屋大学情報処理教育センター ECIP Bulletin 『広報』No.20(1990年12 月)》


[⇒ メイン・メニューへ戻る]