ミシガ ン大学とその周辺

(Visiting Professor of Japanese Law, Sep.1,1997-Apr.11,1998)

 

田  (Jan. 1998)

 

 ミシガン大学ロー・スクール(The University of Michigan Law School)に来てから既に 4ヶ月が過ぎた.ミシガン大学のあるミシガン州は,東のミシガン 湖,西のヒューロン湖に挟まれた半島を中心とし,それとミシガン湖の北端を スペリオー湖と区切る半島とからなる州である.中心部分の半島はローワー・ ペニンスラ(Lower Peninsula [LP])と呼ばれ,地元の人々 によって右手の手の平に喩えられる.右手の親指の外側の付け根近くにデトロ イトがある.デトロイト川を挟んでデトロイトの対岸はカナダのウィンザ― (Windsor)であり,親指と人差し指の間はサガノー湾(Saginaw Bay)に相当する.デトロイトとウィンザーはアンバサダー橋とデトロイ ト・ウィンザー・トンネルの2つで結ばれている(カナダ領へ行く際はパスポー トやJ1ヴィザのオ―ソライゼイション・フォームを忘れてはなら ない.但し,場合により事実上のノー・チェックで合衆国に再入国させてもら えることもある).アナーバーからナイヤガラの滝までは,ウィンザーからナ イヤガラまでほぼ一直線のハイウェイが便利であり,距離は500キロ程度,約5時間のドライヴである.手首あたりはエ リー湖に接しており,デトロイト川はセント・クレア湖とエリー湖を結んでい る.北の半島部分はアッパー・ペニンスラ(Upper Peninsula [UP])と呼ばれ,豊かな自然が広がっており,春から秋にかけてはハンティ ングやフィッシングに最適である.但し,冬は極寒となり,雪も深い. UPLPも共に豊かな森林に覆われており,秋の 紅葉の季節は天国のようである.私も10月から 11月にかけて日本を縦断するくらいの距離のドライヴをして,美 しい紅葉を堪能した.ミシガン州の広さは96 千平方マイルであり,全米で11位に位置する. 五大湖を区切るふたつの半島からなるので湖岸線も長大でアラスカに次いで全 米2位である.南部は東側がオハイオ州に接し,西側はインディア ナ州に接している.ミシガンの南部からこれら2つの州にかけて は肥沃な土地が広がっており,世界有数の穀倉地帯である.

 ミシガン州の州都がランシング(Lansing)であることを知っている人は少ないであろうが,カリフォルニア州 のサクラメント(Sacramento)やニュー・ ヨーク州のオルバニー(Albany)の場合も 五十歩百歩かもしれない.ミシガン州の人口は1995年の統計で 955万人で全米8位である.その 内訳としては,83%が白人,14%が黒人,それ に2%強のヒスパニックから構成されている.政治的に極めて保守 的な人々が多いことでも知られている.反面,逆の方向での極端な人間も多い とされる.その例としては,オクラホマ市の連邦ビルを爆破して168人を殺して死刑判決を言い渡されたティモシー・マクヴェー (Timothy McVeigh)の共犯者のテリー・ニコルス (Terry Nichols)がミシガン州出身である.また,尊厳死や安楽 死に関して日本でも名前を知られているジャック・キヴォーキアン医師 (Dr. Jack Kevorkian)の活躍の場もミシガン州である.ちなみ に,キヴォーキアン医師は最近,安楽死させた人の臓器を臓器移植のために提 供するプロジェクトを発表して,賛否両論の話題を呼んでいる.ミシガン州に 関するトリヴィアとしては,まず,州の鳥がコマドリ(Robin)であり,州の花はリンゴの花である.ミシガン州はウィスコンシン 州とともに,知る人ぞ知るフィッシング,とりわけフライ・フィッシングのメッ カでもあり,各種のサケ(Chinook Salmon, Coho Salmon, etc.),各種のマス(Brown Trout, Rainbow Trout, Graylings, Steelhead Trout, etc.),さらには各種の淡水魚の宝庫である (Chub, Whitefish, Yellow Perch, Lake Herring, Yellow Pike, Carp, Catfish, etc.).したがって,レインボウ・トラウトが州の魚に指定 されている.その他のトリヴィアとしては,次の人々がミシガン州出身である. 発明王のトーマス・エジソン(Thomas A. Edison),ジェラルド・ フォード大統領(Gerald R. Ford),フォ―ド自動車会 社創設者のヘンリー・フォード(Henry Ford),リー・アイアコッ カ(Lee Iacocca),プロ・バスケットボールのマジック・ジョン ソン(Magic Johnson),歌手のマドンナ(Madonna)やダイアナ・ロス(Diana Ross),それに公民権運動 の旗頭だったマルコム・エックス(Malcolm X)など である.

 ミシガン大学がその中心部にあるアナーバー市 (Ann Arbor)は人口約11万人の基本的に は大学町である.アナーバーという地名の由来は,1824年にアナーバーを創設したジョン・アレン(John Allen)とエリシャ・ラムジー(Elisha Rumsey) のそれぞれの妻が共にアン (Ann Allen & Mary Ann Rumsey) と呼ばれていたことと,土地が豊かな木々で覆われていることから来ていると される(アーバー(arbor)は「林間の木陰」を意味する).デトロ イトから車で約1時間の距離であり,デトロイト国際空港 (Detroit/Metro)がデトロイトとアナーバーの中間に位置する. 町の近くをヒューロン川が流れており,その周辺は公園になっており市民の憩 いの場となっている.ミシガン・ロー・スクールの教官・職員も春と秋にはピ クニックをヒューロン川沿いの公園で開催する.

 アナーバーは,その文化的ソフィスティケイションの 高さによって,単なる大学町を超えたものとなっている.多くの優れた公会堂 が存在し,世界有数の芸術家を招いてオペラやコンサートを開催している.ミ シガン大学の美術館や博物館も一見の価値がある.アナーバーのダウンタウン には多数の良質なレストランが林立し,フランス料理やイタリア料理,中華料 理はもちろん,日本料理,韓国料理,ギリシア料理,さらにはモンゴル料理か らエチオピア料理まで堪能できる.ジャズ酒場も充実しており,全米の有名な ジャズメンが毎夜演奏を聞かしてくれる.これらのすべては,退屈な田舎の大 学町を予想していた私にとってうれしい驚きであった.

 アメリカ合衆国の大学の日本での知名度の点では,ミ シガン大学はハーバード大学やイェール大学に遠く及ばないであろう.カリフォ ルニア大学ロス・アンジェルス校(UCLA)にさえ及ば ないであろう.もちろん,ミシガン大学の日本での知名度の低さは,ミシガン 大学の側の問題ではなく,日本の側の問題である.このことは,カリフォルニ ア大学システムの中では,UCLAの方がバーク レー(UC Berkeley)よりもはるかに日本での知名度が高いこ とからも窺える.バークレーは多くの分野で全米で5 本の指に入るトップの大学であり,最も多くのノーベル賞学者を輩出した大学 の一つである.ちなみに,ミシガン大学(UM)とミシガン州 立大学(Michigan State University [MSU])の区別のつく日本人 も少数派であろう(一般的に言って,州立大学( State Univ. or the State University of ) は実務訓練を主眼として設立された大学であるのに対し,The University of …の方は研究教育を主眼として設立された大学であり,後者の 方がレベルが高いのが普通である.もちろん例外も多いが).

 ミシガン大学は1817年にデトロイ トに設立された総合大学で,20年後の 1837年にアナーバーに移転した.1866年には全米で 最大の総合大学となっている.現在でも,学生数51 千人,教員5600名を抱えるマ ンモス大学である.ミシガン大学は,考古学やビジネス,経営学などで全米トッ プにランクされ,その他の多くの分野でも全米トップ5 に入っており,全米トップ10に入っていない 分野を探すのに苦労するほどである.ロー・スクールもその例外ではなく,全 米トップ5クラスである.多くの著名な裁判官,研究者,弁護士を 輩出している.最近のハーバードのレヴェルの凋落は周知であろうから,ミシ ガン大学ロー・スクールは,イェールには半歩譲るかもしれないが,ハーバ― ドより上位であるという主張も,ミシガン州人(Michiganite)の お国自慢の贔屓であると片づけるわけにはゆかないであろう.

 日本での知名度は低いかもしれないが,ミシガン大学 と日本との関係は深い.ミシガン大学の『日本研究センター(Center for Japanese Studies)』は1947年,つまり太 平洋戦争終了後すぐの創立であり,昨年1997年の 11月に創立50周年の記念行事 を開催した.センター長は日本人の殿村ひとみ教授である.音楽学部にも日本 音楽の専門家がおり,日本語も堪能で三味線や長唄を披露してくれた.ロー・ スクールもその例外ではない.ミシガン・ロー・スクールの日本人卒業生とし ては,110年以上前の1880年代に卒業し た者が二人いるのである.現在では,LL.M.への日本人 留学生が毎年5名前後おり,日本人を見かけない日はない.ロー・ スクールの図書館の日本法関係の文献の充実度も決して侮れない.さらには, 言うまでもなく東京大学法学部とミシガン・ロー・スクールとの間での交流協 定が締結されており,毎年3名前後の教官が 3週間前後ずつ相手校を訪れて講義やセミナーを行っている.

 ミシガン大学での最近のもっとも感激的な話題は,フッ トボール・ティームのウォルヴリンズ(Wolverines)1997年のシーズンで11戦を全勝し,全 米ナンバー・ワンとなって元旦のパサデナでのロウズ・ボウル(Rose Bowl)に出場したことである.おまけに,ディフェンスのチャールズ・ウッ ドソン(Charles Woodson)は大学フットボール選手の最高の名誉で あるハイスマン・トロフィー(Heisman Trophy)を獲得した.ディ フェンスの選手がハイスマン・トロフィーを獲得したのは63 年の歴史で初めてのことである.

 私もスタジアムやテレビで観戦したが,ウォルヴリン ズには圧倒的な強さは決して感じられない.むしろたいていの試合で負けそう になる.とりわけ前半がそうである.その典型は私もスタジアムで観戦したア イオワ大学との試合であり,インタセプトされるは,2 点コンバージョンは許すは,ファンブルはするは,パント・リターン・タッチ ダウンはされるはで,散々な試合で前半終了時には217で負けていた.この時点では,10万人を超す観衆 の中で,ミシガン大学が勝つと予想した者は多分一人もいなかったであろう. 私も,一緒に行った法社会学のリック・レンパート教授(Prof. Rick Lempert)には,「後半では別ティームのようにがんばるかもしれな い」とは言っていたが,まさか本当に逆転するとは思っていなかった.後半, 立て続けに2つタッチダウンを奪って同点とし,フィールド・ゴー ルで2124と引き離されたが,もう一つタッチダウ ンを決めて,結局2824で勝った.大多 数の試合でこの調子であり,11戦のうち 5つくらい落としていても決して不思議ではなかったように思われ る.それが全勝でパサデナへ行くことになったのは本当に驚きである.

 パサデナでのロウズ・ボウルは全米7 位のワシントン・ステイト(Washington Sate University)との試合 であったが,ラッシュもパスも圧倒され,2116 で勝ったのが不思議なくらいであった.むしろ,負けそうで負けないところが 今年のウォルヴリンズの底力なのかもしれない.あるいは学生スポーツの「勝 ちスジ」の一つである,一種の憑き物がついたような状態だったのかもしれな い.ファンから見れば負けそうなのに,多分戦っている選手はどんなにリード されても「まったく負ける気がしない」で,結局盛り返すというパタンなので あろう.ともかく,ロウズ・ボウルも含めて12戦全勝となり, 1948年以来の50年ぶりにミシガ ン大学はロウズ・ボウル勝利と最終的な全米ナンバー・ワンを獲得した.なお, このような勝ちっぷりがたたって,記者投票ではナンバーワンとなったが,コー チの投票では3032の僅差でネブラ スカ大学に1位を奪われ,結局全米ナンバー・ワンの称号をネブラ スカ大学と分け合うという結果となった(ネブラスカ大学は13 戦全勝であり,最終戦は全米3位のテネシー大 学を相手に圧勝した).

 ミシガン大学ロー・スクールの最近の話題は,フット ボールとは反対に少し心配なものである.すなわち,クラス・アクションの被 告に立たされているのである.

 まず,背景から説明しておこう.1960年代以降の公民権運動の一環としてアファーマティヴ・アクション (affirmative action)が実施されてきたことは周知であろう. 差別されてきた黒人を優遇して人種間の社会的平等を促進しようとする政策で ある.大学の入学においても,黒人はSAT (Scholastic Assessment Tests)の得点が少し低くても優先して入学を認められるような制 度が実施されていた.ところが,このアファーマティヴ・アクションのために 入学できなかったとされる白人側の不満がつのってきて,これは逆差別 (reverse discrimination)であると の主張を生んでしまった.共和党保守派が最近,アファーマティヴ・アクショ ンを廃止しようとの運動を開始している.保守派に対する追い風は,連邦最高 裁判所をはじめとする裁判所の判決である.レーガン・ブッシュの 12年間の共和党政権下での連邦裁判所への保守派裁判官の任命が なされ,保守派裁判官がアファーマティヴ・アクションに好意的でない判決を 出し始めているのである.たとえば,テキサス州ではテキサス大学がアファー マティヴ・アクションによる逆差別で入学を許可されなかったと主張する女子 学生に訴えられて1992年に敗訴し,黒人入学生数が減少してい る.テキサス大学ロー・スクールも同様の訴訟に1996年に敗訴して いる.国民感情も多数派の白人の間でアファーマティヴ・アクション批判が高 まっている.たとえば,カリフォルニアでは人種を考慮することを禁じる憲法 修正のプロポジション209(Proposition 209)が国民投票で認められ,雇用や学校への入学の際の考慮の一つとし て人種を考慮することができなくなった.その結果,バークレーのロー・スクー ルへの1997年度の黒人入学生はたった1 名となっている.

 ミシガン州でも共和党保守派の議員の主導する反アファー マティヴ・アクション運動の一環として差別されたと主張する白人学生が原告 として募集され,まずミシガン大学とボーリンジャー学長(元法学部長) (President Lee Bollinger)らが男女 2名の学生によって1997年秋に訴えら れ,次いで冬の初めにロー・スクールとリーマン学部長(Jeffrey Lehman)らが44歳の白人女性に訴えられたのである.リー マン学部長としては,6年かけた募金運動が成功して 9千万ドルを集め,さらにはロー・スクールの新たなビル建設費の 数千万ドルの募金の目途もたって喜んでいた最中の訴訟であった.

 原告側は両方の訴訟ともCenter for Individual Rightsという反アファーマティヴ・アクション運動の保守系法律事務所 に代理されている.その主張によれば,ミシガン大学とロー・スクールの入学 者選別において人種が決定的に重要な要素とされており,これは白人に対する 逆差別で憲法違反であるというものである.具体的には,ロ―・スクールの場 合,同程度以上の成績の白人学生と黒人学生を比較すると,黒人は全員入学を 許可され,白人はほんの8.6%しか入学を 許可されていないと主張している.

 ミシガン大学側の主張は,人種は入学者選別における 多数の要素の中の一つに過ぎず,原告の主張するような決定的な要素ではない という点と,大学の質と学生の教育の向上のためには多様性(diversity)が絶対必須であり,人種の考慮はこの多様性獲得のための一つの方 法であり正当化されるという点である.また,ミシガン大学を訴えた二人の原 告は,ウェイティング・リストに登録されることを自ら拒否したのであり,登 録されていたら入学を許可されていた可能性が50%の確率あった のであるから訴えの利益がないというものである.ロー・スクールに対する主 張については記者会見で,原告側主張の統計は事実に反し根拠がないと主張し ている.ロー・スクールを訴えた女性の場合,訴え提起が12 月に入ってからであるので正式な反論はまだのようである(なお,彼女はウェ イティング・リストに登録されたが最終的に拒否された).

 その後の噂によれば,保守派のキャンペーンはロー・ スクールに対する適切な原告を集めることができなかったので,スジの悪い 44歳の白人女性で妥協したとのことである.つまり,成績その他 を考慮すれば,人種を考慮していなかったとしてもどのみち入学が許可されな いような学生だとの噂がある.言い換えれば,スジの良い学生は入学を許可さ れているか,イェールやハーバードやコロンビアなどの同等の優れたロ―・ス クールに入学しているので,ミシガン・ロー・スクールを訴えようなどとはし ないと言うわけである.しかし,本当のところは訴訟が進行しないとわからな い(ミシガン大学を訴えた二人の学生の場合,それぞれミシガン州立大学とミ シガン大学ディアボーン校に入学している).

 これらの訴訟は,今後少なくとも数年間はミシガン大 学とミシガン・ロー・スクールの人的,物的,そして知的資源を消耗させ続け, さまざまな影響を研究と教育と人間関係にもたらしつづけるであろう.そして, 訴訟の帰趨はアメリカ合衆国の21世紀の高等教育 のあり方に大きな影響を与えるものとなるであろう.

 最後に,この訴訟に関し て採ったロー・スクールの対応の一つで,私を感心させた事柄を紹介して筆を 置きたい.すなわち,ロー・スクールに対する訴訟提起後,ロー・スクール側 の主導で教官と学生による討論集会が開催され,訴訟の経緯のロー・スクール 側による説明や,学生・教官の意見交換などがなされたのである.日本の大学 の法学部でこのような対応が自然な形でなされる時代がくれば,霞ヶ関官僚の 行動パタンも国民にフレンドリィに改善され,日本の民主主義も成熟してくる であろうと思われたことであった.

( ICCLP Review, vol.1, no.1,pp.15-19, March 1998)


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