コンピュータと法律相談

1995年10月

太 田 勝 造

 

 

 法律とコンピュータの接点といえば,まず知的財産権の問題が思い浮かぶであろう.コンピュータ・ハードウェア開発の際の特許権の問題,プログラムの著作権の問題などである.次に思い浮かぶのは,コンピュータ・システムを悪用した犯罪かもしれない.銀行のオンライン・システムのコンピュータ回線を「盗録」して,キャッシュ・カードを偽造して現金を引き出すという犯罪は日本でも1980年代初頭に既に発生している.これらの場合,法律とコンピュータの接点とは,コンピュータをめぐる社会現象をオブジェクト・レヴェルとして,法律がメタ・レヴェルからそれを規整するという形の接点である.これに対してちょうど逆に,法的知識をオブジェクトとして,コンピュータがそれをメタ・レヴェル的に加工するという「接点」は,サイエンス・フィクションの中ではありえても,現実世界では,とりわけ実用レヴェルではまずないのでは,というのが一般的な常識かもしれない.しかしながら,この「常識」は知識工学の専門家の間では「非常識」であろう.税法や国籍法などの法的知識を形式化し,プロローグ等の人工知能言語を用いて,コンピュータ上で推論をさせる実験的システムは1970年代から既に存在している.現在では,ファジィ・ロジックやニューラル・ネットワーク理論の応用など様々な試みが知識工学の側からなされている.

 日本でこのようなコンピュータによる法的推論システムの研究を正面から行なう研究のひとつに文部省科学研究費・重点領域研究「法律エキスパートシステム開発研究:法的知識構造の解明と法的推論の実現」(代表:吉野一明治学院大学法学部教授)があり,筆者も法律学の面から参画している.この重点領域研究は1993年度から1997年度までの5ヵ年計画のプロジェクトとして,法律学と知識工学の専門家が協力して行なっている学際的研究である.「国際統一売買法」を中心として,その他民法の契約法や消費者法なども対象領域として,実定実体法の知識構造の解明,形式化,そして推論システムへのインプリメンテイションを目指している.もしも,この研究がうまくいって「究極の法律エキスパートシステム」が完成すれば,全国の弁護士会が行なっている法律相談の大部分は「法律エキスパートシステム」によって簡易・迅速・低廉・正確に行なわれ,弁護士は特に難しい問題の相談と訴訟実務に専念できるようになるかもしれない.また,法律エキスパートシステムの技術的応用として,コンピュータによる法学教育も当然可能となるであろう.将来,教育用計算機センタの端末を法学部の学生が叩いて法律を学ぶようになる日が来るかもしれない.もちろん,この「もしも(if)」は「実現困難な,もしも(big if)」である.実用的な法律エキスパートシステムが「近い将来利用できるようになるであろう」などと発言すれば,これまた知識工学の専門家から「非常識」の烙印を押されることは請合いである.

 では,どの程度の実用性ならどのくらいの将来に可能か? これまでの3年間の研究,およびそれ以前の15年近いわれわれの事前研究から分かったことは,当初予想したよりもずっと難しいということである.もちろん,このような予想の「はずれ」はそれ自体予想されなかったわけではない.ニューラル・ネットワークを装備し自己学習して最終的には思考する「万能機械」へと「成長」して行くコンピュータを1950年代に既に構想したアラン・チューリングでさえ,人間の脳の記憶容量は1億ビットをそう大きく上回らないだろうから,機械の記憶容量もその程度でよかろうと予想している.今ではノート型パソコンのハード・ディスクの容量でさえ1億ビットの数十倍に達している.

 法律学の入門で学ぶ法適用の最も単純なモデルは「判決三段論法モデル」である.法規範は基本的に,ある事実(法律要件)があれば,ある法律効果(権利)が生じるという条件文の形に整理できる.これを大前提とし,法律要件に該当する具体的事実が認定されれば,その事実を小前提として,三段論法的に法的結論としての権利が判決される.従って,条件文の形の規範による三段論法的推論の連鎖として法的推論は説明されるのである.このモデルをコンピュータに乗せて「推論」させることは知識工学的にもプログラミング的にも難しくはない.これだけでは知識工学の専門家の業績とは決してなりえない程度のものである.しかも,この素朴なモデルは法律学の専門家から見ても非現実でしかない.もちろん,認知科学の専門家は失笑する程度のモデルである.にもかかわらず,この素朴なモデルとて,それを全ての法について,かつ,雑多な社会現象全てについてコンピュータ上にインプルメントすることはこのままでは不可能である.法は常に立法され修正され廃止されている.法の内容は曖昧・多義的で,しかも日々変更されている.しかも,法は人間の解釈を通じてしか存在しえないゆえ,常に主観性と恣意性に直面している.社会は次々に新たな現象を惹起しており,全てについて予測して法的規制を準備しておくことはできない.法律エキスパートシステムの観点から知識工学

に期待される役割のひとつは,少なく不完全な情報から,ある程度妥当な規範を生成し,ある程度納得のゆく推論結果を出力できる方法を見出すことである.これにより,インプルメントの困難をどこまで緩和できるかである.

 ところで,たった今「妥当」とか「納得」という言葉を用いたが,これらが問題となる以上,上に述べた知識工学の役割は,実は単なるインプルメントの困難の緩和よりもっと本質的な困難を示している.法システムは社会的意思決定システムである.法的推論による判断が社会的意思決定である以上,妥当とか納得とは「社会的」妥当であり,「社会的」納得でなければならない.しかし,そのようなものはありうるのであろうか.アローの定理やセンのパラドックスを始めとして,厚生経済学や社会選択論の教えるところによれば,「社会的」の定義にもよるが,それは一般的な形ではありえないと言わざるを得ない.法律エキスパートシステムの観点から見れば,せいぜい既になされた社会的意思決定たる立法や判決における判断と整合的であるという意味で「妥当」で「納得」のゆく結論を求めることになろう.しかし,既になされた社会的判断が無矛盾である保証すらない.実際は,それらの法的判断が「矛盾だらけ」であることは,法律学の専門家なら痛いほど分かっている.

 法的三段論法よりも現実的な法的推論モデルを探求しようとすれば,たちまち別の困難に遭遇する.それは「法的知識」の問題である.法規範は条件文の形に整理でき,そのような方法で法的知識を形式化して三段論法的推論するシステムを作成することは理論的には必ずしも困難ではなかろうと先に示唆したが,法的知識が法規範文の集合であるとの前提は実は過度の単純化に過ぎない.法的知識をその部分集合とする人間の知識には,言語化しやすい「浅い知識」,その奥にある「深い知識」,さらにその奥にある言語化できない「暗黙知」等の階層があると言われている.知識の言語化,そして形式化は,どこまで掘り下げて行っても終りがないと同時に,そのさらに先に暗黙知と言う彼岸が横たわっているのである.

 しかも,「法的知識」は自然言語を中心に構成される「意味の世界」の構築物である.この性格付けからだけでも,その困難が見て取れよう.チューリングは早くから,ひとつの自然言語からもうひとつの自然言語への翻訳は,意味という非形式的な問題に直面するゆえ,早期の成果が期待薄であると見抜いていた.実際,未だに実用的な機械翻訳システムは実現していない.法的推論は,いわば意味の世界の中で社会現象をシミュレイトすることを通じて「外界」たる社会を加工しようとする試みである.しかし,「外界」とは本当に「外界」なのか.「外界」と同定された「社会」は既に意味の世界の中の存在である.いわば,出口も入口もない.それでも法的推論はうまくゆくのであろうか.例えば,論理と数学からなる物理学の世界でのシミュレイションが現実の物理的世界を記述できる保証はないが,なぜかこれまではうまく行っている.物理学と同様に,法律学も社会をシミュレイトできるのであろうか.残念ながら,かなり難しそうである.物理学等の自然科学は,意味の問題をかなり単純化することに成功しているように見える.すなわち,実験や観察と突き合せること(ないし反証すること)が可能な形にある程度はもってゆける体系として構築されている.これに対して社会現象を扱う法的推論は意味の世界の「迷路」に深く迷い込まずにはおれない.では,意味の世界を「法的世界」と「法外的世界」に分ければどうか.これも難しそうである.先に述べたように,法規範は,法律要件があれば法律効果が発生するという条件文の形に整理可能であるが,この法律要件は一般的には社会的事態の記述である.言語の高階性を利用して,法的世界は法外的世界を必然的に取り込んでいる.

 ところで,人間精神を模倣しようとのプロジェクトに際してのチューリングのアイデアは,進化論の利用であった.成人の人間精神の構成要素たる,(a)精神の初期における状態(遺伝的素材),(b)精神がこれまでに受けた教育,(c)精神がこれまでにした他の経験,に対応して,

     (A)子供機械の構造=遺伝的素材,

     (B)子供機械の変化=突然変異,

     (C)自然淘汰=実験者の判断,

と対応づけるアイデアである.このプロジェクトが実現すれば,それは「思考する機械」の実現であり,たぶん法的推論も人間と同じ様にできるはずであろう.しかし,この(A)から(C)の要素から「意識」や「自我」は生じるのであろうか.たぶん(A)に黙示でビルトインされていると見るべきなのであろう.脳が自己の動的状態を意味の世界に取り込んで処理する過程が「意識」や「自我」と記述されているメタ・プロセスなのだと思われる.いわば情報処理を情報処理し,シミュレイションをシミュレイトすることである.これが可能となるためにはハードウェア・レヴェルの構造が必要だろうからである(例えば,ニューロンがその出力の一部を自己にフィードバックする回路を備えているように).では,「感情移入」や「共感」はどうか.暗号化(encipher)・非暗号化(decipher)になぞられる言語的コミュニケイション過程で「意味」が「伝達」できるには感情移入や共感の能力が必須であろう.意味の伝達とは意味の世界の部分的共有である.あなたの「痛み」を共感し,あなたの「悲しさ」に感情移入できないで,どうしてあなたと世界を共有できようか.法の世界が社会を対象とするなら,法的推論と言う思考過程は社会を知らなければならず,そのためには意味の世界共有のためのメカニズムがビルトインされていなければならない.

 法律エキスパートシステムの研究は,どうも「日暮れて道遠し」である.始めの方で,「究極の法律エキスパートシステム」という表現を用いたが,縷々見てきたように,それを実現することは非常に難しそうである.そもそも,「究極の法律エキスパートシステム」とはどのようなものをいうのかも合意があるわけではない.上に見てきたことから示唆されるように,内容的にそれを規定することも困難である.ここでもチューリングのアイデアを拝借することにしよう.チューリングは機械が「知能」をもち「思考」をするか否かを決定する有名な基準「チューリング・テスト」を提唱した.機械と人間とが,テストを受ける人とは別のところにいて,端末のキ−ボード入力によるメッセージなどの中立的な通信手段で任意の会話を行なう.被験者が任意の陳述と質問を行なって,相手のどちらが人間でどちらが機械であるか区別できないとき,その機械は思考能力があるといって差し支えない,という基準である.これと同様の設定で,機械と弁護士が法律相談を行ない,相談者が,相手が弁護士か機械か区別できないとき,その法律エキスパートシステムは究極的であり法的推論を行なう能力を持っていると言って差し支えない.

 このような法的推論と究極的法律エキスパートシステムの規定に対しては,チューリング・テストに対するジョセフ・ワイゼンバウムのELIZAプログラムによる異議を引くまでもなく,様々な議論が可能である.法社会学者たる筆者から見れば,「被験者」の選択を問題にしたくなる.法律の「ほ」の字も知らない全くの素人が,機械と弁護士を区別できなかったからといって機械はこのテストを合格したことになるのか.ちなみに,社会の大多数の人々は,「ほ」の字も知らないとまでは言わないまでも法律については全くの素人である.では,法律家(弁護士・裁判官)が被験者であればどうか.大学法学部で民事訴訟法を7年間教え,かなりの数の弁護士や裁判官を個人的に知っている筆者から見れば,その個人差の大きさを知っているゆえに,素人の場合ほどではないにせよ,どの法律家個人を被験者にするかで結果が大きく異なることが容易に予想される.とすると,弁護士集団の何パーセント以上が区別できないならこのテストを合格したことになるかと言う問題になるかもしれないが,いつの時代の弁護士集団かでまた結論が異なろう.かといって,およそ法律の専門家なら区別できない保証があって初めてテスト合格となると,その保証を認定するためには,法的推論と「理想的法律エキスパートシステム」の内容的定義をするのと同じことをしなければならなくなる.そもそも,機械と張り合う弁護士をどう選ぶべきかでも同様の問題が生じよう.チェスなら世界チャンピオンを連れて来ればよかろうが,弁護士に世界チャンピオンはいない.などなど….

 しかしながら,少しわれわれ自身を反省すれば,これらの批判が天に向って吐いた唾の様にわれわれ自身に降り掛かってくることに気付くであろう.あなたは思考することができるとなぜわたしに分かるのか.あなたの反応が全て,プログラムされた「刺戟(S)−反応(R)」でしかないかも知れないということをわたしはなぜ否定できるのか.わたし自身,自分は思考できると思っているが,それが幻想でないとなぜ言えるのか.自分が思考できると思っているからでしかないのではないか.あなたが思考できるとわたしには思われるからでしかないのではないか.それ以上の何があるのか.詐欺師が弁護士のフリをしても必ずアラが出るというのなら,逆にアラの出ない弁護士がいるのか.弁護士バッジや法服等の外形的シンボルがあれば,その法的知識や推論が怪しくても法律家と思い込み,外形的シンボルがなければしっかりした知識と法的判断を示しても怪しむということがないか.手続的には司法試験に合格し,司法研修所での修習とその最後の「二回試験」に合格すれば法律家の資格を得る.「究極的法律エキスパートシステム」にとって,司法試験の問題に合格答案を作成したり,二回試験に合格するなどは簡単であろう.それでも,見る人が見れば区別できると言えるのか.

 コンピュータと法律相談の関係には,一筋縄で行かない多くの難問が地雷源のように横たわっている.出口の見えないトンネルの中を走っているようなものである.法律エキスパートシステムの完成という「青い鳥」を山のあなたに臨みながら,法律学,法社会学,知識工学,認知科学,社会心理学,論理学等の専門家が学際的に協力することの副産物に期待して研究を進めているというのが,素直な気持ちである.

 

《東京大学『教育用計算機センター報告』46号(1995.10)》


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