東京大学法学部学習相談室活動報告書
運営委員から見た学習相談室:カウンセラーと法律家


February 17, 2000
太 田 勝 造(おお た ・ しょう ぞう)



学習相談室運営委員になった当初は,相談業務の内容さえイメージが湧かず, まして運営委員として何をしなければならないか想像もつかず,戸惑いを禁じ えなかった.法律の学習に関する相談とはいえ,学生のメンタル面の相談と切 り離すことはできないであろうと思うと,すぐに想起されたのはカリフォーニ ア大学バークリィ校を舞台にした,有名な「タラソフ事件」であった.この事 件では,ある特定個人への殺意を漏らした来所者を,担当した心理カウンセラー が,殺意は妄想に過ぎないとして,警察にも当該目標者にも連絡しなかったと ころ,来所者が本当に相手を殺害してしまった.そこで,被害者の遺族が提起 した損害賠償訴訟において,心理カウンセリング業務を運営していた大学の法 的責任が問われ,その後,州法として制定されるに至っている.法律家とは因 果な商売で,すぐにこのような法的リスク管理の発想が出てしまう.万一の事 態や最悪の結果をいろいろと予測し,どうやってそのような事態を防止するか, もし発生したならどのような事後的対処が可能かをまず考えてしまうのである. その結果,どうしてもリスク回避的になってしまう.企業の企画担当者や経営 責任者が,「法律家に相談しても,あれもできないこれもできないという『で きない理由』ばかり組み立てることに能力の限りを尽くしているかのようで, 『どうやったらできるか』という本当に求める解答は滅多に作り出してくれな い」と口をそろえて非難するのも理解できる気がする.

とはいえ,法学部学習相談室が将来の損害賠償請求訴訟に備えて弁護団を組 織するというような段階でもレヴェルでもないので,まず相談室運営委員とし てカウンセリングの何たるかくらいは理解しておかなければと,学者の浅はか さというかワン・パターンというか,早速本を買って読んでみることにした. たまたま「平和カウンセリング研究所」の所長というそれらしい肩書きの人の 『カウンセリングの実技が分かる本』というやはりそれらしい書物が目に付い た(山本次郎著).これだけからだと,いかにも「買わせんかな」のハウツー 物にも思えたが,逆にそう言うところこそカウンセリングの極意なのかもしれ ないと思い直して目を通すことにした.

わたしなどは,カウンセリングというと「専門分野別の人生相談」であり 「悩みを聞いた上で助言すること」だくらいに思っていたが,それは素人の理 解だとのことである.カウンセリングでは,助言よりも「カタルシスによって 気分が軽くなる方を重要と考えている」とのことで,助言をする場合も,1回 とか2回の面接だけで助言をするのは間違いで,数週間はかけてじっくり話を 聞いた上で助言するものだそうである.テレビの身の上相談とは大違いである. また,カウンセラーというと,わたしなどは,「こういう内容の相談には, このようなアドヴァイスをする」というようないわば「要件」と「効果」の条 件プログラムを大量に身に付けた専門家だと思っていた.そうだとすれば司法 研修所での要件事実教育を叩き込まれた法律家とは,知識の内容を別にすれば 大差がないことになる.事実,法律家による法律相談も「カウンセリング」と 言うではないか.しかし,本当のカウンセラーとは「面接で,愚痴,不満,心 配などを傾聴し,その意味で来所者の『心を聞く人』のことである」とのこと である.つまり,「感情」が重要なのである.テキパキと整理をして類型化し, 疑問に対して「正しい答え」を助言する,というのはカウンセラーのすること と大分違うのである.

考えてみれば,法律家はいつも世の中の人々から,近寄りがたく冷たくて, 疎外感を与えるものと非難されてきたが,これは法律相談が心理カウンセリン グではないからかもしれない.法律家から見れば,法的カウンセリングは,依 頼人の紛争事実関係を法律の要件事実に当てはめ,正しい権利関係を解明して 助言することである.しかし,紛争に巻き込まれて悩んだ末に法律事務所を訪 れた依頼人は,心理カウンセリングを求めているのかもしれない.愚痴,不満, 心配などをじっくり聞いてもらいたいときに,テキパキと整理されて「あなた の権利はこれこれです.一丁上がり!」という法的カウンセリングをされては, 悩みとモヤモヤはますますつのるばかりである.なるほど,心理カウンセラー は数週間じっくり話を聞いた上でなければ助言などしないわけである.法律家 は,要件事実よりも心理カウンセリングを習得した方が世の中の役に立つのか もしれない.

とすれば,法的カウンセリングの逆を行けば,心理カウンセリングの理解に つながるということになるのだろうか.

たとえば,法律家は依頼人とは距離を保ち,自分を権威者,依頼人を従属弱 者と位置付けるスタンスを取りがちである.助ける者と助けられる者という構 造的格差を作出する.だから,依頼者の悩みを尊重しないし,紛争を自分で解 決できない者と位置付ける依頼者を受容しようとはしない.このような法的カ ウンセリングの逆とは,相手(来所者)に対する「無条件の肯定的配慮」とな り,悩んでいる相手の人格を総体的に「受容」することになるであろう.

また,法律家は,紛争当事者たる依頼者の悩みなどの感情的側面を強いて切 り捨てて法律の要件事実に削り上げる.いわば,依頼者と一緒になって悩むの ではなく,依頼者の感情を圧殺することで法的解決を構築しようとするのであ る.このような法的カウンセリングの逆とは,相手に対する「感情移入的理解」 や「共感的理解」をすることになるであろう.相手の立場になりきって相手を 理解するのである.

さらに,法律家は依頼者に助言しているとき,自分自身を強いて背後に引か せ,法の権威や裁判所の権威を前面に押し出している.法律家自身の「人間」 や「人格」は法的カウンセリングにとっては不要である以上に阻害要因である とされる.法律家の助言内容は必然的に,当該法律家の個人的信条,正義感, 感情的判断を少なくとも部分的には反映しているのであるが,その面はひた隠 しにされる.というより,法律家は「客観的法の帰結」であると自ら信じ込ん で,自己の感情などの介在を自己認識さえしようとしない.このような法的カ ウンセリングの逆とは,カウンセラーが「自分の本心に正直に気づいている状 態」でのカウンセリングであることになろう.

事実,法的カウンセリングのアンチ・テーゼとしての上記「無条件の肯定的 配慮」,「共感的理解」,および「自分の本心に正直に気づいている状態」は, カウンセラーの基本的条件の三つであるとのことである.

しかし,この基本的三条件を満たすということは,相手(来所者)との間で 実に微妙で危険なバランスを保つということである.わたしなどにはとてもで きないと痛感する.わたしなどのように,「自律した個」を確立していない 「モラトリアム人間」にとって,基本的三条件を満たす心理カウンセリングを しようなどとすれば,あっという間にこっちの側のアイデンティティが崩壊し てしまうことが明らかである.

やっぱり,わたしは相談室運営委員失格である.僕もカウンセリングを受け よう!

《東京大学法学部学習相談室『学習相談室活動報告:1999年度』5-7頁(2000)》

[⇒ メイン・メニューへ戻る]