アントニィ ・W・ドゥネス & ロバート・ローソン
太 田 おおた 勝 造 しょうぞう 監 訳
太 田 勝 造・ 飯田 いいだ たかし佐藤 さとう 通生 みちお
西本 にしもと 健太郎 けんたろう長谷川 はせがわ 貴陽史 きよし藤田 ふじた 政博 まさひろ
三村 みむら 智和 ともかず森谷 もりや たかし

結婚と離婚の法と経済学
(木鐸社,
2004年)



監訳者あとがき

 

 

 「スーダラ節」や「無責任一代男」で有名な植木等が歌ってヒットした曲 「やせがまん節」 (青島幸男作詞)の 一節に次のような歌詞がある.

 ♪ ほれた女を 女房にしても ♪
 ♪ 金が目当てじゃないかと 気にかかる ♪
 ♪ あー 金持ちにゃ なりたくないね ♪

金持ちにはなりたくてもなれない貧乏学者の監訳者にはこのような心配は無用 の長物でしかないが,金や地位がある(と思っている)者にとっては避けて通 れないものかもしれない.「一生愛し続けます」という結婚の誓いが真のコミッ トメントであって,決して「金が目当てじゃない」ことを相手に信用してもら うには,あるいは,相手の誓いを安んじて信用できるにはどうすれば良いので あろうか?

 「金が目当てじゃない」ことを証明するには,離婚や死別の場合にも相手の 財産は一切受け取らないという「財産放棄の誓い」をすればよい.しかし,こ の「財産放棄の誓い」を後になって放棄しないという保証はあるのであろうか?  「『財産放棄の誓い』を放棄しない誓い」をすれば良かろう.しかしこの 「誓いの誓い」を放棄しない保証は? このまま行くと「財産放棄の誓いを放 棄しない誓いを放棄しない誓いを放棄しない誓い……」と無限に続いてしまう. この無限退行を断ち切る法的制度が「婚前婚姻契約」であるとされる.本当で あろうか?

 ジョエル&イサン Joel & Ethan コーエン Coen 監督, ジョージ George クルーニー Clooney キャサリン Catherine ゼタ=ジョーンズ Zeta-Jones 主演のラブ・コメディ『 ディボース・ショウ Iintolerable Cruelty 』では,大富豪を騙して結婚した上で離婚し,巨額の財産を手に入れようと目論む したたかな 結婚詐欺師マリリン (ゼタ・ジョーンズ) と辣腕の離婚専門弁護士 マイルズ(クルーニー) が,丁々発止の騙し合いを展開する.マリリンの武器 はその美貌だけでなく,他ならぬ「婚前婚姻契約」なのである.「マリリンの ような魅力的な女性がなぜ自分なんかと…,金が目当てじゃないか?」と植木 等のように疑心暗鬼になる大富豪を安心させるために,「 プリナップprenup 」と略称される婚前婚姻契約を結びマリリンは離婚の財産分与を放棄する.婚前 婚姻契約を裁判所は尊重するので「金が目当てじゃない」ことが証明された…… はずである.大富豪の方は,自分も「生涯にわたる愛」を誓うために,すなわ ち,年を取って美貌が衰えたり,もっと若くてもっと魅力的な女性が出てきた りしてもマリリンを愛し続けることを証明したくなる.どうしたらよいであろ うか? ……大富豪は結婚披露宴の大観衆の面前でプリナップを破り捨てる!


 このような男女の騙し合いという人類普遍のアポリア(実は有性生殖をする 生物に普遍のアポリア)は,結婚と離婚の法制度が正面から取り組まなければ ならない課題である.本書はまさに,この家族法の主要課題に「 法と経済学law & economics 」の手法を適用して取り組んだ諸研究を編纂した論文集で ある.とはいえ,本書における法と経済学は,新古典派経済学や厚生経済学を 法現象や法的ルールの分析に応用するという狭義の法と経済学よりも広いもの である.家族法の諸ルールが当事者にもたらすインセンティヴを重視する,と いう点をコアとして大きく括られる種々の研究手法が本書における「法と経済 学」である.したがって,本書に収められた論稿には,伝統的な法解釈学の研 究に近いものから,ゲーム理論的分析,さらには統計分析の手法を用いた実証 的法社会学的なものまで含まれている.その点で,本書は法と経済学プロパー の研究書としてのみならず,家族法学の研究や家族法の法社会学研究としても 重要なものとなっている.また,本書の論稿の多くは「シグナリング理論」と 呼ばれるゲーム理論をも下敷きに分析を進めている.この理論は, エリク Eric A.ポズナー Posner・ 『法と社会規範:制度と文化の経済分析』
(太田監訳,木鐸社,2002年)でも採用されているように,法と社会を分析する上での鋭利なツールとして, 最近は法と経済学はもとより法社会学や法解釈学においても注目を集めている.

 市場取引をその中核とする財産関係においては合理的計算を基礎に置く法と 経済学がよりよく妥当するが,男女の性的結合をその中核とする家族関係にお いては感情が基礎にあり合理性の理論は適用できない,という見解があるかも しれない.しかし,本書からも明らかなように,このような理解は,家族関係 についての理解としても,法と経済学についての理解としても誤っている.第 一に,進化心理学の教えるところによれば,生物として生き残るための内面的 道具としてヒトは感情を進化させてきたのであり,その点で感情は適応的な合 理性を持っている.第二に,愛憎をはじめとする感情と合理性は二律背反では ない.恋愛段階で恋人に何をプレゼントしようかとか,婚姻関係において配偶 者や子どもに何をお土産に買って帰ろうかと悩んだことのある正直者なら,そ こには合理的な打算の要素が色濃く漂っていることを否定できないであろうし, 新婚旅行はどこに行こうかとか,家族旅行はどこに行こうかとかについて,恋 人同士や家族と話し合ったことのある正直者なら,そこでは駆引き交渉の要素 の方が重大であることに気付くであろう.そもそも『ディボース・ショウ』は ゲームの理論そのものである.第三に,法と経済学の合理性は,価値観や感情, 嗜好等を全て含むものである.第四に,法と経済学の分析にとって,当事者が その主観的認識として「合理的に行動している」と思っている必要は全くない. 激情に流された行動も,外的な分析からは合理的であると位置づけうる場合が ある.

 本書を契機として,法と経済学やゲーム理論に対する誤った認識が是正され, 結婚や離婚,そして家族法の分野一般におけるその有用性が広く理解されるよ うになることを願っている.そして,家族法の研究が真の社会科学として確立 することを期待するものである.

* * * * *

 本書は, Antony W. Dnes & Robert Rowthorn (eds.), The Law and Economics of Marriage & Divorce, Cambridge University Press, 2002の全 訳である.翻訳のきっかけは2003年度の監訳者による東京大学法学部での「法 社会学基礎文献講読セミナー」で原著を教材として使ったことである.本書の 共訳者である参加者たちは非常に優秀で,監訳者が手を入れる必要のないほど の訳文を作成してくれるとともに,テーマと言い内容と言い,是非出版したい と申し出てくれた.そこで以前からお世話になっている木鐸社の坂口節子社長 にお願いして,「法と経済学叢書」の1つに入れていただいた次第である.い つもながら採算の合わない監訳者のお願いを快く聞いて下さった坂口社長に心 から感謝する次第である.

 本書の訳出に当たっては,分かりやすさと内容の日本語としての正確さを重 視する方針を採用した.翻訳作業の手順は,まず,各自が担当部分の訳文を作 成し,監訳者が電子メールで送られてきたファイルを統合し,セミナーではP Cプロジェクターで映写しつつ全員で議論をし,その場で修正しつつ訳文を彫 琢していった.したがって,本書は全員の合作と位置づけるべきものである.

 訳語については,英単語に対する日本語の機械的対応にはこだわらず,文脈 と内容に応じて訳し分けるようにした.とりわけ,本書は多数の執筆者が既刊 の独立の論文に基づいて寄稿したものであり,用語の統一が必ずしも取れてい ないため,文脈と内容に応じた訳し分けが必須であった.たとえば,結婚を (長期的)契約として位置づける枠組みのために," marriage as contract,"marital contract," "marriage contract"などが「結婚」ないし「婚姻上の 権利義務関係」の意味で使われており原則として「結婚という契約」と訳した が文脈のスワリに応じて「結婚」と訳した場合もある.また,"prenuptial contract," "prenuptial marriage contract," "prenuptial agreement," "premarital contract," "premarital agreement"などが「婚前婚姻契約」の 意味で使われる一方,それらの中でもルイジアナ州の婚姻契約法のように離婚 を制限するタイプのものは"covenant marriage" と区別される場合もあった. そこで,原則として前者は「婚前婚姻契約」とし後者は「婚姻契約」とした. さらに,"fault (divorce)" は「有責主義(離婚)」"nofault divorce"は「破 綻主義(離婚)」と原則として訳したが,文脈に応じて「法制」を付加した場 合がある.

 訳語や訳文,人名の発音等の一部については,東京大学法学部の法社会学講 座担当のダニエル・フット教授に助言をいただいたので,ここに記して感謝し たい.もちろん,誤訳や不適切な訳文の責任は,われわれ監訳者と訳者にある ことは言うまでもない.

 最後に,本訳書出版を快諾していただき,仕事が遅々として進まない監訳者 を叱咤激励してくださった坂口節子社長に重ねて御礼を申し上げる次第である

2004年9月
監訳者




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