『身体感覚を取り戻す−腰・ハラ文化の再生』 齋藤孝 著
評者:上田紀行(東京工業大学助教授・人類学)
内面を物語る身の構えの変化

 この本は面白いよ!
 まずは収録されている写真を眺めてみよう。写っているのは昔の人力車夫やら、何気ない家族の食卓やら、普通に遊ぶ子供たちやらなのだけど、その姿が実にいい。
 大地を踏みしめた揺るぎない立ち姿、家族の一体感を感じさせる畳の上の座り姿、そして躍動する子供の遊びの姿。そうだ、昔の日本人は普通の人たちがこんなに存在感に満ちていたんだ!
 この写真の姿を目に焼き付けて、現在の日本を歩いてみよう。と、その人間の「姿」のありようの変化に、誰もが愕然とするはずだ。なんという頼りなげな身体、エネルギーを失った身体、存在感のない身体なんだ!
 著者は言う。現代の日本を襲うさまざまな問題の根底には、こうした伝統的な身体の喪失があるのだ。それは腰肚文化、すなわち「腰を据え」「肚を決める」ことでからだの中心感覚を保つ文化の喪失である。日本文化は精神主義的だと言われるが、実はその基盤に身体技術を持っていた。体の構え、呼吸の深さが重要であり、その心身一如のありようが人々に内側から自信と尊厳を与えていたのである。
 そこでは身体技法に基づく言葉が生きていた。考えを「練る」、人間を「磨く」、気を「引き締める」、未来を「背負う」……。しかし、練ったり、背負ったりという身体技法が失われつつある現在、そうした息の長い人間的プロセスもまた失われているのではないのか。それがすぐに「キレ」てしまう子供や、他人の息づかいを感じ取れぬ孤独な存在をもたらしているのではないのか。
 でも昔にはもう戻れないじゃん、という超えも聞こえてきそうだ。しかし、この本はわれわれの体の底にまだ眠っている記憶を呼び覚ます。そして読むだけで呼吸が深くなっていく自分を感じる。力のある本だ。自信を失っている大人たちよ、ぜひこの本をお読みなさい。
(読売新聞 2000年9月24日より)