『身体感覚を取り戻す−腰・ハラ文化の再生』 齋藤孝 著
評者:渡辺保(演劇評論家・淑徳大学教授)
イチローはなぜ内野ゴロを喜んだか

 1999年のある日、イチローが「ポテポテのセカンドゴロ」を打った。たかがセカンドゴロ。しかしこの一打こそイチローの野球人生のなかで「飛び上がりたいほどに、嬉し」いヒットだった。なぜイチローほどの大打者がセカンドゴロにそんなに喜んだのか。
 この一打によってイチローは、自分の身体の感覚と実際の動きがパッと目の前で一致する奇跡的な光景を見たからである。自分が見える。「ああツ、これなんだ!」。イチローはそのときそう思った。一塁に走るイチローの脳裏には、どこの筋肉の動きが悪くてセカンドゴロになったのかが「あやふやでなく、頭と体で完全に理解」できた。
 このイチローの体験談(『新潮45』別冊)から、著者は感覚と意識が一致し、それまでの膨大な打撃練習の「技(わざ)」が一挙に爆発して世界を開き、一つの「型」に昇華する瞬間を捉えている。イチローはこの一打によって自分の型を発見し、自分の動きを正確に捉えるコツを会得した。だから嬉しかったのである。「型」はこのような感覚の「技」化であり、人々の規範になると同時に一人一人がその規範を通して自分の個性を生み出す手段である。
 この話一つをとってもわかるように、この本は豊富な資料を分析して、読者に多くの示唆を与える。むろん「型」「技」などといった言葉は、それほど頻度は高くなくとも、私たちが日常使っている言葉である。なによりも「身体」は私たちがこうしている瞬闇にも付き合っているものだろう。ところが一度その意味を考えはじめるやいなや、実態がよくわからなくなる。深い霧に包まれてしまう。しかしこの本を読むと、その霧が一挙に晴れる。画期的な身体論である。
 著者のとった方法には三つの特徴があると私は思う。
 第一に、今までの身体論と違って著者は実地の体験から「身体」を捉えている。「十指に余るさまざまな身体技法」を体験し、謡や仕舞をならい、歌舞伎の体の使い方、ロンドンのナショナル・シアターのワークショップ、ヨーガ、太極拳、野口体操、禅、オイリュトミー、そしてテニスその他のスポーツ。芸術であれ健康法であれスポーヅであれ手当たり次第、なんでも体験した。その現場の体験の、いわぱ内側から人間の「身体」を捉えたところに説得カと解りやすさがある。
 第二に、言語化への努力。著者は単になにかを体験しただけではなかった。どうすればその体験を言語化することができるかを考えた。言語化しにくいものを言語化しようとすれば、どうしても論理化が必要になる。その論理化への操作が言葉への強い関心となり、今日失われつつある日本人の身体に関する言葉の探求になった。
 第三に、失われつつある言葉を捜せば、そこに歴史的なアナログな視点が導入される。日本語には「練る」「磨く」「研ぐ」「締める」「絞る」「背負う」といった動詞が身体の訓練に結びついている。「心身を磨く」といった具合である。「磨く」という言葉自体は決して身体に便われる言葉ではないが、それが身体と結びついているところに日本の「カラダ言葉」の独自性があった。「あった」というのは、これらの言葉が生活様式の変化とともに今日失われつつあり、動きそのものが失われつつあるからである。
 以上三点。もうお分かりと思うが、この本の題名になった「身体感覚を取り戻す」は、日本人の身体感覚の失われつつあるものを、いま、取り戻すべきだという主張である。日本人の身体感覚とは、傍題にもある通り「腰・ハラ文化」。腰が入っていることによって呼吸が安定し、その呼吸の深さがハラをつくる。ハラは人闇の行動の原理、指針であり、人闇の生き方の基盤である。著者は身体感覚を通じて、もう一度自分自身のなかに「自己」の中心を求め、同時に身体の外側の空間にも中心を求めている。この身体感覚の二重性が私にはきわめてユニークで重要な指摘だと思われる。
 日本人の身体感覚の劣化は、朝のラッシュの乗客の動きを見れば一目でわかる。平気でぷつかって来る人、人を避けようともしない人、自分の背後にどれだけの人が居ようとノロノロと歩く人。それはモラルの問題でも健康の問題でもない。身体感覚が衰えているからであり、その結果は駅だけではなく、学校.にも病院にも官庁にも舞台にも競技場にも溢れている。この危機的な状況を救うためにも、もう一度「腰・ハラ文化」を考えることが教育改革よりもIT革命よりも璽要なことだろう。
 なぜならぼ身体を考えることは文化の深属を考えることであり、人間と空間、人間関係を考えることであり、世界を考えることだからである。それだけではない。最も重要なことは、人間の精神を「身体の牢獄」から解放するために必要なことだからである。
 この本は、これからの身体論の基本的なテキストになるだろう。コロンブスの卵である。
(毎日新聞 2000年12月17日より)