step01 なぜICTを学ぶか
ICTとは情報(I)通信(C)技術(T)の略称である。数年前まではIT(情報技術)といったが、近年のインターネットやモバイル通信技術の発達、それにともなうコンピュータ利用形態の変化(クラウド化など)から、いまの呼び方になった。
この授業は、みなさんが学業や将来の職業(ビジネス)のために、ICTを有効かつ安全に使えるようになることを目的としている。これらは、なにかしら知的なアウトプット(情報の発信・出力)、つまり知的生産物を生み出す活動という観点から、知的生産と総称される。※1
1 知的生産とは、京都大学の故・梅棹忠夫教授が著書『知的生産の技術』(岩波新書)で使った造語である。1969年発行の古い本だが、メモのとり方、カードの利用法、原稿の書き方など、知的生産者が身につけるべき基本技術を、これ以上ないほどわかりやすく語ってベストセラーとなり、現在でも読み継がれている。京大式カードというB6版のカードを文房具店で見かけるが、これは本書の副産物として生まれたツールだ。
ICTは趣味や娯楽、日常生活でも広く利用できるが、それらは各自の自由に任せるべきもので、この講座では扱わない。あくまで、これから長年にわたって続く勉強やビジネスのために、ICTをフル活用できること、将来も続々と登場する新しいICTを、自分の知的目標に合わせて導入・利用できるスキルを身につけてもらうことを主目的としている。
知的生産の4フェーズ
知的生産は、図1-1に示す4つのフェーズに分けて考えると分かりやすい。

- 情報の収集・入力
- 世界に遍在する情報の中から、自分の目的にあったものを取捨選択し、取り入れる
- 情報の整理・保存
- いつでも使えるように、情報を体系的に整理し、保存する
- 情報の加工・出力
- 既存の情報を加工し、自分なりのオリジナルな情報に作り替える
- 情報の発信・出力
- 知的生産物(知的成果物)として世の中にアウトプットする
この4フェーズ自体はICT以前から変わっておらず、たとえば江戸時代や奈良時代の学者だって、これに類することを必ずしている。ICT以前の著作である『知的生産の技術』にも、各フェーズでのノウハウが書かれている。だが、現在ではこれらすべてのフェーズで利用できるICTが存在するのであるから、現代の知的生産者たるわたしたちは、自分の目標に合わせて各フェーズのイメージを持ち、それぞれのフェーズで、どのようなICTをどう利用したらよいかを考えればよい。
また、ICTの進歩には常にアンテナを張っておき、新規技術が登場したとき、それは自分の目標に関係するか、するならどのフェーズで使うのかと考えれば、自ずとさまざまなICTを駆使して知的生産を効率的に、かつ最新の方式に改善しながら実践できるようになる。
もちろん、職業によっては、ICTが不要または利用不能ということもないとは限らないが、そのような人は、いまこの授業を受ける立場にはなっていないだろう。それに、今はICTの応用可能性は以前よりはるかに広がっているので、たとえば農業に従事するとか、そばやになるとか、絵を描くとかいった、パソコンなんか関係のない職業であっても、ICTの有効な使い道、ICTによって開ける新たな可能性は必ずある。
繰り返すが、まず、各自が目指すなりたい自分、そのためにICTを使う目的や利用イメージを明確にしておくことが肝心である。そのイメージに即して、必要なICTの要素技術と、各自身につけるべきスキルを組み合わせていけば、日進月歩の時代でも、道に迷うことはない。
ICTに対するメディア・リテラシー
この講座では、ICTの基本的な実践スキルを身につけるほか、ICTに対するメディア・リテラシーを養うことも目的としている。
聞き慣れない言葉かもしれないから、少し解説しておこう。
10年くらい前には、情報リテラシーとかコンピュータ・リテラシーという言葉があった。英語のリテラシー(literacy)は、読み書きの能力のことであり、「読み書きそろばん」というように、元々は、子供が大人になるために身につけるべき最低限の能力を指す言葉である。だから「情報リテラシー」とか「コンピュータ・リテラシー」は、コンピュータやインターネットを使いこなす能力ということになる。それが現代の社会人として必須の知識だと一般に認められたわけだ。とくに「コンピュータ・リテラシー」とは、コンピュータを使って情報を取り込み、処理し、整理し、保存し、発信できる能力をいうのだから、「リテラシー」の元々の意味、つまり単なる「読み書き」をはるかに超えた概念である。
しかし、いま、ICTに対するメディア・リテラシーというとき、それが意味するところはかつての「コンピュータ・リテラシー」よりもさらに広いのである。その理由は2つある。
第1に、現在ではコンピュータが、インターネットや、その背後にある記憶・検索・情報処理などの機能(クラウド)と一体になってICT環境と呼ぶべき一種の情報伝達メディアと化しているからである。テレビや新聞、雑誌、書籍も、従来からある情報伝達メディアだ。ICT環境というメディアを使いこなすのは、単にパソコンを使えるようになるよりはるかに高いハードルである。
第2に、ICT環境が社会の隅々、そして深く基盤(社会インフラ)にまで入り込んだために、その可能性(メリット)だけでなく、危険性や問題点(デメリット)もまた、大きく複雑になってきたことがある。メディア・リテラシーが未熟な状態で漫然とICTに接し続けることは、思わぬ被害を受けたり、逆に思わず他人に害を与えたりすることにつながるのだ。※2
2 私自身も、15年以上ICTを教えていながら、インターネット経由でクレジットカード番号を抜かれ、危うく100万円近い被害に遭いかけた。ベテランだって油断できない。
この講座で個別に触れる余裕はないが(詳しくは『山之口洋の 情報学講座【応用編】』で扱っている)、ICTのこうした2面性は、いわゆる「高度情報化社会」と関連して以前から論じられており、たとえばつぎの10項目にまとめることができる。
可能性(メリット) | 危険性(デメリット) |
---|---|
A. 生活水準の向上 | F. 情報過多 |
B. 自己実現の機会拡大 | G. 情報格差(デジタルデバイド) |
C. 人的交流の緊密化 | H. 個人の悪意の増殖 |
D. 民主主義の浸透 | I. 社会の弱体化 |
E. 新しい共生社会の可能性 | J. 高度管理社会 |
「A対F」「B対G」のように1対1のペアが5つあるのではなく、「(A,B,C,D,E)対(F,G,H,I,J)」のような5対5の構造である。
情報格差(デジタルデバイド)
上記の表のGに挙がっている情報格差(デジタル・デバイド)は、この講座との関連が深いので、解説しよう。
ICT環境の進歩・発展は、いまや先進国の社会そのものがICT環境化しつつあるように感じられるほど激しい。それに関連して考えておきたいのが、そうした社会における格差問題である。
格差問題は主として貧富の差について論じられることが多いけれど、ICT環境に日頃から触れている人とめったに触れない、あるいは触れられない人の間にも格差はあり、それを情報格差と呼ぶ。情報格差は貧富の格差とも密接に関わっている。重要なのは、これが格差そのものというより格差を拡大するメカニズム(図1-2)、つまり悪循環であることだ。

情報格差は、以下のようなさまざまなグループ間で起こりうる。
- 個人間(貧富の差)
- 世代間(情報リテラシーの差)
- 国家間(先進国と発展途上国)
- 公と私(権限・権力の差)
こうした格差が存在する社会で、みなさん自身はどう行動したらよいだろうか。「格差社会」の議論では、もっぱら「貧富の格差とその固定化」が扱われるが、実はその背後には個人間の能力の格差が開いてきているという不都合な真実が存在する。
情報格差についても同様である。幸いみなさんは、ICT環境がかなり普及した国に住み、パソコンが買えないほど経済的に逼迫しているわけでもないだろう。さきほども触れたように、将来目指す職業によっては「ICTに関わらない」「パソコンは使わない」選択もありうる(ただし時代とともに、そうしたニッチは急速に狭まっている)。だが、はっきりした目的もなしに、漫然とICTスキルの習得を怠り、格差をつけられる側に身を置いていることは危険である。
現代ではいわゆる第3次AIブーム(実際は「革命」に近い)により、人工知能(AI)が急速に進歩しつつあり、近い将来に人間の仕事の多くを奪うと心配する向きもある。私自身はそれほど悲観的な見方をしないが、確かなのは、AIという技術が、働く人々をAIを使いこなす人とAIに使われる人に文字通りデバイドしてゆくことだ。みなさんがそのどちらに進むかは、まさに一人一人のICT(AI)リテラシーによって決まるのである。
だが、そう悲観するにはあたらない。ICT環境という新しいメディアを、自分の目的に合わせて、しかも楽しく使い、深めていく道は必ずある。そのことさえ伝われば、この講座の目的はおおむね達成されたといえるだろう。
どう学べばよいか
大学における情報教育の構成は、図1-3のようになっている。情報学基礎論、つまり情報の哲学を欠いている大学もあるが、これはぜひとも開講すべきだろう。
ICTの実践スキルを身につけることは当然必須だが、それ以前に、まはたそれと並行して、「情報とは何か」という理論的基礎を学ぶほうがよい。それによって、社会で起こるさまざまな情報現象を正しく理解し、適切な行動が取れるからである。ICTスキルだけしか知らない人の情報行動は、とかく場当たり的で、大局観を欠いたものになってしまう。
なぜなら、「情報」は単にICTだけの問題ではない。人間と人間社会一般、さらには生命やこの世界の根源にまで関わる、さまざまな側面をもった概念だからである。

そしてこの理論的基礎の上に、ICTの基本を習得する科目(たとえばこの『はじめてのICT』がある。ここではハードウェアや基本ソフト(OS)、各種アプリケーションの活用、そしてメディア・リテラシーの一環としてのICTリテラシーを学ぶ。たとえばビジネスマンの大半が持っている情報スキルのレベルと考えればよい。
ただし、学校や会社でパソコンの操作に困らないとか、デスク・ワークが一通りこなせるというだけでなく、仕事や生活全般に、ICT環境を積極的に活用していこうとするなら、このレベルを超えて前進しなくてはならない。たとえば、専攻している学問分野や目指す職業に応じて、「文字情報論」「数値情報論」「画像情報論」といった専門科目を選択すればよい。もちろん、自分に必要のない分野は無視してよい。
また、市販のアプリケーションを利用するだけでなく、自分の目的に100%合わせてICT環境を動かしたいと思えば、ソフトウェア開発の科目(たとえばICTアプリ開発やプログラミング実習など)を履修すればよい。このレベルまでくれば、あとは自分のアイデア1つで、できないことなど何もないくらいだ。
巨大建造物や自動車を作ることは個人ではちょっと無理だが、ICTの世界では個人でできないことなど1つもないのである。必要な技術もハードウェアもすべて揃っており、買ってくることができる。後はそれらをいかに組み合わせるかという知恵の勝負なのである。