イベントレポ―ト

井上ゼミがトルコ共和国で現地研修を行いました

文学部井上ゼミでは2023年2月19日(日)~2023年2月24日(金)の期間、トルコ共和国にて現地研修を行った。

2月19日:
 研修の初日である19日は、フライトの3時間前19時半に成田空港に集合した。現在成田空港では新型コロナ対策のため、渡航前に空港内で要求される審査過程が従来よりも微増しており、実際に出発するまでにやや時間を要した。フライト予定は22時半であったが機器の入れ替えにより遅延が発生し、一時間遅れでのフライトとなった。
 途中アラブ首長国連邦、ドバイで乗り換えを行った。乗り換え時間が5時間あったため、当初の予定ではドバイにあるバスタキヤ地区を見学する予定であったが、飛行機の遅延により空港内で過ごすことにした。

2月20日:
 20日早朝、ドバイからイスタンブルへ向かった。再度遅延が発生し、目的地であるイスタンブルに到着したのは15時過ぎであった。タクシーを利用し、空港からカドキョイの町へ移動した。ホテルに到着後、カドキョイの町を散策し、夕飯を済ませた。カドキョイの町はアジア側にあり、港に隣接した町である。古くはカルケドンとして知られたこの町は、現在でもキリスト教の教会、ユダヤ教のシナゴーグ、イスラム教のモスクが混在する典型的な旧イスラム系帝国圏の町である。20日はカドキョイの町中にあるこうした宗教施設を見学した。

2月21日:
 10時よりウスキュダル大学にてイスラム教に関する講座、およびトルコ語日常会話の講座を受講した。ウスキュダル大学は脳科学・心理療法など医療系の分野に重点を置く私立大学であり、2011年に正式に発足した比較的新しい大学である。大学組織としては、コミュニケーション学部、保健学部、工学自然科学部、人文社会学部を有しており、社会科学研究所、文理科学研究所、保健科学研究所、スーフィズム研究所の4つの研究所を併設している。今回訪問したスーフィズム研究所は京都大学にも支部を持つ研究施設であり、本学講師である井上は、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科付属ケナン・リファーイー・スーフィズム研究センターの研究員として、同大学のスーフィズム研究センターと長年研究活動を共にしてきた。
 21日の講座はElif ERHANセンター長、Cangüzel GÜNER ZÜLFİKAR先生、Reşat ÖNGÖREN先生、Emine YENİTERZİ先生が担当し、すべて英語で行われた。まずは全員が自己紹介を行い、それぞれどのような研究テーマに興味があるのかを話し合った。参加者である学生の一人は、スーフィズムの修行方法の一つである「ズィクル」について卒業論文を執筆しており、主にガザーリーのズィクル論を取り扱ったと紹介した。センターのメンバーからは、思想面からのズィクル研究に加え、身体面からのズィクル研究も行うことでより総合的なスーフィズム研究になるとのアドバイスを受けた。

 2時限目はトルコ語の日常会話の講座を受講した。Cangüzel GÜNER ZÜLFİKAR先生はアメリカの大学でトルコ語の講座を担当していたこともあるトルコ語教育のプロフェッショナルである。1コマではあったが、簡単な日常会話を習得したことで、この日以降参加者らは積極的にトルコ語での会話を楽しんでいた。
 講座ののち、質疑応答の時間が設けられ、学生からはイスラム教に関する質問が多く寄せられた。イスラム教の信仰はムスリムにとってどのような意味合いがあるのか、という学生からの質問に対しては、Reşat ÖNGÖREN先生がクルアーンの章句「東も西も、アッラーの有であり、あなたがたがどこに向いても、アッラーの御前にある。(2章186節)」を引用しつつ、常に神に見られているという意識で生きていると発言した。またすべての存在物は神の有なのであるから、この世のすべては神の顕現であるとの見解を有しており、人間のような有機物から、目の前の机のような無機物まで、すべてはアッラーの創造物であり、アッラーの顕れである。このように考えると、怒りに任せて人を罵倒したり、机をたたいたりといった行為がいかに愚かしいかを実感することができ、常に平常心を保ち、神の中に守られているという意識を保つことができると言及した。こうした世界観をトルコ語で「ホッシュ・ギョズ」という言葉で端的に言い表すことができるが、ほかの言語に訳すことは不可能な単語であるという。直訳すると「良く見る」の意味であるが、神的な視線を通して世界を眺めることで、一種、達観を得ることができるという。この世の存在物のすべてが神の創造物であるからして、被造物のすべては神の顕現の一部であるという考えはイスラム世界の思想家イブン・アラビーの存在一性論的な考えを基盤としたものであるが、まさにこの考えを実践としてとらえている点が確認でき、非常に参考になった。通常イブン・アラビーの思想は理論として捉えられており、実践としては実行困難であると評されることが多いが、うまく日常生活にも取り込んでいる例として興味深い。
 ランチを挟んでさらに質疑応答の時間は続き、参加者から、神(アッラー)のイメージはどのようなものか、という質問がなされた。基本的に多神教徒であり、偶像崇拝も許容する文化にある日本人としては、一神教であり、偶像崇拝を固く禁止するイスラム教の信仰の根幹を、各々のムスリムがどのようにとらえているのかを想像することはやはり難しい。
 この質問に対し、Elif ERHANセンター長は、「色」を使用して考えてみてはどうかと提案した。参加者がそれぞれ神をどのような色でイメージしているか聞いたところ、学生からは白(太陽の光のイメージ)、黄色(太陽のイメージ)など様々であった。神を光のイメージでとらえるのは、スーフィズムにおいても最も一般的である。実は根本的な部分で似通った神観をムスリムも我々も有していたという点について、エリフセンター長は、ムスリムであってもそうでなくとも、宗教を超えた形の神観を共有することが相互理解の一歩であると述べた。イスラム教徒であるからといって、何か特別な神観や特別な信仰を有しているのではなく、日々の教育活動や仕事を通して世界に奉仕することで自身の信仰が達成されるという彼らの信仰の在り方に対し、参加者からは従来のイスラム観が覆ったとの声が聞かれた。エリフセンター長は、スーフィズム的な信仰の在り方と、現代の科学技術などを統合することで、新しいイスラム理解を生み出すことがスーフィズム研究センターの責務であるとして、現代的なイスラムの新たな可能性について言及した。

 また3月に起きたトルコ東部大地震の被災者支援の一環として、日本から衣類や義援金などを持参した。スーフィズム研究所はケリム財団を通し各種の支援活動を行っているが、早速支援物資として現地に届けてくれたとの続報を受けた。義援金は被災児童の義手となることが決定した。ウスキュダル大学の医療装具・補綴物学科を通し被災児童のもとへ送られる予定である。引き続きウスキュダル大学を通し支援を行っていきたい。

 講座の後、イスタンブルの旧市街を見学した。まずはエジプシャン・バーザールに隣接するイェニ・ジャーミイである。旧市街にあるモスクの中では比較的新しく建築されたモスクであり、内装に使用されているイズニック・タイルが特徴的である。
 次に地下宮殿を見学した。ローマ時代より貯水槽として機能していたこの地下宮殿は、長らく忘却され、近年再発見されたものである。イスタンブルではきれいな水を得ることが難しく、水の確保はローマ時代からイスタンブルに課された課題であった。ローマ時代に北部の森林地帯から現在もイスタンブルに残る水道橋を通し、イスタンブル中心部まで運ばれた水を、この地下にある貯水槽に貯め、使用していたのである。
 夜はホジャパシャ文化センターにてセマーを見学した。セマーはメヴレヴィー教団というスーフィー教団の修行の一つであり、上下白い衣服を身にまとい、音楽にのってくるくると回転することで神との一体感を現世において疑似的に経験するためのものである。18~19世紀にイスタンブルを旅した西欧の知識人らはこの修行を見て東洋的な神秘を感じ、積極的に世界へとこのセマーの様子を発信した。スーフィズムといえばセマー、というイメージがあるのもこのためであろう。日本でも古い時代の文献でイスラム教は回教、あるいは回回教という呼称で紹介されるときがあるが、いかにこの旋舞の様子が世界に衝撃を与えたかが良く分かる。
 セマーをはじめとしたスーフィー教団の活動はトルコが一定の宗教色をある程度排した形で、共和国として発足して以来公的には禁止されているが、現在も芸術活動の一環として継続されている。芸術活動の一環であるため、観光客向けに修行の様子を公開することも可能であり、多くの観光客がセマーを見学していた。

2月22日:
 午前中はトプカプ宮殿へ向かった。イスタンブル旧市街の東端の丘に建つこの宮殿は、三方を海に囲まれたイスタンブルの町の海の要衝として知られる。イスタンブルの町を手中に収めたメフメット2世は当初、グランド・バーザール付近に居を構えたが、後にこのトプカプ宮殿へと移り、以来1853年までオスマン帝国の歴代スルタンらの住まいであった。宮殿の内部は外・内・後宮に分かれており、外側にあたる部分は外交などの場、内側にあたる部分はスルタンの居住スペース、後宮は宮殿に住まう女性らの場である。特に後宮はハレムと呼ばれ、トルコ版大奥として現在放送中のテレビドラマにもたびたび取り上げられている。内部は美しいタイルで飾られており、床に座って生活をする様式であるイスラム式の建築物である。トプカプ宮殿内にはいくつか宝物庫があるが、いくつかは修復中で見学ができなかった。今回見学した宝物庫のうちでも本研修に重要であったのは、いわゆる聖遺物の宝物庫であろう。中には洗礼者ヨハネの頭蓋骨や預言者ムハンマドが使用していたとされるボウル、正統4代カリフらの刀剣などが展示されており、東南アジアからのツアー観光客が熱心に見入っていた。

 午後は新市街にあるドルマバフチェ宮殿に移動した。アブドゥル・ハミト2世までの1853年以降のスルタンらは、午前中に見学したトプカプ宮殿ではなく、ドルマバフチェ宮殿を住居とした。トプカプ宮殿はイスラム式建築であったトプカプ宮殿とは異なり、西洋式の宮殿である。19世紀に入り、西洋化の波の中で変容を余儀なくされたオスマン帝国が、いかに西洋化が急務であると捉えていたかが良くわかるほどに、大きな変化を2つの宮殿の建築様式から見て取ることができる。ドルマバフチェ宮殿はトルコ共和国発足後初代大統領となったムスタファ・ケマルの執務室、兼住居としても使用された歴史があり、宮殿の中にはムスタファ・ケマルが執務中に亡くなった部屋が当時のまま展示されている。
 夜はカドキョイの町で魚料理、羊料理を食べた。イスラム世界においては、羊は最もよく使用される肉である。なかなか日本では食べる機会がないが、トルコではケバブ、煮込み料理、前菜にと、実に様々な料理が存在する。最もポピュラーなのはケバブであるが、ケバブだけでなく、羊の脳みその前菜にもチャレンジした学生がいた。イスラム世界では羊を文字通り足の先から頭まで無駄なく食する。イスラム世界の食の真髄に触れることのできた夕餉であった。

2月23日:
 午前中は自由行動とした。一部の学生とウスキュダルにあるマルマラ大学神学部モスクを訪れた。ガラス張りの非常にモダンなモスクで、一見するとモスクとは思えない。内部はガラス部分から日の光が取り込まれ、ドーム部は段違いの木材を組み合わせた造りである。イスラム教のモスクというとどうしても旧市街にある古いモスクに目が行くが、トルコのイスラム教は常に進化を遂げている。こうした新しさをイスラム教に取り入れる寛容さ、先進性がこの国の強みであり、イスラム圏の他の国をリードする立場に立つトルコを肌で感じた。
夕方には帰国便に搭乗した。

2月24日:  無事成田空港に到着した。 (文責:井上)