宮古島舊記〔雍正五年本〕 宮古島舊記〔中扉〕 宮古島 平良四ヶ村壹所 南方 下里村 東方 東仲宗根村 西方 西仲宗根村 北方 荷川取村 一、御藏元。酉方向、下里、東仲宗根兩村之境、西方之磯涯ニ有。 一、漲水御嶽。御藏元前ニ有。由來、先舊記ニ有。 一、權現所。未申之間向、御藏元東側ニ有。由來、先舊記ニ有。 一、祥雲寺。亥方向、權現所東側有。由來、先舊記ニ有。 一、觀音堂。酉方向、祥雲寺南方隣所ニ有。由來、先舊記ニ有。 一、在番假屋。未申之間向、下里北方ニ有。 一、同筆者假屋、貳ヶ所。未申之間向、在番假屋左右ニ有。 一、藍藏。辰方向、同所北方隣所ニ有。 一、下里村番所。未申之間向、村眞中ニ有。 一、すみや川。但、洞川。堀年數不相知候處、康熙六丁未大地震ニ崩、雍正二甲辰修補。 一、漲水井。康熙五十七戊戌掘。 一、生れ川。但、洞川。康熙六丁未大地震ニ岩崩、其中ニ水有。翌戊申年堀。 一、さてふ川。但、洞川。堀年數不相知。 一、清白井。雍正二甲辰年堀。 一、友寄道馬場。南北三町七間、横五間。康熙三十六丁丑、友寄親雲上在番之時始。 一、尻間御嶽。男神、ちやくむ兼大世主豐見親と唱。  右由來、往古、下里村之内、すみやと申處ニ、こいとのと申人有。此人歳頃ニ罷成候へ共、無子事を嘆、朝夕信仰候處、無程女子一人産出申候。其子をまんなふと名を付、致慈愛候處、彼子七歳之頃、母致早死、無是非父こいとのハ、繼妻を迎申候。右母惡逆無道の者にて、野心を發、まんなふを可亡と巧居候處、或日、父他行之折節、まんなふを抱出、尻間山のあほニ投入申候。然處、あほの中、かつらはい懸、底へハ不落、七日七夜、啼歎仕候處、あほの上ニ天神天降、まんなふを抱、雲ニ乘、上天仕候處、其後まんなふ同心にて、本之在所、天降被召候。天神被仰候ハ、下界之者共、親類致不和、先祖之祭も怠候者ハ、以神劔御戒可被成と、劔の手を振、御ヘ候て、掻消様ニ失申候。依之、まんなふを神つかさニ立、神事相始申候。此尻間山ハ、天神の跡を垂れ給ふ所にて、中古迄ハ祭候事。 一、東仲宗根村番所。未申之間向、村眞中ニ有。 一、船立御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、外間御嶽。男神、禰間大按司禰間つのかわらと唱。  右由來、元祖、禰間大按司、其子禰間つのかわら、其子目K盛、其子眞角與那盤、其子房盛、五人の墓所にて候故、子孫相揃祭上候處、房盛弟、いかりと申人、龍宮界より先祖祭之法式鞁ねいりと申祭を授參候付、墓所を圍、草木を植、御嶽ニ仕成、其前にて鞁ねいり祭有之。中古迄ハ祭申候事。 一、伊良川、但、洞川。堀年數不相知。 一、しらか川。但、洞川。堀年數不相知。康熙卅一壬申大雨之時崩、雍正二甲辰修補。 一、西仲宗根村番所。未方向、村眞中ニ有。 一、ほとる川。但、洞川。堀年數不相知。康熙七戊申修補。 一、同所井。康熙五十九庚子堀。 一、大川。堀年數不相知。歴代ニ成、及大破、康熙五十六丁酉修補。但、牛馬之用水。 一、廣P御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、荷川取村番所。未申之間向、村眞中ニ有。 一、あほ川。但、洞川。堀年數不相知。 一、眞玉御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、白川濱之陸。東西ニ河原有。東河原、長四町四拾五間、横一間。西河原、長四町五拾五間、横壹間。兩河の流、北方之濱へ下ル。 平良四ヶ村舊式 一、世乞神之事。  右由來、十月、十一月、十二月三ヶ月、庚日〓(より)<309F>月ニ五日ツヽ出、毎年三度ツヽ神事為有之由候。様子ハ琉球上々之御為、嶋中人民之為、五穀滿作、船路之為を祈神之由候。神人數ハ、無食にて願為申由候。尤、諸村とも右神事為有之由候へ共、不相替候故、其村々ニ記不申候。右之神事、中古迄有之候事。 一、のきはな神、先祖祭神、大さくしあや神、大城神之事。  右由來、昔神代、十月、尻間御嶽ニ天神御顯、親類致不和、先祖祭怠候者ハ、以神劔可戒と神ヘ有之候。依之、其時〓(より)<309F>七日の神事を初、拾三年廻十月ニハ、其根所の亭主一人、神つかさ貳人ハ白衣裳にて齊精進仕候。朝晩ハ根所の家軒の下ニ、神つかさ一人、根所一門中の内より六人ハ神の装束にて立並、木刀を振祭申候。右謂ハ親類致和睦、先祖祭不怠候誓願之由候。神人數外之一門中ハ、其座の前ニ致伺公、神事相濟候へハ、致御拜立歸申候。右之神事、中古迄ハ有之候事。 一、鞁ねいり祭之事  右由來、昔神代ニ、眞角與那盤殿二男、禰問いかりと申人、孝行ニ有之、父死去之後墓所ニ参、晝夜歎居候處、孝心天ノ御感應も候哉、漲水天川崎と申所ニ、父爲活と夢を見て、彼所ニ馳参見候ヘバ、水涯ニ髪毛筋長七八尺之等有之候。餘れ長候故、疑敷存候處、美人一人忽顕れ、夜部此所にて、かもじを落候。其方取置候ハヾ、可給旨申候間、則相渡候處、美人ハ海中ニ飛入、行方不知候。いかりハ驚入、立歸、餘れ不審ニ存、翌朝も彼天川崎ヘ参候處、美人又立顕、申分、其方孝行之志、龍宮界迄無其隠故、龍宮界ヘ伴参、孝行之祭爲可授、龍宮之使ニ参爲申由候間、孝行之祭可授ニ付てハ、難有と、則判参、海中ニ沈歟と存候ヘハ、不覚金銀をちりはめたる宮殿ニ参申候。様々の御饗應有之、鞁ねいりの祭を授申候。此時、龍宮被仰候ハ、此祭拾三年廻ニ一度、九月之内先祖所にて祭候ヘハ、天地之預御加護、先祖之靈神ハ上天仕、嶋豊ニ子孫繁栄可有之候間、怠間敷由、御教御座候付、難有謹而禮拝仕、御暇乞申上候處、即件之女導、夢之心地ニ天川崎ヘ出候。龍宮界にて三日かと存候處、此世にては三年罷成候。則活命之心地、家ニ立歸、一門中相揃、歡之情を伸、傳受之通、根所ニ神人数ハ貳拾五人、其内いかりハ眞中ニ臺ニ居、西方ニ向、白はしの鳥之尾羽長一尺以上の等貫連ね冠ニ仕、白衣を着、名藏草紙を唱候ヘハ、貳拾四人之者共ハ、庭鳥の尾羽を貫連ね冠ニ仕、紺朝を着、いかりを立圍、いかりか詞を請、節毎ニ拍子を揃て鞁を打、十三日祭始。其由緒を以、中古迄祭申候事。  附。白はしの鳥尾羽之儀ハ、祭之年期ニハ、必當島北白川濱ヘ、爲寄來由申傳候。 一、仲宗根豐見親末孫、鯖不喰候事。  右由來、上古、西銘村へかはにやと申盲罷居候。其子男三人、女貳人有之。男子三人ハ惡逆無道之者にて、父の盲目を恥、父を可失企にて、或時海へ烈參、父を城赤と申干Pニ下シ、子共三人ハ漁取之體ニて、逃去致歸宅候。然は、時移、干Pニ潮滿、父ハ及必死候處、子共を呼候へ共、答者無之。啼喚候處、大鯖身の膚に障候間、是溺死も、鯖に喰て死も、同事と存、先鯖の背に打乘申候處、天之御加護にても候哉、白川濱へ着、危命を助申候。然は、女子貳人ハ父の行方を、三人の兄共へ問候へ共、無言にて還て、可害氣持有之。無爲方、貳人共啼〓(二ノ字点)<303B>父之無跡をも可吊と、めき、肴を用意仕、磯之遠近尋行、啼悲聲を父ニ聞得、父も高聲ニ喚候間、貳人の女子即刻立寄、活命之始終、泪共に相語申候。右鯖ハ、濱邊に浮候間、牛壹疋取寄、切殺、鯖ニ投あたい、致禮物候。父ハ女子共手を引歸宅仕候處、男子三人申様、今度ハ殊之外漁出來候所、是ニ障を取、時刻相移候て、父之本尋參候へ共、行方不知候間、無是非、啼々罷歸爲申段申伸候。是皆偽と乍存、野心之者共にて、睦敷體ニ取合居候處、天罰到來候哉、獵ニ出候處、逢風巻、行衛不相知候。姉女子ハ、平良村禰間てたのほちと申人女房ニ成、子孫致繁榮候。此かはにやハ、仲宗根之豐見親外戚方の先祖にて候。此以由來其末孫、鯖を氏神と愼、喰不申候處、又其後、仲宗根豐見親、八重山島之内たんた干Pと申所ニ船致破損、萬死一生之涯、鯖の助ニ逢、致助命候。氏神の加護、右通節々有之故、至于今も、其愼不怠候事。 一、伊佐良城。長三拾間、横拾七間。門午方向。  右由來、昔、城主、思千代按司、西銘飛鳥を討亡、威を振候處、其後按司ハ戰ニ討負亡、打殘之人々ハ、方々へ引退、村絶爲申由候へ共、前代にて不詳。城ハ破壞して、圍石根積計殘候事。 御藏元ヨリ午未之間當ル中間、貳拾六丁四拾間。 野崎貳ヶ村壹所                       東方 松原村 西方 久貝村 一、番所貳ヶ所。壹所未申之間向右、兩村之境ニ有。 一、内間井。但、堀年數不相知。 一、あま井。但、右同斷。 一、おやけ井。但、右同斷。 一、川峯御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、大泊御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、生子之額ニ鍋之ひすこを付候事。  右由來、往古、野崎村中井と申在所ニ懷胎之女貳人有之候。一人之夫ハ獵ニ致徘徊草臥居、もはや夜も更候て、闇中にて候へハ、難罷歸、村之南方、前離と申所之潟ニ、大木寄來候其側ニ寢候。折節三更之頃、寄木之ほぢと呼聲有。其寄木の邊〓(より)<309F>、應と答申候。獵人驚入、左右前後を見候へ共、更に容ハ不見得候が、聲計にて、今夜野崎中井之里ニ子貳人産出置候。汝と共、彼所ニ參、生子之運を定度由申候。又寄木の邊より、今夜ハ來客有之、難他行候間、汝一人可被參旨申候。左候て、應答無之候處、暫時有之、又申様、生子之所ニ參見候へハ、一人ハ男、一人ハ女にて候。女子ハ額ニ鍋のひすこを付置故、日ニ七升之喰を付申候。男子ハ其行無之故、日々に乞飯と定爲申由語申候。獵人餘れ不思議ニ存居候處、夜も明候間、はや家ニ立歸見候へハ、男ハ獵人の子、女ハ隣之子にて候。獵人女子之所に參、互ニ平産之祝を伸候て、生子を見候へハ、夜部怪敷もの共の物語之ことく、額ニひすこ有之候ニ付て、女子ハ運能候儀、無疑と存、右子共拾七八歳にも成候間、隣所相談にて、夫婦にさせ置候處、雙方之父母死去之後、年摯x貴の家ニ成申候。或時、麥初穗の祭とて、女房麥の粉を調、先祖の神々ニ祭上、其後夫へ進候處、年ニ稀成折目ニて候處、めき、肴の用意も無之、麥の粉計ノ祝にてハ不成合と、庭中に投捨、女房を折檻仕、終には致離別候。右通にて女房身の無置所、藏之中ニ於申候。其時、少寢候處、其夜の夢ニ、汝か福神、西銘村かはにや所へ移候條、尋行可有隨身旨、夢之告御座候ニ付、無是非處〓(より)<309F>立去、西銘かはにやを相尋候へハ、村の迦、荒之中、かつらはい懸候小家之中、只一人の老、貧賤ニ罷居申候。夢ニ應候間、則立寄、終ニ婚合之結有之候處、年摯x貴の家ニ成、其女子ハ、平良てたのほちと申人の妻ニ成、子孫繁昌仕候。前夫之儀は、漸々と及貧迫、乞飯にて渡世爲仕由候。此謂を以、至于今も、生子の額ニひすこを付候事。 御藏元より巳午之小間ニ當ル中間、壹里九町三拾間、野崎番所より、宿次廿九町五十八間。 下地之内、川滿村 一、番所。未申之間向、村眞中有。 一、浦大川。但、こもりにて候。 一、前川。但、堀年數不相知。 一、喜佐眞御嶽。男神、またね若按司と唱。 一、目利眞御嶽。女神、天仁屋大つかさと唱。  右兩御嶽の由來ハ、往古、天仁屋大つかさと申天女、川滿村の東方すみや森と申所に天降、目利眞按司と申人の妻ニ成、子四人産出申候。一の女子をは眞阿嘉もいと申。二の女子をは眞平知と申。三の女子をハ目利眞ま嘉那志と申。四の男子をハまたね若按司と申候。父の大按司ハ、右子共幼少の時致早死候。依之四人の子、母天仁屋の養育ニ仕候。然處、ま嘉那志拾三歳の頃、懷胎之色相見得、一家打驚、備眞嘉那志事、寢も覺も、母の側を不立離、孝を盡候處、致懷胎候事、其身計の非恥。兄弟中無面目と歎候處、十三ヶ月を經、男子を産出候。其子頭ニ角貳生、手足ハ鴈足似て人間之非姿。其名をは目利眞角かわらと申候。此子拾歳の頃、天仁屋并眞嘉那志、角かわら三人共行方不知失申候。其後目利眞山に、時々跡を垂、靈現有之。喜佐眞山には若按司、姉眞阿嘉もい、眞平知三人の者共、死骸を納置候故、嶋守の氏神と時々立顯爲申由にて、喜佐眞、目利眞兩所、同前ニ村中中古迄ハ祭候事。 一、浦島大立城。長三拾九間、横三拾壹間。門午方向。  右古城の主、浦島大立大殿と申人にて候。其兄、加賀良按司と申、隣所ニ栖居候處、或時、兄の按司を致招請、様々の饗應仕、一興の獻に、加賀良按司、左之眼ニ矢底有之候方より肴を進候鬱憤を〓<637D>、大殿を可害と企有之。或夜之闇致謀巧、門内におとし穴を構、大殿を被呼候。大殿、ケ様之謀を努にも不知、穴落、被討果候。大殿男子兼久ハ、其比拾歳之時、父を伯父按司に被害、怨敵には存候へ共、當時幼少之者不及力、屹と致勘忍、按司ニ身を寄、親とョ、念頃ニ奉公仕、折を相待候處、漸拾四五歳にも成候付、來間島大ほふりと申て、村中參會の祝儀ニ付て、按司を申請候。其時兼久も致供罷渡候。祝儀之半ニ、按司兼久を呼出、今日歎之餘ニあやこを作候へと被仰候。兼久畏て其場にあやこを作、おたひ候處、按司あやこの道理を聞召、敵討の心底〓<637D>候付、以後之災可有之と疑居候折節、來間村中の者共より、歸序ニ海慰ニ下地前濱沖干Pニ網立、按司を申請候。按司存候ハ、幸此場にて兼久を可討果と存、兼久へ申入候ハ、此干Pに魚多可有之候間、海入手柄可仕由、強て被申候間、可害企と乍察入、海へ飛入、海底より十間程先ニくゝり出、申分、大魚穴ニ込り澤山候へ共、我童の身にて不及力ニ候。按司御入候へと段々誠ら敷申伸候間、按司運盡果候哉、是を實正と存、其儘海へ飛入、魚を捜候最中、兼久ハさきを取、按司を海中にて突殺、親の敵を討、亡父ニ相手向、名を末代ニ殘、目出度仕合候處、此村至中古致衰微、人民離散仕、村落爲申由候へ共、前代にて不詳。村敷所ハ荒原ニ成候處、康熙廿五丙寅年、今川滿村相立候事。  兼久按司を鬱憤のあやこ 一、浦兼久浦おとか殿かよ、とのよせみやのきよらい城ん。 一、來間大屋はら大座敷ん、とのよせみやのきよらい城ん。 一、伯父按司のよかりや按司の御供せい、とのよせみやのきよらい城ん。 一、あこたくめ聲たくめてやまれハ、とのよせみやのきよらい城ん。 一、あは童歳の若もの(や)れハ、とのよせみやのきよらい城ん。 一、なふてむたいきやてむた作らや、とのよせみやのきよらい城ん。 一、加賀良とか大立とかはせをは、とのよせみやのきよらい城ん。 一、かゝりにやたまかきにやたせよらま、とのよせみやのきよらい城ん。 一、按司ハほこらい親ハふせらい、とのよせみやのきよらい城ん。 御藏元より午方當ル中間、壹里廿五丁三十八間、川滿村〓(より)<309F>、宿次拾八町貳拾七間。 下地之内、貳ヶ村壹所                     西方 上地村 東方 洲鎌村 一、番所、貳ヶ所。未申の間向、村眞中有。 一、おくら井。但、堀年數不相知。 一、川多井。但、右同斷。 一、ちやう井。但、右同斷。 一、みやくし井。但、右同斷。 一、赤崎御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、金濱橋。南北長五町四十六間、横壹間貳尺、高六尺。村西方之潟陸原ニ有。 一、池田橋。南北長貳拾間、横三間、高九尺五寸。村北方之潟陸原ニ有。 一、崎田河原。池田橋の東方ニ有。流水橋の下ニ潟へ下ル。河長、貳町四拾七間、河横、一間。 御藏元ヨリ午未之小間當ル中間、貳里貳町十四間、上地村番所〓(より)<309F>、宿次十町十五間。 下地之内、與那覇村 一、番所。未申之間向、東方村迦有。 一、されや井。但、堀年數不相知。 一、迎立井。但、右同斷。 一、池之御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、石城御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、内濱馬場。東西五町卅間、滿潮之時横拾間。但、干潟。 御藏元より巳午午之小間に當ル中間、貳里壹町六間、洲鎌村より、宿次貳拾貳町七間。 下地之内、嘉手苅村 一、番所。未申之間向、村眞中ニ有。 一、東井。康熙五十三甲午堀。 一、西井。康熙五十六丁酉堀。 一、おみや井。同年堀。 一、大山御嶽。男女神、天の兼殿、黒からのつかさと唱。  右由來、往古、先嘉手苅村の主こはり按司、氏神ニ拜爲申由にて、村落去之後、畠最前之者共、中古迄ハ祭申候事。 一、こはり城。長三拾一間、横貳拾五間。門未方向。  右由來ハ、城主こはり按司と申人の由候處、致落城、村も離散仕、村絶爲申由候へ共、前代にて不詳。村敷所ハ野畠ニ成候處、康熙五拾三甲午年、今嘉手苅村相立候事。 御藏元より巳午午之小間ニ當ル中間、貳里拾九町拾間、嘉手苅村より、宿次三十一町九拾間。 城之内、宮國村 一、番所。未申の間向、村眞中ニ有。 一、側草川。但、洞川。掘年數不相知。 一、穴川川。但、洞川。右同斷。 一、東川。但、洞川。右同斷。     御藏元ヨリ巳午之間當ル中間、貳里三十貳町五拾間、宮國村より、宿次貳拾九町五拾八間。 城之内三ヶ村壹所  東方 友利村 眞中 砂川村 西方 新里村 一、番所、三ヶ所。未申之間向、村眞中ニ有。 一、きやつら井。但、堀年數不相知。 一、まこ川。但、洞川。右同斷。 一、あま川。但、洞川。右同斷。 一、金志川。但、洞川。右同斷。 一、大川。但、洞川。右同斷。 一、山立御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、嶺間御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、高津間御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、前屋御嶽。男神、砂川大殿と唱。  右由來ハ、昔砂川大殿と申人、砂川村之主、砂川船を作始申ニ付て、船守神と中古迄祭申候事。 一、上平屋御嶽。男女神、天てくこ、天のほなさらと唱。  右由來ハ、昔神代ニ、男ハ天てくこ、女ハ天のほなさらと申人、夫婦にて、砂川村上平屋と申所へ住居、男子一人産出申候。其名さあね大ちと申。其もの七歳の頃、他村遣置候折節、四海浪起て、村中の人家不殘引流申候。さあね致歸宅候へハ、村空相成、父母も行方不知失申候。然は、童之身無寄付方、方々と致徘徊、啼叫候處、喜佐眞按司と申人ハ、不便被思召拘置、養育被成候。此童拾五六才にも成候時、みなこざ濱へ參候折、沖の方より嚴しき女一人小船ニ乘、陸へ漕參候て申様、我ハむまの按司と申者にて候。汝か妻ニ爲可成、龍宮の使ニ參申候。童大ニ驚、御身ハ非只人。我賤爲身。夫婦の契成間敷と、砂上ニ致拜禮候處、女重て申候ハ、我適龍宮の命を請、為參事候へハ、汝不及辭退候。先汝か父母の舊跡を見申度候と、再三被申候間、難有存、親の舊跡上平屋へ烈參申候。もはや村落て草木荒繁、淺間敷成果候所へ、夫婦の取合仕、千代萬歳と契申候。然は、男子七人、女子七人産出、右子共致成人候間、女房むまの按司申様、我汝を為可助、此中夫婦仕候へ共、もはや子共も成人仕候間、致古郷候。此世の縁を以、四海浪の難を可凌祭を授申候。三月酉日ニたいくを磯端ニ差付、四海浪の境を可立置候。至末世其難無之とヘ、暇乞仕、海中へ飛入失申候。此謂を以、三月酉日ニハ、毎年女ハたいくを取、磯端ニ差、男ハ船漕まねを仕候。尤、船漕まねハ、むまの按司ハ小船を漕參為申ニ付て、元祖之跡をまね、男女共白衣裳を着、祭申候。諸願ニ付ても、村中中古迄ハ祭申候事。 一、金志川城。長拾七間、横拾六間。門卯辰之間向。  右城、致破壞少〓(二ノ字点)<303B>根積ハ于今有之候。城主金志川豐見親、童名なきたつと申人、正コ八年、琉球上國之砌、國土安穩船路の爲、大盤若經六百巻御祈念、みはいつゝ奉頂戴持下、至于今、子孫ニ相傳申候。豐見親事、八重討之時、仲宗根豐見親ニ付隨罷渡、忠節有之人にて候處、崎原かわらと申者逢讒言、當嶋の主、仲屋豐見親、童名兼盛より討果爲申由候。此豐見親、船神と旅行の方崇敬仕候事。  謹敬白  願大盤若經王  六百巻  初百内  貳百内  參百内  肆百内  伍百内  陸百内  右祈念者  天長地久 御願圓滿  船中吉祥處也   大明正コ八年八月吉日 一、高腰城。長三拾間、横貳拾三間。門未方向。  右由來ハ、往古、城主高腰按司と申人の由候へ共、往古にて子孫不相知。村も致落去、城圍等も散々ニ罷成、根積計于今有之候。前代にて不詳候事。 御藏元より辰方ニ當ル中間、四里四町五拾貳間、友利村より、宿次壹里廿四町五十間。 城之内、保良村 一、番所。未申の間向、村眞中ニ有。 一、保良川。但、洞川。堀年數不相知。 一、浦底御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、そとり御嶽。但、離御嶽神一體。由來、先舊記ニ有。 一、保良村、往古も村爲有之由候處、致落去、野邊ニ成候處、康熙五十五丙申年、今之保良村相立候事。 御藏元より辰巳辰の小間ニ當ル中間、四里廿七町卅貳間、保良村より、宿次貳拾貳町三十九間。 城之内、平安名村 一、大川。但、堀年數不相知。 一、離御嶽。由來、先舊記ニ有。 御藏元より巳方ニ當ル中間、壹里廿三町五拾間、友利村より、宿次壹里拾壹町拾六間。 野原村 一、番所。未申の間向、村眞中ニ有。 一、竹荒川。但、洞川。康熙五十五丙申年堀。 一、前川。但、洞川。康熙五十八己亥年堀。 一、同所井。康熙五十七戊戌年堀。 一、平屋久御嶽。男神、大世主ひけたらと唱。  右由來ハ、昔神代、戰の折節、ひけたらと申人、世の有様を淺間敷存、平屋久峯ニ栖、耕作業を樂候處、此人の作物ハ殊之外出來、福貴ニ有之故、至末世ニ其跡を祭、耕作の神と中古迄ハ祭候事。 一、大嵩城。長五拾八間、横五拾四間。門未方向。  右由來ハ、昔、大嵩村の主、大嵩按司と申人の由、申傳候へ共、往古ニ成、子孫不相知候。村も致落去、圍石垣も散々ニ罷成、根積計相殘候處、康熙五拾五丙申年、今の野原村相立候事。 御藏元より卯辰之間に當ル中間、貳里拾町四拾壹間、保良村より、宿次貳里貳町六間。 長間村 一、番所。未申之間向、村眞中ニ有。 一、山川。但、洞川。堀年數不相知。 一、西銘飛鳥城。長壹町三拾間、横四拾六間。門未申の間向。  右由來ハ、昔、西銘間切の主こせさかりと申者の男子に、童名眞コ兼と云もの有之候。若年の頃〓(より)<309F>勇力人ニ立勝、別て走の達者にて、人皆是を飛鳥と名を付為申由候。然は、父こせさかり死去の後、其跡を繼、西銘村并おわて、片手、いこむ、きやけ五ヶ村の主と成、威勢張居候。西銘間切の西方ニ、伊佐良と云村有之。其主思千代按司と申候。飛鳥、常ニ此伊佐良をも責取可申内存有之故、思千代按司是を恐、時々賂を遣候へ共、更ニ和睦不仕。伊佐良の者共、常ニ白川濱へ參り、潮汲、漁なと仕候を、飛鳥害候へ共、不及力、此村の災殃近キ中ニ可有之と騒動仕候。然所、思千代按司存寄候ハ、しらか場の宇慶目會禮殿ハ、白川大殿と云者の男子にて、幼少の時、父母ニ離、伯母ニ致隨身、幼少の頃より小弓を作、蠅を射習弓取の達者と承及。是をョ可除災殃と存、男子すゝまらを以、種々の禮物を調、宇慶目會禮殿をョ申候間、致領掌、白川濱へ參、致徘徊候處、飛鳥伊佐良の者と心得、馳寄候へハ、案に致相違、宇慶目會禮殿にて候故、疎遠の情を述申様ハ、今幸ニ相會、天氣も長閑ニ有之、遊興の日と存候間、爰にて弓を慰度と申入候。宇慶目會禮殿、是社願所の幸と、心の内歡、左様ニ候はゝ、常の體にてハ興もなく候間、砂に立様ニ、脇迄堀埋候て戲候はゝ、一入面白可有之と、互ニ貳拾間程隔置、砂を堀、宇慶目會禮殿ハ、兼てよりの巧にて候へハ、跪て脇迄堀埋、飛鳥ハ運盡果候哉、立様ニ脇迄堀埋候。此時亙ニ辭退仕、歳兄よりと申候處、飛鳥一矢射候處、宇慶目會禮殿顔を側め候故、耳の羽を射通候。宇慶目會禮殿為恐入體にて、戲の遊興と申候て、約束致相違候ハ、難心得由申候へハ、飛鳥今ハ些度手輕、無調法の段申譯候隙ニ、宇慶目會禮殿矢を放候處、飛鳥兩眼に射込候て、其身ハくり舟七艘、並うつほきたる末の船ニ身を隱候。飛鳥ハ矢をも不拔、砂穴より躍出、宇慶目會禮殿為居穴を捜、くりふね六艘も蹴起候へ共、宇慶目會禮殿隱居船ハ不蹴起、西銘へ走去申候。宇慶目會禮殿ハ伊佐良村へ參、手柄の段申伸候。此時、思千代按司申候ハ、飛鳥兩眼乍被射走去爲申由候。然は、御自分ハ遠方の人にて、稀にも白川濱へ爲參儀ハ無之候へハ、定て此方ョを請、右通候半と致推量、此方へ寄來候半。左候はゝ、如何可仕と恐入、誰か行、飛鳥の様體を可見來と再三申候へ共、進出候者無之候處、下女さらもいと申者進出、我西銘へ參、飛鳥の様體見來候ハヽ、下女の身を御免被下度旨申出候間、其段可然通申談候。さらもい商人の體に仕、飛鳥門外に立寄窺候へバ、爲死様子にて、男ハ葬禮を營、女ハ啼悲、其詞ニ、   此西銘こや、此おわてこや、飛鳥か、舞鳥か故んと、村立や、國立や、おたらめ、けふ失み、あちや失む、しらぬ、と、 啼悲聲夥敷有之候ニ付、さらもい立歸、ケ様こと告候間、伊佐良村の者共、皆活命の心地ニ祝、宇慶目會禮殿ニ恩を謝候。則さらもい下女の身を免、古郷野原村へ歸候處、思千代按司存候ハ、下女の身さへ敵人の方へ參、安否を伺來候處、男ハ皆致臆病候。彼さらもい生置候ハヽ、世間相洩、物笑成非而已、還て村を討參者可有之と、彼さらもい追懸爲討果候。西銘間切是〓(より)<309F>漸々と被追散、村絶爲申由候。右村敷所ハ、今野畠ニ成申候。彼畠最寄の作人、往還の時、俄ニ病死仕候者共敷多有之。定て此飛鳥亡魂のたゝりにても候哉、彼舊城へ香花を祭上候間、直候(ニ)付、人々聞付、年攝柱h仕來、中古迄ハ祭申候。古舊城の隣ニ、 雍正三乙巳年、長間村組立候事。 御藏元より丑寅の間ニ當ル中間、一里六町八間、長間村より、宿次貳里拾四町四十間。 大浦村 一、番所。未申之間向、村眞中ニ有。 一、保喜理川。但、洞川。堀年數不相知。 一、大浦西井。康熙五拾三甲午年堀。 一、大浦御嶽。男神、あかき兼丸と唱。  右由來ハ、昔、村爲有之時より、五穀の神と云傳、村落去の後も、野人とも中古迄ハ祭申候事。 一、大浦多志城。長壹町拾間、横三拾五間。門申方向。  右由來ハ、城主唐人、名ハ不知。昔唐ハ鬪諍の折節にて、心静ニ難住居故、太平の地ニ渡、無事ニ渡世を樂度存、寶物を船ニ積、大浦村ニ着、右之城を構、嘉手苅村たまねくろと申者を妻ニ取、村の主ニ成、大浦多志豐見親と致改名候處、當島も其折戰の折節にて、右村戰負落去爲申由候へ共、何代相保、何某ニ被討候段ハ、前代にて不相知。村敷所ハ野邊ニ成候處、康熙五十三甲午年、今大浦村相立候事。  唐人渡來のあやこ 一、大浦多志なかる多志豐見屋、よい。 一、唐のしま福州のしま生れ、よい。 一、いくさしまほありしまやれは、よい。 一、おられけけ立れけけにやねは、よい。 一、ふねかまはみそかまはおそけ、よい。 一、布や張とまや張かふせ、よい。 一、絲巻は布巻は積あけ、よい。 (一、唐かめはすひかめは積あけ、よい。) 一、ねん筵ねん疊積あけ、よい。 一、ふしまくらねんまくら積あけ、よい。 一、はい風のなこ風のおすたりや、よい。 一、風たとれおりたとれ出ちやれや、よい。 一、一夜こめあちやのすとむてんな、よい。 一、大浦ほわんなかるほわんへやり着、よい。 一、ぬか火立けふし立見れは、よい。 一、立かけさむいかけさあれおれは、よい。 一、川をまあれ水をまあれ見れは、よい。 一、いら川のかけ水はむつけ、よい。 一、田をまあれはたけまあれ見れは、よい。 一、た原田のはまやな田はむつけ、よい。 一、ときのほかあてのほからしさん、よい。 一、屋敷取所取せをとれ、よい。 一、よかほはいむて世はいしゆりやまれ、よい。 一、とじむにやたまふけやにやたおれはと、よい。 一、嘉手苅のたまんふろほにやつは、よい。 一、おりおけのたまんふろほにやつは、よい。 一、なか人を乞ものをすめれは、よい。 一、やらすないなこすないやらせは、よい。 一、保喜理森おかい峯や立せ、よい。 一、島廣け國廣けとよめおり、よい。 御藏元より丑方ニ當ル中間、貳里、大浦村より、宿次貳十九町五拾壹間。 島尻村 一、番所。未申之間向、東方村迦ニ有。 一、山田川。但、こもり。其側ニ井有。堀年數不相知。 一、島尻御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、野猿間御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、渡地橋。長南北五拾五間、横壹間、高八尺。村の西方潟原ニ有。昔狩俣村、四島の親、童名百佐盛と申人、狩俣、島尻、大神、池間合四ヶ村、壹人にて〓<566F>候ニ付、四島の親と爲申由候。然は、人々潟路爲可凌、往還之難、慈心を發、右橋積爲申由候事。  四島の親橋積立あやこ 一、首里天の美御ほけ、王天の美御ほけ、おやけめずあかり。 一、狩又の親なれ、島尻原主なれ、おやけめすあかり。 一、大神かめかけそへ、池間かめかけそへ、おやけめすあかり。 一、あんせてやむすてから、四原てやむそへてり、おやけめすあかり。 一、渡地ハ積あけ、P渡は積あけ、おやけめすあかり。 一、積上ハちいからや、きよらいわちいからや、おやけめすあかり。 一、上や上ほこり、島や島ほこり、おやけめすあかり。 御藏元より子方當ル中間、貳里十八町五間、島尻村より、宿次廿六丁五十五間。 狩俣村 一、番所。未申の間向、村眞中有。 一、つり井。但、堀年數不相知。 一、みや井。但、雍正二甲辰年堀。 一、中間御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、新城御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、大城御嶽。由來、先舊記ニ有。 御藏元より子丑丑之小間ニ當ル。 大神村 一、東井。但、堀年數不相知。 一、西井。但、右同斷。 一、大神御嶽。由來、先舊記ニ有。 御藏元より亥方當ル。 池間村 一、番所。未申之間向、村眞中ニ有。 一、川田井。但、堀年數不相知。 一、池間御嶽。由來、先舊記ニ有。 御藏元より酉戌酉の小間ニ當ル。 伊良部村 一、番所。未申之間向、村南方ニ有。 一、國中川。但、洞川。堀年數不相知。 一、神里川。但、洞川。右同斷。 一、たけふ井。右同斷。 一、乘P御嶽。由來、先舊記ニ有。 一、長山御嶽。男神、かね殿と唱。但、鐵を持渡候故、かね殿と唱申由候。  右由來ハ、昔、當島鐵無之、耕作の働も、牛馬の骨を以、とやかく仕候處、大和人漂來仕、鐵持渡、長山ニ栖居、農具打調、村中ニ相渡候付、作業漸くはか行、五穀致滿作、人民豐ニ渡世仕候ニ付、作物の初を祭、大和人の跡を吊、村中、中古迄ハ祭申候事。 一、石泊御嶽。男神、中勢大殿と唱。  右由來ハ、昔神代ニハ、此石泊山ニ、磯の神と白髪の老神立顯爲申由にて、村中、中古迄ハ祭申候事。 一、比屋地御嶽。男神、あからともかねと唱。  右由來ハ、昔神代ニ、久米島より、御神兄弟渡海ニて、弟神ハ比屋地山の神となり、兄神ハ八重山おもと嶽の神と成たる由候。右神御縁を以、八重山、宮古前代より爲致通融由候事。 一、豐見氏親。伊良部、平良の渡中にて、大鯖切殺候事。  右由來ハ、昔、伊良部村の主、豊見氏親と申者、力萬人に勝、大勇者ニて候。其比、伊良部、平良の渡中ニ、大鯖時々往來の船を覆シ、人を喰、渡海難成候付、悉ク及困窮候。氏親、被存候ハ、何とそ此鯖を切殺、萬人の愁を除可申と日を定、比屋地御嶽へ誓願仕、只獨小船ニ乗、沖へ漕出候處、件の大鯖馳來、船諸共ニて、可呑體候。氏親一尺程の刀を持、海ニ飛入候間、大鯖一口ニ呑入候。氏親鯖腹中ニ入、鯖の腸切破、腹内〓(より)<309F>割出候ヘ共、不相保、頓ニ相果申候間、則比屋地山の側ニ葬置、御嶽の御神同前ニ、中古迄ハ祭申候事。 一、伊良部村の内、下地の西方ニ、通池有。此所ニ、或人の継母有。継子ハ兄、直子ハ弟。両人共三四才の比にも候哉、母抱両人、通池ニ烈参、継子ハ端ニ寝セ、直子ハ懐ニ抱、継子寝入候ハヽ、可落企ニて寝入候處、天の加護にも候哉、母ハ先寝入、不思議哉、幼童分別有、直子ニ相替、母懐ニ入、寝替、直子ハ端ニ寝置候處、母継子と心得、則踏落、周章の體ニ家ニ罷歸見候へハ、抱参候子ハ、継子にて候故、無是非歎居申候。人間の惡行即時に可報哉と、至末世人々申傳候事。 一、とさと申者の女房、以謀、貞女の道を相保候事。  右往古、伊良部村の内、西村ニ、とさと申者、漁ニ出、干Pの穴を捜、蛸可取と手を入候處、如何仕候半、手抜不罷成。滿潮ニ隨ひ及必死候折節、かみやにやとかと申者、馳參候て申分、其方此死相究候。此方願相達候ハヽ、可爲助命由申候付、とさ申分、活命の上ハ何にても望次第に達可申候。とか申分、其方女房世ニ嚴しき美女ニて候。助命候ハヽ、私ニ讓候哉と申候付、無是非命替にて候間、可相渡致約束、相助候。依之兩人共家ニ歸、右の段女房ニ相語候へハ、活命の段尤の至候。日を撰、婚合可仕由申延、めき、肴用意仕、とかを申請候て、申分に、人の女房取候ハ一節の幸ニて候。夫婦取合爲申あやこ作、世々共夫婦の名を傳、實ニハ本の夫婦取合候へハ、互ニ眞實道ニ相叶申候間、其通ニ被仕度由申候付、道理ニ伏シ、あやこを作、差忍爲申由候事。 一、かみやにや美里にやとかよ。 一、よりからの目眉つきはなから。 一、いせやちやるかたらちやるめよとの。 一、猶めやふたいきやめやふたからや。 一、やら捨んやら投んすてれハ。 一、むまか家に親の本いきよとれ。 一、苧口取まかき取せおとれ。 一、ふあよりあまさり夫持ちいめそ。 一、殿よりあをの夫持ちいめそ。 一、あんせいちいむまか家んいけふれハよ。 一、おれせいちい親の家んいけふれハよ。 一、いくかちよむ百さちよむならんきやよ。 一、上鹽川のまことさか前から。 一、なか人を乞ものをやらせは。 一、捨夫のなけ夫の見りまい。 一、まことさそ家持夫せらるや。 一、まへけりやそ所帯夫せらるや。 一、あんせもい是せもいおたそか。 一、あかむまのなす親のすかたや。 一、ねたさはなすむさはなやれは。 一、やらすなひやらかなひすてれハ。 一、あんめかむこのらへむしやすない。 御藏元〓(より)<309F>酉戌の間ニ當ル、伊良部村〓(より)<309F>、宿次廿四町拾貳間。 佐和田村 一、番所。未申之間向、村眞中ニ有。 一、こや井。康熙廿五丙寅年堀。 一、む中井。雍正四丙午年堀。 一、佐和田井。堀年數不相知。 一、嵩平御嶽。男神、大世主豐見親と唱。  右由來ハ、昔、嵩平山ニ顯れ、沖之永良部島之神、此島へ渡、氏神と爲成由にて、中古迄祭申候。其隣ニ康熙廿五丙寅年、佐和田村組立新村立候事。 御藏元より午未午の小間ニ當ル。 來間村 一、番所。未申之間ニ向、村眞中ニ有。 一、やはら川。但、洞川。堀年數不相知。 一、西新崎御嶽。由來、先舊記ニ有。 多良間島 西方 中筋村 貳ヶ村壹所 東方 鹽川村 一、番所、貳ヶ所。壹處、村眞中ニ有。 一、あま川。但、洞川。堀年數不相知。 一、ふさと川。但、洞川。右同斷。 一、あたりま川。但、洞川。右同斷。 一、鹽川川。但、洞川。右同斷。 一、運城御嶽。神名、おとかふせらい神のふせらいと唱。 一、泊御嶽。神名、出みさう入みさうの眞主と唱。  右兩御嶽の由來ハ、昔神代に、仲筋村の主、平屋西と申人の男子、おそろと申者有之候。此人幼少の頃より、心正直ニ〓(して)<3006>、朝夕天を拜候處、致成人、彌信仰を發、運城、泊兩所ニ山を仕立、天神を請待仕度旨、右兩山ニ三七日籠、御願仕候處、運城ニハ島守の神、泊山には船路守の神天降被召、神代には願に應、跡を垂給ふによつて、御嶽と仰。至于今、作物の初を祭、村中崇敬仕候事。 一、鹽川御嶽。神名、遊かけはへるかけあるつと唱。  右由來ハ、昔神代ニ、鹽川村百姓、はりまたまちやらと申人、或時畠ヘ出致耕作候砌、神名眞と申所の大石二ツ、はりまと申嶽へ飛越候を、たまちやら見申候。大石飛越候ハ、奇妙の可爲靈石と、村中の者申合、四方ニ木を植付、御嶽ニ仕成拝候處、其石の上ニ靈神現シ、鹽川村守護の氏神と跡を垂爲申由ニて、至于今も、作物の初を祭上、村中崇敬仕候事。 一、神名遊ひの事。  右由來ハ、昔神代ニ、多良間島の主、嶺間按司と申人、宮古島豐見親へ相隨、毎年罷登致通融候。然處、子十月、宮古より歸帆の砌、逢逆風、無是非風儘ニ致漂流候處、何國共不相知候嶋の潟ニ船を乘上申候。其嶋ニ布やを張、男女立揃、晝夜三日三夜躍候姿ハ、人間の非行跡。とかく神島にて可有之と存、彼神前ニ祈願仕候ハ、乘船無恙歸島仕候ハヽ、神のまねにて、永代可祭上旨拜候處、忽順風相成、船も自然と浮候間、彼島出船仕、三日振ニ如、多良間歸島仕候。右通、神の御徳を蒙候へ共、神道具無之、神事之勤不罷成故、峯間按司、西方の磯邊ニ立出、先の神島へ致祈願候處、神道具、はしの尾羽、五色の玉、五色の櫛、并鞁、神棚崎と申所へ寄來候。是神の功コハ、即時ニ可顯と恰、是を取、神のまねにて、祭始申候。是より拾三年廻ニ、子丑寅三年十月の内十三日ハ、五水、花を飾。尤、神装束ハ、男貳拾人、白はせをにて作髪、作髭にて、白朝を着、大帶前にたれ、もすひにて、神つかさハ眞中ニ臺ニ居、南ニ向、神あやこを唱候へハ、餘ハ是を立圍、神つかさのあやこを請、節毎ニ拍子を打、祭申候。女拾人、白朝を着、髪ハもてい仕、後へたれ、白さじを後へたれ、もすひにて、櫛を髪に差、櫛に五色の玉を懸、神つかさハ、杖を付、眞中ニ立、神あやこを唱候へハ、餘ハ是を立圍、つかさのあやこを請、祭申候。尤、男女の座、別々に有之候。右祭、中古迄相傳候へ共、于今無之候事。  土原豐見親、童名おそろ  右、弘治年間の頃、八重山島謀叛ニ付て、琉球より討手の御大將御下向の折節、當嶋仲宗根豐見親も相隨被罷渡候砌、此土原豐見親も、宮古豐見親ニ付隨、八重山島罷渡事、能討治、琉球迄首尾好相勤候。依勳功仲宗根の豐見親於琉球奉訟、土原豐見親を多良間島の主豐見親職を爲被仰付由候事。 一、水納川。但、洞川。堀年數不相知。 一、水納御嶽。神名、豐見おほそりと唱。  右由來ハ、昔神代に、城たけと申處に、天神五穀御持下候を、くし原よのし、水納へやよのしと申者貳人にて拜候て、此所を御嶽に仕成、祭來爲申由にて、中古迄ハ祭申候事。 一、鷹の墓所之事。  右由來ハ、昔、大和人只一人水納島へ致漂來、栖居候處、右大和人飼立の鷹、湯の粉袋を翅ニ懸、飛來候。大和人袋を取、不思議の感涙を流申候。左候て、大和人指先を碎、其血を以、硯筆の二字を袋ニ書、差歸申候。然處、無程硯筆を翅に懸、同島石泊と申濱へ、鷹ハ死て寄付申候。鷹生候ハヽ、文を以古郷の通融可罷成候處、右仕合ニて、左も不罷成候へハ、鷹死骸を葬、歎居申候。其後折々鷹飛來、右墓の上ニ舞集申候。定て其鷹之末にて、鳥類とても、元祖の跡を尋可申歟と、見る人感情を催候。尤、大和人の行衞ハ前代ニて不詳候事。 嶋中有物之事。 一、紺島布之事。 一、上布下布之事。 一、牛馬羊之事。 一、蘓鐵之事。 一、あたんは莚之事。 一、ふくゐ莚之事。 一、白菜角又之事。 一、木棉花之事。 一、土かめ之事。  一、海馬之事。 湊數之事。 一、張水湊。濱より沖貳丁三十間、深さ汐干ニ貳尋三尺。 一、浦底湊。入口六町拾間、丑方向、是〓(より)<309F>奥遠淺壹町貳間、難風之時、船懸、是〓(より)<309F>沖、城赤干P、流拾五丁、亥巳よこ貳町、地との間壹里半。但、浦底より。 一、あな川湊。入口貳丁、午方向、口廣さ拾五間、小船懸所、深貳尋。 一、多良間島湊。小船入口、子方向、たりな崎〓(より)<309F>小船入口迄、干P續汀〓(より)<309F>干Pの間、一貳町、四五六町宛出ル。此内干潟。 <東恩納本・宮古本の校合本文>ココカラ↓   嶋中の爲、勳功有之候人由來   根間目K盛豐見親跡嶋主   大立大殿。童名、まさり。   大立大殿跡嶋主根間目K盛五代之孫   仲宗根豐見親。童名、空廣。 一、大明天順之頃、當嶋の主、大立大殿、童名まさりと申候。空廣事、其時幼稚にて、此大殿へ致隨身候處、氣量好有之、大殿心に相叶、内證惣を聞居候。大殿及老衰候付、男子ぬちてもい、空廣兩人へ申付、當嶋下知させ候處、大殿死後ニ、ぬちてもい致上國、歸帆之砌、久米嶋へ漂着、病死仕候付、 首里之蒙御諚、大殿跡職、空廣頂戴仕候。爲御目見致上國候間、金銀之御簪頂戴仕、罷下申候。弘治年間之頃、八重山嶋謀叛之企有之候に付、琉球へ奉訟候處、討手之御大將、當嶋へ御下り被成候間、御供達にて、八重山嶋へ罷渡、與那國迄討治申候。其時〓(より)<309F>年貢相極、差上申候。就夫、空廣豐見親次男祭金豐見親、八重山嶋の勤番被仰付、罷下相勤申候。三男知利眞良も兄へ附隨罷渡、彼嶋名田大父と申者の聟ニ成居候。知利眞良末孫、今頭、大濱親雲上之由承候。地金丸(刀)一振、(む)玉一ツ、豐見親永代の寶物にて候處、八重山嶋討治泰平罷成候間、琉球へ持登差上爲申由候。豐見親、嶋の主ニ成候に付、神水のあやく、并八重山嶋討治、兩嶋共上納仕候あやく有之候。  弘治年間之頃、同人、嶋の主成候付、あやこ 一、空廣か豐見親のあやくとそ、まなふたね廣と豐ま。 一、うきなから美御前から美御聟、まなふたね廣と豐ま。 一、しまためる國ためるたやまひは、まなふたね廣と豐ま。 一、あか親むまよのこむ談合せ、まなふたね廣と豐ま。 一、根間眞中外間眞中ん、まなふたね廣と豐ま。 一、平良皆うやミそねうこない、まなふたね廣と豐ま。 一、白か川の湧とゝかかけ水、まなふたね廣と豐ま。 一、ちきやい水すつか水呑、まなふたね廣と豐ま。 一、城しまうふら嶋ひりめやい、まなふたね廣と豐ま。 一、友利大殿と砂川大殿と、まなふたね廣と豐ま。 一、城皆うわら皆うこい、まなふたね廣と豐ま。 一、へたら川の湧とゝかかけ水、まなふたね廣と豐ま。 一、ちきやい水せつか水呑せ、まなふたね廣と豐ま。 一、大下地大日の上へりめやい、まなふたね廣と豐ま。 一、川滿のとのとまなふかりとのと、まなふたね廣と豐ま。 一、下地皆田の上皆うこない、まなふたね廣と豐ま。 一、へふつかの湧とゝかかけ水、まなふたね廣と豐ま。 一、けきやい水在川か水呑せ、まなふたね廣と豐ま。 一、しま鎭國豐々ら、まなふたね廣と豐ま。  同人、定納相調、初て琉球へ差上候時、あやく 一、仲宗根の豐見屋か國直の眞玉か、よい。 一、根立たらうたいり始まりうたいり、よい。 一、我宮古のミやものハ大宮古の御物は、よい。 一、大藏んうるせうやさあんうるせ、よい。 一、中宗根のミうねん雲んたけにうねん、よい。 一、上もらせ積揚け端よらせ積揚け、よい。 一、かせ待うれはおれを待うれは、よい。 一、眞南風根の眞かせのやりけ根の眞南(の)、よい。 一、やぱ/\とうんたりやなく/\とうしたりや、よい。 一、那覇の親泊んより崎親泊ん、よい。 一、あけなけな守れもてなけれ守れ、よい。 一、あまりふくらさんときのふからさん、よい。 一、首里森持登またま森もちいのれ、よい。 一、前の庭ん積揚て大庭中積揚て、よい。 一、御主かなし美御拜(わ)天かな(し)美御拜は、よい。 一、なす子たけうむこんこむ子たけうもわれ、よい。 一、金ふきあはんて鉛ふきあはして、よい。 一、すて生れたけとあり羽生飛たけとあり、よい。  同人、八重山入の時、あやく 一、空廣か豐見親のあやことそ。 一、おきなから美御前から美御聲。 一、空廣よ宮古となめてやまれは。 一、豐見親を嶋となめてやまれは。 一、我宮古も大宮古もつかやん。 一、大八重山の下八重(山)の人よ。 一、返せ見た戻せ見たてりいは。 一、返(さ)れの戻されのねたから。 一、十百つの十百さの中から。 一、手まさりやはかきとよめやは撰。 一、大平良大もかねからやく。 一、中屋かね兄の金盛とよ。 一、堀川里こもり里ならとよ。 一、上ひや里東里ならとよ。 一、大川盛與那覇もゝたらとよ。 一、崎原の西原のかあらもや。 一、すミや大つゝの主つかさと。 一、ありや生れふくりととの大ふちと。 一、金志川の豐見(親)金盛とよ。 一、城なき弟なきたつとよ。 一、砂川あふかめさらの主とよ。 一、下地生れもてやにきやもりとよ。 一、川根のまんいりのまんきやかとよ。 一、來間生れわりミやのとのとよ。 一、野崎生れ赤宇立親とよ。 一、伊良部生れ國仲のまたらと(よ)。 一、よるい生れ(ひ)やけのうまのことよ。 一、神まさりやいはんとのおもとよ。 一、池間生れ上ましのけさとよ。 一、はなれ生れ尻の座のせんとよ。 一、磯はなのはけ嶺のまんきやと。 一、かりまたのミなう地のさもりやと。 一、かねや大さらの主つかさと。 一、大神生れ豐見かねせとらとよ。 一、土原の内原のうはせと。 一、いくさはなふあらは(な)よいふへ。 一、大八重山ん下八重山んへやれいけい。 一、いくさミやをふあらミやをすせはと。 一、あけず舞をはへら舞をさらとれ。 一、前手んち百さるきたふせは。 一、尻手んち百さるきたつせは。 一、與那國の嶋かたんへあり(い)けいは。 一、與那國のいきはての鬼とら。 一、いき向ひへひ向ひ立とん。 一、空廣か足なけいミやはて。 一、豐見親のひさなけいミやはて。 一、返せ見と戻せ見と豐ミや。 一、あんやらはおれやらは鬼とら。 一、我刀治金丸請見る。 一、聲掛は言とのいはにふさせ。 一、鬼とらを苧ふきたけたうせは。 一、うんそよく嶋鎭豐まれ。  同人、八重山入の時、嫡子仲屋の金盛豐見親捕參候女のあやく(。但、鬼とらか娘) 一、耳せきかや漲水肝せ思ふたうやさけ。 一、中屋主か美御ふけんやこめ親の美御ふけん。 一、漲水もあは見てうやさけもあは見て。 一、しらか川と通ひうり寄合川と通ひうり。 一、白明川やもたやく寄合川やあふやと。 一、すともての川うれ明さるの川うり。 一、根間座を越んな外間座を越んな。 一、あはなけはつはふむいよちうりんふちは泪うて。 一、あか八重山んうりんな下八重山んうりんな。 一、あめにやちよもみやみぬ露にやちよもんめやめぬ。 一、あたりことやた(は)りかなさことやたはかり。 一、川んかいはりれうり水汲かりかりうり。 一、豐見親の御ふけんやまめ親の美御ふけん。 一、戻せふいる豐見親歸せふいる屋こめ親。  同人、嶋の主ニ成、神水ニ諸村へ罷通候砌、下地村の内かな濱と申潟より、平良(村)之往還仕諸人難儀の體見及候ニ付、神水の後、かな濱橋積爲申由候。其時のあやく 一、下地みやらへや田の上みやらへや、まなふたね廣と豐ま。 一、うけみさ(う)のかな濱の道から、まなふたね廣と豐ま。 一、なんはたちやいちやたらいかかもば、まなふたね廣と豐ま。 一、ももねかみたもとかみかかけ、まなふたね廣と豐ま。 一、平良道うやミそね通いうり、まなふたね廣と豐ま。 一、うり見たり目と見たりいちやけの、まなふたね廣と豐ま。 一、下地皆田の上皆うこない、まなふたね廣と豐ま。 一、男せや石持女せや土持、まなふたね廣と豐ま。 一、橋積あけ石積あけからや、まなふたね廣と豐ま。 一、ならはたりやあこハひたかゝもは(た)、まなふたね廣と豐ま。 一、あとたらせ地はらふて通いうり、まなふたね廣と豐ま。  頭役立初候由來 一、仲宗根豐見親跡職、嫡子金盛江豐見親官被仰付置候(處)、不屆之儀ニ付、豐見親(官)被召迦候。其末弟〓(より)<309F>官名御改、宮古嶋頭と唱申候。   嘉靖初頃(立始)頭、平良親雲上、童名、うまのこ。   嘉靖年間之頃立始頭、下地親雲上、童名、まふんとの。 一、萬暦三拾七己酉年   尚寧天加那志御上國之時、與人役にて御供奉仕候。爲忠節頭役致頂戴候。   萬暦三拾九年辛亥立始、砂川大首里大屋子、童名、もさ。  大安母立始候由來 一、弘治年間之頃、仲宗根豐見親八重山嶋致平治候ニ付、女房うつめか御用御座候間、上國仕候。其時、 首里天加那志美御前、君〓(二ノ字点)<303B>美御前百かほうの御爲、宮古嶋嶽〓(二ノ字点)<303B>江御たかへ仕、御はな、御五水持登奉獻上候。御嘉例相傳、至末世ニも御祝儀之時ハ致上國、御こはん一對、御玉貫一對、土産物奉獻上、御目見仕候。右之爲、御褒美大安母之位被仰出、且又金之簪、白絹之衣裳一枚、玉貫致頂戴候。依之、永〓(二ノ字点)<303B>家寶相傳來候處、中頃逢火事、致燒失、無是非所持不仕候。 仲宗根豐見親女房、住居外間 大安母 童名、うつめか 右大安母立始候由來 <東恩納本・宮古本の校合本文>ココマデ↑ 右舊記御調部ニ付て、御書付被仰下候條〓(二ノ字点)<303B>、相記、如斯御座候。以上。 雍正五未 五月三日 此一巻調役 嘉手苅目差 鹽川與人 伊良部首里大屋子 頭 砂川親雲上 下地親雲上 平良親雲上 右就御用相調させ、伊良部首里大屋子江相渡差上せ申候。以上。 (五月三日) 月日 平安山筑登之親雲上 志慶眞筑登之親雲上 伊計親雲上 御系圖座