宮古島舊記〔康熙四十六年本〕 宮古島舊記〔内題〕   龍寶山祥雲寺縁記 龍寶山大權現。(本地垂跡。) 由來、往古、在所は、しれまの平良大首里大屋子琉球へ登、歸帆之砌、逢逆風、高麗へ漂泊仕候。國人、船中の者を搦捕、平良を大なる俎の上に居せ、首をきらんと仕候。其時、平良紅涙をなかし、王城へ拜し、指を以琉球の二字を書申候。高麗人、琉球人と心得候哉、則繩をとき赦し、五年養育いたし、北京へ送申候。三年在唐仕、御進貢御船より琉球へ渡申候。八年の苦難に、佛神隨喜のこヽろを發し、 波上山大權現、奉勧請、宮古島へ下り、草庵を結ひ奉安置、信仰仕候。其先は惡魔外道多くして人を惱し候處、靈佛之御威光に、變化退散、萬民安樂いたし候。其後、 慶長拾六(辛亥)年、大和より當島御檢地之御使者御渡海之砌、宮  御建立、奉成遷宮候事。 祥雲寺方丈。 中尊、釋迦牟尼佛大覺世尊木坐像御一體。左脇、達磨尊者木坐像御一體。右脇、開山山月和尚、累代住持位牌等。   山月和尚   雲岳西堂   喝列西堂   梅嶺西堂   蘭翁西堂   俊書記   耕雲西堂   圓藏司   潭源西堂   道林西堂   潭源西堂   江外西堂   一芥西堂   龍峯西堂   観音堂  聖観音菩薩銅坐像御一體。  由來、中ほや前新里與人、琉球登之砌、右観音菩薩奉拜請、一世信仰仕終申候、家傳之本尊にて、孫砂川大首里大屋子(ニ)至も、久々信仰仕候。砂川存候ハ、何とそ寺邊に堂を立て、島中崇敬仕候はゝ、彌搆艾ミ光、救苦、救難、大慈、大悲、惠を以、世間濟度に可罷成と存、康熙廿三子年、上國之砌、堂建立願訴訟相達被致歸島、観音は祥雲寺へ奉移成候。翌年夏、砂川死去ニ付、無是非、志を被默止候。次辰年、祥雲寺住持道林西堂、砂川の志を隨喜感嘆し、堂營之半(途)、道林死去。兩人不幸早世之故、不成就。年々及大破、壞候處、康熙三十八卯年、江外西堂致發心、島中志之方合力を以、加修理、奉成遷宮。至于今、感應相搆ニ付、 首里天加那志美御前御爲、并定納船上下之御立願、島中萬事宿願ニ付、崇敬仕候事。  祥雲寺本尊釋迦牟尼佛、  開山住持山月和尚下島之時、持下り奉安置候事。   漲水御嶽。辨才天女。  首里天加那志美御前御爲、諸船海上安穩の爲、諸願ニ付、崇敬仕候事。  由來、往古、天地開闢して、人姓未生以前、戀角戀玉とて、男神女神、漲水波打涯ニ天降して、一切衆生、森羅萬象生み出し、則上天し給ふ。然は、氏神の跡を垂れ給ひし所とて、彼の波打涯に石を積み、木を植、御嶽を立、拜申候。夫より夫婦婚合之道も知り、人間繁昌仕候。其後經數百暦、平良内すみやと申さとに富貴榮耀の人有り。一人の子無きことを歎き、天に祈ければ、神コ感に應て、軈而花の樣成娘を儲け、此娘生立に隨て優にやさしき粧ひ、譬へていふへき方なければ、高き賤しき押なへて、娘の形を見聞人、うき物思ひの種子と成て、こゝろ迷し計なり。此娘孝行の志も深ク、何事に付ても、父母こゝろのまゝに致給仕候へば、父母も我子なから類ひ少きものと思ひ、年比にも成ならは、氏姓よからん人を聟に取、跡を繼、心安世を渡らんとて、錦帳の内に假册けるか、十四五歳の比、不覺懷娠の體相見得、父母打驚、是はいかなることそと娘へ相尋候へは、娘紅涙を流し、答る言葉なくして、母の袂に取付、嗚呼父母よ、我頃日行衞も知らぬものに被偽寄、只ならぬ身と罷成候へは、生ての恥、死ての恥、世の人に面を向へきやうもなけれは、いかなる淵Pにも身を投はやと存候へ共、老たる父母を見捨て、流石さもならす、只一向に歎暮し申候。今ハ何をか隱すへき、有のまゝに申上候。頃日誰とも知らぬ白く清らかなる若男、錦の衣を身に纏ひ、匂ひ馥々して、夜な/\閨中へ忍ひ入かと見れは、こゝろもこゝろならす。只忙然/\と夢の心地して、跡方もなく失申候と語けれは、父母不審に思ひ、いかにもして彼者の行衞を知らんと存し、絲緒を千尋程巻、其先に針を結ひ付、男來り寢入候はゝ、首に指せと娘へ相渡候。母如ヘ、其夜針を男の片鬢に指付置、夜明見れは、其絲、漲水御嶽の内、石の洞に引入申候。たとり行見れは、二三丈計なる大蛇の首に針は指置申候。父母無限易からぬ事におもひ、嗚呼恨めしや、浮世の慣ひ、人と人との戀はさして恥にもあらず。かゝる拙きものに犯されて末代の浮名を流さんこそ口惜けれと、歎き悲みけるか、娘其夜の夢に、右の大蛇枕本に來り、我ハ是、往古此島草創の戀角の變化也。此島守護の神を立んとて、今爰に來り、汝におもひを掛申候。かならす三人の女子産みへし。其子三才にもなるならは、漲水へ抱参るへしと夢を見て、父母に語ければ、あら不審成事哉。夢の告誠ならば、歎の中の祝ひなりとおもひ、生るゝ日をそ待けれ。日充、月滿十ヶ月めに、一腹三人の女子を産み申候。人の子にてもなけれは、萬事餘の人にはまさりてそ見にけり。三才にも罷成候間、示現の通、漲水へ抱参申候。父の大蛇、兩眼は如日月、牙は劔を立たるやうに、紅の舌を振、御嶽の中より這出、首は藏(元)の石垣に仰き掛り、尾ハ御嶽の石垣に振掛り、喚き叫し有樣おそろしき、魂も身ニ添ず、息も絶入計にて候。母も蛇の形に恐懼して、子をば抛捨去り申候。三人の若子、何こゝろもなく蛇に這掛り、一人ハ首に乘り、一人ハ腰に乘り、一人ハ尾に乘り、ひしと抱付。蛇も紅涙を流し、舌を以子を吸ひ、親子の昵をいたし候。則三人共、當島守護の神とならせ給ひたるよし、御嶽の内に飛入、掻消樣に失申候。父の大蛇ハ光を放ツ、天に登り申候。夫よりして、宮古の氏神と崇申候。其後經數千暦、中宗根豐見親、宮古島の主の時分、八重山島討取度、心中骨髄に入思ひけれは、惡鬼納加那志へ申上、討手の御大將、當地迄御下り被成候間、豐見親、御嶽へ詣て、御願ハ、大神廻擁護威、八重山軍勝利を得させ給ひとて、肝歎を摧き奉祈誓。御供にて八重山押渡、無事攻討平ケ、歸島いたし、安堵仕候。誠に神ハ人の依敬揶ミ光、人ハ神の依コ添運命ものなりとて、豐見彌隨喜のこゝろを發し、御嶽の圍を、新敷積直、信仰の首を傾、末代の今迄、謹而崇敬仕候事。   廣P御嶽。女神、眞しらへと唱。  船路之爲、崇敬仕候事。 由來、昔神代に、右神、嚴しき女に變し、時々廣Pの山に顯玉ひしを、與那覇勢頭と申し人拝申候。此人慮深き人にて候へは、當所小島にて萬反不自由にて候間、いかにもして大國に通融せんとおもひ、有夜しらか濱へまいり、白砂の上に壇を飾り、香花、供物を備ひ、二三丈の竹に五色の絲をつり上ケ、其影に座して、大國の方をヘひ玉ひとて、諸星を拜候處、其夜の明方に、其絲皆北に打靡、寅の方に島陰相見え、歡喜の思ひをなし、則船を仕立、廣Pの嶽に立願仕、惡鬼納加那志に登、初て拜爲申由候。ケ樣の宿願令滿足、偏ニ廣Pの神御利生故と、彌信仰仕たるよし、云傳有、崇敬仕候。與那覇勢頭ハ、中宗根豐見親よりはるかのむかしにて候。   大城御嶽。女神、豐見赤星てたなふら眞主と唱。  船路の爲并諸願ニ付、狩俣村中崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右神、狩俣村東方、島尻當原と申小森に天降して、狩又村後大城山に住居候處、有夜若男に取合候と夢を見て、則懷娠いたし、七ヶ月めに一腹男女生み出、父なき子なれは初て見るものを父にせんとて抱出候へは、山の前成Pに、大なる蛇這掛り、彼子を見て首を揚、尾を振、舞躍申候。其時にこそ最前の男ハ蛇の變化にてもあるらんと覺申候。此人より狩俣村始り候由、云傳有、氏神と號し崇敬仕候事。   中間御嶽。男女神、赤皿の赤臺の眞主、濱の里主と唱。  船路爲立願并此御嶽の石を定納船守に仕候事。  由來、昔神代に、右二神、中間山に天降して、船守の神と顯れ爲申由候。夫よりして定納船渡海の時分、彼御嶽の石を取、赤絲の筋にて巻、守と拜持申候。絲筋にて巻候謂は、絲筋を船に付、上下無何事御引付可被下との御誓の由候。其後、狩股村百姓一人の男子を生み、此子四五才より十二三歳頃迄、船を好み、年來之小舟を作り、旦暮、翫物に仕候。父當地船之水主にて、惡鬼納加那志へ罷登り候處、其子父をこひしく思ひ、右之小舟を礒津の海に持出、御嶽の石を積、帆をあげ、はしらせ慰申候。折節、南風之時分にて、其船先に進ミ申候ニ付、遙の沖迄泳掛り候へ共、追風ニ走候故、不得取、泳歸候へ共、向風吹詰、童の身にて氣力弱り、無是非溺死爲申由候。其船帆持なから那覇の津ニ着申候。其父見付、我子身に不離不斷の翫物にて候處、是迄參候ハ、如何樣、子ハ死候わんと胸打騒、則其船を取、宮古へ持歸候へ共、案に不違、子ハ死申候。かゝる小き舟、漫々たる大海波風の難を凌、無何事惡鬼納加那志に着候儀、是直事にあらす。いつれ磯津の石を積置候故やらんと、諸人彌奇妙の思ひをなし、其石を御嶽に奉納申候。其後より、石、本に歸の吉瑞を願、船守として今迄拝申候事。   新城御嶽。白鳥の舞鳥のつかさと唱。  船路の爲并諸願ニ付、狩俣村中崇敬仕候事。  由來、昔神代に、平良村假屋側すみや山より白鳥飛出、漲水に揚置候舟の艫に飛移、狩俣の上に舞行、新城山の木に留りぬと見て失申候。其後狩俣村いへたのまもひめかと申人に掛り、我は是船守の神とならせ給ひ候由、神詫有て、拜爲申由、云傳有り、崇敬仕候事。   池間御嶽。男神、おらせりこためなふの眞主と唱。  船路の爲并諸願ニ付、池間村中崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右、池間村後嵩原と申山に顯出、世の爲、神とならせ給ひたる由、云傳有り、崇敬仕候事。   野猿間御嶽。男女神、きやひかさ主、おもひまらつかさと唱。  船路の爲并諸願ニ付、島尻村中崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右神、野猿間山に顯れ、世の爲、神とならせ玉ひたるよし、云傳有、崇敬仕候事。   島尻御嶽。女神、まひとまらつかさと唱。  船路の爲并諸願ニ付、島尻村中崇敬仕候事。  由來、往古、島尻村立始神と云傳有、崇敬仕候事。   大御神御嶽。男女神、豐見大あらず、豐見かめあらすと唱。  船路の爲并諸願ニ付、大御神村中崇敬仕候事。  由來、昔神代ニ、右大御神、御嶽に顯れ、島守の神とならせ玉ひたるよし、言傳有、崇敬仕候事。   船立御嶽。男女神、かねとの、しらこにやすつかさと唱。  船路の爲并諸願ニ付、平良村中崇敬仕候事。  由來、昔神代に、久米島按司とやらん人、一人娘有。七才頃より朝夕月天日天を願けれは、天道感に應し、則自在通を得て、萬事の吉凶一事も不違、占ひ申候。此の家に嫁ありけるか、邪見放逸なるものにて、彼娘の事をうらやみ、いかにもして失んことを計、父の按司へさま/\の讒言をかまひ、此娘へハ、よな/\忍男參候と空言を進申候。父誠そと心得、大に怒を成し、汝こゝろ直なるものならは人住島に付ケ、こゝろあしきものならば鬼界ヶ島に付ケとて、小舟に乘せ、沖へ押出申候。兄有けるか、ケ樣に過もなきものを、邪見なる嫁の讒言を信し、情なく流し失んこそ方見けれ。我も妹諸共に死んにはしかずとて、小舟に泳掛り、なく/\天を祈、浮ぬ沈ぬ、風儘に寄り申候。天の御護にや、翌日の朝、漲水津に寄付、御嶽に詣て身の行すゑを祈申候。其夜の夢に、汝過なくして此島に流來ルこそ不便なれ。平良内船立と申所ハ、所柄能、居をしめ、可然由、蒙示現。則船立に尋行、笘屋を作り、兄妹住居申候。朝な夕な里人の水を汲(ミ)、薪木を荷ひ、なけき暮し、なきあかし申候。彼娘こゝろさまやさしく、姿形も嚴しければ、すみや里かねこ世の主と申人、おもひをかけ、連理のかたらいの中に、九人の男子を産み、此子共成人仕。こゝろかざ有ものにて、何とそ母方の祖父に現相せんとて、船を拵ひ、母を乘せ、久米島に上り、對面仕候。父の按司も、先非を悔、親子の愛を盡し、くろかね、巻物段々に引出物を給り、宮古島に歸申候。其先ハ、宮古には、くろかね多ク無之、牛馬の骨などにても田畠の働仕候故、五穀不實、年々飢饉に及候處、其兄賢きものなれば、鍛冶を工み、へら、かまを打出シ、東作業思樣に相達せ、世間豐饒罷成申候。然は、萬民飢を忘れ、樂にしめるも、彼兄妹恩澤故とて、則兄妹の骨を船立山に納め、一社の神と崇め爲申由、云傳有、崇敬仕候事。   離御嶽。女神、離君あるずと唱。  船路の爲、崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右神、はなれ山に顯れ、船守の神とならせ玉ひたるよし、云傳有、崇敬仕候事。   山立御嶽。女神、おたはると唱。  船路の爲并諸願ニ付、城四ヶ村崇敬仕候事。  由來、昔神代に、友利村上平屋と申所に、男童有。幼少之時、兩親にはなれ、身の置所なく、木の下、岩の陰を宿として、旦暮、里人に參、薪木を拾ひ、水を汲み、世を渡業とすれとも、こゝろ正直にして、朝夕天を拜み、父母のなき跡を吊ひ申候。有時、友利村前みなござと申所沖へ獵に出候處、何方〓(より)<309F>來る共しらず、嚴しき女、船に乘、夫にせんと申けれは、我幼少より孤子ニ成、身ひとつたに無寄付方候間、夫婦の取合叶間敷由申候へ共、強て申掛り候故、父母の古屋敷、山立と申荒野に列參、一夜留り申候。彼女、天の人變來にても候哉。一夜の中に結構なる家を作り、且又僅成布袋の米を秘して持けるか、此米にて、一世の食事緩と相濟、長命を保、終には夫婦とも、すじと云大魚に成、布袋を荷ひ、みなござの沖へ飛入爲申由候。一人の女子有。名をハおたはらと申候。子孫繁昌仕、白頭の翁に成、相果候間、山立に葬置候處、死骸失、山立の神とならせ給ひたる由、云傳有、崇敬仕候事。   池の御嶽。男女神、君あらず、きゆらにやすと唱。  船路の爲并諸願ニ付、下地四ヶ村崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右二神、池の山に天降して、船守の神と顯れ爲申由、云傳有、崇敬仕候。中古、池の御嶽、脇御嶽赤津座と申て、與那覇村より拾尋程西崎海の上に山有。此下に下地船浮津有。船を揚、上屋作掛置候。有夜、與那覇村中西籠と申所に、大火事出來、里中悉ク燒拂申候。折節、東風猛敷して、火焔<7130>右船家に燃付候故、船も燒候わんと火場に相集候者共、周章騒馳寄候處、家ハ燒候へ共、船ハ無何事沖に浮居候。是以神力故やらんと、彌信仰仕候事。   高津間御嶽。男神、のしてたと唱。  船路の爲并諸願ニ付、城四ヶ村崇敬仕候事。  由來、往古、城のあるずぬしてたと申人の根所と云傳有、崇敬仕候事。   嶺間御嶽。男女神、あまれほら、泊主と唱。  船路の爲并諸願ニ付、城四ヶ村崇敬仕候事。  由來、昔神代に、友利村後あまれ山の下に僅成孤村有り。有夜、四海浪あがり、民屋致滅亡、一村荒原にそ成にけり。然處、あまれ大つかさと申人一人逃波難、あまれ山の岸の上に草庵を結ひ、只獨住居申候。其時、大和人、平安名崎宮渡と申濱に致漂泊、人家を尋行、彼大つかさに參逢、夫婦の縁をむすひ、子孫繁昌仕、是より又、あまれ村始と爲申由候。峯間山は、彼夫婦根所と云傳有、崇敬仕候。あまれ村ハ今ハ無之候事。   浦底御嶽。男女神、盛大殿豐見屋と唱。  船路の爲、崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右神、浦底山に天降して、船守の神と顯れ爲申由、云傳有、崇敬仕候事。   赤崎御嶽。男神、大世主豐見屋と唱。  諸願ニ付、下地四ヶ村崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右神、赤崎山に顯れ、世の爲、神とならせ玉ひたるよし、云傳有、崇敬仕候事。   西新崎御嶽。男、高神と唱。  諸願ニ付、來間村中崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右神、新崎山に顯れ、來間島守護の神とならせ玉ひたるよし、云傳有、崇敬仕候事。   大泊御嶽。女神貮人、おもひまら、まらめかと唱。  諸願ニ付、野崎貮ヶ村中崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右神、大泊山に顯れ、島守の神とならせ玉ひたるよし、云傳有、崇敬仕候事。   川峯御嶽。男女神、世の主かね、金めかと唱。  諸願ニ付、野崎貮ヶ村崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右二神、川峯山に顯れ、世の爲、神とならせ玉ひたるよし、云傳有、崇敬仕候事。   眞玉御嶽。男女神、かねとの、まつめかと唱。  諸願ニ付、平良四ヶ村崇敬仕候事。  由來、昔神代に、眞玉山の下に、金殿、まつめかとて貧しき夫婦住けり。正直第一にして、不斷精進潔淨仕、朝夕天を拜ミ申候。神コ感に應て、子孫繁昌、富貴榮耀の身とそ成にけり。彌慈悲善根を四海に施し、夫婦共白髪の翁となるまても、天道を祈終申候間、夫婦の白骨を、眞玉山に葬、一社の神と崇め申候。件の嘉例として至今も、子孫繁昌の爲、崇敬仕候事。   石城御嶽。男神、あかしせと弓矢取眞主と唱。  諸願ニ付、下地四ヶ村中崇敬仕候事。  由來、昔神代に、右神、石城山に顯れ、惡魔降伏の神とならせ玉ひたるよし、云傳有、崇敬仕候事。   喜佐眞御嶽。男神、眞種子若按司と唱。  諸願ニ付、川滿村中崇敬仕候事。  由來、昔神代に、天のつかさとて嚴しき女童、光明赫々たる玉を手に持、浦島と申て、今ハ川滿村東方すみやと森と申山に天降して、めりましろとのと申在民に夫婦いたし、眞種子若按司を産ミ申候。天人の子にて候へハ、氣量骨柄人に勝れ、こゝろ正直にして、老を敬ひ幼を愛し、朝夕天を拜み申候。然は、拾五六才の頃、母ハ玉を若按司に讓り、何方ともなく失ければ、三とせ三月、仰天臥地、父諸共に母の行衞を尋ぬれとも逢不申候。父も此物おもひに頓て死申候。泣泣めりまと申山に葬置、只一向に父母のなき跡を吊ひなきくらす申候。此玉、天の寶玉なれは、闇夜無燈して家中如白日、行跡に無月とも、光拾丈を照し申候。其時、浦島の主加那間の按司と申人、女子、喜佐間盛眞郎とて慳貪なる者有。此玉を致強望、いかにもして、取んと存、色々方便をめくらしけれとも、無雙の寶といひ、母の形見なれば、家の中柱に彫入置、秘して見せ不申候。彼女威勢に誇、欲心強盛のものにて、さらば打殺して取んとて、相伴女拾五六人、鬼の姿に身を〓<獣偏+7FDF>し、手々に棒を持、有夜、竊に若按司の宅に趁入、無是非搦捕、喜佐眞山の麓にて、上つ下つ、七日七夜打擲、水問拷問すれとも、玉をバ渡不申候。其時、下地の主、川滿大殿と申人、慈悲有人にて候へハ、若按司無道の責ニ逢候由被聞召、哀におもひ、彼所にまいり、手を摺て護けれとも赦し不申候。責ての事に湯水を參らせ候。其時、若按司の言葉に、只今の御恩、高天難酬。息だにあらば、報恩の勤も有へく候へ共、けふを限の命にて候間、死て草の蔭にても、大殿の御果報を願ひ可申候。且又、我母相傳の玉を持居候。是無雙の寶玉にて、凡夫に不相應故候や、我今此難に逢申候。是をは形見に大殿へ參らせ候。家の中柱に彫入置候。御取被成、此コに世を治め候へ。惡逆無道のものともには見せ間敷と、しのひやかに相語申候。其後、責れとも/\死不申候へハ、惡き奴とて重き石を首に付、浦小溝と申深淵に落シ申候。若按司過なくして、底の滓となるこそ哀なりとて、見る人聞人、押なへて袖をぬらし申候。大殿浦小溝へ參、若按司死骸を潛取、結構に墓を打、喜佐眞山に葬爲申由候。惡女共、若按司の宅を打破り、柱を割、土を穿ツ捜しけれとも、玉ハ見不申候。惡女共退去の後に、川滿大殿、若按司遺言之通、行て見れバ、玉を彫入置候柱、一本眞直に立、玉光天に映徹し、則持歸り秘藏仕候。寶玉のコに引、川滿大殿子孫繁昌仕たるよし候。此玉を中宗根の豐見參らせ候處、 おきやかもい加那志御宇に奉献上候玉ハ、此玉の由候。若按司無道の罪に逢、天も哀に思召、浦島の神にならせ玉ひたるよし、云傳有、崇敬仕候事。   乘P御嶽。女神、玉めかと唱。  諸願ニ付、伊良部村中崇敬仕候事。  由來、昔神代に、伊良部村百姓、容顔美麗成娘を産ミ、餘り嚴しければ、世人名をば玉めかとそ呼にけり。拾五六才の頃、潮汲に乘Pの濱へ遣し候處、行衞も不知失申候。父母啼悲み尋けれとも、見不申候處、失て三ヶ月めに姿形も違ず、乘P山の麓に忙然/\と立居申候。父母無限祝ひ、近寄抱付候へば、袖を引切、我は是、此島守護の神に成候とて、乘P山に飛入、掻<6414>消樣に失申候。父母泣/\切候衣の袖を娘の形見とて、乘P山に葬置、神と號し拜爲申由、云傳有、崇敬仕候事。   比屋地御嶽。男神、豐見屋氏親と唱。  諸願ニ付、伊良部村中崇敬仕候事。  由來、往古、伊良部村の主、豐見氏親と申人、力萬人に勝れ、鬼神をも欺程の勇者にて候。其比、伊良部、平良の渡中に大鯖時々浮出、往來の船を覆し、人命多く致横死、底の滓とに罷成申候。懼其害、賣買運送の道絶、伊良部の人民悉く及苦窮候。氏親被存候ハ、ケ樣に無詮鯖に道を塞れ、多の人を悩事こそ口惜けれ。只我一人の命を捨、萬人の愁を不如助とて、潛に日を定、天に祈けるは、我萬人の爲に今日百年の命を捨申候。此善行に付、未來永々子孫無窮に盤らせ玉ひとて、十方を伏拝み、先祖重代の刀を拔持て、落涙なから宿を立出、小舟に乘、只一人沖へ乘出申候。件の大鯖、馳來、船諸共飲、海中へ入申候。乍被呑、腹を立樣、横樣、散々に割破候故、伊良部、平良の渡中の潮は、紅の色に罷成候。さしもの大鯖も、肝腸被切立、氣力弱果候間、氏親腹中より割出、其日の晩、比屋地濱に寄揚申候。伊良部人押寄、色々養生仕候へ共、五體爛れ、頓て死爲申由候。泣/\比屋地山に葬申候。夫より往來道開、伊良部の人民安堵仕候ニ付、則氏親を彼御嶽神と號し、拝爲申由、云傳有、崇敬仕候事。 島中祭祀之事 一、二月中ニ、麥初祭之事。 一、四月中ニ、米粟初祭之事。   右二祭には、諸村家々より、麥米粟之初を取、つかさ、村さはくりにて、其村嶽々祭上ケ、百姓中も、みき作り、先祖靈前、家の神、かまの神へ祭申候事。 一、九月、世の爲たかへ之事。   右祭には、諸村家々より御花取、つかさ、さはくりにて、其村嶽々へ祭上ヶ、來年世かほうあらせ玉ひと願申候。百姓中も、みき作り、先祖靈前、家神、かまの神へ祭、五穀の種子を植始祝申候事。 一、五六月甲午日、節祝之事。   右日ハ、諸人未明に川へ參、水をあめ、面々相應に、みき作り、先祖靈前、家神、かまの神へ祭申候。尤、役者中ハ、赤食一門中送答有之候事。 一、十月中、火用心たかへ之事。   右祭には、諸村家々より、御花取、つかさ、村さはくりにて、其村嶽々へ祭上ケ、冬中火難あらせ玉ふなと願申候事。 合五品、毎年祭祀仕候事。  昔いなふかとて、毎年九月の内、乙卯未日、諸村三日物忌仕候由來、むかし物語之事 往古、荷川取村百姓湧川まさりやと申者、獵に出、ゑの魚釣候處、忽嚴しき女に化し候間、何となくこゝろ浮れ、一度取合、免<FA32>申候。其後經二三ヶ月、同所へ獵に出候へば、二三才之童三人、何方ともなく變來、母より父を片時參との使にて候と申けれは、彼男打驚、さて/\不審成事哉。我ハ汝等か父にてはなく候と申けれバ、彼童共、嗚呼情なくも宣ふもの哉。過にし何頃、此所にて、母と取合被成候子ハ、我々にて候。かならず御供仕候わんと申ければ、彼男つく/\と思い合、最前、ゑの魚と取合候か生子にて候哉。荒不審成次第哉。されとも、閣へきにはあらず、先行て見んとて、いや童共、行て見度候へ共、海中へはいかてか可參と申候へば、彼童共、最安き事にて候。我道指南可仕候とて、男の手を取、海中へ入かと見れば、則金銀をちりばめたる樓閣にそ入けり。母先の女に少も不違、中々むつましき顔付にて出迎、さて/\久々の御對面候。誠に先度の御芳情難忘候儘、乍御恥ヶ敷、賤住家を見せ參らせ候。哀いつも連理の御かたらひ仕まほしく存候へ共、生涯各別にして、思樣にもならさるこそかなしけり。責ては、二三日も御留り遊候へとて、色々の馳走いたし候。三日にも罷成候へば、いつもかくこそ有度候へ共、御身も故郷の事をさそ戀しく被思召候半、先送り參しへくとて、涙を流し、是をばいつまでも我形見と御覽候へとて、瑠璃壺を一ツ得させ候と思ひハ、夢の覺たる心地して家にそ歸りける。海中にて三日三夜と存候ハ、此世にてハ、三年三月にそ成にける。此壺を見れば、神酒有。呑共/\盡ず、五味の味さなから、口中の渇を滋し、宛も天の甘露もかくやあるらんと覺ゆる計にて候。呑し一家の者、無病息災にして、長命を保申候。夫而已ならす、此壺を得候てより、耕すしておのつから五穀藏に滿、樂/\と世を渡申候。然は、此壺ハ永代の家寶とて、秘して人にも見せさりけるか、隱れ有へき事ならねば、嶋中洩聞得、老若男女押なへて、壺を見んとて群來仕候。亭主六ヶ敷事におもひ、且又、富貴に驕小人の習なれば、此神酒いつも同味にして呑度もなきよと申けりば、其言葉未終に、壺ハ白鳥に成て、虚空に飛上申候。諸人首を地に付、願ハ我家に御留り候へとて拜しければ、東方を差て舞行、宮國村しかほやと申所、庭の木に落留りぬと見て失申候。亭主其夜夢に、白鳥ハ富神にて候間、九月内、乙卯未日物忌にて願候ハヽ、世をかほふを給りへくよし、夢の告有けれとも、如何あらんと存候處、有夜、大世積あや船とて、神の船東方雲井より漕出、しかほや崎に船を付とて、神歌聞得爲申由候。其後より、しかほやの人富貴の身となり爲申由候事。  右、云傳有之、毎年九月内、乙卯未日、三日中ハ、牛馬も、原へ不出、物忌精進にて、願爲申由候。滿散の日ハ、別て城四ヶ村百姓中、みき、肴調、宮國村いなふか根所、しかほやへ參、祭上ケあそひ申候。諸村ハ、只三日物忌精進仕迄にて候。いなふか物忌先に逃走候牛馬も、誰引參ともなく、いなふかの根所へ參申たる事、數度有之由候。人も牛馬も原へ不出候樣子ハ、いなふかの三日ハ、富の神、五穀の種子を蒔候故、人勢有之候へハ、御驚、其畠の作物ハ、不出來仕よし云傳有之候。其物忌、今は無之候事。 大清康熙四拾四年乙酉 [以下、白紙] [改丁]    宮古島御藏草創之事  弘治年間、中宗根豐見、定納方法式相定、御物藏、船手藏、仕上ケ藏三ツ萱葺にて造營仕、有來候處、康熙貳拾一年壬戌逢火事、同貳拾四年乙丑瓦葺にて造營仕候事。    同島頭役立始之事 中宗根豐見跡職豐見嫡子金盛被仰付置候處、不屆之儀ニ付、豐見被召迦候間、同人末弟字うまのこより平良大首里大屋子始被仰付、三四年迄は頭ハ、平良一人にて候處、其後御重、字まふんとのより頭下地大首里大屋子始被仰付、兩頭役にて候處、萬暦三十七己酉年、國仲與人字武佐、御勢宰領にて、惡鬼納へ相渡、 首里天加那志美御前被爲遊御上路候ニ付て、御供奉、首尾能歸島仕、彼國仲與人より、頭砂川大首里大屋子始被下、以來、三人ニて勤仕候事。 平良大首里大屋子次第。 住所、しら川 平良大首里大屋子、字うまのこ 住所、外間尻屋 平良大首里大屋子 住所、みやかね 平良大首里大屋子 住所、尻間前屋 平良大首里大屋子 住所、はたて 平良大首里大屋子 住所、ひら立 平良大首里大屋子 住所、尻屋みなか屋 平良大首里大屋子  右以上勤并次第相知不申候へ共、昔より咄傳來候人數。  萬暦十六戊子ヨリ 住所、やせ屋 平良大首里大屋子、字そらひる  同廿二甲午ヨリ 住所、外間 平良大首里大屋子、字うまのこ  同廿五丁酉ヨリ 住所、こまかくし 平良大首里大屋子、字まふんとの  同四十一癸丑ヨリ 八重山人 平良大首里大屋子  同四十七己未ヨリ 住所、上地の 平良大首里大屋子、字ぬちてもい  天啓六丙寅ヨリ 住所、東宮金 平良大首里大屋子、字ひるかり  順治貳乙酉ヨリ 住所、ちやれや 平良大首里大屋子、字つる  同四丁亥ヨリ 住所、みやかね中屋 平良大首里大屋子、字うまのこ  同十八辛丑ヨリ 住所、外間 平良大首里大屋子、字むさ  康熙六丁未ヨリ 住所、みやかね 平良大首里大屋子、字まさり  同廿三甲子ヨリ 住所、上根間 平良大首里大屋子、字はうさ  同三十六丁丑ヨリ 住所、あきらち 平良大首里大屋子、字まつ  同四十二癸未ヨリ 住所、根間 平良大首里大屋子、字いんたら 下地大首里大屋子次第。   住所、とのち 下地大首里大屋子、字まふんとの   住所、あらたて 下地大首里大屋子   住所、かはた 下地大首里大屋子   再度 住所、とのち 下地大首里大屋子、字まふんとの   住所、大中屋 下地大首里大屋子   住所、ひらら川滿 下地大首里大屋子   住所、いやんと 下地大首里大屋子 右以上勤并次第相知不申候へ共、昔より咄傳來候人數。  萬暦廿五丁酉ヨリ 住所、しら川 下地大首里大屋子、字うまのこ  同三十五丁未ヨリ 住所、あらさて 下地大首里大屋子、字まさくかね  同四十八庚申ヨリ 住所、なみさて砂川〓(より)<309F> 下地大首里大屋子、字やまら  天啓七丁卯ヨリ 住所、みやかね 下地大首里大屋子、字ちやむ  崇禎五壬申ヨリ 住所、上地の 下地大首里大屋子、字いんたら  順治四丁亥ヨリ 住所、たらま 下地大首里大屋子、字たま  同九壬辰ヨリ 住所、上地の 下地大首里大屋子、字いんたら  同十二乙未ヨリ 住所、根間 再度 下地大首里大屋子、字まさり  康熙四乙巳ヨリ 住所、上地の 下地大首里大屋子、字ぬちてもい  同六丁未ヨリ 住所、はけみね 下地大首里大屋子、字まさり  同八己酉ヨリ 住所、なみさて 下地大首里大屋子、字かわめい  同十五丙辰ヨリ 住所、迎 下地大首里大屋子、字やまら  同十九庚申ヨリ 住所、根間 下地大首里大屋子、字まさり  同廿六丁卯ヨリ 住所、根間 下地大首里大屋子、字ぬちてもい  同三十三甲戌ヨリ 住所、かないた 下地大首里大屋子  同四十四乙酉ヨリ 住所、あきらち 下地大首里大屋子、字うまのこ 砂川大首里大屋子次第。  萬暦三十九辛亥ヨリ 住所、平良川滿平良改名 砂川大首里大屋子、字武佐  同四十一癸丑ヨリ 住所、下地川滿 砂川大首里大屋子、字むさ  同四十五丁巳ヨリ 住所、なみさて下地ニ改名 砂川大首里大屋子、字やまら  同四十八庚申ヨリ 住所、尻そめち 砂川大首里大屋子、字まつ  崇禎五壬申ヨリ 住所、なかまたて 砂川大首里大屋子、字まんきやり  同十六癸未ヨリ 住所、下地川滿 砂川大首里大屋子、字つる  順治四丁亥ヨリ 住所、すみや 砂川大首里大屋子、字ぬちてもい  同十六己亥ヨリ 住所、おやけ屋 砂川大首里大屋子、字むさ  同十八辛丑ヨリ 住所、下地川滿 再度 砂川大首里大屋子、字つる  康熙三甲辰ヨリ 住所、おけまし 砂川大首里大屋子、字やまら  同六丁未ヨリ 住所、中ほや 砂川大首里大屋子、字むさ  同廿四乙丑ヨリ 住所、もて屋 砂川大首里大屋子、字ぬちてもい  同卅四乙亥ヨリ 住所、すみや 砂川大首里大屋子、字まつ  同四十二癸未ヨリ 住所、しら川 砂川大首里大屋子、字ぬちてもい  右當島御藏草創并頭之次第、如斯御座候。以上。 大清康熙四拾五年丙戌五月 [以下、白紙] [改丁]    宮古島大安母(之事)  右往古、中宗根之豐見也と申人、惡鬼納加那志之御爲に、忠節勲功有之故、御賞賜御座候。剰、妻おつめか當島女中の頭ニ御召成、字を大安母と被成下候。附。島中役者の女房を、惣て、安母と呼申候爲、其頭故、大之字を冠ニしめ給て、大安母と爲被下由、傳承候。又、大阿母代相之時ハ、一門中より跡役被仰付、御朱印頂戴仕候。尤、頃年、康熙十七午の冬、以御書付大安母之儀、於嶋中、女上座之由御定被成下候事。    中宗根之豐見也忠節勲功之事 一、大明洪武廿三庚午の年、惡鬼納かなしへ初而被致進貢之由候。然處、遠方の小島にて、法儀不調、百姓愚痴無道にして、禮義不正、鬪諍ヶ間敷候。于茲、豐見也、被想像候ハ、如斯成來候も、食物豐饒ニ有之故、上納方相究、毎年上候はゝ、耕作にかゝり、今之樣にハ有間敷と存、弘治年間、豐見也屹と企、貢物を相定、毎年上納仕候。依之、爲御賞賜、御劔貳箇、かふハ金、くきハ銀、鳳凰、獅子打付有之。白絹之單御衣一領、奉拜領之候。是誠ニ家珎にて御座候處、代〓(二ノ字点)<303B>禪來、今脇目指平良にや、致所持候。然は、豐見親也毎年相渡拜候ニ付、於琉球宿所爲被成下由候事。附。今之宮古御藏之由候。 一、弘治十三年、八重山島討手之御大將、當島へ御下り被成候。豐見也以下、數多の勢兵御供にて渡、隨分相働候。此時、彼島御討治被爲成、豐見也二男祭金、八重山之嶋守爲被仰付由、傳承候事。附。宿所ハ八重山島御藏之由候。 一、地金丸御美腰并御玉。嘉靖元年壬午、 おきやかもい加那志御宇に、豐見親奉獻上候。此御劔之樣子ハ、或夜、平良之内、むた川と申所ニ、物音して光物現候由、村中驚駭躁動仕候ニ付、即刻中宗根豐見也參見得候へハ、刀一振有之候間、得物ニ仕候。又、御玉之儀は、昔日、川滿村すみや森と申山に、天女玉を持下り、めりましろ殿と申者、夫婦ニ成、眞種子若按司を産ミ申候。然は、此子十五六歳之頃、母〓(より)<309F>若按司に玉を禪り與ふ。其後、川滿大殿と申人ニ禪り、大殿より中宗根豐見也へ禪り爲申由候。   以上、豐見也忠功之樣子如此御座候。    大安母之おやたいりの事 一、初て大安母職被仰付、御朱印爲被致頂戴由候。昔ハ三年廻ニ上國ニ而、御目見仕候。然處、度〓(二ノ字点)<303B>唐へ致漂流候ニ付、順治拾貳年乙未より、御呼次第ニ可參由、被仰定候事。 一、大安母之儀、御呼次第、惡鬼納加那志へ登、濱之大安母取次にて、眞壁之大安母しられ御引合仕、彼御方より、御案内申上置、重て御樣子次第、濱大安母同心仕、眞壁大安母しられ召列登城仕、於按司下庫理、御城作事あむしられ御取次にて、花御みこはん一、御玉貫一對、土産物奉進上候。御后御前へ、玉貫一對、土産物奉進上候。大せと部御三人、大庫理あむしられ以下段々、錫一對宛土産物上申候へハ、大勢頭部前より其段美御みのけ被成、大庫理ニ御呼被成候。其時着替仕、赤苧衣着候て、御座ニ參上申候。段々御美ほけ被下、御引出物拜領仕、相濟候へば、すい之美こちやにて、 首里天加那志御前奉拜、美御酌頂戴仕候。又、御美こちやにて、御后御前ミてつから、御酌頂戴仕候。御規式相濟、後之御庭にて、莚敷、酒臺、菓子盆、御酒御飾、大勢頭部より、御庭可着仕由、御樣子有之候へは、召列の女供五人、皆御座へ着、大せと部伺公被成候て、御酒被下、あやこ仕後、こいにやにて躍候事。 一、中城御殿、聞得大君御殿、後日に進上物にて拜申候。附。此時眞壁大安母しられ御案内者にて候。 首里天加那志美御前、年中のふ事も、百かほうのあるやに、御守めしよわちひ、御たほいめしよわれ、てゝ、  はりみつ御嶽御いへ御前へ、毎年正五九月、御物參仕候。附。御結願の時も、在番頭以下、役人并女中、大安母より被申請、御祝儀仕候事。 漲水御嶽。男女神、戀角、戀玉。 下里村 船立御嶽。男女神、かねとの、しらこにやちつかさ。 東仲宗根村 廣P御嶽。女神、眞しらへ。 西仲宗根村 野猿間御嶽。男女神、きやひかさぬし、おもいまらつかさ。 島尻村 島尻御嶽。女神、まひとまらつかさ。 同村 大神御嶽。男女神、豐見大あるず、豐見かめあるず。 大神村 大城御嶽。女神、豐見あかほしてたなふらまぬし。 狩俣村 中間御嶽。男女神、赤皿の赤臺の眞主、濱の里主。 同村 新城御嶽。女神、白鳥の舞鳥のつかさ。 同村 池間御嶽。男神、おらせりこためなふの眞主。 池間村 山立御嶽。女神、おたはる。 友利村 高津間御嶽。男神、のしてた。 同村 嶺間御嶽。男女神、あまれほら、泊主。 同村 離御嶽。女神、離君あるじ。 平安名村 浦底御嶽。男神、盛大殿豐見。 新里村 池之御嶽。男女神、君あるじ、きゆらにやじ。 與那覇村    右、 首里天加那志美御前御爲并島中作物、おきなわかなし上下船之爲、御たかへ、大安母主取にて、嶽々のつかさ相勤申候事。 一、二月中ニ、麥初御祭之事。 一、四月中ニ、米粟初御祭之事。 一、九月に、世之爲御たかへ之事。 一、十月ニ、火用心御たかへ之事。   右四品、諸村、頭數より、壹御祭ニ付、粟五勺宛取集、大安母主取被仕、つかさ村大ぢやあニて、其村嶽々へ祭上申候事。   大安母役目ニ付、前々は、御扶持方八石、御免<FA32>夫男四人、女四人被下、正月朔日、十五日、冬至、諸役人於御藏元御拜之時、大安母被出、御燒香被仕候。又、よなふし神とて、村々女貳三拾人にて、五日宛、年々四五度遊申時、大安母被出、御祭仕候。尤、嶋中女人共往來有之砌も、大安母指引仕、實否爲被相糺由候。然處、康熙拾七午年、佐渡山親方樣檢見ニ御渡之時、右之條々御召留、御扶持方、壹石(五)斗、御免<FA32>夫男四人、女四人被下候。地所之儀は、前々ハ、三かや四かや程の田、爲有之由候處、荒地ニ罷成、少成、五百つか地所有之候。 一、掟あむ、作事あむとて、女貳人定納御免被下、大安母ニ付、相勤候事。附。代相之時ハ、大安母より被見立、在番頭へ引合、相立申候事。 一、御嶽拾六御前御座候。つかさ拾六人有之候。此代相之時ハ、其一族の内より、大安母以見合、在番頭へ引合仕、相立候事。   大安母次第   中宗根豐見也女房、住所、外間   大安母、字おつめか   中宗根豐見也女子、住所、尻間前屋   大安母、字にきやちよもい 嘉靖初頃、母跡役被仰付、歳十五歳頃、爲御目見、おきなわかなし罷登、歸帆之砌、唐國漂流にて死去。   住所、外間尻屋   大安母、字めかつきまら   住所、西(仲)ほや   大安母、字眞牛かね   住所、大かもり   大安母、字にきやちよもい 嘉靖年間頃、爲御目見、おきなわかなし罷登、歸帆之砌、於洋中、波風猛敷罷成、俄ニ女神現來、宮古漲水御嶽ニ立願可仕由、大安母へ依御告、船中人數、感悦不斜、一所ニ相集、拜候ニ付、波風静ニ罷成、唐國漂着、三年滯留、致歸島、再度被仰出、爲被相勤由候事。   住所、こまかくし   大安母、字まふしかね   住所、大かもり   大安母、字にきやちよもい 唐國より歸島仕、再度被仰出候。   住所、外間   大安母、字ほなへもい 右、以上、勤并次第、相知不申候へ共、昔より咄傳來候。   しら川下地大首里大屋子女子、住所、染地   大安母、字かなしまら 天啓五年乙丑ヨリ被仰付、順治十一年甲午爲御目見、おきなわかなし罷登、歸帆の砌、逢難風、唐國漂着、死去。   平良大首里大屋子女子、住所、すみや 順治十二年乙未ヨリ 大安母、字ほなりめか   根間下地大首里大屋子女子、住所、大かくし 康熙十年辛亥ヨリ 大安母、字とかめか   同人女子、住所、すみや 康熙四十四年乙酉ヨリ 大安母、字まもいめか   右、當島大安母由來、如斯御座候。以上。 右、御用ニ付、島中年寄の人々悉皆相會、各聞傳候古語申出、以熟談致用捨、相究、如斯御座候。以上。 大清康熙四拾六年丁亥六月一日                      與那覇目差   脇筆者   上地與人   新里與人   松原首里大屋子   友利首里大屋子   下地親雲上   砂川親雲上   平良親雲上 右、酉戌亥年迄、琉球差上ケ候冩、跡々爲見合如斯御座候。以上。   同日                              安次富筑登之親雲上   喜舎場筑登之親雲上   知花親雲上