()内は読み <>は割注 <>内の数字はユニコード対応  宮古嶋記事仕次 粤忠導氏おやけ屋の大主といふ人あり〈任友利首里大屋子〉博学にして好古長者也暇の日番字を以宮古嶋の古事を誌さる其事最盡せり丁卯の秋下官共在番の令を請て記事志らへ侍りしに大主か誌す所の物語を以其言葉の繁きものをハ是を苅略せるものをハこれを補ひ番字和字を雑へてこれを校正して宮古嶋記事仕次といふ是則大主かいにしをこのむの稚意を本として後の識者を待ものならし    時<5CD5>  乾隆戊辰五月吉日          在番筆者明有文長良 謹撰  目録 一、嶋治神託 一、野崎長井の里の真氏誕生の事 一、西銘嘉播の親長井の里の真氏を娶事 一、嘉播の親子共三兄弟不孝の事   附孝女両人父を迎し事 一、保里天太の二子の事   附孝婦舅に錢別の事 一、保里天太の孫共出生の事   附飛鳥爺西銘の按司の入婿になりし事 一、石原城の思千按司飛鳥爺を討し事   附起目翦殿武勇の事 一、糸数大按司従弟西銘飛鳥爺か為に仇を報し事 一、目墨盛出生の事 一、目墨盛武勇の事 一、目墨盛七兄弟と戦ふ事 一、目墨盛七兄弟を討し事   附ミやまく兄弟の事 一、目墨盛白川根志瑠殿の婿になる事 一、目墨盛豊見親與那覇はらと軍の事 一、普作盛豊親子孫繁昌の事 一、根間の伊嘉利鞁祢いりを習ひし事   附代川大殿瑞夢并忠導氏家譜の事 一、與那覇勢頭豊見親初而中山朝見の事 一、野崎満さりや南風の嶋より迯帰りし事 一、新里村阿瀬良屋のおふねの親の妻不なこひの事 一、伊良部下地という村洪濤にひかれし事 一、久塲嘉按司の女子普門好善か事 一、砂川村佐阿祢大氏仙女に逢ふ事 一、高腰の按司與那覇はら軍に不ろふされし事 一、中屋金盛豊見親讒を信して仁人を害し事 一、中屋真保那瑠宮女になりし始末の事  嶋始神託 一、古傳曰昔年神託を聞に宮古嶋上古に古意角と云男神天帝に奏し願ハ下界に嶋を立始めて衆生を濟度し守護神とならんと誓により帝叡感有て天の岩戸の尖先を折これを與へての給ハく汝下海に降り風水よからん所に此石を抛入へしとの給ふ即恩を謝して石を持下り蒼々たる大海になけ入給ふ時に其石凝積て嶋形出たり帝又赤土を下し給ふ古意角の曰我に具足の者あらんことをこふ帝勅答しての給ハ汝六根五體を具足せり又何の不足あらんや古意角の曰夫陽あれハ陰有陰あれハ陽ありと奏す帝是を志かりとして姑依玉といふ女神を具すへしと許し給ふこゝにおいて二神此土に天降りして守護神となり一切の有情非情を産し其後陽神陰神を生て宗達神嘉玉神と名つく比嶋赤土なる故に穀種生しかたし故に飢に及ふ事度々なり天帝此を憫んて黒土を下し給ふ是より五穀豊熟して食物多し宗達神嘉玉神十餘歳の比いつくより來るといふ事も忘れず遊樂の男女在て容貌嬌〓<5B08>たり古意角姑依玉問ての給ハく汝等何國より來ると答て曰土中より化生して父母なし故に遊樂神と成男神ハ紅葉を以て身を荘厳す故に木荘神と云女神ハ青草を以て身を荘厳す故に草荘神と云古意角姑依玉の二神甚これをよろこひ草荘神を以て宗達神に幸し木荘神を以て嘉玉神に幸し宗達神ハ男子たるを以て東地を領して東仲宗根と名つく嘉玉神者女子なるを以て西地を領して西仲宗根と号號す二神の神徳廣太の故に人物化育す宗達一子を世なふしの真ぬしと名付男神也木荘一子を素意麻娘司といふ女神也この兩神夫婦となって子孫繁衍す當地開基人生のはし満り志かなり  附録  今の漲水の御嶽ハ古意角姑依玉の二神跡を垂れ給ふ霊地なりと云云  紀事 一、世直しの眞主素意麻娘の二神より經數千暦後人民繁榮し村〓(より)<309F>鷄鳴狗吠相聞へ原野禾稼豊熟し所〓(二ノ字点)<303B>に奇瑞にあらはれ爰に野崎村の内長井の南方前離といふあり一葉の舟を漕寄す寄り木の有を枕として漁の潮時を待居たり半夜に至て不思儀のことを聞に化神來て寄木大氏と呼寄木も應とこたふ化身の曰今宵長井の里に兩家に子を生めりいさ往て運をさためんといふ寄木答て曰今夜ハ來客あり汝一人行て知〓<7B6D>すよといふ志ハらく有て化神來て曰産する所を見るに壹人者男一人ハ女なり女ハ日に粮食七舛の福あり男ハ日〓(二ノ字点)<303B>乞食の貧相也と云寄木其故を問ふ答て曰女子ハ産家の業はやき故なり男ハ無左故なりと此故に今に至て子孫誕生の時ハ早々生子の額に鍋ふす粉を付けるとなり該漁夫おもふやふ神の誼託し給ふ子一人ハ必我子ならんと急き立歸りて見れハ我家の生子ハ男なりあハやとおもひてかく同時に生るゝ事天縁なるへしとて夫婦になさんと契約し年比にもなりしかハ夫婦の縁を結ひ富貴榮耀の家となる或時新麥の初祭りに麥を煎て粉になし是を煎餅と名つけて賞翫する世俗にてそれを夫に與へけれハ夫腹立て曰粃の様成ものを以て我に賞する事ハ何事そやと妻の前に抛捨ていろいろ悪口すこの夫常〓(二ノ字点)<303B>淫慾深き奢ものなれハ妻眞氏もあきれはて藏の内に入忙然として居ける其夜半ハかりに異形の者來り告て曰汝か夫淫慾ふかけれは別人を以て妻にせんとたくみ極て汝と離別しぇし我等ハ天より御身に與へ給ふ所の萬穀の精なり是より東に當て西銘といふ村あり〈西銘ハ平良より三里程当方にありし一間切也今ハ草寰に舊城の跡見えて牛馬の喝嘶而己きゝて村形ハかり見えたり〉彼村に炭焼太良といふ有徳の仁人あり我等彼所に往て御身を侍ん御身も又慕來り給へとひゝてあひ寄かきけすやうに失にけり此炭焼太良ハ孤にして父母なし山端に草庵を結ひ獨り住みにして常に住みを賣りて命を継ゆへに其名を得たりといふ眞氏津く/(濁)\おもふやう萬穀の精の告ハさる事なれとも此とし月訓むつひし夫婦の縁を不りすてゝ別人に歸ん事の口おしけれハ依るも不の/\と明方に人を頼みていろいろ諭しけれとも夫さらに不聞入彌怒をおこして妻を追出し不となく他女をむかへりこの夫後にハ貧窮して乞食になりしとかや 一、眞牛ハ夫に追いたされ身を浮舟のかちをたえよるへきもなみのあハれさにおきもせず祢もせてひとりなけきをるにゆめともなくうつゝともなく穀精又來て御身いかなれハ前におしへし所へまいらぬそかの太良今ハ貧賤なれとも陰徳あるものなれハやかて長者の身ならんこれとゑんを結ハれなハ二人の孝女を設けらるへしはやくおもひ立給へといひすてゝ去にけりかくありかたき神の告も黙止すへきにもあらされハやうやう隣婦一人を伴ひ西銘の方にたとりゆくばかりなかりける事ともなるかをかゝる所に黄昏の時分俄に大雨降來て雷電霹靂し行人足を空にまとハすおり不し村外の山端に荒たる草のい不りありいさ志ハしとて立寄れハあるし火を灯しいつくよりものし給ふそと問ふ眞氏打驚きやま子の住家にやと膽を消し返事もなしあるしこのありさ満を見てあやしみ給ふ事なかれ我は此所に住居する炭焼太良といふものなりかたくハいつちへ通り給ふそやか不といやしきい不りなれハ雨やとりもかなふまし蓑笠を借參らせんと有しかハ別の女答て曰我らハ野崎長井の里のものなるが西銘に用ありてと聞ゆ太良か曰あやしや我今先見し夢に白髪の翁來て告て曰野崎長井の里にひとりの良娘有名を眞氏と稱す是大福の婦人なり汝陰徳を好む故に天より汝か助けになし給ふとて莟百合草の花二莖我に與へぬ時に花俄に開き匂ひ芬々たりと見て驚きさめたりこれハ今ふたりに逢事を志めしつるにやあらん御身の里に眞氏といふ人やあるかと問ふ彼女の曰なし太良又問曰なし/\ならハ子なきか夫なきかと問ふ女答る言葉なし眞氏思ひけるハ夢中の事共定て人の物語を傳へ聞我か慕ひ來る事を察し我を侮るものならんとか不をあかめて立歸る太良翌日野崎に立越夢中の女を尋ね訪へ良媒を頼みて奇縁をむすび次第/\に富貴栄耀して後にハ西銘のぬしとなり嘉播の親と名のりしハ此人なり 一、嘉播の親眞氏を娶りてより三男二女を設く嫡子伊佐盛二男斗佐盛三男武佐盛とて三人共に大不孝の者共にて親のこゝろにかなハねハ各家財を分け與へて外へ出して居ら志む長女思免かハ根間の大按司と云人の次男根間角かわらてたの大氏と云人の妻なり二女目我津喜ハ西銘こぜさかりといふ人の妻なりこぜ昌(ママ)後にハ西銘の按司と名のる兩人のおやたから定省の勤おこたらす末の世まても孝女と名をのここしけるこそ芳しけれ又彼三兄弟の者共親に怨を搆ひ竊に謀て曰父年老て亡目にならせ給ふヶ程拙き年寄を我〓(二ノ字点)<303B>か親といはんハ與所の見る目も恥しけれハかやう/\にせんと内語を極め妹兩人の隙を伺ひ父に向て曰兄弟の者共親の御氣を慰め奉らん爲に磯邊に宴莚を設たりいさゝせ給へとたふらかせハ謀とハ夢にも志らず子程のたからよもあらじとよろこひ出るもことハりなりかくて北の方一里計漕いてゝこすくあかといふ干瀬に渡り干潮の時分に干瀬の硲に棚を拵え其うへに宴を設けてもてなしけれ潮時よきとて魚を取て奉らんとおの/\舟を漕出し其儘捨てそ歸りける親ハかゝる事とおもひもよらず今や來ると待けるに忽潮滿來り假につくりし棚なれハ少もたまらずこ不れ流れて失にけり親者元來水練にハ達したれとも亡目なれハ渡方を志らずにこハそも何となる身そと浮ぬ沈みぬ聲をあけはやく來てたすけよと子共を呼ともこたふるものゝあらねバ今ハかきりとおもふところに忽然として一つの大魚來りてせなかに乗せやかて濱にそ揚りける親ハ夢の心地して魚に向て手を合す首をつけて禮拜すされとも亡目なれはいつちとも志らず只忙然として泣居たり女子共ハ兄達の老父を誘奉り舟遊し給ふと聞えけれハいさや我らも御迎にとていそけ酒肴を設け白川濱にいてしに磯邊に舟者見へざれハ是ハいかにとむね打さハぎあがおや/\と聲をかきりに泣さけひあハてふためき尋ねゆく老父ハ我か子の聲と聞かりるに是ハ是と立あかり互に手に手をとらひ津ゝなくより外のことはもなし親ハなみたをおさへかやうかやうにて既に必死に究りしを大魚の助を得て今汝等に再會すこれひとへにかれか洪恩なり海中を見るへし今に大魚や居るとあるに人〓(二ノ字点)<303B>夢の心地して海のかたを見やれハ大なる鱶ひとつ濱の方に向て人〓(二ノ字点)<303B>の再會するを見てよろこぶけはひに見ゆあらありかたやとおの/\手を合せ禮拝す親の曰たゝにハいかて見すごさん急き牛を宰して活命の恩を謝すへしとの給へハ奴を走らかして家人を召す村の人〓(二ノ字点)<303B>も主の難に逢ふ事を聞我も/\と彼濱に馳參り嬉しなみたをなかしつゝよろこひあへるも中〓(二ノ字点)<303B>なり頓て牛を宰して鱶に與ふされとも鱶ハ去らず親の曰く宰する所の牛殘りあるかと問ふ頭と尾とハのこれあるとこたふ是をも與へしかハ即沖のかたへ歸りゆく父子再拜して曰願わくハ我か子孫たるものかゝる無窮の洪恩を荷へたりは世〓(二ノ字点)<303B>鱶を喰ハすじと誓ふ今に至りて其れ末葉ハこれを喰ハすとなんかくて人〓(二ノ字点)<303B>立かへれハ遠近聞津たへ皆〓(二ノ字点)<303B>まいりよろこひの宴してハすとなり志かるに三兄弟の者ハまいらすおの/\一所にあつまりていかゝハせんとおそれをなす伊佐盛か曰捨置たる老父を鱶に助けられて我〓(二ノ字点)<303B>は人に唾吐せられん事ハやすから祢斗作盛か曰いさやこすくあかにまいりかの鱶をたつね餌を與へてこれを取て怨を報せん武佐盛か曰我〓(二ノ字点)<303B>三人武勇の名を得たれとも謀のならさるハ該〓<5B7D>魚のゆへ也もし〓<5B7D>魚を取えすんハ父の御迎に出たりと謂なしてそ志りをまぬかれんとかたらひ釣針縄鋒なと用意して舟に取乗こすくあかの方へそ漕出ける此事隠なくきこへしかハ親ハ餘りの祢たさに我を甍にの不せよといふ人〓(二ノ字点)<303B>あやしみて御身物も見給ハぬに何を御覧するといふいやとよおもふ子細の有間ひらにの不せよとて餘多の人にかゝひられての不りぬ舟ハいつくに見ゆると問ふこすくあかの邊にあるといふこゝにおいていらかを引はつし舟のかたを〓<6427>き老天我を憐み給ハかゝかの舟を只今吹はらハせ給へといふ聲未おハらさるに一陳の嵐波をあけ舟を捲て行末も志らずなりにけり今に至りて旅行の人留守の内に甍を改めさるハこのゆへなりとそ満ことに天綱恢〓(二ノ字点)<303B>として疎なれとも不漏とかや眼前に悪報を志めして不孝のつみを懲し給ふこそおそろしけれ  附録 嘉播の親の長女思免かハ根間の大按司の二男角かはら天太の大氏の婦人なり嫡子一男目墨盛豊見親其子眞角與那覇盤殿其子普佐盛豊見親其子眞譽の子豊見親其子仲宗根豊見親なり今にいたるまて其苗裔ハふかをくらハずとなん 一、むかし二子仲宗根のぬし保里天太といふ二人の子を設く嫡子保古利屋盛二男くじさかりといふ該不くりや盛ハ天性お不やうにして無能なり二男居士佐加利ハ器量骨柄人に勝れ容貌美にして志かも兵法の達人なり其頃ハ西の百郡東の百郡とて居民ところせきまて衆けれハ無器量にしてハ一郡のぬしとなることえならされハ二男に家督させんと常〓(二ノ字点)<303B>保里天太物語しけり嫡子不こりや盛やすからぬことかな我嫡子と生なから弟の下に立む事末代の恥辱なるへしと口惜しくおもひをれり弟くじさかりハ美男といへ殊に管弦の道にも達し聲さへおかしうしてあやこなと者(くずし字「は」)ものなれハ若き女子共ハひそかに通ふものお不し兄不こりゃ盛りハいよいよ是を妬み村中の父老に語りて曰汝らか女子とも不とる川の往還に舎弟くじさかりに強奸せられて世の口すさひにあるこそうたてけれ我父も渠に心をよせ給へれハやかて天太にもなりなハいよいよ汝らをハつかしむへしといろ/\いひ毀扶父老共皆是を満ことゝおもひ志からハいかゝハからふへしと問ふ不こりや盛か曰明日暁天に吾家の後ろの喬木にの不りよハゝる時何れも馳參り渠を補て殃の根をたやすへしと約束すおの/\楮の綱を拵へ相圖を待つむかしハ人を捕時楮の綱を拵へ七尋八尋を以て捲倒して捕ゆる風俗なりけるかくて其期にもなりしかハ不こりや盛城の後の喬木にの不り聲をかきりによハハる城中にハ天太を始不こりや盛の氣はし狂するにやとあやふむ所にハや楮の綱を立ならひ門を遮り居士佐加利此中の驕奢をいましめんために立向ふとく/\出來りて縛を受よとよハゝる城中に城中にハおもいよらさることなりハ肝を消し上を下へと周章騒くくじさかりハ兄の謀と知けれハさらにこれをこハまず七尋ハかりの旗竿を後ろの石垣に打かけ竿をつたへて迯れいて城邊箕の隅といふ山里に隠れ忍ふ保里天太齢八十に餘りかゝる憂目を見る事のかなしやと明暮なけきくらし給ふそ不便なるされとも不こりや盛の妻おもたるハ本より孝行の婦人にてとやかくいひ慰めて保養すいたハしや保里天太老のとしなみよりつまり杖と頼みし居士佐加利さへ浮き世のことをふりすてゝ其名もうとき山里の箕の隅とやらんに身をおくと聞につけても喚子鳥音をのみなきて翅たにあらハ飛びこへ見て満しとあさなゆふうなに戀わひてなみたの露の玉の緒も絶ぬへしとそ見へ給ふ孝婦おもたる是をなけき夫に時〓(二ノ字点)<303B>諫言をすゝむれともきゝいれす一日不こりや盛父に向て申やう御身八旬に餘り給ふ御齢なれハあすをも志らぬ御命なるを世に有我をハ御いとひ世になき弟を志たハせ給ふこそ心へぬさ不と御ゆかしく御不しめさハ御慰かてらに箕の隅とやらんに御出あるへし山里の景致この世のおもひ出にもなりなんと顔をあかめておどしける天太ハなく/\すみなれし城を不となくおいたされ〈此城の舊跡今のあきらちの邊也〉こすくぢさして只ひとりたとりゆくこそ不便なり孝婦ハなく/\神酒を持送り途中に追つけてこれを進む舅者是を受給ひ汝平日の孝行天道にも照覧あらんと手を合せ天に祈りて曰此婦の孝心を憐み給ひて善子を與へ給へと祝してなく/\東西に立わかれ給ふ果してこの婦人後に糸數の大按司と聞へし男子を設けたり保里天太は老躰の身なれハ力なくよらへ不こといふ所にてつまつき倒ぬ今ハ歩行かなハねハ城邊にゆく人に傳言してくじさかりに通じ居士佐加利馬をはせらかして御迎に参るおりふしはや息絶給ふ居士佐嘉利なく/\果斐なき御死骸をよらへ不こに葬しとなん今にいたるまて彼所に其古跡あり 一、保古利屋盛の婦人おもたる孝行の志るしにや玉のやうある男子を設け成人するに随て長者の風ありと聞へしかハ後にハ糸數の大按司と名のり肩をならふるものなし扨こじさかりハ兄にせバめられ箕の隅に居を志めし彼村のぬしとなり男子を設けたり童名眞徳金後に飛鳥爺と稱す是ハ其勇猛虎のことく其健なる事飛鳥のことしとて其名を得るとなり又其比西銘の按司といふ長者あり此人ひとりむすめあり其名を於母婦といふ嬋娟たるに不ふあてやかにして一たひゑめハ傾國の色あり按司是を寵愛する事掌上の珠のことしあハれ佳婿を求めて歸かしめ我跡職をも譲らんとおもふ所に該逢うか爺の武勇を聞及ひいかにもしてまねきよせんと思案をめくらせともおよハすいかゝハせんと旨をこかす折ふし西銘の津かさといふ老婦來ていふやう我に一斗の餅を作りて給ハゝかの飛鳥爺を此所江まねきよせんとなり按司某謀を問へハかやう/\と答ふ按司大きによろこひ餅を老婦に與へしかハ※の隅村江持行童へ共に是を與へて曰我ハ神女なり汝等に幸を教るなれとてあやごをうたひてならハ志むるに神女の教へなれハ心をとゝめてやかて受覺ぬこのあやごのこゝをハ西銘の按司のひとりむすめおもふ其容貌玉のことくにして世にたくひなし飛鳥爺ならずして誰か是を求めむとひとりや是を娶らハ西銘のぬしハ飛鳥爺ならすして誰そやとなりこの綾子遠近に聞へしかハひとりやも神の告たる事ならずとて西銘間切に尋行て徘徊す先日のつかさ兼而おもひ設けし事なれハとひとりやを導て按司江通す按司やかて召寄せて對面するに其容貌尋常ならず堂〓(二ノ字点)<303B>たる威風神のことし志す満したりとよろこひ語て曰こゝにも神の告け有て内〓(二ノ字点)<303B>通達せんとおもひとも賢慮の程いかゝあらんと恐をなして黙止居たる所に今日幸いに光臨を得て素懐を慰するに足れりとてやかて婚禮かたのことくとりおこなひ入婿として西銘のぬしとなる是より威風遠近に振ひいよ/\と名高くなりにけり  附録  西銘城未申に向ふ長九十間横四十六間其跡形今に存せり西銘間切ハ西銘村おわて村伊こむ村きやけ村ありしとなり 一、西銘間切の西隣に石原といふむらありけり今ハ古城の跡形ハかりのこれり其村のぬし思千代按司とて武勇の者あり志かるにこのころ飛鳥爺西銘のぬしとなりてより威を振ひ我境を侵し或ハ我か方切の白川濱において漁するをもとひとりや理不盡に奪取かくてハ漸〓(二ノ字点)<303B>石原郡もおのつから西銘郡の有となるへしと恐をなしいかにもしてとひとりやを討んとおもへとも其勇當なるものなく其上西銘城より白川濱ハあハひ八九町ハかりあるを往還する事一陳の風の颯と吹通るかことく目にたに見へ祢ハ天神のことくおちおそれて施すへき計なし賄賂を厚ふして和睦を求むれともうけかふきしきなけれハせんかたなく是に敵するものハ誰なるらんと訪ひ聞しに東仲宗根白川塲の起目翦殿は無双の弓取也渠を頼て討たしむへしとおもい嫡子獅子眞良を津かハし禮物を厚ふして訪ひ行かふやう/\の次第にて我か境漸〓(二ノ字点)<303B>侵され迷惑に及へり頼ハ無能を憐み神弓の妙を盡し一矢に飛鳥爺を射留み給ハゝ其報恩に屋籠牛三疋を献るへしとなみたをなかして慇懃に頼む〈屋籠牛とハ今の犂牛を屋の中にこめ置能飼立肥す候〉起目翦殿も飛鳥爺か武勇に不こる事をかねてより聞及ひ折もあらハ武を試んとおもふからにつこと打笑ひ飛鳥爺不との勇士を討取ん報禮に三疋の牛にてハ叶ふまし五疋にて志かるへしとあれは獅子眞良大によろこひ日を定て立歸る此起目翦殿は白川大殿といふ人の男子なり父母世をはやうして伯母に養育せられて七歳の此伯母神酒作らんと粉を掻置起目翦に是を守らしめ井に出水を汲みて帰る時起目翦殿の前に小豆の様なるもの一舛ハかりあり何かと問えハ憐家より小豆の初を送れりと打笑ふ取て見れハ蠅なりいかゝして取集けんと恠しみ見るに粟ぐろにて作れる小弓を以蠅を射るに一つもあた矢なく其手早き事神妙を得たり伯母大きに驚き是より武藝を心掛けさせ終に無双の武藝者となりれとそ起目翦殿定る日にもなりしかハ石原郡に趣き白川濱に立出てゝ網を打せて慰めけるに飛鳥爺是を望み見て飛かことくに馳來る起目翦殿定の弓箭を帯したるを見てとひとりやこれをあやしみかゝる所へハいかゝして御出有ると問ふ起目翦殿の曰春日の悠〓(二ノ字点)<303B>たるにさそハれ來れり道遙の序に弓あそひせんとおもふ所に幸に御邊の御出有こそ嬉しけれいさや五十歩の外に的を立て一矢つゝ試んといふひとりやか曰何をか的にせんやとあれハ別物を立てゝハよかる満し此濱に身の長け穴を掘り首ハかりを出し髻に一寸の志るしを挟みそれに中るを褒し中さるを貶せんとひとりやハ謀とハゆめにも知す起目翦殿の射手の名あるを兼て聞及しゆへよき相手とよろこひさらハ試んといふて二人五十歩を隔てゝ穴を掘る起目翦ハ膝を満けて首の出るやうに不るとひとりやハ我か身の長け穴を不り首を出す起目翦殿闇によろこひよハゝりて曰御身年長し給へり先一矢あそハされよと聞えけれハとひとりや立てあらハれ弓を満月のことく引き志不りやうと放つ其矢流星の飛かことく起目翦の耳の輪を射通す起目翦殿躍出てゝよはハって曰兄長の神弓聞しよりも満されり去なから志るしの的にあたらされハはや貶になり給へりとく/\穴に入給へ約束の的にあてゝ褒を受んといふとひとりやもさらハとて立なから穴に入る首ハかりを出し髻に志るしの的を挟みて矢を待起目翦殿大の狩俣を打つかい十分に引志不りてひやうと發つ憐むへし其矢あや満たすとひとりやか兩眼を射貫く飛鳥爺あつとさきひ穴より躍出る時今一矢胸にくさと立つ急所の痛手なれハ飛鳥爺嗔怒を發し五十歩を一躍に飛んて起目翦を掴<6451>殺さんとす起目翦も聞ゆるはやわさの名人なれハ十艘ハかり伏せ置たるくり舟の中に這入て是を避くとひとりや其舟共を八九艘まてハはねかへし/\捜共矢疵頻に病んて耐かたかりけれハ力なく西銘の方へ一陣の風の通るやうに音して飛歸る奇なりといふもおろかなりさしもの長き白川濱に其歸る足跡只三ツのこりしと今の世まても云傳へたり飛鳥爺其日の暮程にむなしくなりしとなん起目翦殿ハい志やら城へまいりかくと告知らせハ思千代按司父子且よろこひ且おそれをなして曰飛鳥爺ハ其勇猛なる事人間に似す一手の矢にてハよも死す満しもし死さる時ハ我か石原郡危き事只夕にありと色をうしなふ起目翦殿笑て曰志からハ人をつかハしておとつれを聞かしむへしといふ石原の人〓(二ノ字点)<303B>常に飛鳥爺を怒るゝ事鬼神のことくなれハ満して今日手を負ふせたりと聞ていよいよふるひおそれ石原郡も只今えめおとされもやせむとおもふから西銘へまいらんといふものなし思千代按司いかゝハせんと案し煩ふ所に下女さらもいといふものすゝみ出てゝ曰われ飛鳥爺のおと津れを聞てまいらむとありしかハ按司よろこひ汝ハ女なからたのもしきものかなもし生てかへらハ汝をゆるして故郷に送り歸さんといふこれさらもいは野原村の者なりけりこゝにおいてさらもい商人のやうに出立て西銘にまいりて見るに人〓(二ノ字点)<303B>泣て申やう嗚呼この日いかなる日なれは我か主飛鳥爺に矢を與へて命をおとさしむるやこの西銘郡も共に不ろうひなんとそなけきける又西銘城の邊に立よりて伺へハ男ハ葬禮をいとなみ女共ハ泣て曰   この西銘/\や こおおわて/\や   飛鳥爺舞鳥かゆへんと 村立や   郡立やおたらめ けふ失ぬ   あちや失ぬ 志らずとて なきかなしむ聲あハれといふもなか/\なりさらもい立歸りてかくと告知らせハ人〓(二ノ字点)<303B>活命したる心地に悦ひ起目翦殿を色〓(二ノ字点)<303B>饗應してそ歸らしむ下女さらもいハ約束のことく身をゆるして古郷にかへしけるか按司おもふやう女たに敵人の方へ參り虚實をうかゝひ來るに男ハ臆病にしてまいらすと聞えなハ石原郡の名折のみならず却而強剛のもの共襲へ來る事もやあらんとおそれて追手をつかハし途中にて射殺さしむとなりさらもい女の身なから主の爲に忠心をつくれしに何そこれをころして世人の耳を壅んとするや按司の心志のへり 一、糸數大按司の從弟西銘飛鳥爺武勇の譽れ世に高く聞えけれハ按司も一方の翼と頼敷おもふ所に石原城の思千代按司父子にたハかられ不いなくやみ/\と討れぬと聞えしかハ糸數大按司これを憤りたゝにハいかてさしおかんとおもひをれり志かるい當地の俗に豊年にハ豊禮とて賓客を招て神酒を賞する習ひありひとゝせ五穀豊熟しけれは是によそへてい志やら城の思千代按司父子を請す該父子も飛鳥爺を討し後ハ糸數大按司に怨みられむ事を憂懼るゝ所に豊禮の宴とて慇懃に召さるゝ事おもひの外のよき事とよろこひまいりぬ糸數大按司色〓(二ノ字点)<303B>もてなし神酒をすゝめ大に醉ハしめて帰る所を途中に人を伏せおき射殺さしむとなり又彼起目翦殿ハ無双の勇者なりハいかゝとして是を討ん糸數大按司も案し煩ふ所に或人の曰力を持ってあらそハゝ徒に人を損せん起目翦殿いまた妻女なけれハ美人の計を以てあさむき討んこそ満しならめといふ按司是を聞て曰彼人智勇兼備れたれハ尋常にてハ叶ふまし我かむすめ幸地目娥ハ容顔美麗の譽あれハ是を餌にして釣るへしとて射塲を搆へ五十歩の先に嶽の組み的とて細き目を十四あけて竪置此的を矢七手にて次第をあや満たす射るものあらハ按司の聟になさんと云傳ハしむこゝにおいて弓取程の若もの共もしも射中る事もやあらんと射塲に集り曰〓(二ノ字点)<303B>にこゝろませむれ共射るものなしと聞えけれハ起目翦殿計とハおもいもよらずおのれか武藝を衒ハさんとおもい一日射塲にいてゝ伺公す按司兼而巧〓(くずし字「ミ」)し事なれハ斜ならずよろこひ射塲にいてゝ禮儀あり起目翦殿は辭退して曰卒爾に參せんハ不禮に似たり改日慇懃に參るへしとありしかハ按司手を捕て曰今日幸に黄道の吉辰なれハ先縁組の禮儀をいわひはしむへしと祢んころに請しける起目翦殿も辞するに言葉なくしてまいりぬ城中の人〓(二ノ字点)<303B>起目翦殿こそ組的を一〓(二ノ字点)<303B>射中にて婿にならせ給ふおうちさゝめきけり幸地目娥物の隙より窺ひ見るに起目翦殿容顔美麗にして威風あたりを拂へ應對川のなかるゝかことく満ことに好き逑ひと闇によろこひ按司いろいろもてなし角皿に神酒を湛へて祝のはしめなれハとて手拍子打て是をすゝむ起目翦殿兩手にか螫ゝひあけてのみつくさんとする間に傍より剱を飛ハして起目翦殿の首を見ずもたまらす打おとす起目翦殿持たる津の皿にて其人の眞向を微塵に打砕き共に即座に相果ぬ劔を飛ハせし人ハ元來倭人なりしとなん其人wp葬りし所今に至るまて蹈あらさず恐れ慎めり偖幸目娥あかやとひれふし情なの御事かな起目翦殿一人討取る計なく我を餌して釣給ふ事ハそも何事そや彼もわれを人とおもいハこそ秘術を盡して的をも射中たらめわれもこころを該にゆるせりおやこの情もこれまてなり今よりハ天の的そとて人めもハゝかずひたすら物にくるふから人〓(二ノ字点)<303B>あきれハて彼倭客常に起目翦殿と遺恨ありて席上にて相害したり搆へて辜なき人なうらみそと諫むれとも耳にも聞入すせめての事にとて起目翦殿の死骸を祢んころに葬らしけれハ其の死骸墓所に行てあけくれ泣くらし終に亡目となれ後〓(二ノ字点)<303B>にハほう頬まて拭ひ爛らかしてこかれ死したるとなん其怨魂今に残りけるにや糸數城今ハ西仲宗根村の百姓屋敷に組分けけるか幸地目娥か舊跡の女人壹人宛かならず目はけものありとそ聞ゆ又かのい志ら城の思千代按司の婦人ハ狩俣村小眞良はひ豊見親といふ人の妹なり此豊見親ハおそろしき呪詛の達者且ハ占の名人なり世の人是を恐れすといふものなし思千代按司の婦人先年糸數大按司に夫を始め男子獅子眞良まて討れて其恨の骨髄に入るといへとも女の身なれハ施すへき謀なし一日兄の小眞良はひ豊見親か許に行て泣て曰我か夫子の怨を報せん事女の身なりハいかゝはせん頼ハ兄の神術を以て敵を忽に殺し給ハゝ生々世〓(二ノ字点)<303B>の洪恩なるへしと聞ゆ小眞良はひの曰それ人命ハ天にかゝれり何そ術を以ころす事を得んやとて糸数大按司の命數を考占ひ手を拍て嘆して曰く糸數大按司の命數将に終らんとす來る某月某日にハ必す死すへし其間恨を忍んてたれよといふ婦人は泣/\立歸る志かるに占たる日にもなりしかハいかゝあらんと人〓(二ノ字点)<303B>おもふ所に按司ハ死なすして却而人をつかハして小眞良はひにいひおこしけるハこの比家造營せんとする所に巧匠なし御身ハ聞ゆる良工にておハすれハ憚なから立越えられ差圖を頼むとなり是ハ元來此人獅子眞良か親敷ものなりハ呪咀せん事を恐れ僞寄して殺さんと欲してなり小眞良はひ謀と知りたれハさらハまいらむ去なから家をハ通瑠満し今日按司の命期なりハ棺を作りて得さすへしとて道具を持せて平良へ參る途中そのれ嶺にて草の葉を一つ取りこれを呪て抛飛す其草葉忽然としてあ不蠅と化して糸数城に飛到りぬ折ふし按司厠にありて押匙を以て耳を掻き居たりあ不蠅按司の肘を螫す按司お不ハす肘を打て蠅を殺さんとして却而おのれか耳を穿て其まゝ卒去すと云云小眞良はひ果して棺を作りて送葬せしとなり 附録 小眞良はひ當嶋の未來を考置けるか一もたかハずと謂傳へたり 一、むかし根間の大按司と云人子を三人設く一男ハ根間の大氏と云一女ハ孟尼也知とて浦天太と云人の妻也二男ハ根間の角かわら天太の大氏と云是則西銘のぬし嘉播の親の長女思女娥と云孝女の夫なり此人一子を設く目墨盛りといふ是ハ目の上に北斗の黒痣有故に名とせりとそ此子三歳の比父母没す故に伯父根間の大氏に養育せらる容顔美麗にして光り有されとも七歳まて足たゝず常に小弓を翫て蠅を射て慰とせり後には智謀世に越弓箭取ての名人たりある時粟稲を晒し置目黒盛をして鶏や雀なとを追せけるところに俄に大雨降來る人〓(二ノ字点)<303B>周章騒きて粟稲を取収む目黒盛我をも入れ給へと呼共顧る者壹人もなし腹あしき奴一人立向て云やう汝七歳まて躄て何の役にもたゝされハ日暮まて濡ても不苦と詈る目黒盛勃と腹立て飛立躰に見へけるか逸足を出して家の内に走入是より行歩自由を得たり十二三歳よりハ葡萄の達人と聞ゆ時に浦天太と云人ハ浦嶋のぬしなり〈浦嶋ハ今の川満村なり〉妻は目黒盛の伯母也該所見舞のおりふし池田といふ澤邊にて鴨二つ三つ宛射取て見舞毎にみやけとし浦てた武徳を感する躰にもてなし汝か指をこの鴨居の上に置よ見申さんと云則手を抜く時に釿を以て切らんと打かけけるにやをら引迦して遁れゆく所を伯母呼歸しひと満なる所に入て語曰汝重而こゝに來るへからず人々汝か武勇を忌む今よりハ農業を勤めてあちこちと行事なかれ汝か親の畠いもひけもりと云所ハ極上の地方なり當分糸數大按司に預け置汝行て懇に申請へしと教訓しこそ帰らしむ。 一、目黒盛伯母の教訓を聞平良へ歸り或日糸數大按司の所に參る其邊を見るに家の側に弓塲有此塲に竹の組垣有長七八尺にして横五寸毎に細く組〓(くずし字「ミ」)目數十四是を矢七手にて十四目段〓(二ノ字点)<303B>に射るを以て上手とさたむ貳百餘人の兵共七手に射るもの一人おなし漸く三手半を以上手とす此塲に暫座して見物すやゝありて目黒盛兵共に向て曰大按司に用事有て參りたるよし申上給へと兵共申やう何の用そやと云目黒盛か曰我直に得対顔申上度儀あり是非共申上給へと云人〓(二ノ字点)<303B>申けるハ汝か分際として一郡のぬし大按司に對顔を得て申上儀ありとハ中/\無勿躰次第也早々立歸るへしといふ目黒盛深き所存あれハ渠等と間言なく又矢筋の業を試ミ少間有て曰願ハ弓矢を借し給へ一矢試んといふ兵共あさ笑て曰汝少年弓取やう知れりやと答曰不知志からハいかゝして一矢をひかん答而曰中心正しく外躰直ふして矢を發つ時は何そあたらさる事を憂ふへきと答ける人〓(二ノ字点)<303B>此答に恥かしめられ強弓に七手の矢を添て渡す則五十歩を隔てゝ七八尺の組垣の一番の目より次第/\にあてゝ十四の矢延やうに發ける兵共大きに驚き喝采す満ことに起目翦殿にも劣る満しとそさゝめきける大按司遙に望み見て目黒盛を召寄せて何の用事ありて參りたるやとやと問ふ答て曰我か先祖讓のいもひけもりと申畠御預りの由承侯我等農業を企候故ゆけ取申度存參上仕候といふ大按司聞て汝ハ先歸るへし重而返事あらんと申さる目黒盛りさらハ改日伺公仕うけ取申さんとて立歸る其後大按司兵共を集め使を以て目黒盛心得て簪を以てけき立て蠅の皿に浮むて死さる時ハ一口に飲盡す幾度も如斬してやをら座敷を立様子を伺ふに糸數城の高さ三丈ハかりにして其上より楮の綱を以て四方張り城内にハ大力の兵共弓箭を帯し打物の達者二三百人並居て大将の下知を待つ有様也目黒盛是を見て物々しや我らこときの小官者一人をとゝやをら門外におり立て身繕ひしてあゆミゆく群兵共門を押開きあ満さじと追掛る目黒盛あ不山の邊まて志つ/\とゆき後を顧ミ懐中より劔を取出し我を取出し我ハ一人や多勢の中に取籠られて遁れ出いふやうハお不祢とも手並の程を見置て後世にも伝へよかしといふまゝに劔をひらめかしてにらみ立たるいき不ひハおそろしといふまゝに劔をひらめかしてにらみ立たるいき不ひハおそろしきといふもおろかなり兵共ハ雀の鷹に逢ふかのことくあなたこなたへはつと散る其内膽の大きもの一人立とゝまり御身を害し奉らんとするにハあらず按司より先日の御返事申さん爲にとゝ奉れとの仰によってかくのことしとふるひ/\申けれハ目黒盛打笑ひけふは御饗応に満かせ給も酔過たれハえつこそ参られ祢と能〓(二ノ字点)<303B>申上給へよやとて立帰る 一、其後大相使を以ていもひけもりハ七兄弟に預け置候間該方に申断請取へしとある目黒盛七兄弟の家に参りいもひけもりの畠大按司よりかた/\にあずけおかるゝよし承る我先祖より讓の畠なれハ是非共帰し給るへしと懇に申し断とも七兄弟ハおのか武勇をたのミ其上大按司と内談の事なれはにやさらに不聞入目黒盛も頻りに催促しけれハさらハいもひけもりにおいてこゝろよく勝負を決し勝ん方に渡すへしとありしかハ目黒盛も志かるへしとて日限を極め約束の日にもなりしかハ僕一両人を伴ひ籏一流持せあけぬ先にいもひけもりにまいり高き所に籏を立て我か後ろのかたに所々に薄きもりを立多勢の伏したるやうに見せて只独り弓箭を帯し今や/\と待かけたり七兄弟の人〓(二ノ字点)<303B>は大勢を引卒し稲葉嶺を打越いもひけもりに押寄て時の声をあけたりハかしこにも山びこの響にこたへておひたゝし辰の一点に遠矢はしまり七兄弟一度に弓を差詰引詰射掛れとも目黒盛ハ目ハやき男にて劔を以て打はらへ或ハ中に取留め秘術を盡して防けける七兄弟ハ矢たね盡れハあきれはてゝ立たる所を目墨盛七矢を以て兄弟の膝蓋をあやまたず一矢宛射中てたれハ皆倒伏して立あからず大勢矢を放つ事雨のことしといへとも例の劔を以て切はらひ一矢も不請今ハ矢たね盡て切てかゝらんとすれハ目墨盛の後ろに伏勢有と見へて殺気天に沖リ目墨盛り劔をひらめかして鷹の雀をうたんとするのいき不ひをなし飛奔するありさ満恰も天神のことし兵共大きに驚き兄弟の者共を救て迯んとする所に目墨盛馳寄りて曰汝等今日我か劔を試んとおもい共此二三年殺生戒を慎む誓願有故に汝等か命を助也とよハゝれハ皆よみかへりたる心地して鼠の迯るかことく去にけり 一、兄弟の人〓(二ノ字点)<303B>ハ漸々矢疵も愈しかハ壹所に集りなしちよちやの兄評して曰先日の戰に我〓(二ノ字点)<303B>負くへき道理あり敵は朝日を後ろにして陳をとり我らか矢先を一〓(二ノ字点)<303B>に防て一矢もうけす我〓(二ノ字点)<303B>ハ輝日に向ふゆへに眩暈きて矢先正しからされハ渠能是を防く今一戦を催しかれより先に陳を取り朝日を後ろにして射るものならハあた矢ハ一ツもあるへからず皆〓(二ノ字点)<303B>尤と同して目墨盛に云おこせけるやうハ先此の戦に我等一命を助け給ふ芳恩明後日辰以前本所において報奉らんとあり目墨盛是を聞て打笑ひ矢疵を負る雁ハ空弦に落ると聞ものを御神妙なる御使かな頃日ハ農業の営に取紛り弓矢も袋に入たれハ斟酌とハ存れとも御望の通いもひけもりに出陳し御弓勢の程を今一度拝見申へしとそ返事す七兄弟ハ其日になれハまた夜ふかきに出立ていもひけもりに陳を取り色々の籏を立ならべ今や/\と待かけたり目墨盛ハ敵の謀を察し態と日斜にして稲葉嶺に陳をとり敵陳を目の下に見なして例の只一人馳出て先比助け置きたる一命の恩を報ひ給ふとの仰によって是まて参りたりすきずかたよらず真直に一矢つゝ送り給へと高らかによハゝる兄弟共けふハ御方より先手と譲るさらハとて目墨盛一矢を發て一人か耳の輪を射切て重而ハ矢を不放兄弟の者共の曰先比の恩情を報ふ一矢をうけて見よやと云て雑兵をして散〓(二ノ字点)<303B>に射さす目墨盛劔を以て打払へ少もあたらず兄弟共忍へかね立並んてさしつめ挽詰射掛れとも爰に在るかと見れハかしこに飛違ひかしこかとおもへハこゝに現す出没すること神のことし兄弟の者共あきれハてゝ立たる所を目墨盛七矢を發て兄弟共の両眼をあやまたず射貫是ハ兼而矢の先を割り石をこめて兩眼を一度射るやうに拵へ置けるとなり〈むかし八重山嶋よりおもと竹といふつよき竹を矢ころ用にとりしとなん〉急所の痛手なれハ皆倒臥しぬ目墨盛か曰今日も汝等か命を助置そといひすてゝ我か陳に帰り駒に策をかひて馳帰る七兄弟の妻共ハ神酒肴を用意して袖山嶺に席を設け夫共の帰陳を労ハんと待居たる所に日も漸夕日に及んて稲葉嶺より籏一流見へたり誰なるらんとあやぶみ近くなるまゝに是を見れハ目墨盛か勢なり其ありさ満いさみすゝむて馳通る七兄弟の妻共案に相違しておのおの色をうしなふ目墨盛行過かてらに打笑ひ今日も勝負の色見へねハ我先遁帰り来る兄弟の人〓(二ノ字点)<303B>は兵共江神酒を給ふとていまたいもひけもりにおハするなりとかく黄昏の頃にハ御帰りあるへしといひすてゝ飛かことくに馳通る女共ハ是を満ことゝおもひ今や来ると待所に稲葉嶺も入相にかすミて一群れの勢籏の手を捲て騒そうしく馳来るいかなるゆへにやと胸打さハきおの/\是を望み見るに行伍ミたりて主張なく恰茂鷹かに逢たる雀に似たり多勢を卒したれハ今度ハされとも頼ミけるにおもひの不かなる仕合かなと人〓(二ノ字点)<303B>目と目を見合す内にはや呻吟のこゑ聞へけれハあハやと馳りいてゝ見れハ兄弟の者共両眼を射貫れて半死半生におよへり女共此躰を見てふし満ろひ鳴くより不かのこともなし是をも兵共に舁せて夜に満きり忍ひ/\に立帰る心の内こそむさんなり七兄弟共ハ其夜失にけり (附録)  あやこにいふ所のものかたりを聞ハ七兄弟の者共さらこもりといふ所にミやまこといふ人の畠あり是を取らんとミやまこを呼寄し神酒をすゝミて酔ハ志めていふやう汝か畠我ら所望なれハ是非共譲り給ハるへしとあれハミやまこ大きに驚き我等兄妹かのさらこもりの畠に命を植置たれハいかんそ是を人に譲るへき平らに御免あれと返す/\断とも聞入す却而声をあらけさいなミて申しけるハ天下さへ壹人の天下にあらずと聞く志かるに一邊の畠を壹人の物とするハ大いにあやまれり是非譲る満しとならハ互に武芸を試みて勝ちん方にはたすへしとおのおの兵器を動さんとす此にハミやまこも是非なくさらハさらこもりにて勝負を決せんとて我か家に帰り妹不なりにかくと告知らせハ不なり申やう彼等ハ多勢我等ハ只兄妹なりいかんそ渠等に敵せんや只別に思案あらんといふミやまこ今ハ忍へかね其人間一度ハ生れ一度ハ死する習なりかゝる辱めを受坐なから畠をわたさん事世の人にも唾を吐かるへし汝ハ女なれハいかにもして世になからへ此恨を報ふへしとて兵器を取て立出れは不なりも供に出んとす兄是をとゝめて曰無用/\汝ハのこりて仇を報する計をめくらすへしとあれハ不なりなく/\立とゝ満りぬ無念といふもおろか也ミやまくハさらにこもりにて待受火花を散して戦ふと□へとも多勢に取こめられてあへなく討死す七兄妹ハ畠を奪取り嘉悦の眉をひらきいさミいさむて立帰る不なりハ案の内なれハなミたあから人〓(二ノ字点)<303B>にむかっていふやう我堅く諫むれ共聞き入れす徒に犬死する事兄の不覚なれハ七兄妹をハ少も恨ミぬなりとてさらうていにいひなしけれハ七兄妹是を伝へ聞く不便のものかなさらハ彼に畠を少々ハ分け与へて元さすへしとそ申ける不なりハ是を聞志す満したりとよろこひて忌も漸過ぎぬれハ七兄妹の所に行なミたをなかして申やう先にハ兄をいさむれとも気強きものにて聞入す却而其身をそこなふ今よりハ兄の事をおもふとも甲斐なし願ハ妹をあハれミ命を続ハかりハ畠を分け与へ給ハらハ生〓(二ノ字点)<303B>世〓(二ノ字点)<303B>の供恩ならんと満ことしやかに媚諂ふ兄弟ハ不なりか美貌なる上言語柔順なるにめてゝ一儀にも及ハず我〓(二ノ字点)<303B>かくてある上ハ少も気遣あるへからず汝ハ女の身なれハ畠もおもふやふにはさくる満しそれをも我〓(二ノ字点)<303B>計ふへしミやまくもかやうにやさしく談合でハ命を失ふ事ハさておき兄弟共おもふへきに汝かいふことくニ気強きゆへに非命の死をも受しそかしといふ慰めて帰しけり不なり我家に帰り三度わか者への米を求めて神酒を醸しへづしといふ毒魚を求めて肴とし七兄弟の人〓(二ノ字点)<303B>をまねき豊禮のやうにもてなしてこれをすゝめける兄弟共ハかゝる事とハおもひもよらず大に酔て不なりか嬋妍たる美貌にめてゝ其夜ハそこに宿せんといふ者もありバ不なり申けるハ明日よりハ一家のことく毎夜に参会するとも苦しからずむかしより豊禮にいきと満りハなしと聞くものを今夜ハ是非に御帰りあるへしといふすかしてそ帰しける七兄弟共途中より腹病んて嘔吐狼藉し七竅より血迸りいてゝ同し枕に死けるとなり志かれハ此七兄弟ハ目墨盛に討れし兄弟とハ別人なるへし或人の曰むかしハ兵を好むて人命をそこなふ事を手柄とす故に兄弟お不きをよしとして同志のものを盟りて七兄弟というもありしとかやさもありぬへし 一、むかしの風俗にあらたに人を殺す時ハかすはとて沐浴する習なり目墨親ハ七兄弟を殺すによって白川に参り沐浴して髪をさはき兵器を清め川の前なる大石の上に靠居て息ふ其有様雲間を出る新月の影をうつして白川も光かゝやくハかりなり時に川の上よりあなかげさや天神のあまくたりし給ふそやといふこゑに驚き首をめくらして望ミ見れハ籬の隙より二八ハかりの美人半面不のかに見へて其かほよき事花のことくいさきよき事ハ秋水のことし是則川の不とりにいます白川根志瑠殿といふ長者のひとりむすめ孟仁似といふ人なりけり上下目と目を見合わせて言葉なし美人ハはや立かくれぬ此時両人のかけ川に移りて光りかゝやきたれハとて白川を白明川と改名せりとそ聞えし志瑠殿むすめのけはへを窺ひよしありと知りしかハ白川に異事ありやと問ふ答て曰此世の人にも似ぬ美少年大石の上に靠居て休ふあり天神のあま下りにやといひすてゝ入ぬ志瑠殿あやしミてゆへに見れハ二八ハかりの美男髪をさはき新たに沐浴して兵器を側に置たり此目墨盛の七兄弟に戦ひ勝たるなるへしと察し言葉をかけて曰晩景に臨みて沐浴し給ふ事さためてよき事なるへし卒爾なから弊屋江御入ありかしみきをすゝめていわひ申さんと聞ゆ目墨盛もほの見しおもかけにこゝろをひかれ問ハ満しものをとおもふおりからなれハありかたしとてやかてまいりぬ志瑠殿大いによろこひ神酒を出して饗応し酣におよんて申されけるハかゝる目出度事こそ候ハねわれ老にせ満りひとりむすめを持たれハ佳婿を撰ひ帰しめんと思ひ共夫婦ハ人倫の根本なれハ津ゝ志満すんハ有へからずミつから目利して心に叶ふものあらハ告知らさんといふにより此程延引におよへれ志かるに上天の御引合にや今先川の不とりを望み見て天神のあま下りし給ふといふを聞立いてゝ見れハ御身なり御身もいまた妻女をもたずと承る願は老身を憐ミ女子か平生の願ひをも叶へ給ハゝ此世のよろこひ何事かこれに志かんとなみたをなかしての給へハ目墨盛心の内に是天縁なるへしとおもいなから先辭退して曰吾か身に餘るよろこひ畏入候得共孤のかなしさハ家業を棄てゝ流浪したれハ家を齊る才なく人に満しハる道に疎しかゝる好強の時なりハ能〓(二ノ字点)<303B>賢良を求めて令愛をめあハせ給ふへしとつゝ志んて申けれハ志瑠殿大いに笑て申けるハ夫れ婚禮の禮ハ言葉を撰ふ御身今日強敵に勝て縁につくとならハ何の腆からさる事がさりあらん幸に今日の吉辰に神酒をあらためて契約を結ハむと用意をなす目墨盛も此上ハ御意に随ふへし去なから今日ハ血をあいしたれハ吉禮においていかゝなれハ白木の器にて酌を結へかしといふ志瑠殿大きに悦ひ敵にかちて白川に身を清めて白明川とあらため志瑠殿か縁に縁につきて白木の器を用いる事満ことに君子農好き逑ひ其時を得たりとて志ら木の皿を以てミきをすゝめ千代萬歳と祝ひ初めける後来外間根間に城を搆へ目墨盛豊見親と佳名をのこせしハ此人也今の世まて此吉例に巡し婚禮にハ白木の器を用ふる風俗となれり 一、目墨盛ハ孟仁似を娶りてより漸〓(二ノ字点)<303B>富貴栄耀し民を恤むに心深けれハゥ民是を尊んて目墨盛豊見親と称すこゝにおいて所〓(二ノ字点)<303B>に御嶽を建立し民に神祇を宗敬する心をおこさせむ農業をすゝめて衣食を給し或ハ時〓(二ノ字点)<303B>武芸を鍛錬して強剛を威し其頃ハ兵を好んて戦伐止む時なし若戦ひ負る時ハ其村を焼払へ男女壹人も不残屠殺し其田畠を奪取世俗なり爰に平良より東に與那覇はらとて一間切あり其ぬしは作多お不ひとゝ云者なり此郡に兵十行あり一津らとハ百人をいふこの十津らの兵共驍勇にして至極無道なり常にゥ村を攻落すを業として厭ふ事なし昔ハ西の百郡東の百郡とて村〓(二ノ字点)<303B>お不かりしを與那覇はらの兵共に過半不をふされたり目墨盛豊見親ハ智仁勇の名人なれハ是にも侵されす境を守る事堅固なり或時作多大人目墨盛豊見親の許へ参り此中ハ無道の軍に辜なき百姓を残害せしこそ悔しけれ今よりハ先非を改め御身と和睦して共に大平をたのしまんといふ目墨盛も民の塗炭に苦む事を歎きおもひしに是ハ目出度御計ひと褒美して神酒〓<9EAF>を懇にすゝめ大いに酔ハしめて帰らしむ豊見親闇に女童を津かハして帰路の有様をうかゝひ聞しむ佐多大人酔に乗して笑ひ語りて曰く目墨盛さへうち不ろふさハ大分の田畠を設けおの/\に分け与へて緩々与渡世させんといふ女童走帰りてかやう/\/\と告く豊見親の曰吾か計しに違ハずとて城郭を堅固にして用心さらにおこたらずそのり嶺に籏を立たらん時早々馳参るへしと相図をさためおき一〓(二ノ字点)<303B>田畠の往還にも武具を不放帯しけれハ與那覇はらにも是を察して手を動かさず或時作毛の時分を窺ひ豊見親の勢過半原へ出てゝ城内勢少きをハかり俄に大勢を發して攻入る豊見親無勢なりといへとも常に鍛錬したる兵なれハ大勢をも不恐こゝをせんとゝ火花をちらして防戦ふ豊見親か兵共近き原に出たる者共ハ平良に軍ありと見てけれハ急きそのれ嶺に用意したる籏を差揚緒方の勢を集む城中守の勢すこなふして既に危く見へけれハ豊見親も城戸を開いて打て出て秘術を盡して防戦ふといへとも目にあまる不との大勢にてふせき難く終に漲水まてせきおとさる敵は次第にかさなりて一戦に利を得んと切れとも射れともたちろかす我先にと競ひかゝる豊見親無是非海にせき入られ是をかぎりと見へければ天を仰て歎きして曰われ民を安する事あたハず今日賊兵共の為に命をおとす根間外間の城も是まてなり天なる哉/\と既に自害におよバんとする所に不思議や敵陣俄に騒動し蜘蛛の子をちらすに似たり豊見親是に力を得て討残されたる兵共を引て切てあかる是は七年の以前豊見親の飼犬行衛なく失けるか只今洞の中より吠いてゝ大勢の中を縦横無碍に噛ミ満ハる其猛き事虎のことく是に當るもの脛をかみ砕かれ足を喰切られ馳めくる事飛かことし犬の出し洞を今に犬川と名つく大勢犬のふるまひ尋常ならず神の助なるへしと少しいろめく所を緒方の勢相図の籏に驚き我先にと馳参りとつと喚て突て入る又不ら崎よりも一手の勢時をつくりて切て入そのいき不い烈風のことし是則西仲宗根のぬし楚良古意といふ人の救の勢なり佐多大人緒方の救兵打重り神犬のすさ満しきいき不いに仰天し圍を解けて迯帰る所に豊見親の遅参の兵行先を遮り留ゝめ三方より引つゝんて散〓(二ノ字点)<303B>に打死す十行の兵此時七八分ハ亡ひたり其死骸道路に充満しけるを土堀川といふ阿不川になけ入たれハ其血流れて漲水の瀬も紅になれりとなん此故に此川をあかう川と名つく是より緒方の兵乱稍志つまりれ佐多大人は残兵を数ふるに過半うしなへ甚後悔して豊見親か攻入らん事を恐れて昼夜眠る事もえせずして用心すされ共豊見親ハ仁義を本として殺伐を好満さる長者なれハ彼も人間なり仁化に記せハおのつから良民ともなるへしとて兵を動かさず是を伝へ聞て与那覇はら悪党共いよ/\恥恐れて後悔す志かれ共積悪の宿業迯れさるにや或夜大勢の攻入るやうに夥しく物音して一夜の内に悪党共暴死したりと云云是神明の悪をいましめ給ふか又は屠りころされたる村〓(二ノ字点)<303B>の怨霊のたゝりにやとあやしめり 附録 或人目墨盛豊見親を評して曰もしくハ神化の人ならんかいかんとなれハ寿命百弐拾歳にして百姓を恤む事赤子のことく或ハ<山冠+翠>寮に入て神と共に遊ひ或ハ旱する時ハ雨を祈れハ忽に雨降りしとなり 一、目墨盛豊見親の一子真角与那盤殿能〓(二ノ字点)<303B>父の志をうけついて仁徳を以て民を憮て養ふゆへに四方の民これを慕ふ事父母のことし寿命も又父のことして百二十歳にして卒去せしとなり与那覇盤殿嫡子を普佐盛豊見親といふ二男を根間伊嘉利といふ普作盛豊見親の嫡子を真譽の子といふ此子誕生の時大いなる猫来りて赤子の側に踞て片時も去らす外間へう為立の時も彼猫先立てまいりしゆへに字をまよの子と名つけたとそ猫をまよと唱へハなりう為たちとハ生子の初而まいる所をいふ二男を根間の大親と云ふ普作盛豊親齢七十の頃婦人偕老同穴のかたらひをそむき世を去り給ひしかハ普作盛豊見親深く是を歎き寝食ともにやすからず真譽の子天性孝順にして定省の勤おこたらさるにかゝる御有様を見てさらにやすからず昼夜心をつくして保養すといへとも愁を解くに術なしいかゝハせんと案し煩ふ所に或人の曰豊見親古来稀なる御齢なれハ夜のお満しもさこそひやかならめいかにもして志かるへき妾を求めて昼夜宮仕させたらハ鬱気もおのつからとけ給ふにやとあれハ真譽の子尤もとさとり内々尋ねもとむるに幸に狩俣村にある女天性柔順にして幽閉貞静となりと聞へしかハ聘禮を厚してこれを迎ひて宮仕しさせけり會者定離の慣ひ今にハしめぬ事なれハ津なかぬ月日かさなりて別れし人のおもかけもわすれめやすると新沈そひなし馴ていもせつ流れたゝせぬ契りとなり二人のむすめを設けたり一女産立の時一葉の舟を浮へて狩俣村江漕行けるに餘多の海馬舟に志たかひ濱邊まて参りける故さんめかと名つけたり又二女う為立の時にもう津といふなき舟を志たふてまいりしかハうつめかと名つけたり普佐盛豊見親無病息災にして父祖の寿命にならいて百二十歳にして卒すとそ聞えし 一、普佐盛豊見親の嫡子真譽の子豊見親子共六人を設く婦人ハ目娥月といふ人なり一男空広〈後に仲宗根の豊見親と称す〉二男真濃茶天太といふ此両人〓<5B7F>子也三男ハ伊寿金中氏四男ハ伊志津利といふ五男ハ満喜屋利とて四男五男も〓<5B7F>子也六男ハ知屋盛土賀豊見親といふ又普佐盛の弟根間の伊嘉利ハ神化の人なるへし或時天川崎といふ所に泉湧出る此川に仙女あまくたりして沐浴し給ふ時に伊嘉利父の喪中にて墓所に廬して昼夜涕泣しける此天川崎に父の蘇生し給ふと夢を見ておとろきさ満に馳行けるに異香馥々たれハあやしみて立よりて見るに奇妙なる髪毛二筋有り不思議の物なれハ拾ひ酉帰らんとする所に忽然として仙女形を顕ハして髪毛を乞受て去りぬ其後伊嘉利磯邊を通る折ふし異人来りて伊嘉利を伴ひて海中に入ぬ見る人怪異の思をなせり三ヶ年の後に帰宅して曰海中の嶋に遊んて鼓祢いりといふ祭のうたをならへりとて是よりこ祢いりはし満れり 附録 根間のいかりハ至て孝心深き人にて父の喪に三年墓所に廬して涕泣しけれハ龍宮界より仙女をつかハし祭りのうたを教ん為に満ねかれしとなり三年三ヶ月に帰宅すと云云 一、根間の大親いまた子をまうけすして卒去す故に婦人ハこれを歎き真譽の子豊見親の子を貰て猶子とせん事を願ふ豊見親の曰空広真濃茶天太二人の中より目利して猶子にせよと許す叔母〈根間大親の婦人也〉則両人を朝日の影有所に並へ立てゝ是を相す空広ハ痩せて長け矮くけれ共影高く真濃茶天太ハ肥太れて長け高けれ共影矮し故に叔母空広を猶子として是を養ふ叔母賢良にして能く子を教ふ空広天性孝順にして母の教に志たかひ七歳の比より名譽をあらハせり空広或時母に向て曰今日天気快晴なりハ庄園に行て奴僕を下知せん事を願ふ母の曰汝嬰児いかゝして奴僕を下知せんやと問ふ答て曰只かれらか力をかりて油断なからしめんといふ母この言を奇なりとしてこれを許すこゝにおいて奴僕を卒へて津やこみやといふ庄園にいてゝ下知をなす其下知する所宜しからすといふことなし奴僕共大きに驚き神童なりとおもへり其日當世の主大里大殿赤牛に跨て大勢を引卒し通尻といふ磯邊へ白縄の慰にとて出給ふ空広遙に是を望見て若蒜を挽せて束ねさせ路邊に持行て是を捧け跪て曰願は吾か作り物の初を主にたてまつらんと聞ゆ大殿駕をとゝめて是を見るに其形相不凡言語さハやかにして大人の風あり即チ問て曰汝ハ誰か家の兒そ答て曰吾ハ根間の大親の猶子空広といふものなり大殿曰志からハ真譽の子の世悴よな汝に誰か教へて蒜を獻したる空広つゝ志んて申やう今日母の命をうけて園を捜さしむる所に主の御通り有をおかミ幸に吾か作り物の初を獻する事を得たり何そ人の教をうけんやといふ大殿又曰汝か妙齢幾ハくそや答て曰生年七歳なりと大殿大きに悦ひ吾今日逍遙のかとてに奇童に逢いたりとていさや汝も共に遊ハんといふ空広おれに志たかひ即僕をよんて曰われハ主の御供にて通尻江ゆきたりと父母に申上よとて鰺に乗りて相随ふ此日の白縄過分に魚を得たり大殿も空広か才智を測らんとおもひ汝いてゝ今日の魚たまを打せよとの給ふ〈魚たまとハ人々に魚を配分する事也〉空広則領掌し大分の魚を割符する事親疎なふして其すミやかなる事妙を得たり大殿も大きに感し給へり又帰らんとする期に臨んて大なる魚数百を空広に賜ふとてやかて立帰らるゝ空広禮を成して則ゥ人に魚唯つゝを分ケ与へ壹唯宛ハ我か許へ送られよとて御供にて立ち帰る是は空広か才智を試ん為なり於途中に問て曰汝にあたへし魚ハいかゝ志たるとありハ志か/\と答ふ大殿打笑神妙にハからへたりとそ不めらるゝ是より空広を寵愛して大殿の許にて成人しける空広十七歳の時より加和良保爺と云人と共に大殿の摂権を聞かせめたり彼加和良保爺ハ邪佞の人にてやゝもすれハ良人を讒言して害せんとたくむ空広義理を以てこれを論し実否を明らかに正して害を遁るゝ者多しとかや又其頃ハゥ味かうじを獻してみつきものに備ふる世俗なりハゥ方より運送する者数を志らず故に其日中に納めえさるものハ門外に一夜を宿す或ハ二夜も宿す又移り壺を取りに参りハ残り有をも其まゝはねこ不して渡しける故其捨所は神酒〓<9EAF>堆く積て山のことく川に似たり空広が摂権を聞へしよりハ取納に滞らねハ宿するものなく移り壺を取に参る人〓(二ノ字点)<303B>にハ残り有をハ分け与へ喰ハしめて曰汝等遠く来るを憐み主人よりこれを賜ふものなりと好言を以て帰しけれ空広萬事慈悲を以てゥ民を愛憐しけれハ遠近恩徳を蒙り空広を父母のやうにそあふけ志たふかくて大里大殿卒去する時子共いまた幼稚なれハ世事を治る事を得す諸人空広を尊んて仲宗根豊見親と称して嶋の主とす豊見親慈悲心深くしてゥ民を子のことく愛し給へハゥ民も又父母を志たふかことくにして其徳風に志たかひなひく  附録 或曰大里大殿ハむかし始而中山朝見の道を開かれし与那覇勢頭豊見親の一子代川大殿ときくひし人の子なりけり代川大殿ハ有徳の人なりしを壮年の比おもハずと伯牛の病を得て代川原に荘園を搆へ隠居して長生を保ちけるとなり或夜の夢に我屋上に福木生て俄に高数百丈の大木となると見て自からゆめ合をするに善子を生すへき瑞夢なりしかハ婦人を荘園にまねき會媾して設けたる子なりけり果して成人の後ハ麻姑嶋の首長となり大里大殿とあかめられ子孫繁昌きハ満りなしと云云 一、後人大里大殿の祖宗与那覇勢頭豊見親の賢慮を感する略に曰 嘗聞大明洪武年間与那覇勢頭豊見親為當地尊長之時民俗奸險而不向乎善常好兵屡〓<6215>害人命矣豊見爺熟思焉地方偏小而不知有上下之分矣且好勝而不恐法律矣是其所以相仇而相害也歟〓<5018>使帰順干大國而蒙徳化者民自得所也憂懐懸望有年也幸其頃海不揚波有祥雲見東北乎闇識聖主之出世矣於是沙壇築干白川浜竪竿壇上曳竿頭五色之緒乎祷(79B1)天祝曰願者指教大國之方位導我使到貴土通達赤心之情救民之苦患乎祈願七昼夜也終願之暁天明星之下有嶋影幽見又竿頭之緒足自靡艮之方豊見爺大悦曰祈願成就也乃艤舟望艮之方出帆乎ゥ神擁護順風如意翌日到干中山也然言語不通只以手為模様而訴心中之事耳中山王御諱察度深愛憐之賜於寓居泊村撫育三年而言語漸通〈此寓所之古跡即今有泊村雍氏伊波親雲上屋敷之後也有井名豊見爺川従来當地之人到干中山時必参詣此井矣可惜頃年為照屋筑登之親雲上請地理而今訪之無迹形也〉聖上甚喜其忠誠賜褒賞也豊見爺着錦帰郷光前輝後栄昌何事如之矣自是土民服王化修禮儀勤農業習俗日新而為大平之境地也原与八重山嶋有唇歯之好因故洪武二十三年庚午導彼嶋之酋長相共捧方物朝見干中山矣云々  忠導氏家譜曰    紀 録 元祖玄雅仲宗根豊見親  童名空広天順年間生嘉靖年間卒号徳巌義本  父普佐盛豊見親之嫡子真譽之子豊見親也  母目娥月不知為何人之女也  室大安母童名宇津免嘉野崎村安嘉宇立親女也天順年間生嘉靖年間卒号浄安妙心 尚圓王世代  成化年間朝見中山奉命為宮古嶋之主長有古伝也 尚真王世代 弘治年間當地民俗猶不向善好兵争勝〓<6215>害人命玄雅熟思焉沃土之民米粟豊饒故致放恣者多不如訟干主國歛賦税供年貢使令民知勤労者自然帰仁化矣於是請命置役人ゥ村令定毎丁賦数矣自是民俗不懈農業修禮儀為太平之民也干時玄雅航干八重山嶋諭彼之島酉長曰相共守附庸之職分而定年々貢物之員数而朝見干中山述欲竭臣子之忠誠之意矣時大浜赤峰兄弟負己之武勇而不肯焉却企叛逆欲襲宮古島矣因赴干中山而訟赤峰等謀叛之意趣矣因茲弘治十三年庚申遣大将征伐之時玄雅父子為官軍之指導也到彼地方追罸干逆徒乎納成功而到干中山矣朝廷大嘉之而以玄雅之二男祭金豊見親使為守護八重山島也勤職四年而亦命三男知利真良豊見親令代八重山島退治之時将開船而祈誓漲水御嶽曰願者神力擁護増威之追罸於逆徒者御嶽之周圍新築石垣云云既事竣而帰島之時為成願而築石垣也至今為當地第一之祈願所也 弘治年間定本地年貢員之数且令造営蔵許一軒仕上世蔵船手蔵迄干今蔵許此基址也〈準此由来毎年正月毎御甲子之日自豊見親居住東仲宗根村始而上布ニ疋取納之飾干蔵許之上座祝之也且以東仲宗根村為ゥ村之首也〉同年間捧年貢朝見中山之時聖上大嘉之為褒賞於那覇賜旅館今之宮古御蔵是也云云一日過於中山御門時忽見有大蛇死干路邊其形不尋常闇識是霊物矣於是擡彼蛇而帰干旅館葬於圍之東南之隅祝曰汝自今日為霊神埀於霊験無窮而擁護吾土民而勿令逢毒蛇矣干今於宮古御蔵圍之内崇敬之 弘治年間朝見中山帰帆之時遭逆風漂流干八重山嶋於潭陀干瀬破舩既及危急之時幸以鱶之祐得活命而帰島矣因茲玄雅之苗裔迄干今不食鱶也 同年間為八重山平治之慶賀奉命玄雅夫婦朝見中山之時獻上寳劔一口称治金丸〈或夜於武太川有金光沖天玄雅窺之得此劔云云〉寳珠一顆〈此玉原自天女伝来夜光之玉也云云〉婦人宇津免嘉獻上當島嶽々立願之祝物並土産物也此時為褒賞賜玄雅簪一個〈金頭銀莖有獅子之鋳形〉白絹之単衣一領且婦人宇津免嘉始而任大安母職殊賜簪一個〈金頭銀茎有鳳凰之鋳形〉白絹衣一領玉一貫大安母者是乃為當地女中之長也玄雅荷聖恩栄昌何事矣如之哉 正徳年間下地往來之途中加那浜泥土多而懶歩行且潮満之時男女〓<6485>衣而及失儀故玄雅憐之吩咐衆民而畳三百尋餘之石道名下地橋道也自是往来得自由矣 嘉靖年間八重山嶋与那國之首長鬼虎負己之武勇而不随王化故玄雅奉命追罸之時聖上殊賜恩借御劔治金丸於此謝恩而帰嶋率當地之兵到干彼地方征罸逆徒唱凱歌入朝而返上御劔云云  附録 鬼虎者勇力無雙智謀超衆身長一丈五寸且与那國嶋之形勢四方巌石如欹屏(5C5B)風周圍有隠干瀬而只於南方有一之津口風波静時稍得船出入也若一夫守之則萬夫不得進矣故憑其険所遂不随王化矣此鬼虎者原来當地狩俣之生産也此人五歳之頃身長有五尺計也其頃當地飢饉矣干時与那國之人渡海干當地商売矣見鬼虎形相不凡夫為異之将以米一斗買之而帰嶋矣後成人而為一嶋之首長也云云 弘治年間八重山嶋退治之時遣兵船令攻之然兵船不能入津口而空帰帆也故今命玄雅使討之此時宗徒之勇士嫡子金盛豊見親二男祭金豊見親三男知利真良豊見親金志川金盛同人弟那喜大知〈是人後来称金志川豊見親〉精兵二十四人其外美女四人平良祝住屋大阿智城祝砂川戀種司伊良部伊安登之於母婦砂川阿〓<73F7>娥摩相随既艤舟到干与那國嶋先使入美人等獻ゥ味麹(9EB4)告之曰吾宮古嶋数遭飢饉而居民過半及憔悴矣故投貴地欲免飢寒之苦而遠凌風波之難今日幸得謁大人之台顔乎大人原宮古嶋之人也願者念故土之情救吾等之残生矣涕泣而訟之鬼虎被惑美人巧言令色乗酔使挽入本舩也干時鬼虎大酔而不堤防故玄雅率兵直攻入鬼虎振餘丈之大角棒迎戦其勇不可當玄将避之欲飛超田疇忽然而跌倒干深田鬼虎大笑曰汝等今日為釜中之魚矣奈何得飛出乎其聲未了自左右金盛兄弟金志川兄弟挾之攻戦鬼虎當右払左大喝一聲其威〓<7989>迅雷庶人愕然而引退干時玄雅自由中躍出御劔治金丸薙落鬼虎右膝也嫡子金盛走寄而取首餘賊悉降参於此捕鬼虎之女子帰嶋云云共當嶋綾語存干今 一、むかし新里村あしらやの御舩の親といふ人舩頭して琉球江の不り帰帆の洋中逆風に逢ひ南の嶋あ不らといふ所に漂着すこの嶋の風俗は他國の人漂着する時は是を捕へ肥たる者ハ油をたれ痩たる者ハ膝蓋を打抜て歩行せしめず或ハ両眼に白かねを焼きこめて目を瞎し能〓(二ノ字点)<303B>飼立て肥る時ハ油をたるゝ或ハ膂力の強き者ハ呪詛して生けなから牛のやうに変化しせめて畠を犂しけるとなりこのおふねのおやいろ白き美男にてありしを両眼に白かねを焼入られてけり水主野崎村満さりやというものハ器量勝れたる若者にてあ不ら嶋の女に取合夫婦となりて恩愛土人に異なれハ女も是を憐み色〓(二ノ字点)<303B>方便をめくらして是を救ふ該女いふやう汝等に肉を羹を喰ハして牛になさんとたくむなり羹を喰ハゝかまへて浮へる肉をくふへからずそれハ人の肉なり是を喰ふ時は忽牛になる法術ありとく満/\教へけれハ近所にある同伴の者にも内々告志らせ萬事女の教に満かせ心をつくして主人に能〓(二ノ字点)<303B>津かハれしゆへ近所にありし満さりや同伴の者迄もいまた殺されず彼女満さりやに語ていふやう汝と夫婦になりしも他生の縁いつまても取合たくおもひ共みす/\汝か油に煎らるゝ事を見るに志のひず帰嶋せんと思ハゝ粮を用意してえさすへし去なから一人にてハかなふまし汝か同伴の者壹両人密〓(二ノ字点)<303B>申合置期に臨んて遅〓(二ノ字点)<303B>する事なかれとあれハ満さりやなみたなから手を合わせもし洪恩によって帰嶋せハ生〓(二ノ字点)<303B>世〓(二ノ字点)<303B>恩をわすれじとて同伴共も能〓(二ノ字点)<303B>申合時を待こそ哀なり彼女大なる瓢壹つにハ粮入壹つにハ水を入り或夜のくら満きりに小舟を盗みかゝふ竿といふものを添へてわたし舟の乗りまいをおしへて走らしむかゝふ竿とハ水につき込む時ハ水鳥の水爬のやうにひろかり引出す時ハ志不るものなり是を以て漕く時ハ志不るものなり是を以て漕く時ハ妙ありて自由に走る也十里ハかり漕いてゝ夜も不の/\と明かたにあとより聲をそろへ舟を漕来るあハや追手なるへしと後ろを顧みれハ順風に帆をあけたる舟壹艘件の竿を津かひ飛かことくに走来る一定追つかれぬとお不ゆる所に幸に人もかよはぬ空離あり究竟の所なりとて命かきりに力をいたし離嶋に漕着ぬ満さりや才智のものなれハ同伴共を下知して浜長に十間ハかり歩まし山のかたの不りたるやうに足あとを見せそれより引かへし後ろむけさまに退きありきて本の所え下り干瀬の硲に隠れて藻草を蒙り潮の引ハ息を出し寄すれハ息を出て追手を避く地獄の有様もかくやとおもふハかりなりいとおそろし追手の舷もハせ着て帆をさけ土人十人ハかり手〓(二ノ字点)<303B>に兵器を持先のあしあとを志たふて山にの不りちりちりにわかれて捜り求むる隙に満さりや今也と這出てゝ追手の舟に乗移りて帆をあけ我か舟をも挽てこゝろ志つかに舟を走らせかやゝありて土人共是を見付あハてふためき浜に出てなきさけひ手〓(二ノ字点)<303B>にま祢き共見ぬか不して走り延ぬ舟の疾き事鳥の飛かことし北をさしてふた夜をこめて八つハかりに嶋かけ見へたり漕寄たれハ吾か宮古しまなりゆめうつゝともわきまへす野崎おやと満りに漕着てけり人々馳集りおとつれを聞くゆかりの人〓(二ノ字点)<303B>ハふしまろひてそなけかゝるゝかゝう竿ハまさりや家に伝へ来りしを火事にあふて焼失せりとそ 一、新里村あ瀬良屋のおふねのおやか妻不なこひ夫の左右を聞しより湯水をたにまいらす明暮歎きくらしておもひのやミにふし志つミ終に物も見えずなりけれハ舅姑ハ我か子の難儀を聞て胸割るかことくせんかたなきに孝行なりし嫁さへ今ハかくのことくなれハいかゝハせんとあきれハてたるハかりなり不なこひか父母もかゝるありさ満を見てすへきやうなく女子を乞取りて我か家にかへり色々いひ慰めて送る月日そわひしかる不なこひなく/\起あかり原川をもありきけり川の往還もあ瀬ら屋の門前よりそかよひけるいつも立とゝ満りて涙を流しけれハ舅姑も常によひ入れていとなつかしくものしけり原へ出る時ハおふねの親の事をあやこに作りてなみたなからうたひありくこのあやこいたりてなつかしきゆへに今畠を犂もの共これをうたふて牛をありかせ拍子とす父母おもふやうかくてハ終にこかれ死すへしもし再嫁させたらハよからんとて密々婿をそ目利する不なこひ元来うつくしきほまれあれハこれを志たハすといふ物なし福人砂川の戸佐といふ者近き此妻をうしなひ物うき折ふし此事を聞及ひ不なこひ孝順なるものなれハ千金のたからよりも望満しくおもひ聘禮を厚ふして慇懃に求む父母闇に禮物をうけ吉辰をゑらひ女子にかくと語りしかハこハ情けなき事共かなわれ夫の難を聞しよりとくにも身をなけんとおもひ共父母舅姑いまた此世にましませを見すてゝ志なんもいかゝなれハけふまてなからふ所に何そわれを別人に嫁せんとの給ふそと人めもハゝからず聲をかきりになきかなしむ人〓(二ノ字点)<303B>いそき立寄りいかなる事にやと訪ふ所に不なこひ軈て消え入ぬ父母ハ驚きいそき婿にも告知せハ婿もあハてゝ馳参り神〓(二ノ字点)<303B>に祈りて色〓(二ノ字点)<303B>養生しけれハやゝひさしうしてよミかへりぬ夫をハしめ人〓(二ノ字点)<303B>こゝろをつくして昼夜保養して漸志つめたり夫よろこひ我か家に給てまいり恩愛する事かきりなし或時不なこひ原へゆきいまた帰らず時に雨大にふりしかハ夫ハ〓<8618>笠を取て原にいてたり不思儀やなくさわかしき雨中にいとなつかしくあやこをうたふもの有其聲のうつくしくあハれなる事あるかもとゝまるハかりなり夫恠異のおもひをなし聲を志るへにたとりゆきて見れハ不なこひ也一もとの薄に靠居て頭をたれ涙や雨に志不れつゝ前夫の事を志たふてうたふあやこ也けれハ夫大きに嫉妬を発し汝いかなれハ我を見すてゝ前夫の事をのみ思ひ志たふや今よりかくのことくせハさしころすへしと聞へけれハなみたをおさへ申やう汝われを愛する事よかしといへともいかんそ前夫の恩に易ふへきや今生にてハ彼をわするゝ事かなふまし必ずわすれよとならハ願ハ恩手を假りて死して来世を待んといふ夫いよ/\腹を立さらハ物見せんとて髪を掴(6451)んて挽立散〓(二ノ字点)<303B>蹴るあハれむへし不なこひ其まゝ息絶して失にけり夫ハおとろきあかやと泣ともいかゝハせん我か身もやかて自害してけれ父母後悔すれとも甲斐なし痛敷かな不なこひ前夫を慕ふて非命に死すといへとも其聲音今にのこりていますかことし 一、昔、伊良部嶋の内下地といふむらありけれある男猟に出てゝよなたまといふ魚を釣るこの魚ハ人面魚躰にして能〓(二ノ字点)<303B>ものいふ魚となり猟師おもふやうかゝるめつらしき物なれハ明日い津れも参会して賞翫せんとて炭をおこしあふりこにのせて乾ハかしけり其夜人志つ満りて後隣家に或童子俄に啼をらひ伊良部村へいなんといふ夜中なれハ其母いろいろこれをすかせとも止す泣さけ不事いよ/\切なり母もすへきやうなく子を抱て外へ出たれハ母にひしといたきつきわなしきふるふ母も恠異のおもひをなす所にはるかにこゑをあけてよなた毎/\何とて遅く帰るそといふ隣家に乾かされしよなた毎の曰われハ今あらすミの上にのせられあふり乾かさるゝ事半夜におよえり早〓(二ノ字点)<303B>犀をやりて迎ひさせよとこたふ母子ハ身の毛よたつていそき伊良部村にまいる人〓(二ノ字点)<303B>あやしミて何とて夜ふかく来ると問ふ母志か/\とこたへて翌朝下地村へ立かへりしに村中のこらす洗ひつくされて失たり今にいたりて其村の跡形ハあれ共村立ハなくなりにけり彼母子いかなる隠徳ありけるにやかゝる急難を奇特にのかれし事こそめつらしけれ 一、むかし嘉手苅村のぬし久場嘉按司といふ人あり久場嘉城は今の嘉手苅村より東南の方にあり長三十一間横二十五間本門ハ南に向ひ脇門ハ西むかひなりこはか按司のひとりむすめ普門好前とて容貌うつくしき女なりその比琉球人玉城といふ者あり素生良家の仁にて気量骨柄人に越へ操心直ふなりけれハ按司も此人と常〓(二ノ字点)<303B>睦敷取合置けるにや普門好善となれむつひて男子壹人設けたり彼玉城八重山嶋にわたりて帰帆の折ふし夜にいれ普門好善の家にまいりやをら立よりてうかゝひ見る所に其子夜啼したり母の曰汝流浪人の子何とて夜啼するやはやくとるミよといふ玉城これを聞我おやけなりハ両嶋にも航するに流浪人とハ何事そやと勃と腹立てゝ其儘子を奪取りて帰りぬ好善おもひの外の事なれハあかやと泣て追行とも玉城逸足にて迯延たれハせんかたなく浜にひれふし泣さけびとも無甲斐夜も不の/\と明て舟を見やれハ追風に満かせおきなハさして走りゆく帆かけハかりそ不の見ゆる今ハ力なしよしさらハわか身も嶋もゥ共に不ろふし給へと天にあふけ地にふしてそ恨ミけるかゝる所に不思儀や俄に沖のかたより蕩々たる洪浪大山の崩かゝるかことく鳴り轟き東南の海はたにありし村〓(二ノ字点)<303B>も此時浪にひかれて失けるとなり好善か一言のあやまりに子を奪ハれしハ是非もなし何そ辜なき嶋と共に不ろひへと願ひけるやたとへ好善か願ひたれハとて忽波濤の寄り来る謂なし是時節到来といひなから好善の心中愛別離苦のかなしミせんかたなミにゆらるゝ事いかなる宿業にやとあやふめりあわれむべし好善の死骸は野崎の西赤浜といふ所に揚りぬ野崎の人〓(二ノ字点)<303B>も嘉手苅村の子遺なきを憐ミて好善を川満村の東方に葬る其古跡今にのこれり琉球人玉城ハ我か子を給て本國之夜深く首里への不りし途中に占の名人ありその家に立より壹方の柱をおしおこかせハト者やかて火を灯しあやしや此地震奇卦を得たり當國の人南國に遊んて善子を得て帰る卦なり此子後にハ按司となるへしと占ふ玉城闇に悦ひ立帰るハたして此子成人して何の按司とかやなりしとなり當地今に至りて夜うらとて吉日を撰ひ火の神に焼香して玉城普門好善といわひ歳徳の方に出て道行人の言葉の吉凶に志たかひ事の善悪を知る世俗となれり 一、おなしころにやありけん砂川村うへひやといふ所にありし人も四海浪にあふて失にけり其子佐阿祢大氏という男子七歳なりしを父母他村につかハせけるゆへ其難をのかれしとなりされとも幼稚之者にて寄る方なくあけくれ父母を志たふて啼ありくを喜佐真の按司と聞へし人ハ有徳の長者にて水難にもあハす彼さあねか有様を聞及ひいとねんころに養育せらる佐阿祢二八ハかりの比みなこさといふ浜邊を通る折ふし不思儀や沖の方より小舟壹艘漕来る月光のやうにひかりかゝやくハかりの美人壹人舟より上るさあね大きに驚き是天女なるへしと白砂の上に首をつけて再ひミる事あたハず美人佐阿祢に向て申やう我ハむ母の按司と申ものなるが龍宮の命をうけ汝か妻にならんため只今この所に来るなりと聞へしかハ佐阿祢いよいよおそれ入かゝるいやしき狐の身としていかてか仙女に偶す事をえん是非にゆるせ給へと首をたに擡け祢は美人手を取て曰御身固く辭する事なかれ命中の安拝我も志らず人も志らずひとり天これを知るのミ佐阿根面をあかふして手足の措所を志らず美人又曰いさや汝か父母の所にまいらんと聞ゆ佐阿祢なみたをなかし申やう父母ハそのかミお不なみの難に逢ふて何之東西なし今ハ寄方なく身となりて喜佐真の按司の御慈悲をかうむりて日をわたるを幸とおもふのみといふ女も此言葉を聞てなみたをなかしわれに能く方便ありとこ/\まいらんと催促すさあねも辭するにことはなく荒果たる旧屋敷に給てまいりぬ其夜ハそこにそミふしぬ翌朝又浜へ列てわれハ過分の材木を寄り来れりこれをうへひや江持越し家を作り営ミ程なく富貴栄耀の身となり上比屋佐阿弥大氏と称す津なかぬ月日かさなりて七男七女を設けたり一日む母の按司夫に向て申やうわれ龍宮の命をうけて御身を助け此とし月馴むつひし夫婦の縁をむすひかためて解きはなれかたくハおもひとも年季満ぬれハ力なく帰るへしと聞ゆ大氏大きに驚き前後も志らず泣かなしむむ母の按司の曰われ人間界に身を置事数十年つきせぬなこりいはんかたなし志かれとも限あれハいかゝハせん願ハ後世四海浪の難の防くの法を教へんとて三月酉日に磯邊にいてゝたいくをさし付る時ハ四海浪の境ひ別れて其難なしといひすてゝやかて海中に飛入ぬこの謂によって城邊の俗に毎年三月酉日にハ女ハたいくを取りて磯邊にさし付男ハ舟を漕くまねして男女白衣裳を着し祭をなす遺風あり 一、むかし与那覇はら軍の時分高腰の按司とて威勢の人あり高腰の城南向也長三拾間横貳拾三間西の方ハ甚険阻なり与那覇はらの者共時ならず襲ひ懸るといへとも或ハ険阻にさゝへて是を防け或ハ山林に伏せて半ハ行過るを待て奇兵を出して火速に打散らし或ハ広野に陳を張て切れ共射れともたちろかず的の鋭気の衰振るを待て一度に殺出して縦横無碍に薙倒すかくのことくする事数度に及ひしかハ与那覇はらのもの共も膽を寒しかくてハ与那覇はらも終に攻不をふされんと恐れをなす高腰の按司ハゥ方の首長に交を結ひ時〓(二ノ字点)<303B>兵器を集め時をうかゝひ与那覇はらの狼藉を鎮めんと思案をめくらしけり此事かくれなく聞へけれハ与那覇はらの者共大きにおとろき高腰の按司の一郡さへ手にあ満したれハゥ方の救兵心を一にして攻来らハゆゝしき大而なり中にも城はら中喜屋泊村の内立大按司ハかの高腰の肘肱とたのむ者なり志かれ共此人慾深き人と聞き賄賂を厚ふして辨舌の者をツカハして申すやう高腰の按司御身を疑ふこゝろあり我か与那覇はらを討ち取て後ハ其郡にせめ入る事定れり其時に臨て後悔するとも及満しはやく此方に与ミして高腰の按司を偽寄して請待せられ一昼一夜の宴をたに催し給ハゝ其間隙に高腰の城をせめおとし殃の根を除き其報恩に彼間切の田畠半分ハ御邊に献し申さんとありしかハ内立按司も高腰の按司を恐るゝ事鬼神のことくなりハ常々是を忌む心ありハいよいよ是を満ことゝおもひ賄賂ハ過分にうけたり其上高腰間切の田畠に心をひかれ従来の盟りをそむけ一言の下に与那覇はらと与ミしけるこそおたてけりこゝにおいて与那覇はらと与ミしけるこそおたてけりこゝにおいて与那覇はらと相図をさため高腰の按司を請待しけれハ元来の懇意とおもひまいらるゝ事こそ運のきハめと聞けり内立の按司いつよりも慇懃に饗応しいろいろの遊興をそはしめける高腰の按司斜ならずよろこひ興に乗しける処に俄かに旨さハけしけれハ打驚き座を起て辭して曰今日の盛宴つゝ志んて賞翫せんとおもふ所にいかゝハせん賤躬恙を得たりと暇を乞ふ内立の按司も立寄りて袖をひかえて曰われ謹而三日の宴筵を設けたり大人何そこれをいやしみて同盟の情にそむけ給ふそやと其いふ其言葉いまたおハらさるに早馬飛かことくに馳来る禍事/\とよハゝる人〓(二ノ字点)<303B>大きにおとろき何の禍事かと問へハ北を指さして戦慓して言葉なし首をかへして望ミ見れハ黒煙天を掠め火光遠近を照しあハや与那覇はらの軍なめりとて取物も取あへす馳かへる主人も手勢を引てこれをたすくあハれむへし高腰のむら兵火の為に焦土となり百姓山野に迯迷ひ泣さけふこゑ聞にたへす高腰の城にもはや火かゝりけれ今ハ力なしとて兵共に向て曰汝等暫防矢仕れ我か運命是まてなれハ爰にて自害せんとて刀に手を懸る所に内立の按司も馳来るかゝる難儀を見せ奉る事も我か薄筵の故なりとなみたをなかしけれハ高腰の按司泣て曰我か百姓を始め妻子まて賊の手に死たれハ独りのこるゝに道なし同盟の報恩にうらそこといふ所に熟田数頃ありこれを献するとなみたなから申さるゝ所に敵軍間近く寄せ来れハミつから首を刎て失にけり内立の按司ハ与那覇はらのもの共と約束のことく田畠を配分して俄に徳付たるやうにお不ゆ又高腰の按司の譲られしうらそくの田をも抑領してよろこふ事かきりなしされ共同盟をそむけし故にやうらそこの田は至極の熟田なりしを鴨の集る事幾千百といふかきりなく海中にあるおにといふもの堆まてあつまりてたれハ稲を植るまてもなくいたつらに荒田となして捨にけり〈海中のおにハ針を数志らず植たるやうなるものなりこれか田中におのつから入る理なし内立の按司の貧慳なるをねたみて鬼神の方便にて鴨の喰来るにやとあやしめり〉 内立の按司も幾程なく与那覇ハらの者共に不ろふされしとなり 一、嘉靖年間の事かとよ當地の忠臣仲宗根豊見親の嫡子中屋金盛豊見親ときこえしハ先年八重山島お不はま赤峰とやらん謀叛の時父の豊見親に随ひ討手の御大将の道志るへして大功を立るのミならず与那國の鬼虎といふ大剛のつハもの王化に志たかハさる時にも父に附随ひ鬼虎を討取りて手柄をあらハせり両度の忠勤隠なかれし人々にハ仲宗根の豊見親の嫡子金盛二男祭金三男知利真良外様に金志川の金盛〈此人ハ与那国より帰島の時多良間島にて病死す云云〉同人弟那喜太知のちの金志川豊見親と称する也堀川親登賀上比屋首里大屋子大川盛もゝたら多良間嶋むたはるの保爺此等ハ一騎當千の者共也中にも金志川兄弟ハ智勇金備わりて仲宗根豊見親の為にハ随分の働直子に異す故に那喜太智は金志川豊見親と称して城邊の首長たりしを仲宗根の豊見親の死語に其威勢をや祢たみけん中屋勢頭といふ佞人仲宗根の豊見親の嫡子かねもり豊見親に語りて曰金志川豊見親おのか威勢を振ハんとおもふにや御身を害し奉らん為に不日に亂をおこさんとたくむなるはやく退治し給ハすんハゆゝしき御大事なりと満ことしやかに讒愬す金盛豊見親打おとろき渠ハ智勇兼備ハリたる卯者なれハいかゝして是をたハからんと案し煩ふ所に仲屋勢頭重而申やう野原の後ろ嵩こしといふ所ハ後ろ険阻にして前ハ平坦なりかしこに宴を設けて渠を召れんに兼て用意したらハ即刻馳参るへし其時伏勢を以て急に討取へし若異心なくんハ緩々として参んか其時ハ好言を以てもてなし後日に計をめくらし給へといふ金盛豊見親も渠に民の帰服するを見て妬忌の心や生しけん中屋勢頭の謀に与みしけれハ中屋勢頭又金志川豊見親の許に参り中屋のかねもり豊見親この比御身を疑ひ給ふ故に野原邊に宴を設けて御身を招き席上にて実否を晴さんと聞こゆなる其時ハ早速参て異心なき事を申披かるへし若緩〓(二ノ字点)<303B>としてまいられなバいよいよ疑ひ給ふ事あらんかと申せハ金志川豊見親の曰なんてうさる事あらんやわれ先人の〈仲宗根の豊見親を云〉重恩を蒙れ不肖の身なから豊見親の名をゆるされて恩義の厚き事至極骨肉のことくものし給へりたとへ小人共の讒言ありとも我直に異心なき事を申披ハ少も疑ひあるへからすとそ申さるゝ彼中屋勢頭間言を以て人をそこなふ故に今の世迄も両舌あるものを中屋せとゝ唾き詈なり一日に馬来り仲屋金盛豊見親春の日の長閑なるにいさなハれ野原邊に逍遙し給ふ所佳景いはんかたなくまゝ御身と共に一興を催し兄弟の情を慰せんと思召れ御迎にまいりたるよし案内ある金志川豊見親兼而耳に入言あれハ畏入とて使と共に馬を走らしてまいりしにいつよりもいと懇にもてなし何の疑心もなかりしかハさそあらんと安心して給酔けるこそうたてけれ酒酣におよんて金盛豊見親盃を抛て寄や者共とよハゝりしかハ伏の勢はつとおこる金志川豊見親大きに驚き我異心なき事天の照覧ありあやまって後悔し給ふなと申けれ共聞入す劔を抜て討てかゝる金志川茂是非なく立むかひ打迦してとく/\この場をのかれあやまつなき心を申披かんとおもひ後ろの切岸に躍落るあハれむへし金志川豊見親是を蹈捐して迯延事をえすしてやミ/\と討れしこそ不便なり此豊見親仁心深く民を恤む事赤子のことくなれハむかしの目黒盛豊見親の化身にやとゥ民も父母のやうにあふけ志たひしにおもハずも讒者の為にあいなく不をひし事惜ミ悼すといふものなく其居所をあかめ尊んて今に金志川城とてゥ人崇敬すかゝる騒動に麥畠を蹈みやふられしかハ弥百姓共怨をおこし仲屋金盛豊見親驕奢の擧動にて作毛をやふりて民をなや満し讒言を信して仁人を害したりと訟しかハ主君大きに逆鱗あって金盛を召して糺問あるへしと命し給ふ其旨當地に聞えしかハ金盛甚後悔し佞人中屋勢頭を手討にして我身も自殺して失にけりされとも大事の罪人なりハ子共まて召補て宮僕になすへしとて金盛のひとりむすめ中屋真保那璃とて其比二八の妙齢姿色ならふものなく心の操さへ奥静にして嶋中の人に似す母嘗て流星の懐中に入ると夢を見て姙める子なれハにや胎内の中にもやすからずおそそれ津ゝしむ所に何のさハりもなく平産しけれハ掌上珠のやうに寵愛してもりそたてしにいかなる前世の宿業にやかゝる難出来りておもハぬ旅におもむきけるこそあハれなる朝廷にハ金盛罪に伏して自殺したるを憐れミ思召し且ハ莫大の勲功あるを以ていたくも咎み給ハずとかや 一、むかしハ重罪の者の子共ハおやきことて宮中に召仕ハれしとなりあやしいかな真保那璃遠甫波濤の果に生れ父母の寵愛を深閨に残し悲嘆の涙袖を浸し名にのミ聞し中山の雲の上なるミやつかひためしまれなる事共なり津ら/\人生のはかなき事を案るに邯鄲のまくら南柯の夢何れも燧火電光に似たり爰にあハれをとゝめしハ中屋真保那璃住馴し宮古の嶋を立ハなれ其身ハ金殿玉樓に遊んて天上の交りを得るといへとも吾古郷をおもひわするゝひまなけれハ月あかきよる/\ハ樓上にの不りて西海をなかめ夜半の鐘聲に煩悩の眠をさ満し南風徐に来りて袖に入れハ故郷のおもかけ目の前にうかふにいにしへの明妃とやらんハ帝都を出てゝ北胡に胸を焦し今の真保那璃ハ南夷を去て応急にの不り雲の上に袖をひるかへし栄枯異りといひとも胡馬北風に嘶越鳥南枝に巣くふとかやいけとしいける物ことに故土をおもハぬものあらし津く/\とおもひくらして涙のかハくひまもなしかゝるけハへをいたハしくお不しめしけるにやある時よるのおとゝに召れてそミなしし給ひぬありかたかりし事共なり日ゆき月来りて真保那璃の姿色月を閉鼻をはちしむるのきこへ世に高けれハもろ/\の宮女に色なきに似たりかゝれハ何れも嫉妬の思をおこし起居に随て荊蕀を生すされ共主君の御寵愛ハいやましてはやたゝならぬ身となれり惜や真保那璃ゥ〓(二ノ字点)<303B>の宮女に袮た満るゝ事の苦しけれハ或夜の津れ/\に泣/\とけて奏し曰  婢妾真保那璃辱得愛先人之遺體生于(干)天地之間出南夷蓬廬之下遠渉波濤之難候罪階   下不意君恩洪大憐亡父之前功軽最之咎容妾之身〓(耳扁+尼)附御床薦席執掃除掌奉湯沐  数年矣幸今知有身是及夷女僥倖之福可謂上天乎奈天道闕盈矣近失愛於娘々縁故宮中之  〓(女扁+番)々皆全也妾身今如哇針席只願救妾之急難早蒙恩赦使妾得帰郷矣大患変而為  大慶乎 と奏して涙泉のことし主上も御涙せきありさせ給ハずかゝる有様をかねて叡聞に達し給ヘハにや  わするなよ不とハ雲井になりぬとも  空ゆく付きのめくりあふまては と打すし給ふま不なり立とゝ満りて  わかれより満さりておしき命かな  君にふたゝひあハんとおもひハ と口すさひて其夜ハ吾か局にわたりぬあくる日御暇をこたされ辱も美御前にて御わかれの御盃御餞品〓(二ノ字点)<303B>なりとそ数行虞氏の涙も是にハいかてまさるへき其日のくれ不とに那覇に下り翌日四つハかりに船を出すかきりなき物おもひに日もくれ心も消ゆるハかりなり計嶋のわたりにて首をあけて住馴し雲の上を望み見るにせきくるなミた玉をつらぬくやうにしていつくをそことも見ハかねハあかやと打泣きて入ぬ会者定離のならひ今にハしめぬ事なりとも挙國これをおしまぬものハなしとそきこへし其日ハ馬噛<5699>山に碇を下し翌日同所より出帆す志かるに其日の暮不とより風波荒ハたり海上雲をひるかへすに似たり惣して女の性ハ物おちするならひなるに真保那ハ奥静の操を動さす少もおとろくけハへもなしおふねの親ハ〈今の舩筑なるへし〉元来心剛なるおとこにて色慾深きものなれハ真保那璃の物おちするを見てハいかにもして御側近くまいりてたハからんものをとおもひとも真保那璃ハ菩薩の坐し給ひやうに見へて夜ハいよいよ物さハかしけれとも露もまとろミ給ハされハおふねのおや心や満とひけん針筋をうたひあやまるうたてかりける事共なり夜あけかたにあられ満しれの雨ふり嶋かけも見へ袮ハいかゝせんと周章騒く内に多良間嶋の干瀬にハせあけられハおの/\て度方を失ひ泣さけふ幸雨晴れ風志つまりされ共ハや水舩になれハ力なく我先にと泳あかる憐むへし真保那璃ハたゝあらぬ御美となり給へハせんかたなくにゆられ/\てあさ瀬にたゝよひよる多良間嶋の仲井またすかへといふものかゝる有様を見奉りいそき浜にたすけの不せてけれ此男無情の者にて非禮の事にや有けん真保那璃其まゝ息絶給ふとなりいたハしかりける事共なり此男の志ゑ孫今にいたりて時々狂乱し悪報をあらハせこそおそろしけれ又やらふ立よのしといふ人かの御死骸を見奉りやすからず目もくりこゝをも消ゆるやうにお不ゝいそきおのか衣をぬけてこれを覆へ人をあつめて新衣をあらためふたつ瀬といふ所に厚く葬るこの人苗裔今に繁榮すまことに因果歴然のことハリ道をたかへす其頃彼墓所夜々光物有て天に冲る是胎内の尊霊にやと恐れあかめて御嶽と称して居阿に至て崇敬す尤霊験あらたなりとそ嗚呼惜哉真保那璃富育の家に生れ深閨にかし津かれておもふ事なかつしに父のあやまつによっておもハ次も身を雲井にひるかへし悲歎の涙かハく間もなくふつゝたる帰思いせんかたなし幸に君恩孤をめこんて優情を以て愁を解給へ忽栄花の身となりしに誰か志らん天道盈を闕くことハリ遁れかたふして魂魄他郷に漂落する事いかなる前業にやとおしミいたまずといふものなしひとゝせ倭人漂着して仲屋真保那璃のあやこを聞くに其聲泣くかことく訟るかことくして聞くにたへすと称嘆せり  いにしへの中屋ま不なりあやくとや  きくになみたの落る節/\   ※所蔵=仲宗根玄吉(外間本)    「外間本」を底本とし、「東原本」(宮国定徳氏蔵)、下地馨氏蔵本によって校合。