1.きっかけ


私は現在、東京都の定時制高校で教員をしている。大阪出身で、2003年から大阪で時間講師として教員生活を始めた。専任になるために大阪府の教員採用試験を何度も受けていたが、なかなか合格がもらえず、最後にと思い各地の採用試験を受けたら、東京都に合格した。そこで、2007年から、東京都の中学校で勤務を始めた。その後、高校への異動が認められ現在の学校に勤務している。

私が労働教育を始めたのは、教員になって3年目の2005年、大阪の高校で時間講師をしていた時だった。当時は「労働教育」という言葉も知らないまま、最低賃金や休憩時間・休暇などについて授業で取り扱っていた。もちろん、現代社会の中にはそういう事柄を取り扱った単元もあるのだが、教科書のそれではあまりにも薄いと思い、自作資料や大阪府の「働く若者のハンドブック」(大阪府総合労働事務所が作成)を使用して、教科書の記載内容よりは深く教えていた。

授業で深く取り扱いたかった理由は、自分の体験にあった。大学生のころ、アルバイトをしていた居酒屋でトラブルにあった。夏休みに、お昼のランチ営業の手伝いということで、11時から16時ころまでシフトに入っていた。初日に店長から14時にタイムカードを押すように言われた。その時、私はこれが何を意味しているか分かっていなかった。

その意味が分かったのは、最初の給料日になってからだ。思っていたより給料が安い。毎日、16時ではなくて14時までの給料しかつけられていなかったのだ。店長に説明を求め、ずいぶん長い時間、やりあったように思う。その日は険悪な雰囲気で店を出たが、翌日バイトに行ったら、店長がこれまでの時給をさかのぼって全額出すと言ってきた。

労働法にせよなんにせよ、法律は基本的に守られるものだと思っていた私にとって、この出来事はかなりカルチャーショックだった。「しっかり、仕組みを理解して自己防衛しないと、企業や大人のいいように使われる」と思った。

高校の教員になって、私の前には、当時の私のような生徒がたくさんいた。労働法など、何も知らないまま働いている。そして、「企業の言うことだから、大人の言うことだから、きっとそういうものなのだろう」「文句は言えないんだろう」と思っている生徒の実態があった。最低賃金以下の時給で働いているもの、高校生なのに深夜労働に従事しているもの、店長から明らかにセクハラを受けているものなど、問題はいくらでもあった。そこで、せめてルールだけでもどうなっているか生徒に伝えなければいけないと思い、労働法に関する授業を始めたのである。

2.準備プロセス


上記のようなきっかけからスタートしたので、私の労働教育の実践は1年1年、小さな歩みを経て今日まで来ている。だから、すべての準備をここで書くことはできない。そこで、前述の指導案についての準備プロセスについて記すことにする。

この指導案は「働くときの知識~高校生版~」を活用するために作った指導案である。この冊子は東京都の産業労働局がすべての都立高校に配布しているもの(定時制には全生徒にいきわたるよう配布されている)で、働くときに気を付けたい項目がコンパクトにまとめられている。内容は、働く意義、ワークルール、求人票の見方、もしもの時の相談窓口の連絡先などである。漫画やイラストも多く、高校生の興味を引くように製作されている。

大阪時代は「働く若者のハンドブック」を使っていたが、東京でも同じような冊子はないかと思っていたところ、この冊子と出会った。大阪府の冊子の方は、ページ数が多く網羅的な指導になり、私は上手く使いこなせていなかったのだが、東京都の冊子はページ数もそれほど多くなく、1~2時間の授業で使うのに丁度よい内容であった。ぜひ、この冊子を使って授業をしようと考えた。

さて、冊子は良いものだが、肝心なのはどのように指導するかである。私は、既に書いた大阪府の時間講師時代、自作のプリントでワークルールについて授業をしていた。社会科の授業ではよくある、たくさんのカッコに正しく単語を入れていく授業プリントを使用して授業を行っていた。

今だから書けるが、この授業は生徒の受けが非常に悪かった。途中で寝る生徒もたくさんいたように思う。「大事なことを教えているのに寝るなんて…どうしようもない生徒だ」と思うこともあった。しかし、いま、当時の授業を振り返ると、「有給は何日」、「休憩時間は何分」といった項目をダラダラと黒板に書き、生徒に写させるといった面白味のない授業だった。授業で寝てしまう生徒も悪いと思うが、私の授業プランもよくなかった。

前述のとおり、私は東京都で中学校の教員として採用された。その後、6年間、中学生に社会科を教えたわけだが、その中で「生徒が自ら考え、学ぶ授業」がどれほど大切かが、分かってきた。教員がもっている知識を生徒に教え込むよりも、生徒自らが興味関心をもって学び始めることのほうが大切だと感じるようになっていた。だからこそ、この冊子を用いて労働教育を行う際に、単なる知識の教え込みにしたくないという思いがあった。せっかく良い冊子があるのだから、これを活用して授業をしたい。特に、生徒が自ら冊子を開きたくなるような授業展開をめざそうと思った。

そこで、考えたのがロールプレイ(寸劇)で悪い見本を示すというものである。ロールプレイを見て、生徒たちが「ワークルール違反なのではないか、何か違和感がある、でも具体的にどこがと言われるとよく分からない」という場面をたくさん出し、冊子から正しい答えを探し出すという授業展開を試みた。冊子の内容は充実しているので、一度、興味をもってページを開けば様々なところに目を向けるだろうし、冊子の大切さが分かれば、本棚にでも置いて、いずれ必要な日に活用するだろうと考えたのである。

こうして、できあがった指導案が次ものである。

3.指導案

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4.授業用プリント

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5.授業の様子


授業をしてみると、生徒たちの知識量に大きなばらつきがあることに驚いた。これは穴埋めプリントで授業をしていたころには気づかなかったことであった。当時、生徒たちは黙々と穴埋めを行っており、私とやりとりする機会も限られていた。やり取りの機会がない分、こちらも彼らの知識量を把握することができなかったのである。

ロールプレイをしてみると、様々な反応が飛び出してきた。授業で取り扱う内容をほとんど知っている生徒もいれば、「労働基準法って何?」という生徒もいる。特に、気になったのが「合意すればどのような労働契約でもアリ!」と思っている生徒が一定数いることである。確かに、私たちの社会は契約社会なので、不利な契約を結ぶほうが悪いという側面もある。売買契約では、自分の買った商品が割高なものであったとしても、安い店で買わなかったものが悪いということで話が終わってしまう。

しかし、労働契約では、どうしても雇う側、資本をもっている側が強いという側面がある。この差を埋めるためにワークルールがあるのだが、「不利な労働契約を結んだ本人が悪い」「そういう会社にしか就職できない本人の責任」といった発言が必ず飛び出してくる。なぜワークルールがあるのかについて、丁寧な説明が必要であるが、この指導案の授業時間の中でできることではないのでいつも、もどかしい思いをしている。歴史の授業の中で、なぜ労働者を守る法律が誕生するのか(イギリスの工場法など)を、もっとしっかり教え、ワークルールとは何なのかを教える授業が必要なのかもしれない。

少し大きな話になるが、多くの労働教育では「現在の日本のワークルール」について教えている。しかし、もっと枠組みを大きくした「労働とは何か」「なぜ労働には最低限のルールが必要なのか」といった本当の意味での「労働教育」が必要とされていると痛感する。

さて、授業の様子に話を戻すと、ロールプレイの場面ではいつも笑いが起こり盛り上がる。私と生徒でロールプレイをする時もあれば、教員2人の時もあるのだが、どのようなやり方であっても、ここは興味をもたせることが重要なので、できるだけ役になりきって盛り上がるようにプレイしている(少しオーバーなくらいに演じたほうが、より盛り上がる)。

そして、その後のグループ活動である。ここでは様々な意見が飛び出す。「遅刻をし続けてクビにすることも含めて全部違反だ」という意見もあれば「経営者側の立場に立って、ほとんどのことが許されるのではないか」という意見もある。授業では、グループ活動の後に冊子で正解を確認するのだが、大切なのは正解よりも「どういう理由でこの事柄は禁止されているのだろう」「なぜ、○○でなければならないのだろう」と考えることにあるのではないか。

ワークルール自体は時代によって変化するものだし、その時代にあったルールがまた制定されていくことだろう。生徒たちにとって重要なことは、「自分たちが働くときに大切にされるべきものは何か」ということを考える態度なのではないかと思う。このプランをつくったとき、そこまで深い思いはなかったのだが、生徒たちの活動を見ていると、そう考えさせられる。

6.授業後の感想


朝日新聞がこの授業について取材に来た時に、記者に対して生徒たちが語った感想を以下に示す。

 ○すでにアルバイトをしている生徒もいるので、もっと早くこのような授業を受けたかった。
 ○知っていることもあったが、知らないこともあったので、こういう授業が大切だと思った。
 ○自分たちだけでなく雇う側の人にもこういう授業を受けてほしい。知らないで店長や社長になっている人もたくさんいると思うので…
 ○「高校生時給はアリなのか?」など、高校生に特化した授業をしてもらいたい。一般的なことも大事だけど、自分たちは高校生だから、高校生にとってのワークルールについて聞きたかった。

7.感想


上にも少し書いたように、私の労働教育のプランは、「今の日本のワークルールはこうなっている」というところで終わってしまっている。現在のワークルールがどうなっているか、それすら浸透していない、守られていない現実があるので、まずはそこからという気もするが、今後はもっと大きな視点をもって労働教育に取り組んでいきたいと思っている。特に「人間としてどのように『働く』という事柄にかかわっていくのか」、それを考える授業をしたい。ワークシェアリング、両性の平等(家事労働も含めてどのように平等に働いていくか)、ワークライフバランス、キャリア教育など、様々なことが「働く」ということから見えてくるだろう。

数年前、ある研究会で、「労働教育」を学年の主軸にして学年経営をされている先生の実践事例を伺ったことがある。その方は中学校の先生であったが、「中学校を卒業したら、みんな働く可能性がある。中学を出たとき、自分を守ることも含めて、しっかりと働けるように育てておきたい」とおっしゃっていたのがとても印象的だった。実践事例も単発のものでなく、年間を通して労働教育を行っていることがよくわかるものであった。なかなかそこまで行うことは容易ではないが、「いずれは私も…」と理想がふくらんでいる。