推薦図書(遺伝・生物)
よくわかる脳のしくみ,福永篤志,ナツメ社,2006
 ”絵と文章でわかりやすい!”その通り。
(2018/11/27)

合成生物学の衝撃,須田桃子,文藝春秋,Kindle版,2018
 この本を読んだ時に受けた最大の衝撃は2014年に発表された遺伝子ドライブという仕組みだ。2012年に登場したKRISPR-Cas9を利用したこの仕組みを使えば驚くほどのスピードと正確さである特定の遺伝子をその生物種の中に広めることができる。 すでにいくつかの実験(ハエ)は成功しているようなので,この仕組みが有効なことは実証された。あとは使い道だ。今は,2018年。どこまで進んだのだろう。
(2018/08/30)

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。、川上和人、新潮社Kindle版、2017(2017/10/22)
 Kindleは便利だ。端末を選ばないのでスマートフォンでもPCでも読める。さらに,蛍光ペンで塗る感覚で気になる文章にハイライトをつければ,ノートブックで一覧表示することができる。難点といえば,電車の中でスマートフォンを見ながら爆笑している怪しい人になってしまうことである。
以下,爆笑必至の本書の名言リスト。
『美しいだけの自然なんてない。』
『美とは,毒に支えられてこそ真の魅力を発揮するもの』
『つまり彼らは首を振っているのではなく,空間に対して頭を固定しているのだ。』←鳩のこと
『実は私,日本語しゃべれま〜す!なんだ,その流暢な日本語は!』
『普段は偉そうなのに英語全然ダメじゃん。不惑を過ぎてもあんなんで何とかなるんだね。』

ウニはすごい バッタもすごい―デザインの生物学、本川達雄、中公新書、2017(2017/08/15)
 ナマコや雲丹で代表される棘皮動物門にヒトデでも含まれる。ヒトデの手触りは独特だ。硬いような柔らかいような。触覚は硬いのに全体としては柔軟だ。『小さい骨片でできた骨角系』と『骨をひもでつづり合わせた構造』にあるらしい。これらは破壊力学的観点から非常に興味深い。なお,この説明の記述のある章のタイトルは『ナマコ天国』だが,ナマコが活躍するのはこの章の後半で,ナマコには骨はないようだ。

哺乳類天国−恐竜絶滅以降,進化の主役たち,ディヴィド・R・ウォレス,早川書房,2006
 本学の生田図書館では「ココスパ」という行事を行っている。「ココロ」に「スパイス」という意味である。2014年に講演を頼まれたが,2017年の今年は再登場となった。この準備のために,たまたま図書館で見つけたのが本書である。
 哺乳類の起源に迫る研究者たちの行き様が,時に読むのがつらくなるくらい,生き生きと描かれている。ダーウィンに始まった現代進化論が大量絶命の謎と絡み合い,紆余曲折で発展してきた経過が一般だけでなく学術的な観点からも参考になる。さらにエピローグには気になるメッセージもある。「かってグールドは,生物がもっとも発達したように見えるときは絶滅間近なのかもしれないと述べた。たとえば,ウマは…。哺乳類のある系統も,…。唯一残った枝として今日まで生きているのである。」この本棚にもグールドの著作もあればグールドが登場する著作も多数ある。グールドが懸念していたこと,そして,その後に続く多くの研究者が気になっていることは,いずれ現実になるだろう。問題はそれがいつなのかだけだ。
 進化には収斂という現象がある。Wikipediaでは,複数の異なるグループの生物が、同様の生態的地位についたときに、系統に関わらず身体的特徴が似通った姿に進化する現象。とある。本書では収斂が進化を考えるうえで謎に包まれていて,多くの研究者は類似環境のためにこの現象が発現したと考えているが,進化の主役がウィルスと考えればどうだろう。ウィルスは微少だから遠くに移動することは困難と考えられているが,動物に付着して移動することができるので,距離は大して問題にならない。さらに,遺伝子はどんな系統でも基本は同じなので,ウィルスによる遺伝子改変は同じ結果をもたらす可能性がある。これなら,場所も系統も超えて同じ進化,すなわち収斂が可能だ。最近話題になっているのは下記書物にもあるがウィルスが進化にとても大きな影響を及ぼしているという研究成果である。引用を期待する。(^o^)/
 本書で取り上げられた壁画をより知りたくて,イェール大学ピーボディ博物館ウェブサイトでザリンガーの絵(http://peabody.yale.edu/exhibits/age-mammals-mural)を見つけたが,あまりにも小さい。やはり行かないとダメのようだ。また,その際見つけた”Travels in the Great Tree of Life"(http://peabody.yale.edu/exhibits/tree-of-life)は今度よく見てみようと思う。
(2017/09/30)

生物はウイルスが進化させた,武村政春,講談社ブルーバックス,2017
 生命の進化にウィルスが重要な役割を果たしているということが言われて久しくなってきた。著者もそのことを主張し「細胞性生物はウイルスの一部から生じた」としている。さらに巨大ウイルスの持つ遺伝子がその可能性を裏付けている。しかし,「ウイルスの本体はヴァイロセルである。ウイルス粒子は,ヴァイロセルが増殖するための”生殖細胞”にすぎない。」ということは,ヴァイロセルが先ということになるが,ヴァイロセルはウイルスに感染した細胞なので,卵が先か鶏が先か。という議論になってしまう。進化の過程で抜け落ちている途中経過,すなわちミッシングリンクを探す旅がここにもある。
(2017/09/19)

バッタを倒しにアフリカへ,前野ウルド浩太郎, 光文社文庫; kindle版, 2017
 アマゾンでこの本を見ると,まるで帯がついているような表紙だった.その帯が表紙の写真と相まって傑作だった.まさか網でバッタを退治に行くわけではあるまい.と思ったが,読んでみるとそれほど違いはなかった.しかも,”まえがき”が爆笑物なのである.私もファーブル昆虫記は熟読した.子供の時代は夏の夜に柿生の山でカブトムシを取る当時普通(今じゃオタク)の少年だった.バッタだって,ショウリョウバッタなら何匹追いかけたかわからない.昆虫博士になろうとは考えなかったが,地学に興味を持ち,中学時代は天気図クラブ(なんだそれ?)に所属し,毎日天気図を描いていた.さらに成長するにつれて,電気や機械に興味が移ってしまった.そして,いろいろあって研究者の道を選ぶことになった.この本にあるように,バッタを追いかけなくても,若い研究者は貧乏で将来に不安を抱える時期がある.それを乗り切ることができたのは楽天家であったからだ.努力はもちろん必要だが,運なんて不公平なので,何とかなると自分自身で信じるしかない.あらゆる分野の若い研究者に勇気を与える書.おすすめ.
(2017/07/16)

生物はなぜ誕生したのか,ピーター・ウォード/ジョゼフ・カーシュヴィンク,梶山あゆみ訳,河出書房新社,2016
 副題は「生命の起源と進化の最新科学」である.全体の流れは著者らの専門である酸素濃度と生物の進化に関する内容となっているが,最新の化石の情報が含まれているためにP-T境界絶滅や恐竜の進化に関しても興味深い記述が多数ある.さらに,化石は採取された場所が明記されているため,どうしてもその場所に行ってみたくなる.特に西オーストラリア州のキャニング盆地は興味深い.もともと西オーストラリアのシャーク湾には生きた化石であるストラマライトの保存庫であるが,内陸は化石の宝庫であった.古生物学の導入として最適な書.
(2017/01/15)

大学生物学の教科書 第2巻 分子遺伝学,D. サダヴァ他,石崎泰樹,丸山敬監訳,ブルーバックス,講談社,2010
 本書は米国の生物学の教科書「LIFE」の一部の翻訳である.”MITでは,一般教養科目の生物学入門の教科書に指定されており,….生物学を専門としない学生が生物学を学ぶ理由は何であろうか?一つは一般教養を高めて人間としての奥行きを拡げるということがあろう.”という監訳者の説明はまさにそのとおりである.染色体が複製され,細胞が分裂するプロセスを学ぶこと,さらにその染色体に含まれる遺伝子の役割,遺伝子を構成するDNAとその複製プロセスは何と複雑なことか.私自身の体の中には,無数のNanoオーダーの化学工場が存在しているのである.
 遺伝子に関する書籍に触れる度,基礎知識の不足に悩まされて,理解できない説明があったが,これからは本書に立ち返り,全てを理解してから望むことが可能となる.本書は図が多数あるために初心者向けともとられかねないが,その高度な内容に読書の際には最高度の頭脳レベルを要求し,気が付いたら寝ていることもしばしば.アマチュアでも本気で遺伝学を学びたい万人向けのレベルの高い良書である.
(2015/05/30)

にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語,サム・キーン,大田直子訳,朝日新聞出版,2013
 現在の科学では遺伝子だけがその生物の特質全てを決定すのではないことは明らかとなっているが,それでもなお遺伝子が最も重要であることに変わりはない.本書は遺伝子が関係している事実から作られた”不思議な物語集”である.原題は”The Violinsit's Thumb: And other lost tales of love, war, and genius, as written by our genetic code”であるが,邦題も本書の内容をよく表現している.
 小学生の時に理科の実験でショウジョウバエを飼っていた.ビンの中にバナナを入れ,トイレ(多分)で捕まえたショウジョウバエを入れればどんどん増える.多くは忘れたが,確か遺伝に関する実験だったと思う.でも,なぜショウジョウバエだったのかが本書で明らかとなった.
 様々な書籍でヒトゲノム計画が取り上げられているが,本書では”ある意味間違った呼び名”となっている.その理由は,”ヒトの遺伝子は私たちの全DNAの二パーセントだけ”であるからだ.その結果,”私たちは人であるより4倍もウィルスなのだ.”なお,私も著者と同じくマキャベリ主義の微生物であるトキソには恐怖を覚える.
(2012/08/12)

移行化石の発見,ブライアン・スウィーテク,野中香方子訳,文藝春秋,2011
 ダーウィンが進化論を発表した当時,進化論の弱点は”種と種の進化の隙間を埋める移行化石はまだ見つかっていなかった”.しかし,最近では多くの動物の進化のプロセスが明らかとなりつつある.その結果,決定的な移行化石は存在しない.ということと,進化とは決して直線的なものではない.ということを示している.進化を木に例えると,複雑に絡み合ったたくさんの枝の中から偶然残った1種類が次の世代へとその形質(遺伝子)をつないだにすぎない.ある枝はひと時多くの花をつけたにもかかわらず,次の世代にその花の形質を伝えるとは限らない.むしろ化石記録から分かることは,最も繁栄した枝は次の世代に形質を伝えない.次の世代に伝わる形質は,その枝から少し前に別れたたった一つの枝の小さな花なのだ.そこで,移行化石の発見を困難にするのは,繁栄した枝よりも前に別れたたくさんの枝に咲く色や形の違う莫大な種類の小さい花の中から次世代へと繋ぐ花を探すこと,に起因している.
 ダーウィンの時代に,移行化石が発見されないのは”時代が古い”ためと考えられてきた.しかし,先にも述べたようにそれだけではなく,進化のプロセス自身の複雑さにあった.つまり,化石記録から形質の進化,例えば,空を飛ぶ機能や,ひれから指へ等の進化を追跡することは,繁栄しなかった種の中にその痕跡がある場合が多く,必然的に記録として残りにくい.ところが,ここ数年の古生物学,分子生物学の進歩から,さまざまな種の移行が明らかとなってきている.本書で取り上げられているのは,魚→両生類,恐竜→鳥,爬虫類(からというより両性類)→哺乳類,水に戻ったクジラ,象,馬,そしてホモサピエンスと多種にわたっている.ここから見えてくるのは,一見それは進化論と矛盾しているように感じるが,進化とは偶然が支配している.ということである.ホモサピエンスもその例に漏れない.(2012/08/12)

ハチはなぜ大量死したか,ローワン・ジェイコブセン著,中里京子訳,文春文庫,2011
 米国におけるミツハチの農業における役割が,こんなにも大きいことに驚かされる.ミツハチがいなければ,はちみつが舐められない.というだけでは決してない.ブルーベリー,チェリー,メロン,リンゴ等多くの果物やアーモンドがミツバチの受粉作業に依存している.そのミツバチは養蜂家がレンタルしているというのだ.これは「工業化された農業システム」の高効率化の結果である.確かに生産量は上がるが,同時に「復元力」を削いでしまう.そしてその行きつく先は第11章に記されている.本書はミツバチの大量死の問題を扱っているだけではなく,今後の農業の在り方についても警鐘を鳴らしている.確かに,ミツバチを救うことは急務であろう.しかし,人類はそろそろ学ばなければいけない.自然ほどの複雑系は,強制的に制御するより,淘汰に委ねる寛容さをもって従う方が得策であることを.なお,英文タイトル(Fruitless Fall:The Collapse of The Honeybee and The Agricultural Crisis)の方が魅力的.(2012/05/06)

働かないアリに意義がある,長谷川英祐,メディアファクトリー新書,2010
 以前に友人たちと組織論の話になった時,「働かないアリ」の話が話題となった.要約すると「働きアリといえど全員がまじめに働いているわけではない.」という話で,その時は「組織とはそういうもの.」という結論になった.本書によるとやはりシワクシケアリの2割は働いていないそうである.しかし,面白いのはその2割は決して無能なわけではなく,他のアリに先を越されて仕事にありつけないだけ,ということだ.別の才能なら有能かもしれないのだが,普段はその才能を発揮できる時がない.それでも,緊急事態に対応できる集団であるという理由で,自然は10割が働くアリ集団ではなく,普段は8割しか働かないアリ集団を後世に残した.一見無駄に見える余力は,進化において実は必須なのだ.多分,無駄が必要なのは生物の進化だけではないと思う.他にも興味深い虫の習性の数々が記載されていて,それらが進化論からも組織論からも興味深い実例となっている.お勧めの一冊.(2011/04/10)

恐竜はなぜ鳥に進化したのか,ピーター・D・ウォード,垂水雄二訳,文春文庫,2010
 人類が他の動物と異なるのは直立2足歩行であるが,2足歩行の動物ならたくさんいて,鳥やカンガルーが身近な例である.そもそも2足歩行の長所とは何だろう.人類の場合は前足が自由になった結果,手として機能するようになり高度な文明を築くことができたというのがよく言われることである.鳥の場合は前足が羽となり飛翔を可能としたが,カンガルーの場合はメスをめぐる戦いの武器以上の機能を私は知らない.そもそも飛べない鳥,例えばダチョウでは羽が退化してしまったので,何のための2足歩行かわからなくなっている.もちろん,生物の進化の法則に従えば羽を手の機能を持った新しい体の部位に進化させることはできても,それは人類が持っている手とは別物である.生物学的に別の系統の動物が,別の進化の過程にもかかわらず同じ機能を持った場合に,これを専門用語で収斂というが,もしダチョウが羽から手を進化させたら,それは収斂でしかない.このように考えてみると,2足歩行は前足を移動の手段から解放するだけの進化でない可能性がある.本書では恐竜の2足歩行に関して次の仮説がある.【仮説8.1】「…2足歩行姿勢を持つことで最初の恐竜はキャリア(移動のための動作)の制約が課す呼吸の制限を克服した.このように三畳紀の低酸素は,この新しい体制(体のしくみ)の形成を通じて,恐竜の誕生の引き金となった.」2足歩行は移動しながらでも容易に呼吸できる仕組みの一つの解答なのだ.
 本書はカンブリア紀から現代までの大気中の酸素量の変化に関する最新の研究成果を基に生物の進化について新しい仮説を打ち立てたものである.興味深いのは恐竜が世界を支配する白亜紀やジュラ紀より前のペルム紀では哺乳類の祖先である爬虫類(獣弓類)が世界を支配していた.彼らの大半はペルム紀の終わりで絶滅するが,残った獣弓類が多様化し,長い間に渡ってマイノリティとして耐え続け,鳥類を残して恐竜が絶滅した時,再びこの世界の支配者となったのである.つまり,我々は2億年間も進化というトレーニングを続けて敗者復活戦を勝ち上がってきたのである.(2010/12/28)

眠れない一族,ダニエル・T・マックス,柴田裕之訳,紀伊国屋書店,2007
私が英国ケンブリッジで行われた学会に参加したのは,1994年と1997年である.本書によれば1996年3月にイギリス議会で保健相がイギリスの牛肉のせいでイギリスの若者(狂牛病:BSE)が死亡している事実を発言している.さらにアメリカで2005年6月に2頭目の狂牛病の牛が見つかったと農務省が発表した時,私はサバティカルでボストンに1年間の滞在中であった.何という巡りあわせか.イギリスでのBSEの発症率が低かったのは関連するプリオン遺伝子がヘテロ接合体であったからだ.(詳しくは本書に譲る)一方,日本人の多くはホモ接合体であり,BSE(変異型CJD)に感染しやすい.果たして私の運命は…. 脳の機能に障害が生じることで発症するいくつかの病気はプリオンと呼ばれるたんぱく質が異常となることが原因と考えられている.しかし,このたんぱく質は人の体内に普通に存在しているものであり,しかも正常時の役割すらはっきりしていない.そもそもたんぱく質は遺伝情報を持たない.そこで,プリオンの増殖は異常なプリオンが正常なプリオンを異常に変えることによって行われる.この仕組みは,異常な細胞が遺伝子の情報を使って大増殖する癌とは異なっている.たとえるなら食塩水の中に小さな塩のかけら(最初の異常プリオン)を放置すると塩の結晶ができるようなものだ.異常なプリオンにも種類があり,プリオンの種類によって損傷を与える脳の部位が決まり,病名も変わる.最も恐ろしいは表題の一族が代々罹る致死性のプリオン病である.異常プリオンが睡眠をつかさどる部位を攻撃するため,眠ることができない.眠れないと死ぬというのが真実だとしても,それを身をもって体験することなどまっぴらごめんだ.(すでにこの瞬間に眠い.) 本書は名著であるが上に残酷さも含んでいる.とくに登場する学者に対する評価は辛口である.著名な(”優秀な”ではない)学者は人格的にも優れている.という考え方に一撃を与える著作はいくつもあるが,本書も間違いなくその仲間である.そして,そのことが人間ドラマを芳醇にする.文句なく,お勧めの一冊.(10/10/24)

フィンチの嘴,ガラパゴスで起きている種の変貌,ジョナサン・ワイナー,樋口広芳・黒沢令子訳,早川書房,2001
 進化論の弱点は理論の正しさを検証できないことにあるといわれている.もし,進化論を実験あるいは観察によって証明しようとするなら,膨大な時間と手間が必要となることは想像に難くない.そのため,この種の研究の多くは,動植物たちの多様性に関する様式と構造の研究に時間を費やしてきた.その集大成が界門綱等による分類であろう.しかし,これでは直接的に進化論を説明できない.ところが,意志の強い研究者らによって,動物の進化が直接的に観察され始めた.そしてそれは取りも直さず進化論に従っている事が示されていた.本書は進化論とゆかりのあるダーウィンフィンチの研究者の物語を軸として,様々な分野の研究を紹介しながら,進化論を学ぶことができる啓蒙書である.今なお創造論が幅を利かせる米国において,米国の大学に所属する研究者が対立する進化論を証明しつつあることに米国の多様性を見る思いだ.(10/02/09)

生命40億年全史,リチャード・フォーティ,渡辺政隆訳,草思社,2003
 今,戦国武将がちょっとしたブームである.先日もNHKで関が原の合戦を同好の士が集まって議論していた.その中で,「もし,××が××したら,結果はどうなっていたか.」という議論があった.徳川方が勝利したのは周知の事実だが,豊臣方が勝利するために,必要な条件を探るという趣向だった.結果,豊臣方が勝利するための条件はいくつもあった.つまり,徳川方の勝利は紙一重だったと考えられるし,実際,そうなのだろう.ところで,関が原の合戦における豊臣方の勝利の条件は容易に挙げられるとしても,その後の歴史について語るのは難しい.大阪がその後もずっと首都だったとしたら日本の歴史はどうなっただろう.このことを正確に予想できる研究者はいるのだろうか?検証できないのだから,”正確”という言葉そのものが意味を成さないかもしれない.
 著者によれば,実は地球上の全ての生物の繁栄と衰退は,まさしく紙一重なのである.著者は冒頭で,古生物学のフィールドワークの実例の形をとりながら,自分の人生の”運”について語っている.まだ,大学院の学生だったにもかかわらず北極圏にあるスピッツベルゲン島に行き,そこで化石を発掘するチャンスに恵まれた.しかも化石は画期的な代物であった.しかし,真の意味で”運”がよいというのはそのことではない.”一枚の紙切れ”がその後の人生を決めたのだ.実は”運”が良かったのは,その機会を捕まえることができるように十分な準備がなされていたに過ぎないのだ.だから,結局,”運”がよいと表現するのは間違っているかもしれない.入念な準備をするのが,生死を分ける.という教訓なのだ.それでもなお”運”という言葉を当てはめるなら,入念な準備が必ずしも報われるとは限らない.ということか.たぶん,報われないことの方が多いのではないだろうか.とするなら,繁栄した(成功した)という事実は,やはり”運”が良いのかも知れない.
 本書は,縦横無尽に動物と植物の区別なく生物の変遷について40億年分語っている.大英自然史博物館研究員というポジションでなければ,このような本を記すのは不可能に近いし,そのポジションであっても才能がなければこのような本を著すことは決してできない.それほど博学な一冊である.
 本書の内容を一つだけ紹介するとすれば,グラスゴーのヴィクトリア公園内に立てられた,博物館の中にある石炭紀の森の林床の化石である.リンボクの堂々たる幹の化石がウェブサイトでも見られる.これは,一見の価値がある. (09/10/15)

悪の遺伝子,バーバラ・オークレイ著,イーストプレス,2009
 脳の構造は一見複雑である.しかし,驚いたことに果たす役割は部位毎に決まっていて,それは誰でもほとんど同じようだ.とすれば性格は脳によって制御されているのか.すると「良心」的な思考によって活性化される脳の部位は「良心」的な行動を生み出す原動力となっていると推測され,その部位の活動が鈍い人は,たとえ普段良心的な行動をしていても,「良心」的でない.というレッテルを貼られることになる.fMRI等によって,ある道徳的行為(例えば道徳的な物語の読み聞かせ)による脳の活性部位の測定結果がその人の道徳心を数値化することになる.実際,本書にもあるように,まったく新しい嘘発見器となりうる.ところが,遺伝子によって,脳のどの部位が活発になるのかが規定されているとすれば,これは遺伝子が,例えば「良心」の程度を決めてしまうことになる.つまり,遺伝子を見れば,脳の活発に働く部位を知ることができてしまうので,fMRI等を使った研究成果から,性格が推定できることになる.もちろん,複数の遺伝子の作用が複雑に絡み合っていることが予想されるが,それでもなお,これが事実であることを否定するものはなにもない.
 先日のNHK番組である一人の遺伝子情報を解読するのにどのくらいの時間が必要か.を示していた.20年前は2000年かかっていた.今は(確か)数日,そして,2010年にはわずか数分となるらしい.この究極の個人情報を知るためのコストは1000ドルになるそうだ.多分,私は機会があれば自分の遺伝情報を調べるだろう.自分自身の性格を客観的に見ることができたら,それは不思議な気持ちになるだろうか?それとも….
 本書は内容に多少まとまりがないが,最新の遺伝子学と脳科学を概観するには最適である.ただし,10年もすれば新しい知見によって改定されなければならないだろう.研究者にしてみれば,魅力的でもあり,恐ろしくもある研究分野である. (08/08/30)

類人猿を直立させた小さな骨−人類進化の謎を解く,アーロン・G・フィラー,日向やよい訳,東洋経済新聞社,2008
 いったいどのように生きてくれば,HIVの遺伝子レベルの研究と理論的な進化生物学の研究を両立させることができるのだろう.さらに,現在は神経外科医という著者の経歴は驚異でしかない.このような著者が渾身をこめた一冊であるから,ゲーテやジョフロア等の時間や,ロンドン,ボストン,ウガンダ等の空間に広がった様々な事象を人類の直立歩行の起源へと導くそのプロセスに圧倒される.かいつまんで著者の主張は次の通り
・遺伝学的に裏づけのあるモジュール説による進化論.これはボディプランを大幅に変更できる可能性を証明し,従来の進化論では説明不可能だったいくつかの古生物学的事件の説明を可能にしている.
・異なった生物の間でも多くの遺伝子は共通であることが分かってきた.さらに,生物は体軸中心の反復要素(ヒトなら背骨)がボディプランの基礎となっている.(これはゲーテの主張するところである.)
・腰椎の古生物学的研究より,類人猿の直立2足歩行の起源は2100万年前のモロト原人とする.これは600万年前にチンパンジーと分かれた時点より古い.この結果,ホモサピエンスは直立2足歩行を追及し,それ以外の類人猿達は直立から撤退したと解釈する.この説は現在主流の説に真っ向から対立している.ただし,歩行様式は生活環境によって変わるので,折衷案的な説は十分ありうると私は考えている.
・直立2足歩行の起源は環境というよりは突然変異による腰椎の形態変化が主であるとする.
 直立2足歩行ならびに進化論について本書から得られる知識は多い.数冊の専門書を読むに匹敵する内容だと思う.しかし,誠に恐縮だが,タイトルが良くない.かなり読み進めないと”小さな骨”の意味がわからない上に,小さな骨によって人類が直立することになったわけではなく,上でも述べたように椎骨の形状が直立歩行に必要な条件を満足しているからである.小さい骨の成立=直立歩行では決してない.私なら本書のタイトルは「人類直立2足歩行の起源」としたいところ.(08/12/23)

遺伝子がわかる!,池田清彦,ちくまプリマー新書,2008
 本書は遺伝子ならびに遺伝の仕組みを生物学の立場から明らかにしたものである.そして本書も最新の遺伝学から,ダーウィニズムに異論を唱える.自然選択説は種内の小さな進化で有効であって,カンブリア紀の大爆発の様な種以上の大きな進化は,多数の遺伝子達のスイッチのオン・オフを制御する発生遺伝子と関連していると推察している.(このことは別の書でも述べられている.)また,獲得形質は遺伝しないという二十世紀の生物学界の常識にも異を唱える.遺伝子に大きな影響を及ぼすDNAメチル化は遺伝する.つまりメチル化の影響で発現する形態は次の世代へと引き継がれるようである.
遺伝子とボディプランの関係が急速に明らかになっている.いよいよ動物の起源に迫りつつある.十九世紀のパリでジョフロアが唱えた「全ての動物は一つの原型から導くことができる.」は,多くの遺伝子が昆虫とヒトとの間で相同であるということが明らかになってから,滑稽な話ではなくなった.もしかしたら,真実かもしれない.(08/12/23)

 なぜヒトの脳だけが大きくなったのか,濱田穣,講談社ブルーバックス, 2007
霊長類の脳は同サイズの他の動物より脳が大きい.その原因は「もっとも基本的な脳拡大要因は,霊長類が三次元不連続空間である樹上で生活を行うことである.」樹上生活は直立2足歩行の前適用でもあった.人類の祖先が長い樹上生活を経験していることがどうやら他の知能の発達した哺乳類を出し抜ける要因だったようだ.やがて,地上に降りた人類の祖先は直立2足歩行を武器にして,道具の利用による食物消化の効率化,そして狩猟方法の発達による十分な栄養摂取が可能となった.さらに脳の発達に重要な子供期間の長期化によって,他の霊長類よりもヒトの脳だけがこんなに大きくなったのだ.本書では幼児期における外界との接触が脳を鍛える.と主張している.子供には虫取りが運動機能と脳を鍛える重要な遊びだそうだ.そして,現代人の幼少期に外界との接触が減っているというのは同感である.これから先もこの大きな脳を維持するために,我々は幼児期の環境をもっと豊かにしなければならないのではないだろうか.(08/12/16)

人類進化の700万年−書き換えられる「ヒトの起源」,三井誠,講談社現代新書,2005
我々が30年以上前に子供のころに習った人類の進化の歴史は古くて現在は通用しない.それどころか現在の遺伝学の進歩は,本書の副題にもあるように,数年前の通説すらひっくり返してしまうこともありそうだ.人類はオラウータンやゴリラよりチンパンジーに近い.そして,チンパンジーと人類を分ける特徴は「直立二足歩行」と「犬歯の縮小」なのだ.前者は「膝の力学」を検討する上で重要であり,本書を選んだ最大の理由でもあった.しかし,最も衝撃的だったのは ホモ・フローレシエンシスだ!2003年にインドネシアのフローレス島で発見されたホモ・フローレシエンシスは人類より小型であり,ホモ・サピエンスではないと考えられているが,議論は続いている.ヨーロッパではネアンデルタール人とクロマニョン人(ホモ・サピエンス)が共存していたらしい.これだけでも驚きだが,これは3万年前の話だ.こちらは1万3千年ほど前に絶滅したと考えられているので,かなり新しい.しかし,インターネットで調べてみると驚いたことにMarch 21, 2008の WikiNewsではさらに同種の骨がMicronesiaのPalau島から見つかり,それがわずか3000年ほど前のものだという.まだまだ"書き換えられる"可能性があるのだ.(08/08/09)

遺伝子と運命−夢と悪夢の分岐点−,ピーターリトル,美宅成樹訳,講談社ブルーバックス,2004
遺伝子で人間の能力の全てが決まるとは思わないが,その根拠を特に持ち合わせているわけではなった.むしろ,そう信じたかっただけなのかもしれなかった.本書はブルーバックスシリーズとしてはボリュームが多い方であるが,それだけ遺伝子というのは大きな主題なのだ.遺伝子の役割は,情報を蓄え,体の基本構造を決め,微妙な変異を生じることにあるという.情報とはたんぱく質の構造であり,たんぱく質の働きで体が作られる.そして,後者の理由により遺伝子と体の働きを作ることは決して一対一ではない.結局,成長過程での環境・学習・努力の違いがその後の能力を決めるのである.そして,本書では遺伝子の変異についても詳しく取り扱っている.変異はduplicateのエラーなのだが,それにもかかわらず,いや,そうだからこそ,変異こそが進化の原点なのだ.
その他,知性,知能,個性,免疫,医療が遺伝子との関連において詳しく述べられいる.難解な部分もあるので簡単には完読できないが,お勧めの一冊である.(08/08/06)

退化の進化学−ヒトにのこる進化の足跡−,犬塚則久,講談社ブルーバックス,2006
生物発生の原則である反復説は,「個体発生は系統発生を短縮して繰り返す.」と定義される.例えばヒトでは,初期にはエラがあって手足がない魚に近い状態から,乳腺や耳介のない爬虫類段階を経て,尻尾が短く頭の大きな形へとたどり着く.このように発生と進化は密接に結びついている.そこで,ヒトの発生を調べることが動物が海から陸上へ進出した時からの進化を知ることになるという.現代人の体の器官の由来がわかって興味深い.(08/08/06)

目の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く,アンドリュー・パーカー,草思社,2006
動物の多様性はある種(多分,三葉虫)に目が誕生したことから出発したというのがこの本の主題だ.この場合,目というのは光センサーではない.形を認識するための機能である.ある種が目を獲得したことで,すべての生態系が影響を受けた.そして進化するための淘汰圧が高まった.それが大進化へとつながる.著者は自説を証明するために幅広い教養を身に付け,そして,不足分は果敢に調べあげた.そのことに,共感と敬意を表する.
一口に目といっても単眼と複眼があり,単眼は窩眼,反射眼,カメラ眼の3種類ある.複眼も様々な種類がある.つまり,「視覚」という機能を満たす「仕組み」はさまざまに進化した.そして,カンブリア紀に目を持っていた動物は節足動物であり,カンブリア紀で爆発したのは主に節足動物(あるいは節足動物の親類).現在地球上を支配している(といえる)脊索動物はこの当時は目を持っていない可能性が高く,そして,数も種類も少ない.さらに,その後,脊索動物の中で脊椎動物とは独立に目を持った種類が発生し,それが現在の脊索動物へと進化しているのである.太陽から光が降り注ぐ地球上において「視覚」という機能はその動物門発展の鍵に違いない.なお,この本で出てくるカンブリア紀の動物は,バージェス頁岩でおなじみのものである.
アメリカに滞在していた時,Snow Ball Earthという題の本を購入した.この本もカンブリア紀大進化についての本であることはわかっていたが,洋書という事もあり未だ読んでいない.こちらの方を先に読んでしまったので,興味が半減してしまったことが残念だ.先の本はこの本の中で取り上げられていて,否定的な意見が述べられている.(08/08/03)

ワンダフル・ライフ:バージェス頁岩と生物進化の物語,スティーブン・ジェイ・グールド,渡辺政隆訳,早川書房,1993
カンブリア紀の大爆発とは,5億7千万年前頃に起きた生物が多様化した(外見上)現象を指している.その時代の生物を今に伝える化石が豊富に産出する場所の一つがバージェス頁岩である.場所はブリティッシュ・コロンビア州の東端で,カナディアン・ロッキーの高度2400mの高地だ.この時代の奇怪な生き物達については,本書を読んでいただくことにする.これ以外にも馬や人間の進化とそれを教える教育の話,発掘者ウォルコットの物語,新しい生命観の話,哺乳類に代わって鳥類が支配する世界の話,etc…と内容豊富(too much)の本書を読破するには辛抱が必要である.しかし,読むきる価値があるのも事実.あえて一つだけ挙げるとすれば,「この世は偶然によって支配されているけれど,それでもなお,あなたは生きている価値があり,それはあなたが回りに必ず影響を及ぼしているのだから.」というメッセージ(本書のタイトルに繋がる)である.このメッセージの文章は私が考えたのだけれど,この内容に該当する文章がどこかに存在します.探してみてください. (08/05/29)

がんばれカミナリ竜(上),スティーブン・ジェイ・グールド,早川書房,1995
内容が広範囲でかつ深遠であればその本のタイトルを決定するのは困難を極めるはずだ.この本はナチュラルヒストリー誌に連載されているエッセーの第5集である.そのため,著者が進化生物学者であるにもかかわらず,タイトルから内容を想像しても当たらない.この上巻の中から気になった話題を二つほど取り上げる.
動物進化の系統樹は複雑に絡んでいる.系統の複雑な分岐によって,ある種だけが環境の変化を乗り切り現在へ子孫を残してきたのである.進化がわずか一本の道をたどることしかできない動物の行き着く先は絶滅である.それでは,ホモサピエンスはどうだろう.グールドは「ささやかな冗談」と表現しているが….
流行にもいろいろな種類があるが,科学や医学に関する流行の中には怪しいものがある.ここでは,18世紀に流行したメスメリズムが取り上げられているが,結局これは怪しいものであったようだ.ただ,メスメリズムそのものに関心を向けるより,有効か否かを明らかにする過程が実験による真実の追求手法へと発展する事実に関心が向けられる.私は一研究者として真実を明らかにしたいと願っているが,その方法については疑問に思ったことはなかった.真実を明らかにする方法をも,われわれは慎重に取り扱わなければならない.これは,次に読む書籍の選択に大きな影響を及ぼした.
最後に,本書の中の好きな言葉.「精神の気高さこそ,われわれ人間にとって売ることのできないただ一つのものだ」(08/05/04)

がんばれカミナリ竜(下),スティーブン・ジェイ・グールド,早川書房,1995
モンテカルロシミュレーションのプログラムでは乱数を発生させる関数を使用する.ある学生がこの関数で発生した数の集合が乱数となっているかどうかを確認するのに視覚"も"使っていたが,視覚に頼ってはいけないことが第17章の内容から明らかになった.一見乱数に見える分布は実は乱数ではないのだ.大きな落とし穴であった.
進化におけるグールドの主張のひとつは「偶然」である.「あらたな方向への進化はなにか別の理由で進化した構造や能力がたまたま存在したおかげで,気まぐれに始まるのだろう.人間がなにかを発明する場合とは違って,…まったくよきしない事態を想定し,それに進んで準備しておく生物などいない.….」ここでは胃の中で子育てをするカエルの話である.確かにグールドの主張には納得できる.しかし,発明する場合が進化の発展と異なっているという主張は少し違うと思う.発明や発見の物語の多くは「偶然」の効果が必ずといっていいほど強調されているではないか.
日本において進化論を教えてはいけない.とか,進化論と同じ時間だけ創造論教えなければならないなどという法律が制定されそうになったことはない.しかし,米国においてはつい最近まで裁判で闘われてきたのである.グールドの立場は明快であり私も賛成したい.本件に関してはドーキンスの著書でも詳しく扱われている.(08/05/04)

利己的な遺伝子,リチャードドーキンス,紀伊国屋書店,2006
 この本の第2版は1991年に発刊されている.ということは,随分前にこの本を本屋で見つけて,買う寸前で止めた記憶は正しいと思うし,「利己的な遺伝子」というタイトルは手に取るのに十分に刺激的である.ただ,その時に購入しなかった理由は覚えていない.第3版は見つけた瞬間に買うことを決めた.後はこの分厚い本を読むためのまとまった時間を探していたのである.ようやくそのときが来た.  「人はなぜいるのか」という問いは,哲学的,社会的,政治的,科学的等々答える人の立場によって変化する.本書では遺伝学的(ダーウィニズム)な立場で答えているが,結局,他の全ての学問体系に影響を及ぼすことが簡単に予想されてしまう.それどころか読者自身の人生観まで変えてしまうであろう.その意味で危険な本でもある.ある政治家が女性を機械に喩えて世論の反発を受けたが,この本では「人は生存機械である.」と断言し,その理由を遺伝子の役割との対比から論理的に述べている.そして,微生物から哺乳類まで遺伝子を有するあらゆる生物の生存の戦略が,遺伝子にとってどのように有利に働くかを考察し,先の仮説を検証している.あまりに見事な証明に読者はまず納得し,そして,落胆するであろう.我々は遺伝子を運ぶための単なるビークルなのだと.  さて,我々は遺伝子を運ぶビークルではなく,人として生きていると信じている.先の仮説が真であったとしても,ビークルとしての価値ではなく,人としての価値,あるいは主体として生きる価値は見出せるのか.人類がこれまで作り上げてきた膨大な文化と学問体系は,遺伝子が作り上げてきた植物相と動物相に匹敵するものに他ならない.遺伝子がビークルを改良することによって価値を高めてきたように,人は文化と学問体系に寄与することによって人類に貢献できる.主体として生きる価値が生存と結ばれるなら,長く世に残る文化あるいは学問体系を築くことが生存に相当し,価値として認められるのだ.これで学問上に名を残したいという欲求の根源が明らかとなった.  この本のもう一方の主題は,「利他性」にある.既に人は社会との関わりなしに生きることはできない.だから個人と社会との関係,すなわち,自己と他者の交わりには一定の善なルールの存在が期待される.ただでさえ「利己的」な人が「勝ち組」となっているこの社会に疑問を感じているのである.遺伝子が「利己的」であるなら,人が利己的に行動することに何のためらいがあるだろうか.この本を読めば「利己的」と「利他的」がある平衡状態において矛盾なく存在できることが理解できる.そしてこの平衡感覚こそが最も大切であり,これを身に着けるために人類は「教育」というシステムを構築した.と私は考える.  この本はかなり難解なのにボリュームもあるのでまとまった時間が必要となる.しかし,間違いなく人生観を変えてしまう本であるので,危険を承知で読むことをお勧めする.最後に,「三十周年記念版への序文」は最初と最後に2度読む必要があることを付記する. (07/03/15)

アダムの呪い,ブライアン・サイクス,大野 晶子訳,ソニーマガジンズ,2004
男子は父親より必ずY染色体を受け継ぐ.その遺伝コードを比較すれば,父親のつながりに関してどの程度はなれているのかを推定することができる.ところで,「なぜふたつの性があるのだろう?どうして性は存在するのか?」じつは男性は子孫を増やすことに寄与しない.クローンによって子孫を残すことが最も効率が良いし,実際多くの動物がクローンによる繁殖である.という記述に驚かされる.さらに人間のオス(つまり生殖に貢献しないほう)だけが他の動物に比べて優位であるという事実.さらに,世の争い(戦争を含む)がY染色体の策略だとしたら….しかも,染色体のペアで存在せず,遺伝的エラーがその種の進化を生むと事実に呼応して,Y染色体にはエラーが蓄積し,破滅の道をたどっているのである.我々が想像するよりずっと早いスピードで,地球が滅ぶ年月などよりもずっとずっと早く.この本はSFではなく,現代の最新科学を基にして記述されている.ある意味人生観を変えるほどインパクトのある本.この本を読む前の注意は,同じ著者による「イブの7人の娘たち」を先に読むことである.


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