肝を冷やした中越地震

   西川伸一  * 『QUEST』第36号(2005年3月刊)編集後記

☆新潟県中越地震は私にとっても他人事ではなかった。母親が上越市で一人暮らしをしているからである。被災地から上越市までは、第三セクター「ほくほく線」で特急に乗れば1時間ほどで着く。

☆あの日、弟から地震発生を伝えられ、実家に電話したもののつながらない。あわててつけたテレビでは上越市も震度6弱と伝えていた(実際には震度5弱)。いやな胸騒ぎは抑えようもない。1時間以上、頻繁にリダイヤルを続けてやっとつながる。母親は元気で、家も被害はないという。大きく安堵した。

☆年末年始に帰省して、地元紙『新潟日報』を買ってみた。1面の赤い文字が目に飛び込んでくる。「地震に負けずがんばろう!」同紙に確認したところ、このスローガンは2004年10月30日から1面にずっと刷り込まれているそうである。そして、2005年2月1日からは「こころをひとつふるさと復興」に変わっている。2005年元日の同紙社説は、「壊れたものを元の状態に戻す『復旧』の視点ではなく、衰えたものをより盛んな状態にする『復興』の見取り図」の必要性を主張する。

☆翻って、中越地震をきっかけにしたわが家の危機管理の改善はといえば、寝室にあった洋服ダンスを移動したくらい。就寝中に圧死する心配だけはなくなったが、あとはお寒い限り・・。


back