書評・高杉一郎『極光のかげに』(岩波文庫、1991年)

   *西川伸一 『もうひとつの世界へ』第14号(2008年4月) 58頁

 高杉一郎氏が今年1月に亡くなった。99歳であった。恥ずかしながら、それがきっかけで私は、1950年の刊行当時ベストセラーになった本書をようやく手に取った。
 本書のサブタイトルは「シベリア俘虜記」である。周知のように、第2次世界大戦終結時に旧ソ連占領地域にいた日本軍人らがシベリアに移送され、過酷な労働を強いられた事態をシベリア抑留という。日本政府の推定によれば、その数はなんと57万5千人あまりに及んだ。もちろんこれは、ポツダム宣言や「捕虜の待遇に関する条約」に違反する断じて認められない「政策」であった。
 4年間の強制労働に従事した筆者は、シベリア抑留を「「バビロンの捕囚」にも比すべき日本民族あげての歴史的な体験」とよんでいる。この極限的な悲劇を意外なほど冷静な筆致で活写したのが本書である。たった50グラムのパンが親しい友情さえ引き裂く栄養状態の中で、筆者は3本の歯が欠け落ちてしまった。
 飽食の現代では想像もつかない捕虜生活にあって、筆者を元気づけたのは現地の民衆との心温まる交歓であった。筆者が働く事務所の同僚であるマルーシャという女性は、なにかにつけ筆者に便宜をはかってくれ、家に招待して食事まで振る舞ってくれる。昼休みに出会った幼稚園児たちはみな「さよなら、おじさん」と声をかけていく。「ソヴィエトの民衆の民族的偏見のなさ」に筆者は深く感動するのである。
 そして、マルーシャの親切心も捕虜への憐れみからではなく、実は「無差別の友情」に根ざしていることに筆者は気づく。だから「彼女とともにいるあいだは俘虜の身分を忘れることができた」と。さらにロシア人の友情をめぐる筆者の思索は、ロシア正教に由来するヒューマニズムの伝統にまで行き着く。
 一方、収容所内で展開されていた「民主運動」を筆者は悲しい目でみつめている。「民主運動」とは、旧ソ連の政治部将校が収容所内で指導した、ソ連への忠誠意識を捕虜に刷り込むための思想改造運動である。「民主化」しなければ帰国できないのではないかと捕虜たちは考えて、積極的に「民主運動」に加わり、捕虜の中の「反ソ分子」を摘発してつるし上げた。
 たとえば、「ロスケ」というロシア人の蔑称を漏らした捕虜が糾弾される。「君はロスケという言葉が、反ソ感情から生まれたものだということを知らなかったのか?」「知っていました」「ふてえ野郎だ!」「意識的な反ソ分子だ!」「つるしあげろ!」そして、筆者は静かにこう語りかける。「この茶番に、悲劇の観客のように深刻な顔をして参加しなければ、自分自身がもっと大がかりな茶番の道化にさせられるおそれのある世界を、読者よ、想像してもらいたい。」
 痛快だったのは、収容所長である少佐の命令を軍曹が規則を盾に従わなかったシーンである。「あなたが私に命令することができるのは、警備中隊長を通じてだけです。私は中隊長の命令にだけ服従します」。いかに無理な命令でも上官の命令に服従しないことなど、日本軍ではありえまい。筆者はこの「民主的な要素」を評価しつつも、それがソ連の政治組織に生かされていない現実を嘆く。
 跣足(はだし)、樵夫(きこり)、凝視(みつ)めて、想い泛(うか)べてなどの漢字の使い方も、本書の叙述を引き立てている。


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