書評:フィリップ・ショート、山形浩生訳『ポル・ポト ある悪夢の歴史』(白水社、2008年)

西川伸一『プランB』第21号(2009年6月)62頁。

 今年3月にカンボジアの旧ポル・ポト政権元幹部を裁く特別法廷が、ようやく審理を開始した。「民主カンプチア」とよばれたポル・ポト支配下の1975年4月から1979年1月まで、カンボジアではまさに「悪魔の飽食」が展開された。わずか3年8か月と20日の間に、当時の人口700万人のうち150万人が死に追いやられたのである。
 「囚人は街の病院で使うために血液を抜かれた。「かれらはポンプを使った」と、ある看守は振り返る──「囚人の血がなくなって、ほとんど息をしなくなるまで採血を続けた。……用済みになると、死体は穴に投げ込まれた」」(561頁)「メイ・マクはプルサットのジャングルの中で人間が共食いをするのを目にしていた。一人の女性が自分の子どもを食べたケースは、後々までかれを身震いさせた。」(622頁)c
 「清く誠実な社会をつくる」ための政策遂行が「現代初の奴隷国家」を現出させてしまったパラドクスを、どう理解したらいいのか。
 本書ではその原因を、夫の若い愛人に妻が硫酸を振りかける「伝統」をもつクメール人の心に潜む残虐性に見出そうとする。もちろんこうした側面は否定できまい。だが、加えてそれは、社会の純化と浄化をまじめに目指したゆえの論理必然的結果ではなかったか。ユートピアに近づこうとすればするほど、悪魔の見えざる手が働き逆ユートピアに堕ちていくのである。
 なにもこのパラドクスは国家に限らない。たとえば、私は「定刻」主義者である。ゼミの学生たちにもそれを求めている。そこで、1分でも遅刻した学生を容赦なく糾弾したとしよう。するとどうなるか。確かに「定刻」主義は厳守されよう。しかし、学生たちは萎縮しゼミの雰囲気は殺伐たるものになるに違いない。
 さて、「民主カンプチア」は逆ユートピアの極致であった。
 一人称は「わたし」ではなく「わたしたち」とされ、子どもたちは自分の両親を「おじ」「おば」と、それ以外の大人たちを「父」「母」と呼ばされた。この集団主義は食事でも徹底される。共同調理場による「食事の統合」である。人々は食事を選ぶことさえできなかった。これはポル・ポト政権でいちばん悪評の政策であった。ラジオ放送からは、ブルジョア的感傷を想起させるという理由で、「美」「色鮮やか」「快適」などの言葉が追放された。貨幣廃止や首都プノンペンからの強制退去はよく知られている。
 愛情も清潔で私心のない革命を汚すとして、結婚相手は党が選び、結婚後でも夫婦は別々に暮らすことが多かった。それでいて、人口を増やすため、女性の周期を記録して妊娠可能性が高いときに夫婦に性行為を強制した。
 こうした二重基準は「体格」に顕著にみられた。指導者は「あの人もゼロ、あなたもゼロ──それが共産主義だ」といいながら、彼ら自身は「カワウソのようにつやつやと太っていた」のだ。一方で、「まったく肉づきのないひどくやせ細った生き物」が重労働に従事していた。
 訳文はこなれていて読みやすい。ただ、「粛正」はすべて「粛清」を当てるべきである。
 ポル・ポトの蛮行にはいかなる免罪も相対化も許されない。ただ、カンボジアの悲劇は、完成度100%を追求する非寛容さが咲かせたあだ花でもあった。学生が少しくらい遅刻して入ってきても、ちょっと笑顔で迎えるとするか。


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