「パソコン」で「迂回生産」を考える

   西川伸一  *『政経論叢』(明治大学政治経済研究所)第64巻第5・6号「編集後記」掲載

 朝夕の新聞で、「パソコン」「インターネット」という言葉にお目にかからない日はないこの頃である。こうした事態はサブリミナル効果を果たし、このキーワードはもはや人々の間で強迫観念となっていよう。どんなことができるのか。たとえばインターネットを使えば、ヴァレンタインデーにゴディバやデメルといった輸入チョコを送るのも、パソコンの画面を見ながら、希望の商品をクリックするだけでOKとあいなる。

 もちろん、パソコン通信の普及は日常生活だけでなく、われわれの仕事環境も劇的に変化させつつある。図書館へ足を運んで縮刷版を繰った作業は、自宅から記事データベースにアクセスし、キーワードを打ち込むだけですんでしまう。こうして、瞬時のうちに目的の記事を探し当てることができる。また、この世紀末に偉大な政治家が出現するとしよう。それについての21世紀の研究者は、われわれが著名な人物の書簡集にあたるように、その政治家がハードディスクに遺した電子メールを読むことになるのであろうか。

 とはいえ、この電子メールというのが実は曲者である。何通ものメールが一挙に寄せられ、それを処理するだけで半日つぶれてしまったりすると、「この時間泥棒め」といまいましくさえ思う。電話一本ですみそうな用件も多いのだ(それを承知で電子メールで返事を書いている私も私だが)。パソコンにはかなりの金銭的コストがかかるが、それに引き合う時間の節約なり、仕事の効率化を期待できるから、人はそれを負担するのであろう。しかし、現実はそんなに甘くない。

 経済学の教科書を開くと、「迂回生産期間が長くなればなるほど、優れた生産財を生産することができるから、生産力が増大する」とある。パソコンと仕事の関係も、そうであることを願わずにはいられない。

   1996年2月14日記


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