明大からの処方箋
 公務員制度改革-T.「カースト制」に基づく人事慣行

西川伸一『明治』第39号(2008年7月)54-57頁。

はじめに
 またぞろ、国家公務員の不祥事が新聞紙上をにぎわせている。4月4日、前文部科学省文教施設企画部長で当時は沼津工業高専校長を務めていた大島寛が、収賄容疑で逮捕された。校長先生の犯罪に高専の学生たちは耳を疑ったにちがいない。大島は文科省キャリア技官の星として、一目置かれた能吏だった。
 国土交通省でも、同じキャリア技官で企画専門官の高松正彦が、2月23日に競売入札妨害容疑で逮捕されている。さらに、昨年11月28日には、異例なことに4年以上も事務次官として防衛省に君臨した守屋武昌が、収賄容疑で逮捕された。この一件は、「絶対的権力は絶対に腐敗する」というアクトン卿の警句を想起させるに十分だった。
 もっとさかのぼれば、社会保険庁による年金記録のずさんな管理が判明したのは、昨年5月のことであった。この対応に苦慮した安倍政権は、7月の参院選で与党過半数割れの大敗北を喫し、9月に安倍は退陣を余儀なくされた。
 この安倍政権下で首相の私的諮問機関として設置されたのが、「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」(以下、懇談会)である。
 参院選直前の7月24日に開かれたその第1回会合で、安倍は「年金の記録不備問題における社会保険庁に象徴される、親方日の丸的な体質や悪しき労働慣行といった公務員の悪い面が、国民の怒りと不信の対象として、大きく取り上げられるに至りました」との現状認識を述べた。
 その上で、安倍は「採用から退職までの公務員の人事制度全般について、既存の枠組みにとらわれず、幅広い観点から、自由かつ活発なご意見を賜りたいと思います」と、懇談会の課題を提起している。
 懇談会は、12回に及ぶ議論の結果、今年2月5日に報告書を提出した。その目玉が内閣人事庁の新設であり、それを含めた国家公務員制度改革基本法案が4月4日に国会に提出された。
 国家公務員制度の「既存の枠組み」とはいかなるものであり、この法案はそれをどう改革しようとしているのか。加えて、そこにどのような問題点を指摘できるのか。順次、検討していく。

1 「キャリア-ノンキャリア」「事務官-技官」
 広く知られているように、国家公務員にはキャリア組とノンキャリア組の2種類がある。国家公務員採用T種試験という試験名に合格し、各省庁の本省に採用されたのがキャリアであり、同U種・V種試験やその他の試験で入省した者やT種合格であっても外局に採用された者は、ノンキャリアとよばれる。
 国家公務員のもう一つの分類に、事務官と技官がある。キャリア・ノンキャリアが人事運用上の通称にすぎないのに対して、事務官・技官は正式な官名である。私のゼミ卒業生が総務省に入った。彼女からもらった名刺には「総務事務官」と記されていた。
 さて、国家公務員試験と一口にいっても、志願者全員が同じ問題の試験を受けるわけではない。大学入試でも文系と理系で試験科目が異なるように、国家公務員試験もたとえばT種試験でみれば試験の区分が13ある。このうち、「行政」「法律」「経済」の試験の区分で合格・採用された官僚が事務官である。それ以外の10の試験の区分(「人間科学T・U」「理工T〜W」「農学T〜W」)で入省すれば技官という肩書きになる。
 以上二つの分類をまとめれば、次のようになる。おおまかにいって、国家公務員には4グループがある。

キャリア ノンキャリア
事 務 官 キャリア事務官 ノンキャリア事務官
技   官 キャリア技官 ノンキャリア技官


2 「四民」不平等
 もちろん、これらは単なる分類にすぎない。国家公務員法の下では「四民」平等のはずである。ところが、現実には、著しい「四民」不平等がまかりとおっている。
 キャリアは別名特権官僚であり、幹部候補生として昇進のスピードが早く、やがては審議官、部長、局長といった幹部ポストに就いていく。そして、同期の出席競争に生き残った者が、守屋のように事務次官に到達する。
 一方、ノンキャリアの出世はせいぜい課長補佐どまりであり、課長になるのは例外でしかない。キャリアならば、30代半ばですでに課長補佐である。
 事務官・技官の間にも、前者を露骨に優遇する人事運用が冷厳と存在する。技官が事務次官に上りつめる可能性があるのは、文科省と国交省だけである。農水省はキャリア技官をキャリア事務官の10倍も採用しているが、技官は事務次官にはなれない。
 また、文科省で技官に事務次官への道が開かれているといっても、これは旧科学技術庁出身者に限ったことである。旧文部省に採用された技官であれば、前出の大島が就いた文教施設企画部長が最高到達ポストであった。
 事務次官のみならず、幹部クラスのポストも、その大半は事務官によって占められている。
 それでいて、毎年度の各省庁の採用状況をみると、霞が関全体でキャリア組の半分以上は、実は技官として採用されていることがわかる。しかしながら、幹部には技官を登用しないという人事のあり方は、「技官差別」とさえ形容してよかろう。最近話題となった『さらば財務省!』(講談社)を書いた元財務省キャリアの高橋洋一は、「論理思考のできる理科系の人が、官僚のメインストリームになるべきだと思います」とさえ述べている。
 いずれにせよ、以上の「四民」不平等には明文化された根拠はない。慣行に過ぎないのだ。
 同じ国家I種試験を経ているにもかかわらず、受けた試験の区分が異なるだけで、技官は出世の天井を低く抑えられている。それへの対抗手段として、技官たちはそれぞれの専門分野=タコツボに閉じこもって、自らのタコツボに関する人事と予算を実質的に牛耳ってきた。
 たとえば、文科省文教施設企画部は、国立大学法人など文教施設の整備を統括する部署である。ここは省内では技術者集団の「独立王国」といわれていた。他部局との人事交流はあまりなく、2007年度で396億6200万円もの国立大学法人施設整備費補助金を動かした。国交省や農水省でも、技官たちの「独立王国」が幅をきかせている。

3 「ゲートウェイ・クリア能力」偏重の評価
 このようなノンキャリアや技官に対する冷遇を、合理的に説明することは困難であろう。人事をめぐる「既存の枠組み」は、受験した試験名や試験の区分という入り口をいわば出自とした、カースト制にほかならない。そこで評価されるのは、むずかしいT種試験の中でも最難関の文科系試験区分で、国家公務員へのゲートウェイを突破したという能力である。仮にここではそれを「ゲートウェイ・クリア能力」と名付けておく。
 そして、この「ゲートウェイ・クリア能力」だけを評価のよりどころに、ノンキャリアや技官を不当に処遇してきたのである。とはいえ、人事考課で重要なのは、国家公務員になる前の「ゲートウェイ・クリア能力」よりも、むしろなってからの「全体の奉仕者」(憲法15条2項)としての執務能力の判定なのではないか。
 佐藤優のようにキャリアより有能なノンキャリアは、必ずいるはずである。佐藤は98年に給与・昇進はI種扱いの特別専門職員に登用され、カースト制の壁を乗り超えたかに見えた。しかし、活躍するうちに、キャリア組からの執拗な嫉妬に悩まされる。ついには、いわゆる国策捜査で逮捕・起訴されてしまう。同時に、「ゲートウェイ・クリア能力」に基づく人事慣行は、技官を「独立王国」に追い込み、彼らから「全体の奉仕者」意識を奪い去ってきた。
 プロ野球選手の年俸は、彼がドラフト何位で入団したかにかかわらず、そのシーズンでの活躍ぶりで評価される。国家公務員の世界にも、入り口本位ではなく能力本位の評価尺度を取り入れるべきである。これについて、懇談会はいかなる処方箋を書いたのか。次回はこれを吟味する。
                                     (文中、敬称略)


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