「トヨタ行 〜クルマ社会を批判する・その三」

   西川伸一  * 浅沼ゼミナール『Zoon Politikon』第11号(1994年3月)

 昨年の夏は引越しの準備に忙殺されたが、少しはバカンスをと思い小旅行に出かけることにした。8月4日、5日の1泊2日の日程で日本一の企業の工場見学に行ってきた。とはいえ「日本一」の企業と言っても、何を基準にするかで異なる。たとえば、8月21日付の『日本経済新聞』に発表された「日系優良企業ランキング93年度」を見てみよう。これは全国の企業を、規模、収益、自己資本経営度、成長力という4つの観点からそれぞれ100点満点で採点し、総合ポイントで上位1000社まで序列をつけたものである。これでいけば「日本一」の企業はファミコンの任天堂ということになる。以下、2位がセブンイレブン、3位が平和(パチンコメーカー)と続く。

 だが、実際に私が訪れたのは、規模では100点満点の評価を得ているものの総合順位では18位に“甘んじている”トヨタ自動車であった。それゆえ、「日本一」という形容にはいささか誇張があろう。それでもこの誇張は「いささか」でしかない。たとえば、トヨタは92年度輸出金額ランキング、法人申告所得ランキングはいずれも首位であり、また、米経済誌『フォーチュン』7月7日号も発表された「世界の大企業(製造業)500社番付」では堂々の世界5位(日本のみでは1位)である。自動車産業といえば、戦後日本の成長を引っ張った基幹産業であり、運を“天に任せて”急成長を遂げた企業や、フランチャイズの店のあがりを搾り取ってのし上がった企業とは違った風格がトヨタにはあるような気がする。それは財界内での地位にも反映され、トヨタ自動車会長の豊田章一郎氏が、盛田ソニー会長の“補欠”とはいえ経団連次期会長に就任する。

 現在のトヨタ自動車社長は豊田達郎氏、また、名誉会長は豊田英二氏である。豊田家の系図に位置づければ、自動織機で有名な豊田佐吉の息子が、トヨタの創立者である豊田喜一郎、その弟が英二、喜一郎の息子が章一郎、その弟が達郎であり、ファミリー企業らしい“皇位継承”が進んでいる。しかし企業名としての「トヨタ」と姓としての「豊田」は違う。「豊田」は“とよ”と読む。1936年に生産されたトヨタ初(当時はまだ、トヨタ自動織機製作所自動車部、1937年よりトヨタ自動車工業)の生産型乗用車は“トヨAA型乗用車”と言い、まだ濁点が付いていた。この年の10月から製品名が「トヨタ」と改められ、AA型の次に生産された乗用車は“トヨAB型フェートン”と名付けられた。なぜ濁点を取ったのか。“トヨダ”では画数が10画になり、それ以上発展しない縁起の悪い数字とみなされたためだという。

 トヨタの本拠地は、言うまでもなく愛知県豊田(同じ漢字でも地名になると、“とよ”と読む)市である。人口は33万8千、その7割が自動車関連企業の従業員とその家族である。典型的な企業城下町。それまでの挙母(ころも)市が1959年に豊田市と改称されたことに、その徹底ぶりがわかろう。同じ自動車メーカーでも、三重県鈴鹿市に主力工場を置く本田技研の場合は違う。かつて“本田市”に改称してはという鈴鹿市側の申し出に創業者の本田宗一郎は激怒したという。一方、豊田市の教育委員会は、中学校の教科書に“プリンス”を決して採択しない。ライバルディーラーの日産プリンスを連想させるためだ。こうした点に企業の体質が表れる。

 さて、前置きが長くなったが、本題に戻ろう。当初の予定では、朝早く出発して、午前中にトヨタの工場見学、午後は豊田郊外の長久手町にあるトヨタ博物館を見学して帰ってこようと思っていた。しかし、いざ時刻表を操ってみると、鉄道で行くにはトヨタは意外と遠い。名古屋から優に1時間はかかる。日帰りでは午前中にトヨタに着くのが精一杯である。そんなわけで、1日目の夕方にトヨタに入り、2日目に見学というプランにした。豊田市の中心部にある駅は、名古屋からの地下鉄舞鶴線と相互乗り入れしている名鉄名古屋線の「豊田市」駅と、岡崎と高蔵寺をむすぶ英知感情鉄道の「新豊田」駅である。この2つの駅は、ちょうど御茶ノ水駅と新御茶ノ水駅のように目を鼻の先にある。「豊田市」駅に降り立った最初の印象は、これが30万都市の中心部の駅前か、というものであった。「豊田そごう」はあるものの、商店街全体としては同じ人口規模をもつほかの諸都市と比べて貧弱さは否めない。だが、その理由はすぐにわかった。

 予約したビジネスホテルまで、駅から2キロほどあったが、タクシー以外に乗り物はなかったので歩くことにした。地図によれば、駅から東に進み、国道153号線につきあたり、それに沿って真っすぐ南下するのがわかりやすい行き方である。この国号153号線は途中で248号線と名前を変え、トヨタ本社工場に通じている。153号線に出てみると、夕方の昼夜勤交替時と重なったためか、クルマの流れが切れない。さらに歩いていくと、全国チェーンの外食産業の店、スーパー、家具店、自動車販売店、ガゾリンスタンドのオンパレード。いわば“トヨタ銀座”。ここでは、クルマ通勤がほとんどのため、駅前に密集的な商店街は形成されず、国道沿いの郊外型店舗がその代替をしているようだ。それにしても、他の歩行者とはめったにすれちがわない。たまに学校帰りの自転車に乗った中学生が追い越してゆく。みなヘルメットをかぶっているが、校則で義務づけられているのだろう。違和感と不自然さ、そしてクルマ社会の町であることを痛感した。

 30分ほどでホテルの前に着いた。前と言っても、記念館に行くのにカザルスホールまで来たようなもので、国道を渡らなければホテルに入れない。さっきの交差点の信号で渡っておけばよかった、と後悔したが遅かった。信号はないかをきょろきょろしたが、近くには見当たらない。前の交差点まで戻るにしても500メートルくらいはある。とはいえ、次の信号機つきの交差点までも同じくらいの距離がありそうだ。いずれにしても1キロの遠回りになる。国道にはこんなにも信号が少なかったかろうか。これにも理由があるのでは、と勘ぐりたくなった。ともあれ、国道を強行突破しようと、クルマの流れが切れるのを待ったが、なかなか途切れない。10分ほどして1台のクルマがガソリンスタンドに入るすきに、ようやく渡れた。

 ところで信号には2種類あると考えられている。1つは交差点でクルマ同士の衝突を防ぐ“クルマ用信号”。もう1つは、交差点に限らずクルマの行き来が激しい道路を歩行者が安全に横断するための“歩行者用信号”。わずかな経験を普遍化するのは説得力がないが、豊田市の幹線道路には、“歩行者用信号”がないのではなかろうか。というのも、トヨタ成長の原動力は言わずと知れた「かんばん方式」である。前々号からの繰り返しになるが、「かんばん方式」とは、部品を組立工場にストックせず(=コスト減)、必要な量を必要な時間に下請けから届けさせるシステムで、その品種、数量、時刻が書かれた票を「かんばん」と言う。すなわち、部品を積んだトラックがジャスト・イン・タイムに工場に到着しなければならない。さもなければ組み立てラインにムダができる。ジャスト・イン・タイム徹底のために、トヨタにとって不要な“歩行者用信号”は設置しないのだろう。名古屋から乗った電車の車窓を眺めながら気付いたことだが、この名鉄豊田線には踏切がなく、全て立体交差になっている。今、地図を見直してみると、豊田市を南北に走る愛知環状鉄道もほとんどが立体交差である。豊田線は1時間に3、4本、愛知環状鉄道に至っては1時間に1、2ほんのローカル線である。それでもコストをかけて立体交差にしたのは、信号がないのと同じ理由ではないのか。ちなみに、日産座間工場閉鎖の理由の1つは、渋滞で部品が予定通りに搬入されない点であった。

 翌日、豊田市トヨタ町一番地のトヨタ会館に10時に集合して、他の見学者たちとそこからバスで30分ほどの元町工場を約1時間見学した。ここは自動化率5%の組立工場であり、逆に言えばここでの組立工程の95%は人間の手作業である。労働者がハンドルや座席などを忙しそうに車体に取り付けていた。説明によれば、現在では作業着は自由であり、帽子で本人を確認する。ラインでは各自が5.5メートルを受け持ち、部品箱も人と一緒に動く仕組みになっている。たかだか5.5メートルでも、部品箱を1箇所においてそこに取りにいく動作を繰り返すよりは、確かに時間のムダは省かれよう。これは従業員の提案運動から生まれたそうである。何気ない労働者の動きひとつひとつに、動作研究と時間研究の成果が凝縮されているのだろう。

 「かんばん方式」「はりがみ方式」「あんどん」などトヨタが独自に編み出した作業ノウハウをもっとじっくり見学したかった。そんな物足りなさを感じながら再びバスに乗ってトヨタ会館に帰ってきた。やはり、“歩行者用信号”は見当たらないな、と車窓を確認しながら。ここで解散なのだが、その際記念品をもらった。昼食を取りながらその袋を開けてみると、中に『障子をあけてみよ 外は広い』という小冊子が入っていた。ここには、豊田佐吉、英二、章一郎、達郎それぞれの語録が収められている。トヨティズムのバイブルである。ちなみに表題の「障子をあけてみよ 外は広い」は豊田佐吉が好んで使った言葉だそうだ。そして彼らの語録を「トヨタ基本理念」と「トヨタ綱領」(豊田佐吉の遺訓)がサンドイッチする構成をとっている。たとえば、「トヨタ基本理念」には大真面目で次のようなことが書かれている。「クリーンで安全な商品の提供を使命とし、住みよい地球環境と豊かな社会づくりに努める。」むしろ、「住みよい地球環境と豊かな社会づくりに努める」ためには、クルマ社会をあらゆる段階で(交通事故問題というミクロレベルの人道的視点から、地球環境問題を含むマクロレベルの文明論的視点に至るまで)根本的かつ体系的に問い直すことが必要なのではないか。

 トヨタ博物館については省略するが、1泊2日の旅程をとおして、トヨティズムとそれが生み出すクルマ優先の社会は倒錯しているとの思いを強くした。その結晶が企業城下町としての豊田市である。ムダの排除を徹底するあまりに歩行者は危なくて道を渡れないという事態がそれを象徴している。また、トヨティズムのいびつさは豊田市から県全域へと浸潤している。トヨタのクルマはすべて愛知県内で生産されている(国内の別法人、海外の現地法人は除く)そうだが、このことと、愛知県が管理教育の先進県であることは決して偶然ではあるまい。こうした教育から、クルマ社会の矛盾を当然視する若者が輩出されるのであろうか。とまれ、トヨタ会館でも博物館でも外国人の見学者が多かったこと、移動が不便でタクシーを何度も利用せざるをえず出費がかさんだこと、それでも百聞は一見にしかずを実感した有意義な小旅行であったことを最後に書き添えておく。


         back