ぼくの子育て歳時記(9)「あったかい」は「あっかたい」

   西川伸一  * 投書で闘う人々の会『語るシス』第15号(2000年4月)掲載

 今年に入って娘の大きな変化として気づくのは、言葉の習得が活発になっているということである。それまでは、パパ、ママ、バイバイくらいしか言葉になっていなかったのに、急に語彙が増え、また文法もマスターしはじめている。

 気候に関する単語は日常会話でよく使うので、覚えが早い。「あめ」「ゆき」「かじぇ」(風)「かむい」(寒い)などなど。笑ってしまったのは、何度教えても「あったかい」を「あっかたい」ということ。

 保育園から月に1回、絵本が配本されるが、それらを「えぼん、えぼん」(絵本、絵本)といいながら持ってきて、読めという。これで語彙を増やしている。私はクルマは嫌いだが、そんな親の気持ちも知らないで、絵本に出てくるクルマの種類をたくさん覚えてくれる。

 「タクチー」(タクシー)、「バシュ」(バス)、「トラック」、「ごみちゅうちゅうちゃ」(ごみ収集車)、「ちょうぼうちゃ」(消防車)。消防車の絵をさして「火事、火事」ともいう。このつながりをどこで知ったのだろう、、。

 保育園への行き帰りでこれらの本物をよく目にするので、記憶が定着するのかもしれない。それらを見つけては、「タクチーだ!」「バシュだ!」と叫びながら指をさす。私も負けてたまるかとばかりに、電車の絵本を読み聞かせ、日曜日には電車に乗せるなどの対抗手段を講じている。

 とにかく好奇心旺盛で、「これなあに」「これなあに」とうるさい。同じものでも何度もきいてくる。最初のうちは、うっかりいい加減なことも教えられないなと、まじめに対応していた。このごろはそんな熱もさめ、めんどうくさいと「わかんないなー」と適当な返事をしてしまう。

 一方、「ない」をつけると打ち消しになることはわかっていて、やりたくないことにはなんでも「ない」をつける。とはいえ、動詞、形容詞の活用はまだ無理。「ない」の前を未然形にすることはできず、「帰るない」「痛いない」となってしまう。「こら!」と怒ると、「パパ、こらないよお」と反論されてしまって、怒気をそがれる。

 所有の観念もはっきりしてきて、おまけに「の」という所有を示す準体助詞を覚えたため、盛んに自分の名前のあとに「の」をつけて、自己の所有を強調する。娘が食べ残した皿を片づけようとすると、「まー、あーちゃんの」(だめだよ、梓のものだよ)といって抵抗する。なぜ否定が「まー」となるのかはなぞである。

 「ね」「の」という終助詞をつけたり(「ちがうね」「やるの」)、尋ねるときは上げ調子で話したりもする。私が風邪で寝込んだとき、起き出して娘と目が合うとすかさず彼女から「だいじょうぶ?」ときかれ、相好を崩してしまった。親ばかです。

 ところで、前号の最後に「さらなる試練が待ち受けているような気がする」と書いたが、実は妻が二人目を妊娠した。出産予定日は10月7日。産婦人科でプリントしてもらった超音波検査の写真を娘にみせて、ママのおなかのなかには赤ちゃんがいるんだよと教える。

 それを何度か繰り返すうちに、自分のおなかをさすって「あかちゃんいるの」とやるから、子どもの直感力はばかにできない。「あかちゃんびたい」(あかちゃんみたい)といって、ハイハイをしたり、「おっぱいおっぱい」といって私のおっぱいを吸おうとする。「男は出ないんだよ」と理屈をいってもわからないから、なすがままにされている。この光景はだれにも見られたくない。

 もうしばらくで自分が両親を独占できるのが終わるのを悟っているようで、それ以来、甘えがひどくなった。「らっこ、らっこ」(だっこ、だっこ)とまとわりついてくる。先日、14キロの「荷物」を抱えて、妻の実家にいったときはこたえた。腕の力は20代の頃よりきっとあることだろう。

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