それは決裂からはじまった。
 
〜新カリキュラム構想委員会33回の審議をふりかえって〜
   西川伸一『政経フォーラム』第24号(2008年3月)81-85頁。

1 25分で決裂
 私が委員長を引き継いで最初の委員会を主宰したのは、2007年11月7日である*。48-51頁の表にもあるとおり、このときはわずか25分で終了している。私が主宰したこれまで33回の委員会の中で最短記録である。そこで提示された新コース制案をめぐり、委員の間で激しく厳しい意見の応酬となり、収拾不可能な事態となった。決裂で議事を閉じざるを得なかったわけである。
 このときの会議記録(「新カリキュラム構想委員会記録(2006-6)」)は、「本日の委員会において、コースの認識が統一されていないため、改めて役職会にて意思統一をした上で再検討することとなった」と結ばれている。その後、学部長に仲裁に入っていただいて、どうにか切り抜けることができた。
 *任期は2006年10月1日からであるが、10月3日の委員会は私が校務出張で、
  前委員長の鈴木(利)先生に司会を代行していただいた。


2 主な対立点
 それ以降も、険しい議論の連続だった。主な対立点は以下のとおりである。

  @新コース制・科目パッケージの構築とその活用方をめぐって
    →4コース制・12科目パッケージ、ゼミ指導型による活用で決着。
  A和泉での2単位演習科目の新設をめぐって
    →基本演習(2単位)設置で決着。
  B4年次新規履修20単位以上という卒業要件の廃止をめぐって
    →各セメスターで最低8単位の新規履修、第8セメスターで新規履修
      4単位以上の修得を卒業要件とすることで決着。
  C数学関係科目を基礎科目のどの科目群に配置するかをめぐって
    →8科目すべてを自然科学科目群に配置することで決着。
  D「ジェンダー論(仮称)」の新設をめぐって
    →科目設置は見送り、「教養基礎講座」でジェンダー論にかかわる内容
      を取り上げることで決着。
  E学科関係科目の見直しをめぐって
    →「3学科共通関係科目」という科目区分新設で決着。
  F教職課程科目の卒業単位算入をめぐって
    →現行16単位を8単位に削減することで決着。

3 決定のプロセス
 もう思い出したくないというのが本音である。委員の間でどうにか合意にこぎつけても、3学科会議・和泉学級主任会議に審議依頼した結果、反対や異議が唱えられたこともままあった。そこからおのずと、新カリ委の提案には次のような決定プロセスが形成されていった。

【すんなりの場合】新カリ委→3学科・主任会議で承認→役職者会議→教授会で承認
【もめた場合】新カリ委→3学科・主任会議のいずれかで反対・異議→新カリ委で再検討→3学科・主任会議で再審議し承認(不可の場合はまた新カリ委に差し戻され再議→3学科・主任会議で再々審議)→役職者会議→教授会で承認

 【もめた場合】の「新カリ委で再検討」は紛糾することになる。最初の提案自体、委員同士でぎりぎりの折り合いを付けたものである。3学科・主任会議からの反対・異議に対応するため、その折り合いから一歩でも踏み出せば、必ず委員のだれかが不当に譲歩させられたという不満を抱くことになる。その感情は委員会の場で吐露されるばかりか、事後に電話やメールでのブリーフィングとなって私の元に届けられる(これ以上は言えません)。

 議事運営上の工夫と「時間の圧力」
 難航しがちな議事を少しでも円滑に運ぶために、私は左記の3点を心掛けた。

(1) その日の議題を箇条書きにした「議題メモ」を作成し、資料とともに毎
回配布した。披露宴で各席にメニューが配られるのにヒントを得た(サ
ーブされる皿数が事前にわかれば、食べる量をコントロールできる)。出
席委員にその日のメニューを把握してもらうことで、議論の脱線(「食べ
過ぎ」)を未然に防ごうとした。
(2) 「議題メモ」を学部長、両教務主任、3学科長、一般教育主任にメール
で事前回覧した。学部長以外の6名は全員が新カリ委のメンバーである。
この先生方に議題のかけ方をあらかじめチェックしてもらうことで、混
乱の芽を事前につみとろうとした。
(3) 次回会議の開催日時を委員会終了時に必ず決めた。審議にあたって欠
席者のことは考慮しないのが会議運営の公理であり、私もこの方針で議事
を進めた。とはいえ、欠席者は少ないに越したことはない。委員会終了
後に一方的に開催日時を通知するのではなく、その日の出席委員の都合
をきいて、多くの出席が確保されるように開催日時を決めた。

 これら3点にどれほど効果があったかはわからない。むしろ、議事促進に大きく寄与したのは「時間の圧力」であろう。
 すでに2008年度受験生向けの学部ガイドには、2008年度から新カリキュラムを施行する旨が記載されている。これはいわば、政治経済学部の対外公約である。これを守るには2007年12月までに別表改正が教授会承認されなければならない。そこから逆算すると、12月の上旬には各学科・主任会議で承認されている必要がある。ということは、それ以前に、新カリ委で新カリキュラム施行にかかわる別表掲載事項が合意されなければならない。
 前記懸案事項のC〜Fは、こうした「時間の圧力」があってはじめて決着をみたといっても過言ではない。(この原稿もそうです。)

5 感謝のことば
 追われるように会議を開いた。49-50頁のとおり、春休み返上で3月にも3回の委員会を開催し、9月の夏休み中にも2回の委員会をこなした。出席いただいた委員の先生方には、心からの感謝を申し上げる次第である。
 感謝といえば、政治学科の先生方にも御礼いたしたい。上述の【もめた場合】に政治学科会議が絡んだのは懸案事項Bだけであり、あとは大六野学科長の「前へ」の精神が功を奏して、すんなり新カリ委の提案を通していただいた。
 委員長のいわばおひざ元がぎくしゃくしていてはやりにくろうという、温かいご配慮の賜物に違いない。Bについても、新カリ委の再提案の審議では一切質問も出されずご承認いただいた。学科長と高橋(一)学科長代行がその間に、「理解活動」を行ってくださったことは想像に難くない。
 安蔵・ピーターセン両教務主任、鈴木(利)・小西各学科長、および飯田(年)一般教育主任にも、同様の根回しと説得作業を各会議体で行っていただいた。その熱のこもった働きかけがなければ、新カリキュラムは決して成就しなかったことであろう。
 また、学部長にもたいへんご心配いただき、何度もメールや電話でアドバイスをいただいた。「どうしようもなくなったら役職者会に上げろ」という一言が、最後の頼みの綱だった。
 さらに、委員の先生方からは委員会の休憩時や終了後に、さまざまなねぎらいの言葉をかけていただいた。それがどれほど心強くありがたかったことか。おかげで、一度も孤立感を感じることなく事を運ぶことができた。
 新カリ委担当となった職員の方々へのお礼も忘れてはならない。毎回、正確な議事録を作成いただき、資料の準備・印刷などもてきぱきと対処していただいた。縁の下の力持ちとはこのことと、感じ入ったものである。

6 最後に
 おかげさまで、2008年度から新カリキュラムを施行する目処がようやく立った。新カリキュラムを起点として、学生たちが「明大政経に入ってよかった」とさらに実感できる学生生活を送ってくれることを祈ってやまない。
 しかし、「仏造って魂を入れず」という箴言もある。この場合、「魂」とは教員の熱意と言い換えてよかろう。新カリキュラムを生かすも殺すも、己の心掛け次第と自戒している。
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