書評・亀山郁夫『大審問官スターリン』(小学館、2006年)

   西川伸一『もうひとつの世界へ』第5号(2006年10月) 54頁

 今年はスターリン批判から50年の節目にあたる。本書はロシア文学者・亀山郁夫氏による渾身のスターリン批判の書と言えるであろう。筆者は本書のあとがきで「私は初めてスターリンに対する憎しみを感じた」と書いている。

 数多くの小説家、詩人、演出家が本書に登場する。「スターリンと芸術家たちのおりなす圧倒的な非対称性」の前に、彼らはあるときにはスターリンに媚び、あるときには命乞いをし、またあるときには「二枚舌」を駆使して、ぎりぎりの抵抗を試みた。

 しかし、スターリンは彼らの「二枚舌」を鋭く察知し、容赦なく彼らを追い詰めた。たとえば、マヤコフスキーは自殺し、ゴーリキーは毒殺され、メイエルホリドは銃殺刑に処せられた。「スターリンは、作家たちひとりひとりの才能を秤にかけ、その寿命と運命の匙加減を決めていたのである。」

 まさに「大審問官」と言えよう。

 もちろん、スターリンに運命を弄ばれたのは芸術家たちにとどまらない。周知のとおり、トロツキー、カーメネフ、ブハーリンといった錚々たる革命家たちも「大審問官」の肚(はら)ひとつで死に追いやられた。独裁者とは猜疑心の塊であり、ライバルを次々に排除してい かなければ気がすまない。

 とりわけスターリンの猜疑心を強く規定していたのは、彼の知られたくない「過去」であった。実は、スターリンは帝政ロシア時代の秘密警察オフラナの協力者だったというのだ。

 これまで、日本のロシア研究者は採用してこなかったこの説を、筆者はブラックマンという歴史家の近著に依拠して大胆に取り入れる。そして「オフラナ・ファイル」を、スターリンが「大審問官」への階梯を駆け上るにあたっての「最大の黒子役者」として位置づけている。

 オフラナへの協力を約束する誓約書、オフラナからの謝金の受領書など。これらを含む「オフラナ・ファイル」は、スターリンにとって「根源的な傷」なのである。

 このことから、なぜメキシコに亡命したトロツキーまで殺害しなければならなかったのかも説明がつく。当時トロツキーはスターリン伝を執筆中であり、ここに「オフラナ・ファイル」についての記述がなされるとスターリンは踏んでいたのである。もっとも、トロツキーは このファイルをまともに取り扱わなかったが。

 それにしても、本書を読んでつくづく感じるのは、独裁者とは哀しいピエロだということである。スターリンは執務室に盗聴用の電話をもち、密告状を愛読し、加齢とともに疑心暗鬼を膨張させていった。その晩年には、「黒海での避暑に向かうときは・・時間をずらして何組かの列車が発車し、スターリンはそのどれかに紛れ込むという念の入れようだった」。

 自身を虚飾の栄光で包めば包むほど、寝首をかかれる不安に苛まれる。しかも、スターリンが「凡人」だったことがこれに拍車をかけた。

 筆者はスターリンを「悪しき凡庸の神」と形容する。凡庸な人間が「神」へと飛躍するためには、凡庸さを必死で糊塗し、他人の非凡さには徹底的な弾圧を行う必要があったのである。「自分よりも演説のうまい人がいれば、その人の運命は決まってしまう」─。


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