大学全入時代における「外延」と「内包」

   西川伸一 『政経論叢』第75巻3・4号「編集後記(2007年1月)

 言うまでもなく、大学全入時代である。どの大学も学生集めに知恵を絞っている。

 たまたまみたテレビ番組(2006年12月14日・NHKおはよう日本)では、その実例が紹介されていた。

 関西大学は学生食堂の充実に力を入れて、1グラム1円のバイキング・スタイルが人気を呼んでいる。長崎国際大学では、付近のテーマパーク・ハウステンボスと提携し、学生は学生証を提示するだけでハウステンボスに入場できる。さらに、第一経済大学は、大浴場、カラオケ、ビリヤードまで備える豪華な学生寮をウリにしている。寮生ならば無料でこれら施設を存分に楽しめる。

 なにもここまで、と思わないこともない。すでに大学がレジャーランドと揶揄されたのはいつのことだったか。

 一方、これもたまたま駅で買った産経新聞(2006年12月15日)の1面コラム「産経抄」には、東京外大の老学生の奮闘ぶりが取り上げられている。

 ポーランド語を学ぶ63歳の老学生がトップクラスの成績を収め、いまやいっぱしのポーランド語使いとなったのである。退職後「ボケられたら困る」と妻に言われ、「最初に面接できたのがポーランド学科の教授だった」ため、ポーランド語学科を選んだ、というから吹き出してしまう。ちなみに、ポーランド語は格が七つもある修得が容易ならざる言語である。

 楽しいキャンパスライフはなんら非難されるべきものではなかろう。四半世紀以上前に私が入学した頃と比べて、明治大学のキャンパス・アメニティは当然ながら飛躍的に向上した。そればかりか、政治経済学部もまた学生の就職支援や英語力の養成に相当の努力をしている。いまの学生がうらやましい。

 それでも!とあえて言いたい。大学教育の根幹は、教員個々の周到に準備された授業であり、それを支える研究活動にほかならない。そして、研究に不可欠の資源は時間である。この基本を置き去りにした「外延」の拡大は、必ずや「内包」の貧困を招くであろう。

 ボケ防止のためと照れながら、そこに秘められた旺盛な老学生の知的欲求を満たすことも、高齢社会における大学の使命として要請される。これに応えることはまた、上滑りではない真に魅力あふれるキャンパスづくりにつながるはずである。


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