2003年に読んだ本

   西川伸一  * 『QUEST』第29号(2004年1月)掲載

●佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく(1)〜(7)』(講談社、2002-03年 )

 テレビドラマ化もされた人気漫画である。圧倒的な迫力で医学界の矛盾をえぐる。

 6年間の医学部教育を終え医師国家試験に合格した若者たちは、大学病院の研修医となり見習い修行を積む。国家試験では医学の知識のみが問われ、実技は一切 試されないからだ。1日平均労働時間16時間、月給はたったの3万8千円。

 もちろんこれでは生活できないので、関連病院の当直医としてアルバイトに励むことになる。ろくな手術経験もないヒヨッ子医師たちがこの国の夜の救急医療を支えている。「死にたくなければ夜間に車 に乗ってはいけない」

 一方、30年間で手術ミスなしの「ゴッドハンド」といわれる外科教授は、手術では最初の皮膚切開しか行わない。実はこの教授はうなぎの解剖実験を専門とし、手術は執 刀できないのだ。しかし、「ひたすら研究を続けて論文を量産した人が教授になる」。

 主任教授となれば大学病院の医局に君臨し、医局内および系列病院の人事権を牛耳る。医師はどこに勤務していようとも、決して出身医局の意思に逆らえない。教授にはいつくばって取り入る医師たちの醜さ。「出世も何もかもが教授の御心次第ってわけだ」

 がん治療の実状も衝撃的だ。効果を上げている抗がん剤の多くは、日本では未承認薬である。抗がん剤専門医がいないことが、厚生労働省のカベをいっそう分厚くしている。認可まで最低10年はかかるという。「薬はあります だけどあなたには使えません」

 そこで、ほとんどすべてのがんに使える飲み薬が、幅を利かせる。大きな副作用もない。つまりは効かないのだ。「日本のがん治療の現場で最も多く使われている抗がん剤はこの薬だ」。これが、年間数百億円という莫大な売り上げを製薬メーカーにもたらす。

 患者は何も知らずに死んでいく。

●広河隆一 『エイズからの告発』(徳間書店、1992年)

 薬害エイズ事件から「悪魔の飽食」731部隊にさかのぼり、さらにはそこから東大 医学部、京大医学部へとつながる医学者の系譜を明らかにする。

 周知のとおり、薬害エイズ事件は汚染された非加熱血液製剤を投与された血友病 患者が、大量にエイズ感染者にさせられた言語道断の事件である。「わずか5000 名しかいない血友病患者に、6社も7社もの世界的な血液製剤企業が襲いかかり、それぞれの企業が巨額の利益を上げたのです」。なかでも、ミドリ十字の犯罪 性は群を抜いていた。

 このいまはなきミドリ十字こそ、あの731部隊に通じる恐るべき出自をもった企業であった 。すなわち、ミドリ十字の前身の「日本ブラッド・バンク」の発起人には、731部 隊の部隊長、同結核班班長、細菌爆弾の製造者、陸軍軍医学校防疫研究室教官らが名を連ねていた。ちなみに、同社は朝鮮戦争の戦場に血液を送る目的で設立されたものである。

 731部隊が行った人体実験は非人道性の極致である。だが、GHQは「合衆国にとって、日本の細菌戦のデータの価値は、戦争犯罪を追及して生じる価値よりも、国家の安全保障上、はるかに重要である」として、731部隊を免責してしまう。

 こうして、満州での人体実験のデータは旧帝大の教授クラスの手に残り、彼らがこれを材料に論文を量産し、戦後の医学界での地位を固める。「そしてこのことは、日本の医学界の体質を決定的なものにした」。それが医療ミスを常に隠蔽する傾向や、脳死や臓器移植をめぐる考え方に反映されている。

 いまだに、731部隊の亡霊が大学病院を徘徊しているのだ。

●戸井十月『カストロ 銅像なき権力者』(新潮社、2003年)

 元共産党員だった父に、ロシア革命にちなんで「十月」と名付けられた作家が、カストロに会いたいとの一念をついに実現させるまでを描いたノンフィクション 。

 キューバは遠い。なぜなら、アメリカからの直行便がなく、日本→アメリカ→メキシコ→キューバと飛行機を乗り継がなければならないからだ。どこかで1泊しなければならない。「アメリカが執拗に続けてきた嫌がらせの内である」

 しかし、キューバはアメリカに屈しない。それどころか「「医療福祉の面ではアメリカより進んでいる」とユニセフも評価している」。たとえば、キューバの平 均寿命は76歳、1000人当たりの乳幼児死亡率6.4人(アメリカは7人)、非識字率 2%(同4.3%)、失業率3.5%。オルタナティブを予感させる魅力的な数字が紹介される。

 そして、権力者カス トロの無私と清廉の志を感じさせるのが、偶像崇拝の禁止である。革命直後の1959 年に制定された法律で、生存する国家的人物の姿を公の場に飾ることは禁止され ている。キューバのどこへいっても、カストロの絵や写真、ましてや銅像にはお 目にかかれない。ノーメンクラトゥーラも存在しないという。

 教育も医療も無料で、ここではお金がないことが貧しいことを意味しない。「経済成長がなければ人は豊かになれないのかという根本的な疑問に突き当たる」

 とはいえ、無批判なカストロ体制礼賛の書ではない。

  無性にキューバに行きたくなった。


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