書評:三好円『バクチと自治体』(集英社新書、2009年)

西川伸一『プランB』第24号(2009年12月)57頁。

 私の住む東京都府中市には東京競馬場がある。娘たちが通う市立小学校の体育館の緞帳を寄贈したのは東京競馬場である。体育館にはじめて入った時、緞帳の横に「寄贈 東京競馬場」という文字をみてちょっとびっくりした。
 バクチというと眉をひそめられるが、競輪も競艇もれっきとした公営競技である。これらに地方競馬とオートレースを加えた4競技は自治体が「胴元」になり、その収益金は社会福祉の増進に役立てられる。駅前の駐輪場も胃がん検診車も、ファンからの「浄財」で整備されているのだ(東京競馬場などで開催される中央競馬は、主催者が特殊法人のJRA日本中央競馬会なので公営競技には入らない)。
 ところが、現在この公営競技が危機に瀕している。売り上げがピーク時の半分以下に激減し、赤字の穴埋めに税金がつぎ込まれている。これでは納税者の理解が得られないので、公営競技から手を引く自治体が後を絶たない。かつては競輪を3日開催すれば小学校が建つといわれたが、もはや公営競技は自治体財政の完全なお荷物に転落している。
 本書は、公営競技の過去の栄光と現在の惨状をコントラスト鮮やかに描いている。
 戦後復興の切り札として「発明」された公営競技の中で、最初にその王座についたのは、競輪であった。1950年代から70年代はじめまで、競輪は中央競馬を含めても売上額のトップに君臨していた。50年前後には、新たな財源確保をもくろむ自治体が相次いで競輪事業に乗り出した。
 競輪は馬やボート、オートバイと違って、選手さえ集めればよく、新規参入が容易であった。本書にはいまはなき後楽園競輪場の50年代の写真が掲載されている(84頁)。超満員のスタンドをみると、競輪は当時の娯楽の主役であったことがわかる。
 それが競艇に抜かれ、中央競馬にも抜かれる。中央競馬にとっての天佑は、ハイセイコーの登場だった。これをきっかけに、競馬場は目が血走ったオヤジどもの鉄火場から、家族連れで行けるレジャースポットへとイメージを一新した。その後もスター競走馬の出現が続き、90年代には中央競馬の売り上げは、公営競技のそれをはるかにしのいでいく。
 健全な娯楽としての市民権を獲得した中央競馬に比べて、公営競技は負のイメージを払拭できなかった。主催する自治体にしても、バクチの胴元をしているという負い目から、積極的に市民権獲得に動くことはなかった。その結果、公営競技はファンの世代交代に失敗した。ファンの高齢化が進む一方で、娯楽は多様化している。
 最後に、筆者は「公営ギャンブルはその役割を終えた」と断じる。公営競技の開催自体が、自治体にとってリスクを賭けたギャンブルになっているのだ。そこで、筆者が提案するのが公営競技の民営化である。それぞれの自治体が別個に競技を運営するのではなく、JRA方式に運営を改めれば生き残る可能性はあるという。
 確かに、低所得者層からテラ銭を巻き上げ、社会福祉事業を行うのは不健全な発想かもしれない。それゆえに、清潔を掲げた美濃部知事の下、東京都は公営競技から撤退した。後楽園競輪も廃止された。しかし、車券が当たったときのあの爽快感といったら。私は競輪の「自然死」を見届けたいと思っている。


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