巻頭言・映画がはじまる 西川伸一『Beyond the State』第10号(2009年3月)6-11頁 映画をみることがわりあい好きである。 「昭和24、25年映画が娯楽のトップだったと言える時代で、評判の封切なら、満員で肩を擦り合わせながら3時間立ち通しなどということも珍しくなかった頃である。それが、宅調の日なら朝から時間が使える、第1ラウンドを初めから見られるというわけだ。「青い山脈」「野良犬」「帰郷」「羅生門」……その頃の名作をいくつかそうして見た。」倉田卓次〔1987〕『裁判官の戦後史』筑摩書房、229頁。ある裁判官は宅調日にゴルフにいって、それを今風にいえば「フォーカス」されて大問題になった。1976年12月8日の出来事である。この「宅調日ゴルフ問題」を奇貨として、最高裁は裁判官の休暇制度を締め上げたのである。現在では、宅調日をとる裁判官は減っている。「うちで遊んでいる」と人事評価されるかもしれないという不安が頭をよぎるからだ。 裁判官が宅調日に映画をみようが、ゴルフをしようがかまわないと、わたし自身は考える。土日返上で起案に追われる裁判官は数知れない。その代休とみなせばよい。気分をリフレッシュさせて、仕事に取り組むためにも宅調日をおおいに活用してほしい。 さて、わたしはゴルフはしないが、授業や会議のないウィークデーの午前中、たまに映画館に足を運ぶ。今年度は水・木がわたしのいわば宅調日だった。もちろん、朝の第1回目はすいている。倉田が述懐している気分に浸ることができる。 ただ、困るのはおばさんたちだ。彼女たちはひとりでは来ない。何人かで連れ立って来場し、開演前の静寂の時間もおしゃべりに余念がない。よくまあ話題が尽きないものだ。真冬に『母べえ』(2007年)をTOHOシネマズ府中にみにいったとき、彼女たちは上映前のわたしの宝の時間をしたたかに葬ってくれた。 おやじの傍若無人な態度にも閉口させられる。飲食禁止にもかかわらず、スナック菓子をぼりぼり食べながら鑑賞する輩。首をしめたくなる衝動を必死でこらえるが、その分映画に集中できず、鑑賞が台無しになる。春先に『ぜんぶフィデルのせい』(2006年)というフランス映画を恵比寿ガーデンプレイスでみたとき、この被害にあった。ぜんぶこのおやじのせいだ! 昨年は、チャップリンに久しぶりにスクリーンで再会できたことがなによりうれしかった。チャップリンの長編作品はほぼすべてビデオでもっているが、やはり映画館でみる魅力は比較にならない。チャップリンを満喫した。なかでも『街の灯』(1931年)を角川シネマ新宿でみたあと、涙が止まらずに往生した。 「映画はやはりフィルムです。ビデオとはまったく質感がちがう。暗がりで見るスクリーンの美男美女に惹きこまれる。それにお客さんが大勢入ると、見知らぬ同士が一緒に泣いたり笑ったりして、映画は2倍も3倍も面白くなるんです。」阿奈井文彦〔2006〕『名画座時代』岩波書店、149-150頁。年末には、下北沢のTOLLYWOODという小さな映画館で『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』(2007年)をみた。若松孝二監督渾身の190分の大作である。同志に集団で殴る蹴るの狼藉を加えることが、その同志が革命戦士に成長するためになるとして、正当化される。これを「総括」とよんだ。論理のもつ狂気に打ちのめされた。 今年も映画館ですばらしい映画に出会いたい。願わくは、開演前の至福の時間を邪魔されずに、「宅調日」を召し上げられないことを。万一、映画館でわたしを見つけても、写メールで撮らないようにね。 2009年1月14日の「宅調日」に。 |