「2002年に読んだ本」

   西川伸一  * 『QUEST』第23号(2003年1月)掲載

●池本美郎『異議あり!日本の裁判』(五月書房、2002年)

「法廷では証拠が公平に評価され真相が可能な限り解明され、適正な結論がくだされていると思ったら大きな間違いだ。それは幻想に過ぎない。」

 本書の筆者はヤメ検弁護士。その事件簿をつづった本書は日本の裁判のゆがみを告発する。その根本原因は、裁判官の「証拠評価に対する科学的思考能力」の欠如にあるという。

 たとえば、被告人の強要された自白をうのみにして、ラーメン店で仲良く飲食した間柄に強姦罪を成立させてしまう、また、ホテル室内での証拠写真では二人とも服を着ていたからといって、そこに性行為はなかったと理屈づける。

 これら具体例の紹介のなかで衝撃的だったのは、強制採尿という人権無視の捜査方法を最高裁が正当化していることである。

 強制採尿とは覚せい剤事件などの捜査に際して、令状に基づき強制的に被疑者の尿を採取することをいう。すなわち、医師の医療行為として男性の場合は陰茎の先からカテーテルを挿入し膀胱内から尿を採取するのである。想像しただけで背筋が凍る。

 また、筆者が「大量に買えば安くなる」として収入印紙の安売りを求めてかけずり回る姿には笑ってしまう。乱訴防止のため、損害賠償請求額の約0・5%分の収入印紙を訴状に貼付しなければならない。筆者が担当した訴訟の印紙額は約2000万円。結局値引き購入はならず(当たり前だ)、訴状には10万円の印紙が200枚も貼られ「壮観」を呈した。

 ただ、筆者が検察官時代の経験から「虚偽自白は絶無か絶無に近いという私の信念は揺るがない」としている点には疑問を抱かざるを得ない。それでは数々のえん罪の説明がつかないではないか。

●鈴木健夫『痴漢犯人生産システム』(太田出版、2001年)

 「痴漢は犯罪です!」―駅のポスターをみながら、朝の通勤電車に乗る。〈今日も混んでるなあ〉乗換駅に着く。駅のホームに降りた瞬間、うしろから女性の声で「この人、痴漢です!」〈えっ、やってない!〉やがて駅員が駆けつけてくる。「駅の事務室で事情をききますから」〈話せばわかるだろう〉・・。

 こうして駅事務室に入った瞬間、もうアウトである。筆者のいう「痴漢犯人生産システム」にはまってしまったのだ。駅員の仕事は、痴漢といわれた人を逃がさないこと。やがて警官が到着する。「やっていないのなら尚更、署でハッキリさせたほうがいい」―この言葉につられて、「任意同行」されたら最後、痴漢を「自白」するまで帰してもらえない。

 痴漢では被害者の訴えと加害者の自白がすべて。警官の評価は検挙件数の多寡で決まる。そこで彼らは躍起になって「自白」へと誘導する。

 迷惑防止条例違反の犯人として5万円を払えば出ることができる。しかし、前科が残る。一方、信念を曲げなければ、勾留、勾留延長と手続きがとられ、最長で23日間は帰れない。そして起訴。無罪になる確立は0.4%にすぎない。よほど図太い神経がなければ、「5万円」のささやきに屈してしまうだろう。

 筆者は「1年9か月の時間をかけ、地位も収入も失って」この信念をめぐる闘いに勝った。いまは「日雇いの建設現場労働者として、家族を支えている」という。「もし、痴漢に間違えられたら、今までの人生は確実に終わってしまいます」とも。男性専用車両をつくれと叫びたくなる。

●雨宮処凛(あまみや・かりん)『アトピーの女王』(太田出版、2002年)

 太田出版の本が続くがお許しを。

 さて、アトピー性皮膚炎。「アトピー」とは「不思議な」「奇妙な」という意味のギリシア語。つまり「ワケのわからない皮膚病」という意味だ。原因不明だから、治療法も対処療法しかない。塗布薬としてステロイド外用薬がよく知られている。

 本書は、筆者の1歳から27歳の今日に至るまでの闘病記録である。たかが皮膚病と侮ってはいけない。激しい痒み―「それは表面ではなく、皮膚の下1ミリくらいが猛烈に痒いのだ。よって、思い切り爪を立てて掻きむしり、気がついたら血だらけになっている」

 痒みで眠れない、常に薬を意識しなければならない、食事や行動、さらには職業選択も制限される、などアトピーは「抑圧の病気」なのである。

 さらに患者たちは「アトピービジネス」に右往左往させられる。1980年代から1990年代はじめにかけて、ステロイドの副作用情報が過度に強調され、ステロイドは「悪魔の薬」とさえよばれる。患者たちは、水療法、厳格食事療法などアヤシゲな民間療法に走る。

 しかし、ステロイドを急にやめるとリバウンドが来る。抑えられていた症状が一気に吹き出し、皮膚は「交通事故に遭った直後」のようになる。ところがアトピービジネス側は、「ステロイドの毒を出し切っているのだ」と巧みに言い抜ける。

 原因がわからないため根治の決め手はない。それがアトピービジネスにつけいるスキを与える。その売り上げは兆単位だ。筆者も治療法に翻弄され、結局「何をやっても無駄」という学習性無力感を学習しただけだったというから心が痛む。

 巻末の筆者近影。顔も手も包帯でぐるぐる巻き。その間に目と口だけが覗いている。


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