『BEYOND THE STATE』創刊宣言

   西川伸一  * 西川ゼミ機関誌『Beyond the State』第1号(1998年)「巻頭言」

 ぼくのゼミナールは1993年度からはじまり、今年度の4年生で第4期生となる。すでに25名の若い人たちがぼくの前を通り過ぎていった。そして、新たに8名が卒業しようとしている。あわせて33名の彼ら彼女らに、ぼくはなにをしてあげられたかを考えると、まったく忸怩たる思いがする。議論をうまくまとめられなかったり、学生の問いに的確に答えられなかったり。満足のいくゼミができ、爽快な気分で研究室に戻ったことは、実は数えるくらいしかない。

 あるいは就職シーズンになると、「面接で国家論についてきかれて困りました」と必ずゼミ員にこぼされる。これがけっこうつらい。ぼくとしては、現代国家に関する理論的・実体的研究、ないしは現代国家をめぐる政治経済学ととらえているつもりだ。しかし、それがゼミの場で十分解説できていない証拠なのだろう。

 その反面、ぼく自身はゼミ員から大いに刺激を受け、視野も広がったと感じている。ここだけの話だが、ゼミ員のレジメを「カンニング」してちゃっかり講義ノートをつくったこともある。あるいは、ゼミで輪読した本から研究のテーマを見つけ、論文にまとめることもできた。

 というわけで、これまでのぼくのゼミをバランスシートにしてみると、むしろぼくはこれまでのゼミ員に「借り」がある、ということになりそうだ。この「借り」は、これから入ってくるであろう5期生以降の後輩たちに、利子を付けて返すということで、お許し願いたい。

 さて、言い訳が長くなったが、『BEYOND THE STATE』である。かねてよりゼミ員の間からゼミ誌作成の要望が出されていたが、これまでは意思の統一ができず、実現にこぎ着けられなかった。2期生がコピーと簡易製本で卒論をとじたことがあっただけである。(彼らの努力に報いて、この卒論集を『BEYOND THE STATE』準備号としたい。)開講5年目にしてゼミ員の意見がまとまり、発刊の運びとなった。

 この『BEYOND THE STATE』というタイトルは、研究室でのゼミ員との雑談の中で生まれたもので、特に深い意味はない。しかし、21世紀を目前に控えた現在、「国家を超えて」は適切なネーミングだと気に入っている。「国家」という中規模な政治単位は、グローバルな「超国家」とミクロな「地域社会」に挟撃され、その存在は急速に時代遅れになりつつある。「国益」に代わって「地球益」、「国民」に代わって「地球市民」という言い方が盛んに使われはじめている。一方で、「生活者」という言葉も最近のものだ。

 では、「国家論」も時代遅れなのか。なるほど、そういう見方も成り立つだろう。が、「国家」というまとまりが劣化し老化するさまを見届けるのも「国家論」なのだ、と開き直ってみたい気もする。『BEYOND THE STATE』はその意味でうってつけのタイトルといえる。そして、「国家」の劣化を扱った卒論が、この創刊号も含めて数多く掲載されることを期待したい。

 最後に、この『BEYOND THE STATE』が数号限りにならず末永く発刊され、ゼミナール活動充実の一助になることを心から願ってやまない。本誌がゼミ員各自の学生時代の存在証明になることを祈っている。

1998年1月12日 雪の日に


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