第2倉庫特別格納室 京劇「三国志」

97,5,19 98,4,17改


虎牢関(ころうかん。関所の名前)

 董卓(とうたく)征伐を目指す曹操(そうそう)は、劉備・関羽・張羽の協力を得た。対する董卓軍の総大将は呂布(りょふ)。呂布は愛馬の赤兎馬(せきとば。後に関羽の乗馬となる)を駆って勇戦を繰り広げる。


小宴(しょうえん。小さな宴会)

 司徒・王允(おういん)は、董卓(とうたく)の暴虐を憂え、彼を暗殺しようと考えた。しかし、董卓には呂布という最強のボディガードがいた。そこで王允は、まず二人の仲を裂くため、絶世の美女・貂蝉(ちょうせん)を使った計略を立てた。呂布は王允の屋敷に招かれ、そこで 貂蝉に会い、一目惚れしてしまう。それはすべて、王允が仕組んだ計略であった。


轅門射戟(えんもんしゃげき。陣地の門にかけたホコを遠くから矢で射る)

 『三国志』版「ウィリアム・テル」。エン術(エンは「猿」からけもの偏を取った右半分)は、劉備(りゅう・び)を挟み討ちにするため、大将の紀霊(き・れい)を呂布(りょ・ふ)の陣営に派遣し、協力を要請した。劉備もまた、救援を求めて呂布の陣営にやって来た。
 呂布は、自分の陣営で宴席をもうけ、両者の和解をお膳立てした。しかし、紀霊は和解を拒否した。呂布は、はるか離れた陣営の門に一本の戟(げき。ホコに似た武具)をかけさせ「これからあの戟を射る。もし矢が命中したら、俺の腕前に免じて和解しろ」と言った。紀霊は、まさかあれほど遠距離の的に矢を命中させることなど出来まいと、たかをくくり、その賭けに乗った。呂布は、矢を見事に命中させた。


金鎖陣(きんさじん。布陣の仕方の名前)

 曹操(そうそう)の命令を受けた曹仁(そうじん)は、劉備(りゅうび)軍に対して「八門金鎖陣」を敷く。劉備の軍師・徐庶(じょしょ)は、その陣地の攻略方法を、張飛(ちょうひ)と趙雲(ちょううん)に伝授する。二人は見事に敵陣を粉砕する。


鳳凰二喬(ほうおうにきょう。鳳凰のように気高い喬家の美人姉妹)

 孫権の兄・孫策(そんさく)と、その親友で臣下でもある周瑜(しゅうゆ)は、貴族である喬玄(きょうげん)の二人の娘、喬[青見](きょうせい)と喬婉(きょうえん)と武芸の腕前を競い、見事に勝ち、それぞれの相手と結婚する。のち「赤壁の戦い」の遠因ともなる二対の夫婦の誕生である。


甘露寺(かんろじ)

 『三国志』の一節。劉備(りゅう・び)と呉の孫権が同盟を結んで、「赤壁(せきへき)の戦い」で曹操軍を撃退したあとの話。
 劉備と孫権は、それぞれ天下を狙う英雄どうし。「共通の敵」の脅威が消えると、二人の関係もぎくしゃくしはじめた。劉備は、天下の要衝である荊州(けいしゅう)の地を占領したまま、孫権の要請を拒否してこの地を呉に返還しなかった。
 孫権は、今はまだ劉備と武力で争うときではない、と考え、家来の周瑜(しゅう・ゆ)と「美人の計」という陰謀をかんがえた。孫権は劉備に手紙を送り「われわれの同盟関係を強固にするため、自分の妹・孫尚香と結婚してほしい」と申し出た。劉備が呉にやって来たら、捕まえてしまう算段だ。
 劉備の参謀・諸葛孔明は、孫権の陰謀を見破り、その裏をかく作戦を立てた。呉の中でも、周瑜の妻の父である喬玄(きょう・げん)は、親劉備派である。劉備らは喬玄を通じて、孫権の母・呉氏に真相を訴えた。呉氏にとって、この陰謀は寝耳に水だった。彼女は息子のもとに駆け付け「妹を餌にするとは、それでも男か」と激怒する。その脇から喬玄も「劉備こそ真の英雄、このさい嘘を転じて真となし、彼との同盟を強固にすることこそ呉の国益です」と説得する。もともとマザコンぎみの孫権は、左右からステレオで老人の繰り言攻撃を受け、苦悩する。
 やがて、約束どおり劉備がやって来て、甘露寺で会見が行われた。呉氏は一目で劉備を気に入り、喬玄は相変わらず劉備の肩を持ったので、孫権は気分をそこねて中座した。そしてひそかに呉の軍を率いて、会見場である甘露寺を包囲させたのだった。
 各人が思惑の違いをうたい分ける「うた」が聞きどころの、ユーモラスな芝居。


喪巴丘(そうはきゅう。巴丘に死す)

 『三国志』の物語。赤壁(せきへき)の戦いのあと、劉備(りゅうび)と呉(ご)の同盟関係は、微妙になってきた。呉の魯粛(ろしゅく)は、劉備に荊州(けいしゅう)の割譲を求めた。諸葛孔明(しょかつこうめい)は巧みに論陣を張り、劉備が蜀(しょく)の国を手に入れたら呉に荊州を返還することを約束した。
 魯粛の報告を聞いた周瑜(しゅうゆ)は、陰謀をめぐらした。劉備のかわりに蜀を攻めとってやる、だから荊州を通過させてくれ、と嘘をついて呉の軍隊を荊州に入れ、荊州を占領してしまおう、と周瑜は考えた。
 諸葛孔明は周瑜の陰謀を見抜いた。孔明は、自分の裏をかこうとした周瑜のさらに裏をかいて、呉軍を奇襲し、撃退した。孔明はさらに駄目押しで、手紙を書いて周瑜をからかったので、周瑜は屈辱と怒りのあまり死んでしまった。


戦宛城(せんえんじょう。宛城で戦う)

 『三国志』の物語。曹操(そうそう)は宛城を攻めた。張繍(ちょうしゅう)は降伏した。
   張繍のおば・鄒氏(すうし)は美人だった。曹操は、おいの安民にそそのかされ、彼女を自分のものにした。張繍は激怒したが、勇将の典韋(てんい)が曹操の護衛をしていたので、手が出せなかった。そこで張繍は、まず典韋の武器を盗ませたあと、曹操を急襲した。典韋は、日本の弁慶(べんけい)ばりの壮烈な戦死をとげ、曹操は命からがら逃げだした。
 張繍は、曹操に身をまかせた鄒氏を殺した。


蘆花蕩(ろかとう。水辺の土地の名前)

 『三国志』の物語。張飛(ちょうひ)は、諸葛孔明(しょかつこうめい)の指令を受け、漁師に変装して、蘆花蕩の地にかくれていた。そこへ、孔明のライバルである呉(ご)の周瑜(しゅうゆ)が、軍隊を率いてやってきた。張飛は不意をついて、周瑜の軍を破った。
 周瑜は、また孔明にしてやられた、と怒りのあまり血を吐いた。


古城会(こじょうかい。古城で再会する)

 『三国志』の物語。関羽(かんう)は曹操(そうそう)のもとを離れ、劉備(りゅうび)のところに帰ろうとした。古城で張飛(ちょうひ)に会ったが、張飛は、関羽が曹操側に寝返ったのではないかと疑った。
 そこへ曹操の手下の蔡陽(さいよう)が軍を率いてやってきたので、張飛はますます疑った。関羽は蔡陽を斬り、疑いを晴らした。


戦馬超(せんばちょう。馬超を戦わせる)

 『三国志』の物語。張魯(ちょうろ)のもとに身を寄せていた馬超は、劉備(りゅうび)を牽制するよう命じられる。劉備は城のうえから馬超の戦いぶりを見て、その腕前に惚れ込み、みずから城を出て馬超に部下なるよう頼んだ。


撃鼓罵曹(げきこばそう。太鼓をたたきながら曹操をののしる)

 禰衡(ねいこう)は毒舌家だったが、実は正義の心を持つ青年だった。
 孔融(こうゆう)は曹操に、禰衡をなかなかの人物であるとして推薦した。曹操は禰衡に会ってみたものの、礼遇しなかった。禰衡もまた、曹操の野望を嫌い、曹操に対してわざと傲慢な態度をとった。
 曹操は禰衡に恥をかかせてやろうと思い、元旦の宴会の席で、禰衡に太鼓をたたかせた。が、禰衡は意外に見事な手さばきで太鼓をうち、かえって曹操を風刺する歌をうたい、やりこめてしまった。禰衡を持て余した曹操は、彼を使者として劉表(りゅうひょう)のもとに派遣し、厄介払いした。


空城計(くうじょうのけい。わざと敵に無防備さを見せる作戦)

 諸葛孔明の部下・馬謖(ばしょく)は、孔明の命令に違反して独断専行したため、名将・司馬仲達ひきいる魏(ぎ)軍に大敗してしまう。司馬仲達は、今こそ孔明を倒す千載一遇の機会、とばかり、全軍をあげて、がらあきになった孔明の本陣に襲いかかる。
 孔明の本陣には、年寄りの残兵若干がいるに過ぎない。そこで孔明は、わざと城門を開けさせ、自分自身、城門の上にのぼり、琴をかなで、無防備のまま魏軍を迎えた。
 今までさんざん孔明の奇計に苦杯をなめてきた司馬仲達は、あまりにも無防備な城を見て、城内に孔明の罠が仕掛けてあるに相違ない、と危惧し、撤退を決意する。
 孔明の巧みな心理作戦の勝利。「うた」が聞きどころの芝居。


[第2倉庫]に戻る