一般に「悪女」の代表のように言われる清末の烈女・西太后。しかし、彼女の行なったさまざまな政治判断により、清国が領土の大半を保持し、それを現代中国に伝えることに成功したかということは、あまり知られていません。『西太后』は、気鋭の中国文化研究者が描く、異色の人物伝です。 |
内憂外患にあえぐ落日の清朝にあって、ひときわ強い輝きを放った一代の女傑、西太后。わが子同治帝、甥の光緒帝の「帝母」として国政を左右し、死に際してなお、幼い溥儀を皇太子に指名した。その治世は半世紀もの長きにわたる。中級官僚の家に生まれ、十八歳で後宮に入った娘は、いかにしてカリスマ的支配を確立するに至ったか。男性権力者とは異なる、彼女の野望の本質とは何か。「稀代の悪女」のイメージを覆す力作評伝。 新書判 296ページ 定価840円(本体800円) ISBN4-12-101812-5 C1222 |
![]() |
![]() |
西太后の出生地と目される 辟才胡同(北京市・西単)の現在 ![]() |
故宮・西華門内 西太后関係の一次史料の宝庫 ![]() |
福永嫮生(ふくなが・こせい)「忘れがたき、あのときの周恩来総理の言葉」(月刊『中央公論』2012年12月号,p131)より引用。(引用開始) 一同をお招きくださった食事会では、伯父のラストエンペラーに対して、「満州国は認めないけれど、清朝は歴史上存在するものだから、宣統帝としては認める」とまず最初におっしゃいました。そのとき西太后について、「悪政を布(し)いたと言われるけれど、美味しい中華料理のレシピを世界中に広めたことと、頤和園(いわえん)(西太后が巨額の海軍費を流用して再建した)を造営した功績は大きい」と話されたことも思い出します。お金を軍艦に使ったら沈んで終わりだったけれど、庭園に石の船を造ったことで、いま人民が自由に憩うことができる、そういう面で評価している――と。色々な見方があるんでございますね、若かった私はちょっとびっくりいたしました。(引用終了) |