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怪力乱神かいりきらんしん
中央公論新社
2007年8月10日刊
単行本 四六判 312ページ

定価 税込1890円(本体1800円)
ISBN978-4-12-003857-0 C0095

書評   まえがき   目次





書 評


 12月12日(水)『聖教新聞』読書欄(7面)
「古代の中国人の奔放な想像力」
抜粋「他にも、飛行する機械の逸話や、地動説に通じる宇宙論など、古代の中国人の奔放な想像力を窺うことができて愉(たの)しい。」 「古典案内も兼ねた刺激的な中国入門の書。(村)」

 9月30日(日)『日本経済新聞』読書欄(22面)
「中国古来の怪異話 楽しく紹介」
抜粋「著者が採集した中国古来の怪異な物語は、無類の面白さで読む者を飽きさせない。」 (『列子』の心臓交換移植手術の話について)「そこには身体とアイデンティティーをめぐる、現代的ですらある問題も見てとれて興味深い。」 「エロチックできわどい話題も多いが、とぼけたユーモアで上品にまとめている。」

 『週刊現代』2007年10月6日号,pp.166-167「リレー読書日記」
評者・山之口洋氏(小説家)
「今回の3冊」のうちの一冊として取り上げていただきました。
抜粋「殉死や、首狩り、食人といった、現代人が目を背けたくなる習俗もあるし、野蛮な迷信としか思えない信念もある。 だがそれらを通して見えてくるのは、人知を超えた大自然と向き合っていた古代人たちの考え方や世界観であり、 人間が本来持っているはずの想像力の豊かさである。」

2007年9月2日(日)東京新聞
 12月12日(水)『聖教新聞』第7面・読書欄
「古代の中国人の奔放な想像力」
評者・「(村)」
抜粋「」「他にも、飛行する機械の逸話や、地動説に通じる宇宙論など、古代の中国人の奔放な想像力を窺うことができて愉(たの)しい。/古典案内も兼ねた刺激的な中国入門の書。」

 9月2日(日)『東京新聞』・『中日新聞』読書欄
「古代の怪異・荒唐な空想力」
評者・瀬川千秋氏(翻訳家)
抜粋「該博な知識を傾け、時に寄り道しながら、古代中国人の精神の基層にまで分け入っていく過程は、知的刺激に満ちて実に楽しい。」「そこには、中国といわず日本といわず、現代人が忘れてしまった命や魂、自然に対する畏敬の念が、狂おしいほどに渦巻いている。」
全文はこちらをクリック(Chunichi Book Web)。

 8月18日「SankeiWEB・本のプロ
「現代に反省促す古代の叡智」
中央公論新社書籍第1部 宇和川準一氏
抜粋「読者は本書に次々と繰り出される中国古典の原文と読み下し文を精読しながら、怪力乱神の世界へと導かれてゆく。」「西洋や日本の幻想文学と関連づけながら紹介してくれる著者の博識ぶりも楽しい。」
全文はこちらをクリック(SankeiWEB・本のプロ)。





まえがき



──怪力乱神かいりきらんしんを語らず。
 あまりにも有名な『論語ろんご』(述而じゅつじ第七)の一文である。通説では「怪・力・乱・神」と四つに切るが、「怪力と乱神」の二つに切る説もある。また「かいりょくらんしん」とも読む。
 怪は、怪異。ミステリー。妖怪。奇譚。反対の概念は「常」。
 力は、暴力。バイオレンス。血なまぐさい話。反対の概念は「徳」。
 乱は、悖乱はいらん。反逆。乱倫。エログロ。反対の概念は「治」。
 神は、神秘。超常現象。オカルト。魔法。反対の概念は「人」。
 どれも一般大衆が飛びつきそうな話題だが、「子」(先生)すなわち孔子こうしは、怪力乱神を口にしなかった。とはいえ、
「なお孔子が正式に語らなかったのは、塾での講義のときで、日常の会話ではけっこう怪力乱神を語ったでしょう」(陳舜臣『論語抄』)
 という意見もある。たしかに、彼を近代的な合理主義者として買いかぶるのは、贔屓ひいきの引き倒しというものだろう。一例をあげると『論語』(子罕しかん第九)には、
──子いわく「鳳鳥ほうちょう至らず、ださず。われんぬるかな」と。
という文もある。
 古代中国の伝説では、聖天子が出現する前には、鳳凰がどこからともなく飛んできたり、黄河から神秘的な図版「河図かと」が出現するなどの瑞兆ずいちょうがあると信じられた。孔子は、世が乱れたままで改善する兆候がいっこうにないので「私もおしまいだね」と嘆息したのである。言葉の綾もあろうが、鳳凰も河図も、現代人の感覚では「怪」であり「神」である。
 また孔子は、人智を越えた「天命」も信じていた。
 そもそも孔子は、両親が「野合」した結果生まれた子で、背丈が九尺六寸もある大男であった。孔子を含め、初期の儒家じゅかの本業は葬祭であった。『礼記らいき』などでは、孔子は人間の死後の魂魄こんぱくの行方についても語っている。孔子自身にも、怪力乱神のにおいがある。それは彼の欠点ではなく魅力なのだが、これについては本文で触れることになるだろう。

                

 そもそも「怪」の本質とは何か。


 今から三千年ほど前の漢語(中国語)では、「カイ」や「キ」という語は「まるいもの」を意味した(厳密には音標記号で復元音を表記すべきだが、便宜的に、ここでは日本漢字音で代用しておく)。
」は、大きなまるい頭をして足もとの定かではない亡霊の姿を写した象形文字。「カイ」は、大きなまるい頭。「カイ」は、まるいかたまり。「カイ」は、まるくまわること。
「怪」という字も、「又(手)」「土」「忄(心)」と書くとおり、原義は「手で丸めた土のかたまりを見たときに胸にわきおこる気持ち」であった。
 なお、ぼんやりとまるくまとまる意の「コン」や、まるい鬼火をあらわす「コン」は、カイの語尾が弱まって「ン」に転じたもので、やはり同系の語である。
 以上は筆者の憶測ではなく、藤堂明保博士の字源説(藤堂説)による。まるい穴ないし「うずまき」を表す「カ」(渦、禍、過、蝸、窩、媧、鍋・・・・・・)も、カイと近縁である。
 古代中国人は、大自然の基本形は円球であると洞察していた。漢文でも、自然状態のカオスを「渾沌こんとん」と称し、造物者としての自然を「大塊たいかい」と呼んだ。
 人類が大自然に対していだく原初的な恐怖心。それが「怪」の本質であった。
 ヒトを含む大自然をはぐくむ「大塊」。ヒトの心の奥底に渾沌としてひそむ「魂」。星々や四季の周「回」。大自然の容赦ない摂理により死後おぞましい姿に変わり果てた「鬼」。それらはいずれも、古代人の前に「怪」として立ち現れた。
 怪力乱神の話は、私たちの内なる自然、すなわち本能をゾクゾクと刺激する蠱惑こわく的な面白さに満ちている。

                

 人には他の動物にはない特別な能力がある。「想像力」である。過去数万年のあいだ、人は豊かな想像力を発揮して、文化や文明を作り出してきた。人類史のなかでも、古代人の想像力は、とりわけ柔軟で面白い。私たち現代人から見ても、古代の宗教や文学、芸術、哲学、思想などは、不滅の魅力をもっている。
 孔子が正面きって語ることを避けた怪力乱神の世界も、見方を変えれば、豊かな発想の宝庫である。むしろ怪力乱神のほうが、公式のたてまえに束縛されなかったぶん、かえって自由奔放な思考が躍動している。
 本書では、古代中国を中心に、他国や他の時代の事例も比較参考にしつつ、人間の心の奥底にドロドロとうごめく怪力乱神に光を当てることにする。



目 次


まえがき



第1章 人体の迷宮
夢という闇  髪を振り乱す幽鬼  病膏肓に入る  殉死させられた小者  夢中またその夢を占う  斯の人にして斯の疾有ること  詩讖  肉食民族  五臓六腑  陰陽五行思想  分類マニア  青色人種はいたか  内臓にも東西南北がある  三千年前のアンドロイド  バアとカア  魂と魄  肝脳を絞る  意識の座はどこに  記憶する心臓  再生人間

第2章 霊と肉の痛み
割腹自殺  弘演の殉死  身体髪膚は之を父母に受く  慧可断臂  「首狩り」の虚実  招魂儀礼の方法  軒下の人頭  自分の首を差し出す  首なし騎士の系譜   鍼と灸  生体解剖刑  王莽と安禄山  寄生虫を吐き出す  死体を求めて  摘出された異物  生かされ続ける病巣  怪談になりそこねた吸血亀

第3章 変身と幻獣
変身の恐怖  人が虎になる時  存在の連鎖  蝙蝠  穴の数  さまよえる瑞獣  人魚  七十二候と変身  荘子の隠し絵  血気は風雨なり  鳥形霊  宇宙人あらわる?  ホトトギスの怪  帰るに如かず  杜鵑と杜甫  西の霊性  精衛填海  ロボット博士と魯迅  天帝少女  ウブメ  白鳥処女

第4章 性と復活の秘儀
幽冥界への出入り口  少女の柔肌  孔子と色  野合  周公夫人  母胎回帰願望  谷間のエロス  墓の起源  厚葬の代償  棺内分娩  始皇帝陵の謎  地底の太陽

第5章 宇宙に吹く風
天人相関説  循環する自然  弦楽器の不思議  律暦という発想  音楽の本質  死刑は秋に  茄子の味  亡国の音楽  魔法の効用  杞憂  宇宙の終焉  星空のむこう  大地は動く  エラトステネス  白夜と赤道  天地のサイズ  崑崙山の伝説  飛行機械の夢

あとがき

主要参考文献


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