目 次

1旅立ち  2張雄(ちょうゆう)  3司馬仲達(しばちゅうたつ)
4白い手巾(しゅきん)  5暴風  6倭人の世界(クヌガ)  7出雲
8土蜘蛛(ツチグモ)  9酋長サルヒコ  10不知火(しらぬい)
11山の魔導師(ノロヒノリ)  12内海(ウツミ)  13山所(ヤマト)
14根の国  15闇の対話  16常世(トコヨ)の山  17岩屋
18黒い日  19床石上(トコシナヘ)の約束(チギリ)  20あとがき(下に転記)



あとがき

 「邪馬台国」の時代を扱った時代小説は多くありません。本書のように「邪馬台国」直後の時代を取りあげた小説となれば、なおさらです。
 なぜでしょうか。わたくしは、二つの理由があると思います。
 理由の一つは、この時代が「青年期の謎」に満ちていることです。
 人間を絵なり小説なりで描く場合、子供や老人は、描くのが比較的簡単です。描きにくいのは青年です。青年とは、自分さがしの旅の途中にある未完成の人間のことです。その不安定で複雑な内面を描くのは、容易ではありません。
 歴史を人の一生になぞらえてよいなら、ある民族が神話時代から有史に入りかける過渡期は、青年期にたとえられましょう。人は青年期において、性に目覚め、自分がいつか死すべきことを自覚し、親との葛藤に悩みます。ここで「親」を「神」という語に置き換えれば、これはそのまま古代文学のテーマになります。「ギルガメシュ叙事詩」も「詩経」も「旧約聖書」も「古事記」も、それぞれの民族の文学の最古層は、こうした「青年の苦悩」に満ちています。
 日本史において最も謎に富んでいるのも、この時代です。邪馬台国の所在も謎ですが、当時の人が何を考え、何を悩んでいたかは、さらに大きな謎です。
 古代という時代は、こうした「青年期の謎」ゆえにこそ、小説として書きにくく、また、人の心を引きつけてやまぬ魅力を湛えているのではないでしょうか。

 この時代の小説化が難しいもう一つの理由は、「カミ」ということです。
 カミとは何か。宗教学者の説明とは別に、わたくしは次のように考えています。
 たった一人の「あなた」が生まれるために、一体、何人の人間が必要だったか。両親は二人、祖父母は四人、曾祖父母は八人、……と、先祖の数は一世代ごとに二倍になります。単純計算を続ければ、十世代前で千人以上、二十世代前で百万人の大台に乗り、二十七世代前で一億人を越えます。一世代の平均間隔は二十数年にすぎないので、本書があつかう千七百年前までさかのぼれば、「あなた」の祖先の数は、一億人の一億倍の、そのまた一億倍という膨大な数になります。
 もし、その膨大な男女の組み合わせのうち、ただ一組でも、恋愛をためらい、子孫を生むための営みを怠っていたら、今の「あなた」は存在できなかったでしょう。
 むろん、当時そんな膨大な人間が生きていたわけはありません。逆に言えば、その頃生きていた祖先は、現代の我々から見て、一人あたりとてつもない存在感をもつとも言えるのです。
 そのような重い存在感を持つ祖先のことを、昔の人は「カミ」と呼びました。そして、カミは生前、人として悩み苦しみぬいたがゆえにこそ現世の人間を救済する霊力を持つ、と信じられていました。

  風奮(ちはや)ぶる神、神にましますものならば、あはれと思しめせ、神も昔は人ぞかし

 訳せば「霊力はげしき神よ、神でいらっしゃるなら、苦悩するわれら人間を殊勝とお思いください、神も昔は人でいらしたのですから」となるでしょうか。今から八百年前の『梁塵秘抄』に載せる当時の流行歌です。かつてこの国の文芸は、東アジアの儒教圏では例外的なことですが、「神話」を尊重する伝統を持っていました。
 日本神話に邪馬台国の記憶が反映している、という学説はさておき、この時代はたしかに「カミ」の時代でした。
 残念ながら、現代に生きる私たちは、カミを感じる繊細さを、自分の中に潜在するカミたる可能性の自覚も含めて、失ってしまったようです。たとえば、今から千七百年も経てば「あなた」の子孫が一億の一億倍のさらに一億倍の数になりうること、もし「あなた」が自殺したり、恋愛をためらうなら、それは膨大な子孫が生まれてくる機会を奪うに等しい、などの夢想にひたれる人は、今の時代、生きにくいのではないでしょうか。
 本書は、「青年の時代」を生きた自分さがしの旅人たちが「カミ」になるまでの物語です。もし、本書によって、一瞬でも夢想の境地をお楽しみいただけたなら、これほど作者冥利に尽きることはありません。

 本書は純然たるフィクションですが、執筆にあたっては安本美典『卑弥呼の謎』、渡辺敏夫『日本・朝鮮・中国日食月食宝典』、西郷信綱『古事記の世界』、吉田敦彦『昔話の考古学』、佐原眞『日本人の誕生』ほか先達の諸研究を参考にさせていただきました。
 また、もうお気付きのかたも多いと存じますが、この物語の原作は『古事記』『日本書紀』『三国志』『晋書』『三国史記』の諸書を下敷としています。このほか、例えば「人間だけが笑えるわけ」はアイヌ民間伝承を、「兄妹神創世神話」は南西諸島の口碑文芸を加工したものです。わたくしが創作にあたり、外国や「辺境」の人々の記録も取り込んだ理由は、日本人の形成にあたってこれらの人々も決して無関係でなかった、と信ずるからです。
 わたくしは古代史の専門家ではありませんし、小説を書いたのも初めてです。本書が出版できたのは、「小説歴史街道」編集長・小林成彦氏の御尽力のおかげです。厚く感謝を申し上げます。

   平成八年八月吉日                      嘉藤 徹


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