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1998年1月27日更新
Last Updated Jan.27,1998


アコーディオン、バッハ、中国の関係


Accordion, Bach, and China




  a Russian accordionist English Summary August in the last year(1996), I enjoyed an accordion concert in Beijing, the capital of China. Yuri Dranga (I do not know how to spell exactly), an amazing and powerful accordionist of Moscow Music Collage, and his son Peter, twelve years old, played many tunes including Bach's.(photos)
  Do you know? You owe the accordion and Bach's works to China.
  The accordion is one of the free-reed-instruments, which were invented in Europe in the 19th century. At that time, they studied a Chinese traditional instrument called "SHENG" and found its reed system very useful. Thus the sheng became the ancestor of all free-reed-instruments such as harmonicas, concertinas, and accordions.
  Bach's music works were written in the musical scale called "temperament". This scale was originally invented by a Chinese named Zhu Zaiyu, who wrote about the temperament in 1584. This new scale was introduced into Europe by the missonaries who were in China at that time.( according to Robert K.G.Temple's book "China -Land of Discovery and Invention", 1986)
  I admire and respect the great talent of the western people who succeeded in making new instruments and musics by getting hints from China. How about Japan ? We, the Japanese, also imported SHENG from China a thousand years earlier than Europe. Regret to say, no unique instrument was invented from sheng in Japan.
  How helpless we are !

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 a Russian accordionist

 去年の八月、中国の北京に滞在していたとき、たまたま第三回国際アコーデ ィオン芸術祭が数日に渡って開催されたので、見に行った。その日は、モスクワ音楽院 アコーディオン科教授のユーリー・ドランジャ氏と、十二歳の天才的 な息子ピョートル君がゲスト演奏した。写真参照。曲目はバッハのオルガン曲や「シャコンヌ」(無伴奏ヴァイオリン曲をアコーディオン用に編曲したもの)、氏の自作のロシア風の曲など多彩だった。
 一般に、中国やロシアなど社会主義系の国では、アコーディオンが盛んである。演奏者の層の厚さは、日本とは比較にならない。いみじくも渡辺芳也氏が

「特にロシアや旧CIS諸国では、ヨハン・セバスチャン・バッハのオルガン曲がアコーディオンには大変適しているとされてきた。これを演奏するには、左手も右手のように最高5オクターブまで弾ける特殊のフリーベース・アコーディオンというのが通常使用されるが、目をつぷって聞いていると、オルガンとも思われる微細な演奏ができる。むしろ、音量では教会オルガンに負けるかもしれないが、蛇腹でより微妙な変化がつけられるので、考え方によってはもっとおもしろいかもしれない」(渡辺芳也『アコーディオンの本』32頁、春秋社、1993)

と書いているとおり、ガランジャー父子の、ブガリ社製フリーベース・アコーディオンを駆使しての演奏は絶品だった。
 私は中国の聴衆とともに、ロシア人の弾くバッハを堪能したのであった。

 アコーディオン、バッハ、中国。落語の三大噺めいているが、この三者には意外なつながりがある。
 アコーディオンは、十九世紀初めドイツ人が発明した楽器である。ハーモニカと同じく「フリーリード」と呼ばれる薄い金属板を空気の流れで振動させて楽音を出す。この発音原理は、それまでの西洋楽器にはない新機軸だった。
 「フリーリード」の元祖は中国の「笙」(しょう)である。笙は、軽量小型でありながら大音量の和音を演奏できる。西洋人はこの楽器の性能に瞠目(どうもく)した。音響学者は笙のリードを研究して論文を書き、楽器職人はその成果を応用して西洋版の「笙」を作った。楽器学の教科書には、アコーディオンやハーモニカの先祖として、笙が、系統図の上の方に掲げられている。
 バッハの音楽作品は「平均律」という音律で書かれている。平均律は西洋在来の音律ではなく、中国起源の音律である。西洋在来の音律は、和音の響きは綺麗だが、鍵盤楽器上で自由に転調を行えぬという欠点があった。ピタゴラス以来二千年、西洋の歴代の音楽家はこの問題に悩み続けたが、ついに解答を見つけられなかった。この難問を解決したのが中国伝来の新音律だった。明の朱載[土育](しゅさいいく。イクは「土」偏に「育」という字)は一五八四年『律学新説』を著し、高度な数学にもとづく平均律理論を提唱した。その理論が、当時中国に来訪していた宣教師らの手で西洋に紹介されたのである(ロバート・K・G・テンプル『図説・中国の科学と文明』河出書房、1992)。仮に朱が平均律理論を発明しなくても、西洋人は独自に新音律の理論を構築したろう。ただ、それがバッハの時代に間に合ったかどうかは疑問である。
 今日では、クラシックにせよロックにせよ、西洋の音楽はほとんど全てこの平均律の音律で演奏されている。

 西洋近代を支えた技術の多くは、中国に起源を持つ。紙・火薬・羅針盤・印刷技術という「中国の四大発明」はよく知られているが、バッハの音階のようなものまでが中国起源とは、意外である。
 この他、たとえば鉄製犂(すき)の使用や畝(うね)栽培など農業の基本技術、馬の牽引力を最大限に引き出す胸帯式馬具、あぶみ、赤道座標系の天文学、試験による任官制度、船の舵(かじ)など、いずれも中国では、西洋より千年ないし二千年も前に実用化されていた技術であった。西洋は、これらの技術を中国から導入し、模倣することで、近代化をはじめたのである。コロンブスが航海に使用した帆船も、中国の船の技術がアラビア経由で西洋に導入されていなければ、存在しえなかった。ジョセフ・ニーダム『中国の科学と文明』は、そうした事例の氾濫(はんらん)である。
 日本人は、西洋文明は独創の文明だと思いこんでいるが、実は、彼らの文明は徹底した模倣から 出発したのである。ただ、西洋文明の偉いところは、中国の技術のうわべだけをまねたのではな く、その設計思想にさかのぼって徹底的に研究し、それに独自の改良を加え、本家の中国を追 い抜こうとしたことにある。模倣も極めれば独創と区別がつかない。近代西洋文明の真骨頂はそこにある。

 ふりかえって、わが日本もまた、西洋以上に中国を模倣してきた。しかし、その模倣のしかたは、西洋とはだいぶ方向性が違ったように思える。日本人は、おおねむ「中国」のインスタント化、簡易化に力を入れてきた、とは言えまいか。
 楽器の話で書きはじめたので、やはり楽器を例にあげよう。
 「笙」を手にした西洋人は、高度な和音演奏能力という笙の本質を徹底的に研究し「フリーリード」の原理を極めた。そして、アコーディオンやハーモニカなど独自の「笙」を作った。
 日本に笙が輸入されたのは、西洋より千年も早い。日本人は笙をどう改良したか。
 何も改良しなかった。それどころか、日本人は、笙で和音を吹くのをやめ、単旋律をのろのろ吹く奏法を「開発」した。演奏技術としては、ピアノを指一本だけで弾くような退歩であり、もったいない使いかたである。
 ちなみに、アコーディオンについても、日本人は同じような「改良」を加えている。左手の伴奏用ベースボタンを全廃し、右手の鍵盤部のみにした.合奏用アコーディオンは、日本で「開発」されたものである。たしかに値段も安く、重さも軽くなり、小学生が授業で使うのには便利になった。

 「日本人は外国の技術の模倣と改良にたけている」と日本人の大多数は思っている。しかし、本当にそうだろうか。 (97,2,14)



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