三国志 個性豊かなヒーローたち 張飛 コミックリリーフにされた理由
朝日カルチャーセンター新宿 二〇一七年二月二十七日 加藤
徹
★大辞林 第三版
張飛(?〜221) 中国、三国時代の蜀の武将。関羽とともに劉備に仕え、魏ぎ・呉と戦って武功をたてたが、のち部下に殺された。
★ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
張飛 ちょうひ Zhang Fei; Chang
Fei [生]延熹9(166).河北、たく [没]章武1(221)
中国、三国時代の蜀漢の勇将。年少の頃から関羽とともに劉備に仕えて軍功をあげ、劉備が蜀の帝位につくと車騎将軍、司隷校尉となったが、部下にきびしすぎたため、部下に殺された。のち『三国志演義』をはじめとする小説、戯曲には、劉備の影を薄くするほどの活躍を示す人物として登場。
コミック・リリーフ comic relief
演劇用語。悲劇やまじめなテーマをもった戯曲のなかに挿入されて、観客の情緒的緊張を一時的に解きほぐす役割を果す喜劇的、笑劇的場面、または事件。これによって次の緊張した行動への展開が、より効果的、印象的になる場合が多い。
★詠三国人物十二絶句 三国人物を詠ずる十二絶句
頼山陽、文政八年(1825)の作
張飛
蛇矛攔住万蹄塵 蛇矛攔(さえぎ)り住(とど)む 万蹄(ばんてい)の塵
恢復神州機已新 神州を恢復(かいふく)する 機 已(すで)に新たなり
応愧蹭蹬在江漢 応(まさ)に愧(は)づべし 蹭蹬(そうとう) 江漢に在るを
自呼翼徳是燕人 自(みづか)ら呼ぶ 翼徳 是(こ)れ燕人(えんひと)なり
[語注]攔=「さえぎる」は「さいぎる」の音転なので、旧カナを「さへぎる」と書くのは間違い。蹭蹬=よろめく
[大意] 長坂の戦いで、しんがりをつとめた張飛は、たった一人、馬上で蛇矛をふるい、万単位の曹操の騎馬軍団を足止めした。今こそ、曹操の手から天下を取り戻すチャンスだ。荊州のあたりをウロウロするのは、みっともない。彼はみずから名乗った。われは張飛、あざなは翼徳、燕の産なり、と。
[評] しんがりは一番危険で困難な任務だが、張飛は見事になしとげ、名をあげた。
★吉川英治『三国志』赤壁の巻より
張飛は動じる態もなかった。
かえって、全身に焔々の闘志を燃やし、炬の如き眼を爛と射向けて、
「それへ来たものは、敵の総帥たる曹操ではないか。われこそは、劉皇叔の義弟、燕人張飛である。すみやかに寄って、いさぎよく勝負を決しろ」
と、呼ばわった。
声は長坂の水に谺し、殺気は落ちかかる雷のようであった。そのすさまじさに、曹操の周囲を守っていた者どもは、思わず傘蓋を取り落したり、白旄黄鉞などの儀容を崩して、あッとふるえおののいた。
いや、その雷圧は、曹軍数万の上にも見られた。濤のような恐怖のうねりが動いたあと全軍ことごとく色を失ったかのようであった。
さわぎ立つ諸将をかえりみながら曹操は云った。
「今思い出した。そのむかし関羽がわれにいった言葉を。――自分の義弟に張飛というものがある。張飛にくらべれば自分の如きはいうにたらん。彼がひとたび怒って百万の軍中に駆け入るときは、大将の首を取ることも嚢の中の物をさぐって取り出すようなものだ――予にそういったことがある。さだめし汝らも張飛の名は聞いていたろう。いや怖ろしい猛者ではある!」
そういって、驚嘆している傍らから、突然、夏侯覇という一大将が、
「何をばさように恐れ給うか。曹軍の麾下にも張飛以上の者あることを、今ぞ確とご覧あれ」
と喚きながら、馬の蹄をあげて、だだだだっと、橋板を踏み鳴らして、張飛のそばへ迫りかけた。張飛はくわっと口をあいて、
「孺子っ。来たかっ」
蛇矛横にふるって一颯の雷光を宙にえがいた。
夏侯覇は、とたんに胆魂を消しとばして、馬上からころげ落ちた。その有様を見ると、数十万の兵はなお動揺した。曹操も士気の乱れを察し、にわかに諸軍へ、
「退けっ」
と、令して引っ返した。
退け――と聞くや軍兵はみな山の崩れるように先を争い合った。ふしぎな心理がいやが上にも味方同士を混乱に突きおとしてゆく。誰の背後にも張飛の形相が追い駆けてくるような気がしていた。鉾を捨て、鎗を投げ、或いは馬に踏みつぶされ、阿鼻叫喚が阿鼻叫喚を作ってゆく。
そうなると、実際、収拾はつかないものとみえる。曹操自身すら、その渦中に巻きこまれ、馬は狂いに狂うし、冠の釵は飛ばすし、髪はみだれ、旗下どもは後先になり、いやもうさんざんな態であった。
★張飛と夏侯覇(生没年不詳)の略年表
二〇〇年、張飛は、薪取りをしていた夏侯覇の十三、四歳の従妹を捕え、自分の妻にした (『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」)
二〇八年一〇月、長坂の戦い(荊州南郡当陽県長坂)現在の湖北省当陽市
二一七〜二一九年、定軍山の戦い。夏侯覇の父・夏侯淵と弟が、蜀軍に敗れて戦死。
二二一年、張飛、死去。
張飛と夏侯氏(夏侯覇の従妹)の間に生まれた二人の娘は、劉備の息子・劉禅の皇后になった。姉は敬哀皇后(?〜二三七年)、妹は張皇后(生没年不詳)。
二四九年、夏侯覇が魏から蜀に亡命。
二六三年、蜀漢滅亡。
★張飛にまつわる「歇後語」
歇後語は、中国人が好んで使う前後一対の洒落言葉のこと。本来は「歇後」すなわち前半だけ言って後半を言わなかったが、現在は相手が意味を理解しやすいように後半部も言い添えるのが普通になっている。
对着张飞骂刘备 ― 寻着惹气 張飛にむかって劉備を罵る―わざわざ怒らせる
张飞战关公 ― 忘了旧情 張飛が関公と戦う―昔の情を忘れる
张飞战马超 ― 不分胜负 張飛が馬超と戦う―勝負がつかない
张飞扔鸡毛 ― 有劲难使 張飛が鶏の羽を投げる―力があっても使いきれない
张飞耍杠子 ― 轻而易举 張飛が太い棒をもてあそぶ―いともたやすい
张飞翻脸
― 吹胡子瞪眼 張飛が顔をがらりと変える―口角泡を飛ばしてにらみつける
张飞哈气
― 自我吹嘘(须) 張飛が息を吐く―(嘘と鬚が同音)過大な自己宣伝する
张飞上阵 ― 横冲直撞 張飛が戦陣にのぞむ―めちゃくちゃに突進する
张飞穿针
― 大眼瞪小眼 張飛が針に糸を通す―大きな目で小さな目(穴)をにらむ(大きな目が小さな目をにらむ=「ただ顔を見合わせるだけで何もしない」という意味の熟語)
张飞抓耪子
― 大眼瞪小眼 張飛が穴のあるくわを手に取る
张飞看老鼠
― 大眼瞪小眼 張飛がネズミを見る
张飞拿耗子
― 大眼瞪小眼 張飛がネズミを捕まえる
张飞绣花 ― 粗中有细;粗人有股细劲 張飛が花の刺繡をする―粗いなかにも細やかさがある、粗暴な人にも繊細な態度がある
张飞使计谋 ― 粗中有细 張飛が計略を使う
张飞穿针 ― 粗中有细 張飛が針に糸を通す
属张飞的 ― 粗中有细 張飛に属すもの
张飞贩私盐 ― 谁敢检查 張飛が密売の塩を売る―誰があえて検査しようか。しない。
张飞卖肉 ― 一刀切;光说不割 張飛が肉を売る―一刀で切る、喋るだけで分けない
张飞卖豆腐 ― K白分明;人强货不硬 張飛が豆腐を売る―白黒がはっきりしている、売り手は強いが売り物は弱い
张飞卖箭猪 ― 人强货扎手 張飛がヤマアラシを売る―人は強く売り物にはトゲがある
张飞卖铁锤 ― 人硬货了当 張飛が鉄鎚を売る―人は強く売り物はそのものずばりだ
张飞卖秤锤 ― 人强货硬 張飛がはかりの分銅を売る―人は強く売り物も硬い
张飞的妈妈 ― 无事生非(吴氏生飞) 張飛のおっかあ―平地に波乱を起こす(駄洒落)
张飞妈妈姓吴 ― 无事生非(吴氏生飞) 張飛のおっかは呉氏―呉氏が飛を生む
张飞吃豆芽 ― 一盘小莱;小菜一碟;小菜儿 張飛がもやしを食べる―小さな料理(すごく簡単にできる)
张飞摆屠案 ― 凶神恶煞(杀) 張飛が屠殺台を並べる―荒ぶる恐ろしい神
张飞遇李逵 ― K对K;K上加K 張飛が(水滸伝の) 李逵と出会う―黒対黒、黒のうえにさらに黒
K李逵碰见猛张飞 ― 见面就崩 黒い李逵が猛々しい張飛と出くわす―会った途端に炸裂する(互いに似たもの同士なので激しく反発しあう)
猛张飞遇到K李逵 ― 见面就崩 猛々しい張飛が黒い李逵と出くわす
抓住张飞当李逵打 ― 看错了人;认错了人 張飛をつかまえて李逵だと思って殴る―人を見間違える、人違いをする
★江戸時代の川柳(『誹風柳多留全集』『誹風柳多留捨遺』
翼徳も知らずに張飛酒が好き(91篇)
この雪にばかばかしいと張飛言い(119篇)
★日本の落語「野ざらし」の元ネタとなった、中国の笑話集『笑府』の原文
有於郊外見遺骸暴露、憐而瘞之。夜聞叩門声、問之、応曰「妃」。再問、曰「妾楊妃也。遭馬嵬之難、遺骨未収。感君掩覆、来奉枕席」。因与極歓而去。
隣人聞而慕焉、因遍覓郊外、亦得遺骸瘞之。夜有叩門者、問之、応曰「飛」。曰「汝楊妃乎」。曰「俺張飛也」。其人惧甚、強応曰「張将軍何為下顧」。曰「俺遭閬中之難、遺骨未収、感君掩覆、特以粗臀奉献」。
[語注] 瘞…音は「エイ」、訓は「ウズめる」(文語は「うづム」)。
★キャラクターの分類
意 |
情 |
知 |
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関羽 |
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諸葛孔明 |
雅 |
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劉備 |
中庸(雅俗) |
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張飛 |
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俗 |
俗情的キャラ…三国志の張飛、西遊記の猪八戒、水滸伝の李逵、等々
文と武、リーダー・スタッフ・ライン・フロント、建前キャラと本音キャラ、肉食系と草食系、……
★正史『三国志』巻三十六、蜀書六「關張馬黃趙傳」より
張飛字益コ、涿郡人也、少與關羽俱事先主。羽年長數歲、飛兄事之。先主從曹公破呂布、隨還計、曹公拜飛為中郎將。先主背曹公依袁紹、劉表。表卒、曹公入荊州、先主奔江南。曹公追之、一日一夜、及於當陽之長阪。先主聞曹公卒至、棄妻子走、使飛將二十騎拒後。飛據水斷橋、瞋目矛曰:「身是張益コ也、可來共決死!」敵皆無敢近者、故遂得免。 (中略)
初、飛雄壯威猛、亞於關羽、魏謀臣程c等咸稱羽、飛萬人之敵也。羽善待卒伍而驕於士大夫、飛愛敬君子而不恤小人。先主常戒之曰:「卿刑殺既過差、又日鞭撾健兒、而令在左右、此取禍之道也。」飛猶不悛。先主伐吳、飛當率兵萬人、自閬中會江州。臨發、其帳下將張達、范強殺飛、持其首、順流而奔孫權。飛營都督表報先主、先主聞飛都督之有表也、曰:「噫!飛死矣。」追諡飛曰桓侯。長子苞、早夭。次子紹嗣、官至侍中尚書僕射。苞子遵為尚書、隨諸葛瞻於綿竹、與ケ艾戰、死。
以上