三国志 個性豊かなヒーローたち「呂布と董卓 暴虐の真相」

朝日カルチャーセンター新宿 2017年1月23日 講師 加藤 徹(明治大学)

 

【概要】三国志の個性豊かなヒーローたち、劉備、関羽、張飛、諸葛孔明、曹操、孫権などは、日本人から見て外国人という感じがしません。本講座では、日本人が江戸時代以来親しんできた三国志のキャラクターを人物ごとに取り上げ、中国の古典や 現代日本の三国志関連作品も参照しつつ、彼らの魅力や処世の知恵などについて語ります。ビデオやスライドの写真を多用します。三国志の予備知識がない初心者のかたにも、わかりやすい講座です。(講師記)

 

大辞林 第三版の解説

とうたく【董卓】(?〜192) 中国、後漢末の群雄の一人。強力な軍隊を背景に少帝を廃して献帝を擁立し、一時政権を掌握したが、部下の呂布に殺された。

 

りょふ【呂布】(?〜198) 後漢末の武将。字は奉先。武勇の名高く弓馬に秀でたが、叛服常無く群雄の間を渡り歩いて、最後は曹操軍に捕らえられ殺された。

 

ぐんばつ【軍閥】@権力を掌握する政治勢力としての軍の組織。

A特に、旧日本陸軍上層部の特権的政治勢力。薩長藩閥を中心とし、旧憲法の統帥大権を盾に、独立した勢力として政治を左右した。第二次大戦敗戦とともに崩壊。

B辛亥革命後の中国に、私的軍事力をもって地方に割拠した封建的支配勢力。袁世凱の率いる北洋軍閥が著名。

 

貂蝉とは (チョウセンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

貂蝉とは、三国志演義に登場する人物である。〇概要〇架空の人物とされているが、楊貴妃と並び「中国四大美女」といわれている。正史で呂布が董卓の侍女と密通したという記述から、その侍女がモデルとされている。(中略)呂布が董卓を殺害した後に自害したり、呂布の死後に関羽の妻となるなど、異説もいくつかある。(下略)

 

董卓

姓は董、名は卓、字は仲穎。涼州軍閥の武将兼政治家。

涼州の隴西郡(りん)(とう)県(現在の甘粛省定西市臨洮県)の人。

正史『三国志』陳寿(233〜297)の評は「董卓狼戾賊忍、暴虐不仁、自書契已來、殆未之有也。」(董卓は心がねじまがり残忍かつ暴虐非道で、歴史記録が残るようになってからこれほど悪い人はまずいない)

 

呂布

姓は呂、名は布、字は奉先。并州軍閥の職業軍人。

并州五原郡(現在の内蒙古自治区バヤンノール市と包頭市を含む地域)の人。

正史『三国志』陳寿の評は「呂布有虓虎之勇、而無英奇之略、輕狡反覆、唯利是視。自古及今、未有若此不夷滅也。(呂布は虎の強さを持っていたが優れた戦略はなく、軽薄で狡猾で何度も裏切り、利益しか見えなかった。昔も今もこんなふうで破滅しなかった試しはない)

 

貂蝉

14世紀後半ごろに成立した古典小説『三国志演義』に登場する架空の美女。西施・王昭君・楊貴妃と並び中国四大美人の一人とされる。

モデルは正史『三国志』呂布伝に出てくる無名の「侍婢」(原文「卓常使布守中閣。布與卓侍婢私通、恐事發覺、心不自安」)唐の時代の『開元占経』の記載によると、『漢書通志』(佚書)という書物に「曹操未得志、先誘董卓、進刁蟬以惑其君。」とあったという。文脈は違うものの貂蝉とよく似た「刁蟬」という名前が出てくる。

 

 

吉川英治『三国志』桃園の巻より

最前から轅門の外に、黒馬に踏みまたがって、手に方天戟をひっさげ、しきりと帰る客を物色したり、門内をうかがったりしている風貌非凡な若者がある。

 ちらと、董卓の眼にとまったので、彼は李儒を呼んで訊ねた。李は外をのぞいて、

「あれですよ、最前、丁原のうしろに突っ立っていた男は」

「あれか。はてな、身なりが違うが」

「武装して出直して来たんでしょう。怖ろしい奴です。丁原の養子で、呂布という人間です。五原郡(内蒙古・五原市)の生れで、字は奉先、弓馬の達者で天下無双と聞えています。あんな奴にかまったら大事(おおごと)ですよ。避けるに如くはなし。見ぬふりをしているに限ります」

 聞いていた董卓は、にわかに恐れを覚え、あわてて園内の一亭へ隠れこんでしまった。

 重ね重ね彼は呂布のために丁原を討ち損じたので、呂布の姿を、夢の中にまで大きく見た。どうも忘れ得なかった。

 するとその翌日。

 こともにわかに、丁原が兵を率いて、董卓の陣を急に襲ってきた。彼は聞くや否や、大いに怒って、たちまち身を鎧い、陣頭へ出て見ていると、たしかに昨日の呂布、

黄金の盔 (かぶと)をいただき、百花戦袍(せんぽう)を着、唐猊(からしし)の鎧に、獅蛮の宝帯をかけ、方天戟をさげて、縦横無尽に馬上から斬りまくっている有様に――董卓は敵ながら見とれてしまい、また内心ふかく怖れおののいた。

 

 

吉川英治『三国志』桃園の巻より

それから彼は、日夜、大酒をあおって、禁中の宮内官といい、後宮の女官といい、気に入らぬ者は立ちどころに殺し、夜は天子の床(しょう)に横たわって春眠をむさぼった。

 或る日。

 彼は陽城を出て、四頭立ての驢車(ろしゃ)に美人を大勢のせ、酔うた彼は、馭者(ぎょしゃ)の真似をしながら、城外の梅林の花ざかりを逍遥していた。

 ところが、ちょうど村社の祭日だったので、なにも知らない農民の男女が晴れ着を飾って帰ってきた。

 董相国(とうしょうこく)は、それを見かけ、

「農民のくせに、この晴日を、田へも出ずに、着飾って歩くなど、不届きな怠け者だ。天下の百姓の見せしめに召捕えろ」と、驢車の上で、急に怒りだした。

 突然、相国の従兵に追われて、若い男女は悲鳴をあげて逃げ散った。そのうち逃げ遅れた者を兵が拉(らっ)して来ると、

「牛裂(うしざき)にしろ」

 と、相国は威猛高(いたけだか)に命じた。

 手脚に縄を縛りつけて、二頭の奔牛(ほんぎゅう)にしばりつけ、東西へ向けて鞭打つのである。手脚を裂かれた人間の血は、梅園の大地を紅(くれない)に汚した。

「いや、花見よりも、よほど面白かった」

 

【参考】正史『三国志』董卓伝より。…嘗遣軍到陽城。時適二月社、民各在其社下、悉就斷其男子頭、駕其車牛、載其婦女財物、以所斷頭系車轅軸、連軫而還洛、云攻賊大獲、稱萬。入開陽城門焚燒其頭以婦女與甲兵為婢妾。至於姦亂宮人公主。其凶逆如此。

 

 

吉川英治『三国志』群星の巻より

「何ッ」

 呂布は、赤兎馬を止めて、きっと振返った。

 見れば、威風すさまじき一個の丈夫だ。虎髯(とらひげ)を逆立て、牡丹の如き口を開け、丈八の大矛(おおほこ)を真横に抱えて、近づきざま打ってかかろうとして来る容子。――いかにも凜々たるものであったが、その鉄甲や馬装を見れば、甚だ貧弱で、敵の一歩弓手にすぎないと思われたから、

「下郎っ。退がれッ」

 と、呂布はただ大喝を一つ与えたのみで、相手に取るに足らん――とばかりそのまままた進みかけた。

 張飛は、その前へ迫って、駒を躍らせ、

「呂布。走るを止めよ。――劉備玄徳のもとに、かくいう張飛のあることを知らないか」

 早くも、彼の大矛は、横薙ぎに赤兎馬のたてがみをさっとかすめた。

 呂布は、眦(まなじり)をあげて、

「この足軽め」

 方天戟をふりかぶって、真二つと迫ったが、張飛はすばやく、鞍横へ馳け迫って、

「おうっッ」

 吠え合わせながら、矛(ほこ)に風を巻いて、りゅうりゅう斬ってかかる。

 意外に手ごわい。

「こいつ莫迦(ばか)にできぬぞ」

 呂布は、真剣になった。もとより張飛も必死である。(中略)あまりの目ざましさに、両軍の将兵は、

「あれよ、張飛が」

「あれよ、呂布が――」

 と、しばし陣をひらいて見とれていたが、呂布の勢いは、戦えば戦うほど、精悍の気を加えた。それに反して、張飛の蛇矛は、やや乱れ気味と見えたので、遥かに眺めていた曹操、袁紹をはじめ十八ヵ国の諸侯も、今は、内心あやぶむかのような顔色を呈していたが、折しも、突風のようにそこへ馳けつけて行った二騎の味方がある。

 一方は、関羽だった。

「義弟(おとうと)、怯(ひる)むな」

 と、加勢にかかれば、また一方の側から、

「われは劉備玄徳なり、呂布とやらいう敵の勇士よ、そこ動くな」

 と、名乗りかけ、乗り寄せて、玄徳は左右の手に大小の二剣をひらめかし、関羽は八十二斤の青龍刀に気をこめて、義兄弟三人三方から、呂布をつつんで必死の風を巻いた。

 

吉川英治『三国志』群星の巻より

 王允は、座を正して、

「では、おまえの真心を見込んで頼みたいことがあるが」

「なんですか」

「董卓を殺さねばならん」

「…………」

「彼を除かなければ、漢室の天子はあってもないのと同じだ」

「…………」

「百姓万民の塗炭の苦しみも永劫に救われはしない……貂蝉(中略) まず、おまえの身を、呂布に与えると欺いて、わざと、董卓のほうへおまえを贈る」

「…………」

 さすがに、貂蝉の顔は、そう聞くと、梨の花みたいに蒼白く冴えた。

「わしの見るところでは、呂布も董卓も、共に色に溺れ酒に耽る荒淫の性(たち)だ。――おまえを見て心を動かさないはずはない。呂布の上に董卓あり、董卓の側に呂布のついているうちは、到底、彼らを亡ぼすことは難かしい。まずそうして、二人を割き、二人を争わせることが、彼らを滅亡へひき入れる第一の策だが……貂蝉、おまえはその体を犠牲(いけにえ)にささげてくれるか」

 貂蝉は、ちょっと、うつ向いた。珠のような涙が床ゆかに落ちた。――が、やがて面を上げると、

「いたします」

 きっぱりいった。

 そしてまた、「もし、仕損じたら、わたしは、笑って白刃の中に死にます。世々ふたたび人間の身をうけては生れてきません」と、覚悟のほどを示した。

 

 

吉川英治『三国志』群星の巻より

 長安の民は賑わった。

 董卓が殺されてからは、天の奇瑞か、自然の暗合か、数日の黒霧も明らかに霽()れ、風は熄()んで地は和(なご)やかな光に盈()ち、久しぶりに昭々たる太陽を仰いだ。

「これから世の中がよくなろう」

 彼らは、他愛なく歓び合った。

 城内、城外の百姓町人は、老いも若きも、男も女も祭日のように、酒の瓶を開き、餅を作り軒に彩聯(さいれん)を貼り、神に燈明を灯し、往来へ出て、夜も昼も舞い謡った。

「平和が来た」

「善政がやって来よう」

「これから夜も安く眠られる」

 そんな意味の詞(ことば)を、口々に唄い囃(はや)して、銅鑼をたたいて廻った。

 すると彼らは、街頭に曝してあった董卓の死骸に群れ集まって、

「董卓だ董卓だ」と、騒いだ。

「きょうまで、おれ達を苦しめた張本人」

「あら憎や」

 首は足から足へ蹴とばされ、また首のない屍(かばね)の臍(ほぞ)に蝋燭をともして手をたたいた。

 生前、人いちばい肥満していた董卓なので、膏(あぶら)が煮えるのか、臍の燈明は、夜もすがら燃えて朝になってもまだ消えなかったということである。

以上