「幽霊」と「虫の知らせ」


■幽霊は、死者の霊魂が肉体と同じ姿をとって現れたものだと考えられてきたが、じっさいには死者の霊魂のように思われるものよりも、死にかけている人の姿が遠く離れた場所で目撃されるというケースのほうが多い。

■ある人(人間以外の動物であることもある)が瀕死の危機に瀕しているとき、その姿が遠く離れた人に「見える」ものを、危機幻像 crisis apparitions という。

■伝説の中の危機幻像

<福建の媽姐伝説>
 宋の時代、現在の福建省、林家の六女、黙娘(モーニャン)の話。ある日、黙娘は、家で母親と機織をしていて、急に眠気に襲われた。そして夢の中で、漁に出た父と兄の船が転覆し、二人が溺れているのを見た。
 彼女はすぐに助けに向かったが、そのかいなく父は溺死。彼女は遣体を背負って家に戻ってきた。
 人々はその孝行な姿にいたく感動したが、本人は悲嘆に暮れ、重陽節の日に山に入り、そのまま昇天した。以来千年、彼女は天上聖母、媽姐(マーツー)の名で、航海の守り神として福建系の人々の篤い信仰を集めている。(→台湾の関渡媽姐宮

■フィールド調査で出会った事例

<沖縄の「マエシラシ」>
 沖縄本島のユタ、Mさんは、二十代の終わりごろ、カミダーリィに苦しんでいた最中に、弟を亡くした。当時、弟は神戸の自動車工場で働いていた。弟には恋人がいたが、その女性の背後には暴力団が存在していた。
 ある日の夕方、Mさんは、出稼ぎに行っているはずの弟が、背広姿で家の中に立っているのを見た。弟は無言で、しょんぼりした顔をしていた。その前にも夢に何度も弟が出てくるので、不思議に思っていたところだった。
 翌日の夕方、弟がヤクザと喧嘩して殺されたという電話が入った。
 Mさんはそれからしばらく、首と左胸の痛みに悩まされた。その後の解剖の結果では、首をヌンチャクで殴られ、左胸を靴で蹴られたのが弟の死因だと言うことがわかった。

■視覚的な「幻像」が見えるケースは少ないが、いわゆる「虫の知らせ」の体験はもっと一般的で、身近にもそのような話は多い。(以下は授業での聞き取り実習で集められた事例)

<19歳・女性・学生>
  同居していた祖母が1年前に亡くなったのだが、その時の体験が今思い出してみても変わったものであると記憶している。祖母は自宅で介護を受けていたのだが、そうはいっても頭もはっきりしていたし、食が細くなるようなこともなかったから、家族の誰もがその日にこの世を去るとは考えてもみなかったそうだ。しかし私はその日、何故なのかはわからないが、祖母が死んだことを強く感じた。もちろん朝、家を出る時にはそんなことは考えもしなかったし、学校にいる間もそんなことは夢にも思わなかった。この日は塾があって学校帰りに寄ったのだが、その授業中に私は、今思い出してみても奇妙なことなのだが、祖母が死んだことを悟った。(感じた、という方が、あるいは適当かもしれない。)それはなんの脈絡もなく私の脳裏に降って湧いた。休み時間にメールが携帯にはいっていたので恐る恐るそれを見ると、果たしてそれは母からの、祖母の死を知らせるメールだった。私はその時の驚き、そして悲しさを今でもありありと思い出せる。

<21歳・男性・学生>
  幼少のころ。祖父が危篤になり、両親が病院につきっきりで、兄弟と家で留守番をしていたところ、夜に祖父母の寝室で物音がし た。物音の原因をつきとめようと祖父母の寝室に行ってみると、壁にかけてある祖父の写真が落ちていた。そしてしばらくしてから電話が鳴り、母親から祖父が たった今息を引き取ったことを知らされた。
 これはいわゆる虫の知らせではないかと考えている。祖父が自分の死を、自分の写真を落とすという方法で知らせたかったのではないだろうか

(この実習で収集されたその他の事例はこちら

■このような現象には、以下のような特徴がある。

・相手は生命の危機に瀕していることが多いが、必ずしも死亡するとは限らない。
・死亡する場合は、急な異常死である割合が高い。
・相手は近親者であることが多い。
・相手の姿が見える場合は、入眠時幻覚や巫病のような変性意識状態の中であることが多い。
・相手の痛みが身体的に共有されることがある。
・物が壊れるなどの物理的な現象が起こることもあり、これは単なる幻覚では説明しにくい。

■このような現象は、どのように解釈できるだろうか。

・霊魂仮説:死者の霊が近親者のところまで移動してきたという仮説。
・偶然の一致仮説:偶然の一致に意味を見いだしてしまうという解釈。
・ESP仮説: 知らせた人物と知らされた人物の間にテレパシー的な情報伝達があったか、知らされた人物が透視能力によって危機を察知し(て、それにもとづいて幻覚を見)たという仮説。

 死後に肉体を離れた霊魂が死を知らせるために移動してきたという仮説では、相手が生命の危機に瀕しただけで死亡しなかった場合をうまく説明できない。また、「幽霊」がなぜ服を着ているのかが説明できない。また、目撃される幻像(幽霊)は、あまり動いたり話したりしないことが多い。これらのことは、霊魂仮説よりもESP仮説のほうが有力であることを示唆している。
  しかし、写真が落ちたような事例は、ESPだけでなくPKの要素も加味しなければ解釈できない。いずれにしてもESPやPKは仮説的な概念であって、そもそも人間にそのような能力があるのかどうか自体がまだはっきりわかっていない。
  それとは別に、偶然の一致仮説なら、どんな現象でも説明可能である。しかし、そのような偶然の一致が起こる可能性が非常に低い場合はそれだけですべてを説明してしまうのは困難である。偶然の一致仮説とESP仮説の中間的な説明として、それを「意味のある偶然の一致」または「共時性(シンクロニシティ) ynchronizität 」として説明するという考え方もある。

■危機幻像とは別に、死者の姿が死亡地点で繰り返し目撃されるというパターンの「幽霊」もあり、反復幻像 haunting と呼ばれている。

<番町皿屋敷の伝説>
  時は、江戸時代。旗本青山主膳の下女、お菊は、主膳が大切にしていた南京皿を割ってしまった。日ごろお菊の美しさを妬んでいた青山の妻は、この過失を口実に、お菊の右中指を切り落とし、縄で縛って一室に監禁した。しかし、お菊は縄つきのまま部屋を抜け出し、古井戸に身を投げて死んだ。
 これよりのち、古井戸からは、毎夜のように、怪しい光とともに、足りなくなった皿を、一枚、二枚と数えあげるお菊の声が聞こえてくるようになった。この怪現象は小石川伝通院の住職、了誉上人によっておさめられたが、その年、青山家に生まれた男の子には、右手の中指が欠けていた。(この伝説には異伝多数あり)

 このような現象も、死者の霊魂によるものだという説明も可能だが、たんなる幻覚(含幻聴)としても説明可能である。中間的な仮説として、死亡時の強い感情が場所に「記録」されて、それが繰り返し「再生」されるのだという考えもありうる。死者と関連する新生児が、関連する死者の負った傷と同じ先天的欠損を持って生まれてくるという話は、「霊魂の生まれ変わり」の証拠とされる事例でしばしば報告されているものと同じである。

■テレパシー telepathy の実験的な研究については、起きている人が寝ている人の夢の中に映像を送り込む、夢テレパシー実験が良い結果をおさめたが、実験が大がかりになるため、十分な数の追試が行われていない。それに代わって、現在のテレパシー実験では、受け手を感覚遮断状態において軽い変性意識状態にした状態で行うガンツフェルト実験 Ganzfeld experiment が主流になっている。送り手が四枚の画像のうちランダムに選んだ一枚を「送信」 するという実験デザインで繰り返し多数の実験が行われて、平均して約三分の一の正答率が得られている。この成績をテレパシーの証拠と見なすか実験の不備と見なすかで論争が続いているが、送信される画像が感情的な内容のほうが成績が良いという傾向があることは注目に値する。

■逆に、霊魂仮説が支持されるには、人間にはESP能力がないか、あっても距離によって減衰する、壁によって遮蔽されるなどの制限がなければならないが、そうだといえる証拠も不十分である。

2007/2550-11-29 改訂 蛭川立