FAQ

よくお受けする質問と、それに対するお答え


Q:研究に興味があるのですが、お話を聞かせてもらえますか?

Q:研究内容について、取材させていただきたいのですが

A(学生さん向け):はい。質問があれば、時間がゆるすかぎり、お答えします。授業の後などに気軽に声をかけてください。

A(一般向け):まずはインターネット経由でコンタクトをお願いします。下記アドレスにE-mailを送ってください。mixiやFacebookやTwitterも使っておりますので、そちらを経由してやりとりをすることもできます。基本的に実名で登録していますので、マイミク申請やTwitterのフォローなどもお気軽にどうぞ。ただし、Facebookはもっぱら海外の研究者や友人との情報交換に使っているため、日本語はあまり使っていません。

A(テレビ、出版社などのメディア向け):まずは、下記のアドレスに電子メールにてお尋ねください。テレビ番組等の場合は、テーマをはっきりさせて、その分野についてある程度の下調べをして、きちんとした企画書とともに下記メールアドレスに連絡をください。ただし、緊急性を要する時事的な事件についてのコメントについては、その限りではありません。広報課ないし事務室を経由して電話連絡をください。

とくに、学術的なきちんとした研究をふまえずに、エンターテインメントとして興味本位で扱うようなテレビ番組からの取材申し込みが少なくないのですが、そのような企画には原則としてご協力できません。また、私はオカルト的なものに科学的なお墨付きを与えるような役割は演じません。かといって、個々の現象をきちんと研究せずに、なんでもかんでも科学的にはありえない、と否定するような立場でもありませんのでそこもご理解くださいませ。ただ、よりよい番組をつくるために、このような番組にしてはどうかという、企画のご相談等につきましては、ご協力できるところはしたいと思っています。


Q:お話を聞かせてもらいたいのですが、どちらに連絡すればよいですか?

A:授業の後などに声をかけてもらってもかまいませんし、その他の場合は、電子メールで

宛に、できるだけ具体的な内容を書いて送っていただけるのがもっとも都合がよいです。研究室にお電話をいただいても不在であることが多く、大学の事務室に連絡するのも、二度手間になりますので、できるだけ避けていただければ幸いです。

ある程度話が進めば、携帯電話・メールでのやり取りが便利ですが、いまここには番号・アドレスは公開しません。


Q:授業を聴講することはできますか?ゼミに参加することはできますか?

A:単位を取得するかどうかにはかかわらず、正式に聴講する場合には聴講生等の手続きが必要になります。詳細は情報コミュニケーション学部事務室情報コミュニケーション研究科までお問い合わせください。ただ、授業はおもに平日の昼間に行われておりますが、会社にお勤めのかたなどですと、時間的に難しいところもあります。ただ、夜遅い時間の授業もありますので、そのあたりは時間割表をWEB上に公開してありますので、ごらんください。ゼミの場合は、逆に、ゲストとして来ていただいて、ご専門の分野からのコメントをいただける方も歓迎いたします。

もちろん、本格的に勉強したい方には、明治大学情報コミュニケーション学部への進学をお勧めします。とくに、すでに四年制大学を卒業されているかたには、大学院情報コミュニケーション研究科の蛭川研究室への進学をお勧めします。入試日程などにつきましては、事務室までお問い合わせください。一般向けの進学相談会も行っています。ただし、大学院の場合、卒業後の進路はなかなか厳しいので、その点はあらかじめご考慮ください。


Q:正規の学生や聴講生でなくても参加できる研究会などはありますか?

A:はい。あらかじめご連絡をいただければ、明治大学意識情報学研究所の定例研究会に参加できます。研究所の趣旨と、定例研究会のスケジュールにつきましては、それぞれのリンクをたどってごらんください。その他、ネット上でもゼミ活動を展開しています。mixi上に、だれでも参加できるヴァーチャル蛭川ゼミをつくっています。


Q:不思議な体験をしたのですが、お話を聞いてもらえますか?

A:はい。こちらとしてもそのような体験談をシェアすることは貴重だと考えておりますので、まずは上記のメールアドレスに体験内容を簡潔に記してお送りいただければ幸いです。「不思議な写真が撮れた」などといった場合には、写真なども添付していただければ幸いです。ただし、現象の真偽について調査してお答えできるとはかぎりません。また、臨床的なご相談につきましては、専門ではありませんので、精神科など、専門の機関をお訪ねになることをお勧めいたします。


Q:けっきょく、専門分野は、なに学なのですか?

A:人類学(とくに文化人類学)から心理学(とくに意識研究)にかけての分野ですが、あまり特定の「○○学」という分野にこだわってはいません。あるいは、それをメタな視点から考える、科学史や科学哲学にも深い関心があります。それが、学際的な学部における大学教授のスタンスだと考えています。ただし、既存の学問分野がそれぞれに築き上げてきた個々の方法論には敬意を払いたいとも思っています。学際的だからといって、そうした過去の貴重な蓄積を軽視するつもりはありません。

なお、子どものころから星が好きで、将来は天文学者になろうと思っていました。その延長線上で、アマチュアとして天文学や宇宙論の、研究というほどではありませんが、勉強もしています。


Q:なぜ不思議な現象の研究をしているのですか?

A:まさに、それが不思議だからです。不思議な現象を解明したいから研究しているのです。人によっては、自分が不思議な体験をしたことがきっかけになって研究を始めたり、さまざまな不思議現象の存在を事実として証明したいから研究したいという動機もあるでしょう。しかし、私の場合はそうではありません。むしろ、中心にあるのは知的な探究心です。

そもそも、いわゆる超常現象だけが不思議な現象だとは思っていません。およそ科学者が研究しているのはすべて今の科学理論では説明できない不思議な現象です。言い換えれば、科学が研究している現象はすべて不思議現象だということもできます。けれども、いわゆる超常現象が格別に不思議な現象のように見えることも事実です。個人的には、奇妙な現象であればあるほど、それを解明したいという知的な探究心をそそられます。


Q:超常現象を体験したことがありますか?

A:それは、なにを超常現象と呼ぶかにもよりますが、基本的にはあまりそういう体験はしたことはありません。ときどき、意味のある偶然の一致(わゆるシンクロニシティ)のようなことが起こる程度です。たとえば、誰かのことを考えていたら、ちょうどその人から電話がかかってきたり、等々です。それはテレパシーのような未知のコミュニケーションなのかもしれませんし、たんに偶然の出来事に意味があるかのように思えているだけなのかもしれません。また、目の前でスプーン曲げを見たことも何度もありますが、ただ見たことがあるだけでは、それがPK(念力)によるものなのか、手品やトリックなのかは、判断できません。

タイの僧院で瞑想修行の真似事をしたり、アマゾンの先住民の薬草茶会にお相伴にあずかったりしたときに、とても不思議な変性意識体験をしたことは何度かありますが、それはあくまでも主観的な体験であって、客観的に不思議なことが起こったわけではありません。

いずれにしても、個人的、主観的な体験は、個人にとっては意味があるとは思いますが、科学的な研究としては、個々の現象ごとに、きちん統制された客観的な実験で確かめる(あるいは否定する)必要があります。


Q:超常現象の存在を信じますか?

A:ひとくちに超常現象などといってもいろいろな現象がありますが、基本的には信じているわけでも、ありえないと決めつけているわけでもありません。正直なところ、わかりません。しかし、わからないからこそ研究しているのです。答えがわかっていたら、研究する必要はありません。科学というものは、信じるとか信じないとかいう次元の問題ではなく、わからないことはわからないこととして、わからないからこそ、その真偽を調べていく作業なのだと考えています。

それゆえ、信奉者対否定派というナイーブな議論には加わるつもりはありません。研究にあたっては、正しい意味での懐疑主義者として、できるだけ中立的な立場に立ちたいと思っています。もっとも、そうは思っていても、無意識のうちに自分の好みという色眼鏡で現象を見てしまいがちだということも自覚しなければなりませんが。


Q:超常現象の存在は科学的に証明されているのですか?

A:超常現象といってもさまざまな現象があります。まず、主観的な体験は科学的、客観的に証明できるものではありません。客観的な実験が可能な現象にも、さまざまな種類のものがあり、いちがいにまとめてなんともいうことはできません。ただし、とくにテレパシーやmicro-PKについては、多数の実験が行われた結果、統計的には有意な結果が報告されています。ただし、研究の方法に誤りがあるのではないか、統計的な偏りだけでは証明にならない、メカニズムが不明である、等、多数の批判があり、その存在が実証されたという結論が広く受け入れられるには至っていません。もっとも、これはこの分野だけの問題ではなく、実際の科学研究というのはこのような気長な論争と実験の繰り返しによって進んでいくもので、簡単に白黒つけられるようなものではないのです。逆に、いとも簡単に白黒をつけられると主張するような議論は、眉唾ものだと思っていいでしょう。


Q:死後の世界は存在すると思いますか?

A:たとえば臨死体験の研究などで、「あの世」は実在するか、それとも脳が作り出している夢のような幻覚なのか、という議論が続けられてきましたが、私はそのような問題設定自体が不毛だと思います。なぜなら、いま目の前に見えている「この世」も、物理的実体として実在するともいえるし、脳が作り出しているイメージだともいえます。それよりも、そもそも、脳という物質から心や意識というものが発生していると考えること自体がとても不思議なことで、私はむしろそのような問題こそが本質的だという立場に立っています。


Q:しかし、そう言っている割には迷信めいたものに対して肯定的な立場をとっているようにみえますが・・・

A:それは、文化人類学や民俗学における研究上のスタンスです。つまり、「未開」な人々が信じている「非科学的」な「迷信」を、たんに遅れた迷信として否定するのではなく、いったんそれを信じている側の人たちのリアリティに寄り添って、彼[女]たちが、なぜそのような信念体系を持っているかを理解したいからです。迷信を信じているようにみえる「未開人」や古代人のコスモロジー(世界観)にも、その地域と時代の文化にそくした、現代科学とは違った意味での合理性(野生の思考、神話の論理)があることを明らかにすることが、文化人類学や民俗学の基本的な立場です。

また、同じような理由で、現代のいわゆる精神世界やスピリチュアル系文化やについても、頭ごなしに否定するつもりはありません。ただし、科学的な真偽とは別の問題として、まだ真偽のはっきりしていない現象を利用して法外な価格を請求するビジネスなどを行うことには、反対です。


Q:文化人類学や民俗学は、ある文化に存在する信念体系が正しいか間違っているかについては、判断を保留するものではないのですか?

A:たしかに、そのように判断を保留して、その信念体系の社会的な機能を考えるというのが、文化人類学や民俗学のオーソドックスな立場かもしれません。ただし、個人的には、かならずしも文化人類学や民俗学の方法論の枠内にとどまる必要はないと思っています。たとえば、祈っただけで病気が治るといった信念に対して、それで本当に病気が治るのか、もし治るとしたらどういうメカニズムで治るのかという、素朴な疑問はつねに持っています。そういう疑問を保留できないという点では、自分はむしろ自然科学者なのだと思っています。それは、きちんと実験的に研究する必要がると思っています。ただし、予算と時間の制約上、現在、自分ではそのような研究を実際には行っていませんが。


Q:宗教についてどう考えますか?

Q:なにか特定の宗教を信じていますか?

A:これは微妙な問題です。インド哲学や仏教思想には哲学の体系として共感しつつ興味を持っていますが、共感は信仰と同じなのか、またほんらいの仏教は人間の外部に神のような超自然的存在を信じるような思想ではありませんから、そもそも宗教といえるのかという問題があります。また、満天の星空などを眺めているときに、ある種の、宗教的ともいえる畏怖の念に打たれることもありますが、それらは、けっきょくは、宗教や信仰という言葉の定義次第だと思いますし、それを厳密に定義することには本質的な意味はないと個人的には考えています。

また、世界中で、さまざまな宗教や「迷信」を信じている人たちとも交流がありますが、上記の人類学的な視点からしても、それらを頭ごなしに否定するつもりはありません。個々の教義とはまた別に、社会的に意義のある活動を行っている団体や個人も存在します。ただし、自分自身は団体としての宗教法人には所属していませんし、資金援助等も受けていません。


Q:違法な薬物の使用を推奨するような発言をしているように思えますが?

A:いいえ。その内容がどうであれ、正当な手続きによって制定された法は順守する義務があると考えています。ただし、法律の内容は地域や時代により異なりますし、必ずしも薬物やそれを含む薬草の医学的な有用性や危険性とは一致していないのも事実です。そのことについては、もっと正しく認識する必要があると主張しているだけです。もちろん、すくなくとも日本のように、言論の自由が保障されている民主主義国家では、正当に選挙された国民の代表が議会で議論を行い、法律をよりよい方向に改正する手続きもまた、憲法によって保障されています。そのために本当に必要なことは、それらの物質が心身に及ぼす影響のさらなる研究と、それにもとづいた正しい科学的知識の普及であると考えています。

また、私が関心を持っているのは、古今東西の儀礼で用いられていた薬草に含まれるサイケデリックスと呼ばれる(俗に幻覚剤とも呼ばれる)向精神作用を持つ物質群であり、意識の状態を変容させる作用があります。その体験は、人間の意識や脳の働きを理解する上で非常に役に立ちますし、また適切な文脈で使用すれば、心理療法などにも有効活用できる可能性があるとも考えています。サイケデリックスはそれ以外の、たとえば覚せい剤やヘロインなどの依存性薬物はまったく異なる物質で、同じ「薬物」や「麻薬」というカテゴリーに分類し、同一視することは誤りです。詳細は、拙著『彼岸の時間』(春秋社)の、とくに第9章をお読みいただければ幸いです。


Q:世界には科学では説明できない不思議な現象もあるのではないでしょうか?そもそも、不思議な現象は科学では解明できないのではないでしょうか?

Q:不思議な現象を科学的に解明してしまうと、夢が失われてしまうと思いませんか?むしろそんな研究は、しないでおいたほうがいいのではないでしょうか?

A:それは科学に対する誤解です。いまの科学理論では説明できない不思議な現象があるから科学者は研究を続けているのです。その時代の科学理論ではどうしてもうまく説明できない現象が、逆に新しい理論を生み出してきたという歴史もあります。科学というのは、そうやって自らの理論を修正しながら発達しうる柔軟性を持っています。ただし、一回しか起こらない現象や、心や意識がかかわる主観的な現象に、客観性や再現性を基盤とした物質科学の方法論がそのまま当てはまるのかどうかについては、なるほどよく考える必要があると思います。

しかし、実際に研究を進めていると、一つの謎が解ければ、往々にしてまた別の謎が出現し、かえって謎が深まるのも事実で、そういう意味では、科学が進歩すればするほど、逆に謎が増えていき、夢が広がっていくということもできます。すくなくとも個人的には、そんな気持ちで研究を進めています。