モンゴル:復権するシャーマニズム


 ソ連崩壊の翌年、1992年にモンゴル人民共和国はモンゴル国と国名を変え、地球上でもっとも長く続いた社会主義政権は終わりを告げた。市場経済の導入によって経済は活性化しつつあるようにみえるが、同時に貧富の格差、中央と地方の格差も増大し、治安も悪化しつつある。人々に、民主化の前と後とどっちがよかったかとたずねると、「どっちもよくない」という返事がかえってきたりする。

(写真:夏のウランバートル。民族衣装を着ている人は少ない。)

 そんな中で、復活がめざましいのが宗教である。モンゴルでは、チベットからもたらされたチベット仏教と、古来から続くシャーマニズムが、ときに敵対しながらも混じり合い、信仰されつづけてきた。しかし、社会主義時代にはその活動は大幅に制限された。とくにスターリンの後押しを受けたチョイバルサン政権時代に宗教活動は徹底的な弾圧をうけ、2万人以上の仏教僧とボー(シャーマン)たちが「粛正」されたという。

 モンゴル仏教の総本山、ウランバートルのガンダン寺にあった大観音像はチョイバルサン時代にソ連に持ち去られたままになっているが、1996年、新しい観音像が60年ぶりに再建された(写真)。

ガンダン寺大観音像

 シャーマニズムは、かつては仏教勢力によって、革命後は社会主義政権によって度重なる弾圧を受けてきたにもかかわらず、とくに最北部のフブスグル県を中心に人々の根強い支持を受け続けてきた。

 「ボーは宗教やあらん。山や土地からもらった力さ」フブスグル県、ダルハト・モンゴルのオットガン(女性シャーマン)、ビャンダーさんはダルハト訛りのモンゴル語で語る。太鼓は警察に没収されてしまったので、今は口琴と歌で儀礼を行っている。写真の儀礼では、まずビャンダーさんにオンゴット(精霊)が降り、それから彼女の魂はオンゴットの導きで天上界へ行ったという。アルタイ系のシャーマンには、呪的飛翔と憑霊を同時に行うタイプが多い。(写真をクリックすると動画(QT: 860kB)がロードされます)

 1999年8月にウランバートルで行われた第5回国際シャーマニズム研究会議には、内外からの研究者のほか、ボー(シャーマン)たちが多数参加し、たんなる田舎の土着信仰ではない、民族的アイデンティティの担い手としての新しいシャーマニズムの復活を印象づけた。

 写真は、フブスグル県から学会に参加したチンバット・ザイランさんとその奥さん(右の二人)、バヤル・オットガンさんとその娘さん(左の二人)。白い光はチンバットさんによれば彼のオンゴット(守護霊)だという。

 学会に参加した十名ほどのボーたちは、学会終了後、ウランバートル市街の南にあるボグド山に登り、チャンドマントのオボ(写真の山頂に立っている)のふもとで山の神をもてなす儀礼を行った。オボは木や石を組み合わせてつくられた塔で、天と地をつなぐ柱を意味している。天と地の間に人間があって、中央を柱が貫いている、という世界観は世界各地のシャーマニズムにみられるもので、たとえば中国語のという漢字はそれをよくあらわしている。この日の儀礼はあいにく雨模様の天気だったが、雨は父なる天から母なる大地へと降りそそぐ精液であり、豊饒を約束する吉兆なのだという。

 太鼓をたたいて儀礼を行うボー、ビャンバドルジさん。太鼓の音がトランス状態を引き起こすのに重要な役割を果たしている。あるボーによれば、トランス状態に入ると体の中を風が吹き抜け、意識が拡大し、時空を超えた「明晰な知恵」を得ることができるという。

 オボーには男のボーしか登れない。ボーには男も女もいるが、かといってだれでもなれるわけではない。ふつう二十歳ぐらいで突然意識を失うなどの「召命」体験をし、それから先輩ボーについて修行をしていく。こうして現在も新しい世代のボーが誕生しつつある。(写真をクリックすると動画(QT: 500kB)がロードされます)

 首都ウランバートルの発展とはうらはらに、民主化以降、地方都市の機能は著しく低下してしまった。そんな中で、昔ながらの遊牧生活にUターンしていく人たちも多い。

 社会が発展すれば古い遊牧生活や資本主義は社会主義的生産体制に取ってかわられ、迷信は科学に取ってかわられると考えられてきた。しかし、世紀末モンゴルの大地で起こっていることは、むしろその逆のプロセスのようにみえる。

(写真:フブスグル県の遊牧民の夏の日常生活、馬乳絞り)


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(1999/10/01 蛭川研究所付属仮想人類学博物館)



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