●国語学会シンポジウムの感想

 ホームページに色々と書いていたからでもないのでしょうが、国語学会2002
 年度春季大会(2002.05.18、於東京都立大学)のシンポジウム「いま「国語学」
 を問い直す」で、発題者となりました。題名は「「国語史」でできるもの」という
 ものです。

 主旨は、他の頁と重複もしますが、学問名は、研究者個人の自由に任せよ、
 学会名変更は、単なる看板の掛け替えでは反対で、学問のパラダイムの変
 更を伴うものでなければならない、学会誌名は学会名に連動して他と同じ誌
 名になっても構わない、というもので、国語学、国語史の今後の方向として、
 成果を海外へ発信する、通時的研究と国語史の間にある齟齬を解消する、さ
 まざまな言語史観に対し、日本語の側からその当否を検証する、ということを
 主張しました。そして、今後の方向として考えられることは、例えば「日本語史」
 ならできることで、「国語史」ではできないこと(だった)とは思えない、と締めく
 くりました(どうも、話がうまくまとまらず、時間超過のイエローカードを出された
 のは、我ながら情けないことでした)。

 他の発題者である、宇佐美氏、任氏、安田氏のお考えも、いろいろと勉強にな
 り納得できる点も多々ありました。成果を発信していかなければならないとい
 う点で意見が一致したことも、意を得た思いでした。また、韓国で国際学術誌
 の認定を得るべく既に行動に移しているという情報も、有益なものでした。

 会場からの質問も、為になりました。韓国の留学生が、日本の研究に溶け込
 みたいと思ったとき、「国語学」の名は壁を感じるという意見を述べてきました
 が、外国の「日本学研究」の一環として、独立・対等の関係で「日本語」を研
 究しているのが普通ではないかと思っていましたので、そのように意識する
 留学生がいるということには、事実としての重みを感じもしました。

 また、「国語史」という名を変えると何ができなくなるのか、という質問にも、
 そういう質問の仕方自体が議論としては、ややルール違反だとは思いました
 が、考えるべきものを含むとは思いました。

 ところで、これも繰り返しになることとは思いますが、私は、単に学会名を変
 更するのは断固反対だと言っているわけではありません

 留学生が疎外感を感じる、古臭い学問だと思われる、学校の教科としての国
 語とまぎらわしい、などの理由付けが、本当に本当なら、名称変更も考慮す
 べきことではありましょう。しかし、その裏付けが不充分ではないのかと思う
 わけです。その決定的な証拠を見ていないのに、何とはなしにムードだけで
 変更することに問題はないのかと言っているのです。また、学校の教科と
 まぎらわしいのであれば、それは国語学の側からの宣伝が不足なわけで、
 その手立てをすべきではないのかとも思います。なすべき、「国語史(国語
 学)でできること」を踏み行なわないでいながら、名前が悪かったんだとうそ
 ぶくのは、無責任すぎるのではないでしょうか。
(その点、安田氏の、時勢次
 第で名前がどうとでもなる学問だということを敢て宣伝するよりは、後ろ向き
 のほうがまだましなのではないか、という論調に共感します)。

 いままで、その名を使って論文を書き(タイトルにも用い)、業績をあげ、出世
 もしたものを、「いや、自分はどっちだってよかったんだよ」と、今更ながら言
 ってほしくはない。それなら、「いや、すまんかった。じつは無自覚であった」
 と正直に認めてほしい、というのがいつわらざる実感です。「国語学」という
 名を変えるにしても、名誉ある撤退の道を作ってほしいと願うばかりです。

 日本語学をこれまでずっと標榜していたある研究者が、せっかく今まで差異
 化をすべくやってきたのに、急に国語学が日本語学になったら、今までの自
 分たちのやってきたことが何だったのかと思える、ということを言ったそうです
 が、日本語学の側からもそう思われては、ますます名誉は失われてしまう
 でしょう。移られていく日本語学に対して、いやどっちでもよかったんだけど、
 まあ、こっちが何となくいいかなと思ったから、というのはやはり失礼なことで、
 どうしても、日本語学でなければならないんだ、だから来たんだ、と言えなけ
 ればならないのではないでしょうか。

 むかし、『おそ松くん』で、イヤミが言っていた台詞を思い出します。「ミーを踏
 み台にするのは許せるざんすー。でも、ミーを踏み台にしたあと、けっとばし
 ていくのは許せないざんす


(付記)その後、『朝日新聞』2002.06.21(金)付夕刊に、「「国語学会」→「日本
    語学会」? 名称の普遍性めぐり百家争鳴」という記事が出て、シンポジ
    ウムでの発言がとり上げられました。「国語学会」の改称問題が、このよ
    にマスコミでもとり上げられるということは、学会の社会的な認知の度合
    いという側面からすれば、いいことと考えるべきなのでしょう。なお、何人
    かの方から「取材を受けたのか」と尋ねられましたが、記事を読んでも明
    らかな通り、記者がシンポジウムを取材した結果を記事にしたもののよ
    うです(直接の取材は受けていません)。